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2008年5月

リン・ミンメイ

Photo寝付けなかったので・・・なにかネタを考えるも思いつかず、また過去絵で恥さらしをします。
一世を風靡したアニメ「超時空要塞マクロス」のヒロイン、リン・ミンメイです。高3の時に描いたもの。

キャラデザインは美樹本晴彦氏。当時は安彦先生の影響がバリバリに見てとれてた。美樹本氏はこのマクロスで一気にメジャーになったわけだが、「マクロス」以前の美樹本氏のアニメ界における実績はほとんどないという中での大抜擢で、まさしく「彗星のごとく」という形容がピッタリだった。
しかし、これより前から美樹本晴彦は知る人ぞ知る存在だった・・・といっても僕もそれほど詳しいわけではないのだが。たまたま手に入れた同人誌に、木によりかかるフラウ・ボウのめちゃくちゃ上手いイラストが載っていた。文章とともに「HAL」という名前が書いてあった。それが美樹本晴彦(当時:良春)だった。それからしばらくして「OUT」のみのり書房から画期的なガンダムムック「GUNDAM CENTURY」が1981年に発売され、その中に「美樹本良春」の名を見つけた。その本の中で彼は、ホワイトベースのある日常を描いたオリジナルの読み物のイラストを安彦タッチ描いていたのだ。安彦先生と見まごうほどの・・・というほどではさすがになかったが、やはり上手だった。
そして、その翌年「マクロス」で彼は本格的にアニメ界にデビューすることになるのだ。アニメ誌に掲載されたマクロスのキャラデザイナーの名前は「美樹本晴彦」となっており、僕は最初「おや?」と思ったのだがこれは「美樹本良春」だと確信していた。そして彼の存在を知らなかったアニメファンの間では「安彦タッチのこのデザイナーは誰だ」とちょっとした騒ぎになったのだった。
かくして「マクロス」が当時のアニメを代表する人気を得たことは周知の通り。ミンメイはバーチャルアイドルの走りのような存在になるものの、女の子たちにはすこぶる評判の悪いキャラでもあった。対照的に早瀬中尉は好意的に受け取られていたようだ。かく言う僕も当初はその可愛い外見にだまされた(?)クチだ。一時期はミンメイの絵を描きまくっていた。これは、少しこなれてきた頃に描いた一枚だと思う。まだまだ思い入れたっぷりな感がある・・・恥ずかしい。
その後の映画版でもミンメイはかなりイヤな女だったが、そこはすべて計算し尽くされた演出であり最後の歌唱への布石としての必要悪だったのである。ミンメイの歌が流れる中繰り広げられるクライマックスの戦闘シーンは、CG全盛の今見るとなんと重厚で迫力に満ちたものであることか。今、あんな作画が出来るアニメーターがいるのだろうか?
この映画版マクロスは時代を象徴する傑作になったと個人的には思っている。

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←映画版マクロスのころにも僕はけっこうミンメイを描いた。
・・・結局好きなんじゃん(爆)。

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ネコぼけ

たまにはオタクな話題をお休みして。

先日、岩合光昭さんの写真集「そっとネコぼけ」を買った。大ヒットしたという写真集「ちょっとネコぼけ」の続刊だ(これも持っているが)。岩合さんが日本を中心にネコのいる風景を撮った素晴らしい一冊である。
岩合さんの写真が素晴らしいと思うのは、ネコを同じ生き物として対等かそれ以上に尊敬の念を持って見ているところである。可愛いものを見て癒されようとか、この写真でネコ好きの読者を癒してあげようとかといった下心は微塵もなく、ただただそこにいるネコのあるがままの生をとらえているのである。
じっとカメラを見つめるネコの目線は「人間のことなど何もかもお見通しだよ」と言っているようでなぜか我が身を恥じるような気になり、伸びやかな姿態は自由という言葉の本当の意味を教えてくれているようでもある。けれどもネコは人間と上手く折り合う方法もちゃんと知っている。上手く折り合うことで自分たちもまた快適に生きることができることを知っている、そんなしたたかなネコたちの姿もまたたまらなくイイのである。
ネコは古来より犬と共に人間の最も身近にいる動物である。だけども、ネコの世界は僕たち人間が思うよりもずっとずっと広くて深〜いのだ。そんな気にさせられる写真集である。


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で、このコたちは写真集とは何の関係もない、兄の家にいるネコ。たまにしか帰らない僕を嫌うわけでもなくなつくわけでもなく、いつもマイペースで相手をしてくれるのだ

