2012年5月15日 (火)

さよならゲーム

Photo

1988年公開のケビン・コスナー主演映画のタイトルである。原題は「Bull Durham」。「Bull」は「雄牛」。「Durham」 は米ノースカロライナ州の都市である。「Bull」には「力強い男性」的な意味もある。映画の原題を直訳的に書くと「ダーラムの力強い男」となる。これだけではまったく意味が分からないが、野球好きの人なら邦題から野球に関係していそうなことが分かる。となると「ダーラムの力強い男」は「ダーラムの強打者」と解釈できそうだ。
その「Durham(ダーラム)」にはマイナーリーグAAAクラスのベースボールクラブがある。ニックネームは「ブルズ」。つまり「さよならゲーム(Bull Durham)」はこの「ダーラム・ブルズ」を舞台にした野球映画なのだ。「アンタッチャブル」でブレイクしたケビン・コスナーが主演した最初の野球映画である。

コスナーが演じるのは21日間だけメジャー経験があるという、マイナーのベテランキャッチャー「クラッシュ・デイビス」(なんとカッコイイ名前!)。マイナーチームを転々としていたクラッシュがこのブルズに呼ばれる。彼は強打のスイッチヒッターでポジションはキャッチャー。AAAの通算本塁打記録更新という地味な記録が目前だったがその打力を買われて呼ばれたのではなかった。すでに先の見えたベテランである彼にチームが期待するのは将来有望なな若手投手ヌーク(ティム・ロビンス)の教育係だった。ヌークは監督曰く「腕は100万ドル、頭は5セント」の発展途上の投手だ。その彼を使える投手にするのがクラッシュの仕事だ。子守りなどやってらるかと一度は契約を蹴ろうとするがしょせん行き場のないベテランはその役割を受け入れる。
その夜バーでクラッシュはアニー(スーザン・サランドン)という女性に出会う。アニーはいわゆる「グルーピー(追っかけ)」で、地元のチームにやってきた若手の有望選手を“世話”するのが生き甲斐の女性だ。選手と結婚したいわけではなく大人の男として「一人前」に育てて送りだすのが彼女の幸せである。
アニーは若くてやんちゃなヌークの“世話”をするのだが、ダーラムにやってきたベテラン選手のクラッシュに惹かれ、クラッシュもまたアニーに惹かれる。互いに惹かれあいながらもアニーは女として、クラッシュは選手としてそれぞれの立場で一人の若者を育てるという奇妙な三角関係を続ける。やがてヌークはピッチングのコツを覚えて多少は“大人”にもなり、メジャーに昇格し二人の元を去ってゆく。クラッシュはチームでの役目を失い現役引退と系列チームでのコーチ就任を勧められるが、コーチ就任を断り、現役を続けるためダーラムを離れる。アニーはこれまでどおりの一人暮らしに戻る。そして誰にも知られずAAAの通算本塁打記録をひっそりと更新したクラッシュは現役を引退し、アニーの元へ戻ってくるのだ。

 この後コスナーは「フィールド・オブ・ドリームス」と「ラブ・オブ・ザ・ゲーム」など野球を題材にした映画に主演している。コスナーは野球好きで知られプレーもなかなか上手である。野球選手役ではないが「フィールド・オブ・ドリームス」でも野球のシーンがあるし、「ラブ・オブ・ザ・ゲーム」ではメジャーの名投手という役どころを実にカッコ良く演じた。
だけど個人的にはこの「さよならゲーム」が一番好きである。
僕がこの映画を好きなのは、コスナーのハマり具合もさることながら映画全体にあふれる哀愁に惹かれるからだ。今ではマイナーリーグの各チームも集客に熱心で、メジャー顔負けの球場を持ち、高い人気を誇るチームも少なくないが(このブルズもそのひとつだ)、1980年台のマイナーリーグはさびれた球場が多く文字通りマイナーな雰囲気が漂っていた。だけど、メジャーリーグに興味を持ち始めていた僕にとってこの〝マイナー感〟もまたまぎれもないアメリカ野球であった。メジャーの華やかさと好対照をなす陰の世界。そこに生きるのもまた野球に取り憑かれた人間たちであり、映画で描かれた世界はメジャーリーグ以上にアメリカらしさを感じさせるものだったのだ。安っぽい座席のバスでの長距離移動や地元ファンとの距離の近さ、薄暗い照明、非情な現実・・・。日本の2軍ではあり得ない、だけどアメリカなら本当にありそうだと感じさせてくれる世界だった。

