これが答え。
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〜アニメージュ創刊前夜(1)〜
ロマンアルバム(以下RA)「宇宙戦艦ヤマト」によって、それまで以上にアニメへの興味を膨らませた僕は「TVまんが」から卒業する機会を完全に失った。いや、そもそも「TVまんがもそろそろ卒業やな」なんて考えたことはただの一度もなかったのだが。
ヤマトのRAが発行された数ヶ月後には第2弾「サイボーグ009」が発行された(昭和52年11月30日発行とあるが雑誌の常として実際の発売はもっと早かったはず)。RA「ヤマト」には続刊の予告も何もなかったことを思えば、第2弾の発行はヤマトの成功があって初めてGOサインが出たのだと思われる。おそらく相当の手応えがあったのだろう、RA「009」の巻末にはヤマトの時とは打って変わって第3弾「レインボー戦隊ロビン」や「イラストアルバム 松本零士の世界」「イラストアルバム 石森章太郎の世界」などの告知がずらっと並び、さらに「アニメーション人気コンテスト」なる企画の告知まである。これは好きな作品とキャラを5人まで書いて応募するというものだ。結果発表がどういう形で行われたかは知らないが、おそらくマーケティング調査も兼ねていたのだと思う。その結果や反響が「アニメージュ」創刊への大きなステップであったことは想像に難くない。

さてこのRA「009」もヤマトと同様、巻頭には描き下ろしのカラーグラビアがある。しかし、ヤマトと違い出来はかなりイイ。シンプルだがデッサンがしっかりしていて間違いなくプロのアニメーター、それもかなり実力のある人が描いたに違いない。原画が誰であるかの記述はないが、初代009の本編でも作画監督をやった木村圭一郎氏だと聞いたことがある(未確認)。今では考えられないことだが、この頃はまだアニメーターにスポットが当たることは少なかったのだ。とにもかくにもこのカラーグラビアは、009大好きな僕にも満足できる出来であり、またしても僕は模写をしまくった。
このRAでは原作者である石森章太郎先生へのインタビューや脚本の辻真崎先生の寄稿文、声優さんとプロデューサーの座談会なども掲載されてていてヤマトに比べるとかなりマニア向けの内容になっている。RA「ヤマト」の成功が早くも編集方針に反映された形だ。巻末近くには「アニメファンよ手をつなごう」と題した記事がある。記事といっても実はほとんど広告だ。それは「東映アニメーションファンクラブ」の会員募集の記事であった。なぜ東映動画のファンクラブの記事がロマンアルバムに掲載されているのかという疑問はさておき(理由はちゃんとあるのだが)、こういった記事が掲載されることからもターゲットが絞られていたことが伺える。この「東映アニメーションファンクラブ」には僕もその後入会することになるのだが、それはまた別の機会に触れることにしよう。
このRA「009」発行とほぼ時を同じくして1冊の本が朝日ソノラマから発行される。「月刊マンガ少年臨時増刊 TVアニメの世界」である。この本は完全にマニアにターゲットを絞った1冊であり、この本によって僕はまたさらに深くアニメに傾倒していくことになる。
(続く)
この表紙の絵と同じポーズのジョーを音楽室の机に落描きしたことがあった。ある日音楽のセンセイに「009の絵を描いたのAKIRAくんでしょ?他のクラスの女の子がカッコイイ絵が描いてあるって教えてくれたの。残念だけど消しといてね」と言われたことがあった。わざわざ僕に言わずとも消そうと思えば消せるものを本人に消させるなんてかなり優しい人だ。この先生はリクエストするとヤマトの主題歌を弾いてくれたりするおちゃめでカワイイ人で僕はけっこう好きだった。
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大阪随一の繁華街「道頓堀」。阪神優勝の際、アホどもが飛び込んだことで有名な場所。その橋(戎橋)のたもと、知らない人がいないであろう「かに道楽」の巨大なかにを左に見て10数メートルほど歩いた辺りの右側には、いつも人だかりがある。近づいて行くと「チン、ドン、チン、ドン」とのんびりした鐘と太鼓の音がする。今時の音楽で賑やかな周りに比べるとかなりアナクロな感じがする。音の主は人形だ。赤と白の縞々の服を着て首を左右に振りながら眉を上下させニコニコと愛想を振りまいている。どことなく大村昆かチャーリー浜のような顔つきのこの人形、名を「くいだおれ太郎」という。大阪の食堂「くいだおれ」の看板人形だ。今や大阪の観光名所となっており、行ったことはなくとも知っている人も多いと思う。
先月この「くいだおれ」が7月で閉店になるという(大阪人にとっては)かなりショックなニュースが流れた。「ウソやろ〜」と大阪人の誰もが思ったに違いない。
♪くいだおれ〜くいだおれ〜
なにわのこころくいだおれ〜
道頓堀のくいだおおれぇ〜♪
子供の頃はTVをつけたらこんなCMソングがいつも流れてた。
関西に住む(住んでいた)ある年代以上の人にとって、このCMソング(作曲はもちろん浪花のモーツァルトことキダ・タロー大先生)を知らない人はいないのではないかと思う。
僕がこの「くいだおれ」でご飯を食べたのは、たぶん子供の頃父に連れられて行った1回きりだ。だから「くいだおれ」というとこのCMソングとこの人形「くいだおれ太郎」のことが真っ先に思い浮かぶ。そもそも「食い倒れ」とは「大阪の人間は食べることがあまりに好きなために財産を失う」という大阪人気質を表した言葉であるが、そういう意味よりも先にこの店(のCM)によって知ったくらいなのだ。
子供の頃に見たこの人形、正直子供心には安っぽく思えたし大阪に住んでた高校時代まではこれといった思い入れもなかったのである。しかし大学進学と同時に東京へ出てから早や20数年。「大阪らしいもの」が妙に懐かしくなり、この「くいだおれ太郎」もそういったもののひとつになっていた。
大阪へ帰省し、道頓堀へ行くと「くいだおれ太郎」はいつもそこにいた。昔と同じチープな衣裳を身にまとい相変わらず間抜けな音を出している。けれどそれがなぜか妙に嬉しく「ああ、大阪やなぁ」と安心するのだ。
新しいモノがもてはやされ古いモノはどんどん消えて行く。歴史ある大阪も例外ではない。そんな中で彼は何十年も変わらぬ姿で僕を迎えてくれていた。しかし、ひょっとするともう次に帰った時、彼はいないかも知れない。
飲食店の経営はシビアだ。「くいだおれ」という名前と人形に思い入れがあっても、その利益に貢献していない僕が何を言おうとそれは身勝手な郷愁だ。
けれど身勝手を承知で「くいだおれ」と「くいだおれ太郎」はいつまでもそこにあってほしいと思う。なぜならば「いつもそこにあるもの」と思っていたものがどんどん消えて行く寂しさは、遠く離れたところで暮らしているほどに感じるからだ。
太郎の周りにいる人たちはみな幸せそうに笑っている。そんな風景をみながら、大阪の大阪らしいものはどうにかして残って欲しいと切に願う。けれどもその一方で昔ながらの「くいだおれ」とはどのみちもうお別れなのだということも分かっている。仮に太郎だけ残ることになったとしてもそれはもう太郎であって太郎でないのだ。そう思いながら「くいだおれ太郎」の顔を見上げたら、いつもの顔で笑ってすぐに向こうを向いた。その横顔が寂しそうに見えたのは、やはり身勝手な郷愁ゆえなのだろうか。

この前日、5月7日に彼はミュージカルの舞台に立った。
で、このセリフ。
で、その日は弟が留守番。
実はとても貴重な一枚なのである
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