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COBRA

コブラの新作アニメが制作されるそうである。
監督は原作者の寺沢氏が自ら勤められるそうで、出﨑さんや杉野さんはノータッチらしくちょっと残念(美術は旧作と同じく小林七郎さん)。うれしいニュースとしては野沢那智さんと榊原良子さんが声をおやりになることだ。ちなみにクリスタルボーイは小林さんではないので、これも残念。
コブラのアニメといえば1982年に公開された映画が最初だった。出﨑さんと杉野さんのコンビがSFをやるというので驚いた覚えがある。その制作過程をネタにしたエッセイのようなものを出﨑さんがアニメージュで連載し、挿絵を杉野さんが描くという贅沢な企画もあった。
声が松崎しげるというのも驚いた。いや、抵抗があったというのが本音だ。そのほかにも風吹ジュンや中村晃子などの有名女優らが出演しているが、当時の劇場アニメでは話題作りのためにこうしてメディアに取り上げられやすい有名人を使うことが多かった。僕はこういうのが大嫌いで、プロの声優さんを冒涜しているとすら思っていた。そして大概は下手だったのだ(本作でいえば久米明や田島令子など非常に上手な俳優さんも出演されている)。コブラもそうした先入観を持ってしまっていたのと、松崎しげるのあのダミ声(歌ってるときは素晴らしいけれど)をドルビーステレオで聞かされたせい(なのか?)で劇場で観た印象はイマイチだった。
Photo
←当時の新聞広告


しかし近年、見直す機会があったがこれが意外と面白かったのだ(風吹ジュンはやはり下手だったが)。それが自分がオトナになってようやく本来の面白さに気づいたからなのかどうかはよく分からない。なぜなら公開当時の評判は決していいものではなかったからだ。しかし、オトナの鑑賞に充分堪えうる演出と劇場版らしい丁寧な作画はさすがだと思ったし、公開当時に感じたマイナス部分もさほど気になることはなかったのだ。
細かい評論は避けるが、一見の観る価値は十分にあると思う。
その後TVシリーズの「スペースコブラ」が同じスタッフで制作される。コブラ役はもちろん野沢那智。これもかなり驚きだったが、果たしてこんなにピッタリな声優さんがいるのかと思うくらい素晴らしかった。映画版の松崎しげるは「悪くなかった」が、野沢さんの芝居はレベルが違っていた。軽さの裏にシリアスなものを秘めたコブラの性格を表現する演技はまさしくプロのそれだった。そして野沢さんの声には品があった。そこが決定的な差であったと僕は思う。
余談だが、コブラがアニメ化されるずっと以前から僕はコブラの声は山田康夫さんが演ずるものだと決めつけていた。それはコブラのモデルがジャン・ポール・ベルモンドでありその吹き替えといえば山田さんだったからだ。そしてコブラのキャライメージがルパン三世ともダブること(ルパンがベルモンドで実写化されるといいな、とも思っていた)もそういう思いに拍車をかけた。野沢さんというのはかけらも頭になかったのだが、野沢さんはかつてパイロット版でルパンを演じているわけで、共通項のあるキャラと声優さんが不思議なところでつながっていたことになるのだ。
話を元に戻そう。
TV版のコブラ、第1話は素晴らしかった。演出、作画ともジョー2の第1話に匹敵するできばえだった。その後もしばらくは夢中で観ていたが、シリーズ途中で出﨑さんと杉野さんは次回作「ゴルゴ13」のためスタッフから外れると僕の興味も急に失せてしまい後半はあまり観なくなった。結局のところ「コブラ」そのものの大ファンでもなかったこととやっぱり出﨑&杉野コンビだから観ていたということだったのだろう。
新作も興味はあるが実際に観るかどうかは分からない。けれど野沢さんの声は聞きたいし、かつての傑作である第1話との比較もしてみたいとは思う。

Photo_2
←TVシリーズ開始後間もなく、高校3年の頃に描いたもの。
 この頃は完全に「杉野タッチ」に傾倒していた。

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ずっとアニメが好きだった(その5)