移動バスの中、クラッシュがほんのわずかの間だけメジャーにいたことを語るシーンがある。それまで口うるさいロートル捕手でしかなかった彼を見るチームメイトの目が、一瞬にして尊敬と憧れの眼差しに変わる。このシーンがじつに良い。「最高の時間だった」とつぶやくクラッシュ。〝メジャー〟がどれほど特別な世界かを雄弁に物語り、だからこそクラッシュの陰が際立つ名シーンだ。 どれだけのホームランを打とうともマイナーリーグでは何の意味もない。その記録にこだわるクラッシュのプライドは彼にしか分からない。彼もまた夢破れた一人だったが、プライドを持って現役を全うしたのである。それもまたひとつの野球人生なのだ。


さて、なぜこの古い映画に長々と触れたか。アメリカ野球のファンならすでにおわかりだろう。そう、松井秀喜である。
ブルズは1902年創設の伝統あるチームで、映画公開当時はアトランタ・ブレーブスの傘下だったが現在はタンパベイ・レイズの傘下にある。レイズとマイナー契約した松井秀喜はまもなく傘下のAAAのチーム、つまりこのダーラム・ブルズに合流し、メジャー再挑戦への歩を進める。
先にも書いたが今のブルズはマイナーでも人気あるチームのひとつで、球場も改装され映画の中の球場とはすっかり見違えるほどきれいになっている。しかし、マイナーであることに変わりはなく、明日のメジャーを夢見る選手たちがしのぎを削っているのだ。 そこに、クラッシュ・デイビスよろしくベテランの松井が加わる。しかし松井はクラッシュと違い、メジャー復帰の足がかりとしてチームへやってくる。松井はまだ勝負を許された立場であり若いチームメイトはライバルだ。
そんな、誰もが知るスター選手の松井をダーラムの選手たちはどんな目で見つめるのだろうか?ライバルの一人としてなのか、あこがれのスターとしてなのか?いずれにせよ、ブルズのチームメイトが松井から得るものは決して小さくないはずだ。

僕はたとえほんの一時でも松井がクラッシュ・デイビスと同じユニフォームを着ることに感慨を覚えずにはいられない。僕にとってマイナーリーグの全てを体現しているかのように思えるあの映画のチームに、日本のスター選手が入るなんてことがあるとは夢にも思わなかったからだ。それはメジャーで日本人が当たり前のように活躍するようになった今でも、いや今だからこそむしろ奇跡のような気がするのだ。松井にとってマイナーでのプレーは決して愉快なことではないだろうが、僕はこの巡り合わせに少々興奮している。

もちろん僕は松井がダーラムに長く留まる事を望みはしない。格の違いを見せつけてさっさとメジャーに昇格して欲しい。そして、ほんのわずかな間でも松井とプレーしたダーラムの選手たちが誇りに思えるような活躍をして欲しいと心から願う。

「俺はメジャーには行けなかったが、あのゴジラと同じチームでプレーしたんだぜ」

アメリカのどこかの街で、目を輝かせながらそんな話を聞く子どもの姿が僕の目には浮かぶのだ。

| | コメント (2)

2012年5月 4日 (金)

2000本安打と200勝

スワローズの宮本慎也選手が史上40人目となる2000本安打を達成した。41歳5ヶ月での達成は落合博満を抜いて最年長の記録。大学・社会人を経ての達成は古田敦也に次いで2人目。300犠打以上での2000本安打達成もPL学園の先輩・新井宏昌に次いで2人目、350犠打以上では初である。犠打が多いという事はヒットを打つ機会をそれだけ奪われるわけで(事はそう単純ではないのは承知の上だが、宮本の通算打率からすると110本程度のヒットを損している計算にはなる)、そういった意味でも宮本は特筆すべき存在だろう。また達成時の本塁打が100本未満なのも石井啄朗についで2人目。石井は通算で100本塁打を超えたが、宮本は通算でも100本を上回ることのない初の2000本達成者となるのは確実だ。
宮本といえば誰もが知る名手。ベテランになり負担を減らすため数年前からサードに回っているが42歳にしてなお動きは俊敏で、ショートを守ってもおそらく並の選手よりは今でも上だろう。そんな宮本が2000本に到達すると思っていた人は少ないと思う。それだけに、打撃でも長く安定した成績を残し続けてきたということは称賛に値する。