〜アニメージュ創刊前夜(2)〜

Tv
1977年11月、ロマンアルバム(以下RA)第2弾「009」発行とほぼ時を同じくして1冊の本が朝日ソノラマから発行された。タイトルは「月刊マンガ少年臨時増刊 TVアニメの世界」。「マンガ少年」といえば大ヒット作「地球へ・・・」や「火の鳥」「サイボーグ009」などのメジャー作品のほか、みなもと太郎、永島慎二、高橋葉介らも描いておりマンガ誌としてはかなり玄人向けというかマニア向けの雑誌であった。その「増刊」というからにはこの「TVアニメの世界」のターゲットが自ずと分かろうというものだ。
ヤマトによって僕のアニメへの興味は観ることだけでなく作品作りの裏側やファン活動などの周辺へと広がった。この本と出会ったのはそんな頃だ。RAのような作品のムック本ではなくアニメ全般を扱ったこの「TVアニメの世界」は僕にとって「アニメの入門書」であった。
214ページにも及ぶこの本、主な内容は、巻頭カラーとセンターカラーで「ヤマト」とガッチャマン」のそれぞれ25話、81話のストーリーを合計28ページに渡り再現しているほか「読者が選んだテレビアニメベストテン」「テレビアニメ14年のあゆみ」「アニメスタジオ訪問記」「アフレコスタジオ訪問記」「ダンガードA」の声優らによる座談会・・・などである。「特集:サイボーグ009」として「Xの挑戦」のシナリオと009全話のストーリー紹介もある。さらにアニメーターを目指す少年が主人公の「鳥よ飛び立て」という描き下ろしマンガ、そして幻のアニメ専門誌「ファントーシュ」の復刊準備号なるものが巻末の12ページを占拠しているのだ。
中でも動画スタジオやアフレコスタジオの紹介は興味深いもので、「こういう世界に入れたらいいなぁ・・・」などという思いが漠然とだが芽ばえた。まだ将来のことなんてなにひとつ具体的に考えていない僕だったが、絵を描くということが大好きなアニメの世界へとつながるような気がしていたのだ。
僕の知的好奇心(?)はさらに勢いを増し、当時はまだアニメ専門ではなかった月刊「OUT」にも手を出し始める。この「OUT」についてはまた別の機会に書くつもりだが、何かに興味を持つことは知らず知らずのうちに自分の世界を広げていってくれるものなんだと今にして思う。最初は少しでもアニメの情報が欲しくて買った(最初に買ったのがスタジオぬえの特集号だった)のだが、自分の全く知らない世界であったサブカルを中心とした内容は、それはそれでかえってオトナの世界のように思えて魅力的だった。

RAはその後も順調に版を重ねる。
1977年末の「ロビン」の後、明けて1978年には「デビルマン」「タイガーマスク」「スーパージェッター」とほぼ月に1冊のペースで発売され、第7弾となる「鉄腕アトム」の巻末にいよいよそれは掲載される。
「アニメージュ」の発刊告知である。キャッチコピーは「ほとばしる青春のエネルギー いま、熱いまなざしをうけて5月26日発売!」とある。RA「アトム」の発売が4月13日であるから、そこからおよそ1ヶ月半がどれだけ待ち遠しかったことか。続く5月13日発売のRA「ライディーン」の表紙裏にカラーで発売広告が掲載された。
いよいよアニメージュの発売が迫ってきていた。
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←RA「鉄腕アトム」巻末のアニメージュ広告

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←RA「勇者ライディーン」表紙裏のアニメージュ広告

(追記)
同じ頃、僕が買った一冊のイラスト集がある。
ヤマトで興味を持った(実はそれまで知らなかったのだ)松本先生の画集「松本零士の世界」だ。その表紙には「イラストアルバム《アニメージュ》」とある。これがおそらく「アニメージュ」という言葉が世に出た最初だろう。巻末には「アニメージュ」(Animation-Image)と造語である旨説明があるが、なぜこのイラスト集にいきなりこうした名前が付けられたかは不明だ。その後徳間書店から刊行された「石森章太朗の世界」「永井豪の世界」なども同じように「イラストアルバム《アニメージュ》」と付けられてはいるのだが・・・。
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←松本零士の「士」の下に「アニメージュ」の文字が読める

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これが答え。

島村のジョーさんです。こりはビックリ・・・coldsweats02

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←マガジン50周年のトリビュート企画ですね。

0091←せめてマフラーがあればもすこしそれらしいかもなんですがcatface

0092←画像小さいですが、9人せいぞろい


0093
←・・・は、はかしぇ???

と、まあこんな感じです。
敢えて感想は書きません。読んだ方、どう思われました??

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さて問題です

0091_2_2 この人は誰でしょう?(ヒント:胸元をよーっく見てください)。答えをすぐに知りたい方は今日発売の少年マガジンを見てください。宣伝してるわけではありませんです

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ずっとアニメが好きだった(その4)

〜アニメージュ創刊前夜(1)〜

ロマンアルバム(以下RA)「宇宙戦艦ヤマト」によって、それまで以上にアニメへの興味を膨らませた僕は「TVまんが」から卒業する機会を完全に失った。いや、そもそも「TVまんがもそろそろ卒業やな」なんて考えたことはただの一度もなかったのだが。
ヤマトのRAが発行された数ヶ月後には第2弾「サイボーグ009」が発行された(昭和52年11月30日発行とあるが雑誌の常として実際の発売はもっと早かったはず)。RA「ヤマト」には続刊の予告も何もなかったことを思えば、第2弾の発行はヤマトの成功があって初めてGOサインが出たのだと思われる。おそらく相当の手応えがあったのだろう、RA「009」の巻末にはヤマトの時とは打って変わって第3弾「レインボー戦隊ロビン」や「イラストアルバム 松本零士の世界」「イラストアルバム 石森章太郎の世界」などの告知がずらっと並び、さらに「アニメーション人気コンテスト」なる企画の告知まである。これは好きな作品とキャラを5人まで書いて応募するというものだ。結果発表がどういう形で行われたかは知らないが、おそらくマーケティング調査も兼ねていたのだと思う。その結果や反響が「アニメージュ」創刊への大きなステップであったことは想像に難くない。