宮本より一足先に2000本安打を達成したのが、スワローズ同期入団の稲葉篤紀だ。年齢は宮本より2つ下で今年40歳になる。達成まで34本として今季をスタートしたがプレッシャーも何もないかのようにヒットを量産してあっという間に2000本をクリアした。ともに出場1976試合目での達成というのも不思議な縁である。
僕は正直、稲葉が2000本に到達するのは到底無理だろうと思っていた。スワローズからフリーエージェントになった時点でわずか972安打(実働10年)しか打っていなかったからだ。良い選手ではあるがケガが多く、とてもじゃないがその後こんなに長く活躍できそうには思えなかった。だがファイターズに移籍後昨年までの7年は常に安定した打撃で994本のヒットを積み重ね、今年の2000本安打達成となった。若い時のケガがかえってその後の体調管理につながって成績が安定し、今に至るのかも知れない。とは言え年齢を重ねてからの方が成績が伸びるというのは打者では非常に珍しいだろう。
稲葉にしても宮本にしても“やっとのこと”で2000本を達成したという感じでないところがいい。記録のために晩節を汚すのではなく、悠々と、そして堂々とレギュラーとして記録をクリアしたところが颯爽としてカッコイイと思う。2人とも現役選手としての先がそう長い訳ではないだろうが、少しでも長く活躍してもらいたいものである。

さて、稲葉、宮本に続き間もなくホークスの小久保裕紀が2000本安打に到達しそうだ。小久保が2000本安打を打てば、大卒選手として長嶋茂雄、山本浩二、金本知憲に次いで4人目の2000本安打&400本塁打達成者となる。広いヤフードームを本拠とするチーム(巨人に3年在籍)で400本塁打というのも素晴らしい。
1年に3人もの2000本安打達成というのも珍しいが、1983年には藤田平、衣笠祥雄、福本豊、山崎裕之の4人が達成している。
現役選手で小久保に続くのはいずれも5月3日現在の成績で谷繁元信(1899本)、中村紀洋(1870)、谷佳知(1864)、アレックス・ラミレス(1864)である。ラミレスには外国人選手初の2000本達成の期待がかかるが衰えは顕著で、他の選手も近年の成績や出場機会などからいずれも年内の達成は微妙である。

打者の2000本安打達成者はコンスタントに出ているが投手の200勝達成となると今後しばらくはなさそうだ。
最も新しい200勝達成者はドラゴンズの山本昌広。その前が工藤公康である。1980年代以降にプロ入りした選手で200勝達成者はこの2人と日米通算201勝の野茂英雄を加えた3人だけである。
日米通算も含めた200勝未満の現役最高は西口文也の177勝。石井一久が172勝で続き、松坂大輔の157勝、三浦大輔の145勝、黒田の144勝と続く。西口が今年40歳。昨年7年ぶりに二桁勝利をマークしたが200勝到達は難しいか。同じく39歳になる石井はこのところ3年続けて一桁勝利に終わっている。
この中で松坂は唯一の30代前半。手術後の活躍次第では十分200勝の可能性はある。ほかに現役投手のうち30代前半で100勝を超えているのは石川雅則と杉内俊哉、大リーグへ移籍した和田毅、岩隈久志の4人だけである。ただ、和田は肘の手術が決定し今季の登板はほぼ無理、岩隈は先発ローテに入れないでいる。日本でローテーションの軸である石川、杉内は今後も安定した成績を挙げ続けることができれば可能性は見えてくるだろう。

2000本安打に比べて200勝の達成が難しくなっているのはいうまでもなく投手のローテーション制と分業確率により先発登板と投球イニングが減っているせいである。1年間ローテーションを守っても25〜28試合、180イニング程度の登板ではよほど安定したピッチングをして、運にも恵まれない限り20勝はおろか15勝もそう簡単ではない。また、日本では有望な投手ほど高校時代から連投などで肩や肘を酷使する例も多く30代から急速に衰えるケースも珍しくはなく、そうしたことも200勝を難しくしていると思われる。
昔なら全盛期に投げまくって短期間に多くの勝ち星を積み重ねての200勝、というケースも多かった。選手寿命が短くともその分調子が良いうちにたくさん投げたいという投手は今でも実は多いのではないかと思う。
将来的にはダルビッシュ有や田中将大にも期待はできるが100勝もしていない投手では少々論じにくい。
いずれにせよ今後の日本球界で200勝投手というのはなかなお目にかかれなくなるのは間違いないだろう。

| | コメント (2)

2012年5月 1日 (火)

“リアル鉄五郎”その後

話題的にはやや古くなるが、以前(2008年10月)にこのブログで触れた“リアル鉄五郎”ことメジャーリーグのベテラン投手・ロッキーズのジェイミー・モイヤー(49歳)がメジャー最年長勝利記録を更新した。
知らない人のため説明しておくと「鉄五郎」とは水島新司の傑作野球漫画「野球狂の詩」に登場する、50歳を超えてもなお現役を続ける左腕投手のことである。モイヤーは誕生日が11月18日なのでシーズン中はまだ49歳だが今年中に50歳になる(背番号50はそれを意識してだろう)。メジャーデビューは1986年、メジャー実働は24年だがプロ入り27年の大ベテランだ。

08年に話題にした当時は46歳。当時はフィリーズの所属で16勝を挙げ、チームの勝ち頭だった。09年もフィリーズで12勝したが、10年は9勝に終わるとフィリーズは再契約せず、昨年はどの球団にも所属していない。
どの球団とも契約できなかったのは肘のケガも原因だ。
昨年すでに48歳。267勝もしていることを考えれば引退しても不思議ではないが、モイヤーは現役続行に執念を燃やし、損傷した肘の腱に健康な腱を移植する“トミー・ジョン手術”を受けた。1年のリハビリののち、今年コロラド・ロッキーズとマイナー契約、見事メジャー昇格を勝ち取り最年長勝利を記録したのである。
モイヤーの特筆すべき点は、通算268勝(4月30日現在)のうち35歳以降に挙げた勝利が通算勝利の6割以上の179勝を数える所だ。38歳で初の20勝、自己最多の21勝を挙げたのは40歳という、遅咲きにもほどがあるという投手だ。

日本で最も“鉄五郎に近い投手”として同じく08年にこのブログで取り上げたのが工藤公康(当時45歳)と山本昌(当時43歳)だ。モイヤーの1歳下の工藤は惜しくも昨年を限りに引退したが、同じく3歳下の山本昌は今年はすでに2勝を挙げ、プロ野球の最年長先発勝利記録と杉下茂が持っていた中日ドラゴンズの球団最多勝利記録(215勝)も更新した。
山本昌は昨年までの実働25年で二桁勝利はわずか10度、年平均8勝あまりという投手だが「もう終わりか」といったところから何度も這い上がるというしぶとさをみせている。毎年の成績だけをみれば並の一流投手(時代が違いすぎるため単純比較はできないものの、215勝を挙げた杉下茂の実働はわずか11年である)だが、頑丈な身体が山本昌を支えており、長い現役生活を可能にしてきた。投球フォームだけみれば今も若い時と変わらず躍動感にあふれ、胸板は厚く顔もどこか無邪気な少年の面影を残していてむしろ年齢を感じにくい投手である。
一方のモイヤーは、ヒゲには白髪が混じり俳優のリーアム・ニーソンにも似た渋い顔はひとたびユニフォームを脱げば野球選手というよりはむしろ大学教授といった風貌だ。投球フォームも「よっこらしょ」という声が聞こえてきそうでおよそ躍動感とは縁遠い。そのあたりもより“鉄五郎”っぽいのである。もっともモイヤーは若い頃から同じようなフォームだったのだが。

見た目や派手さのない経歴、申し分のない成績を上げていても“スーパースター”と呼ばれる事のないモイヤーだがその風貌とは裏腹に内に秘めたものは熱い投手である。最年長勝利を挙げた夜のインタビューで「あなたにとってベースボールとは」との問いかけに「人生だ」と迷いなく答えたその目は潤んでいた。

Photo
左:リーアム・ニーソン、右:ジェイミー・モイヤー

Photo_2
そして岩田鉄五郎

| | コメント (2)

«1周忌と4周年