009ra1
さてこのRA「009」もヤマトと同様、巻頭には描き下ろしのカラーグラビアがある。しかし、ヤマトと違い出来はかなりイイ。シンプルだがデッサンがしっかりしていて間違いなくプロのアニメーター、それもかなり実力のある人が描いたに違いない。原画が誰であるかの記述はないが、初代009の本編でも作画監督をやった木村圭一郎氏だと聞いたことがある(未確認)。今では考えられないことだが、この頃はまだアニメーターにスポットが当たることは少なかったのだ。とにもかくにもこのカラーグラビアは、009大好きな僕にも満足できる出来であり、またしても僕は模写をしまくった。

このRAでは原作者である石森章太郎先生へのインタビューや脚本の辻真崎先生の寄稿文、声優さんとプロデューサーの座談会なども掲載されてていてヤマトに比べるとかなりマニア向けの内容になっている。RA「ヤマト」の成功が早くも編集方針に反映された形だ。巻末近くには「アニメファンよ手をつなごう」と題した記事がある。記事といっても実はほとんど広告だ。それは「東映アニメーションファンクラブ」の会員募集の記事であった。なぜ東映動画のファンクラブの記事がロマンアルバムに掲載されているのかという疑問はさておき(理由はちゃんとあるのだが)、こういった記事が掲載されることからもターゲットが絞られていたことが伺える。この「東映アニメーションファンクラブ」には僕もその後入会することになるのだが、それはまた別の機会に触れることにしよう。
このRA「009」発行とほぼ時を同じくして1冊の本が朝日ソノラマから発行される。「月刊マンガ少年臨時増刊 TVアニメの世界」である。この本は完全にマニアにターゲットを絞った1冊であり、この本によって僕はまたさらに深くアニメに傾倒していくことになる。
(続く)

Ra009


この表紙の絵と同じポーズのジョーを音楽室の机に落描きしたことがあった。ある日音楽のセンセイに「009の絵を描いたのAKIRAくんでしょ?他のクラスの女の子がカッコイイ絵が描いてあるって教えてくれたの。残念だけど消しといてね」と言われたことがあった。わざわざ僕に言わずとも消そうと思えば消せるものを本人に消させるなんてかなり優しい人だ。この先生はリクエストするとヤマトの主題歌を弾いてくれたりするおちゃめでカワイイ人で僕はけっこう好きだった。

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大阪まんだらけ

Photo
大阪のまんだらけでロマンアルバム5冊購入。
これまで訪れたことがなかったのだが、なかなか楽しい場所である。
かなり珍しいコミックや漫画家の直筆色紙、原画、アニメムックやセル画、関連資料集などなど売り物を見ているだけで飽きない。
今回は昔買い損ねたこの5冊を購入するも、他にもかなり心動かされる本がたくさんあった。そのうちのいくつかは昔は高くて手を出せなかったものであり、かなり迷ったが今回はロマンアルバムを探すことが第一の目的だったので購入を見送った。次回訪れるまで果たして残っているのだろうか・・・。
いや、しかし買うのはいいが収納場所がない。モノを捨てないというのも限界か・・・。

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くいだおれ

大阪随一の繁華街「道頓堀」。阪神優勝の際、アホどもが飛び込んだことで有名な場所。その橋(戎橋)のたもと、知らない人がいないであろう「かに道楽」の巨大なかにを左に見て10数メートルほど歩いた辺りの右側には、いつも人だかりがある。近づいて行くと「チン、ドン、チン、ドン」とのんびりした鐘と太鼓の音がする。今時の音楽で賑やかな周りに比べるとかなりアナクロな感じがする。音の主は人形だ。赤と白の縞々の服を着て首を左右に振りながら眉を上下させニコニコと愛想を振りまいている。どことなく大村昆かチャーリー浜のような顔つきのこの人形、名を「くいだおれ太郎」という。大阪の食堂「くいだおれ」の看板人形だ。今や大阪の観光名所となっており、行ったことはなくとも知っている人も多いと思う。
先月この「くいだおれ」が7月で閉店になるという(大阪人にとっては)かなりショックなニュースが流れた。「ウソやろ〜」と大阪人の誰もが思ったに違いない。

♪くいだおれ〜くいだおれ〜
なにわのこころくいだおれ〜
道頓堀のくいだおおれぇ〜♪

子供の頃はTVをつけたらこんなCMソングがいつも流れてた。
関西に住む(住んでいた)ある年代以上の人にとって、このCMソング(作曲はもちろん浪花のモーツァルトことキダ・タロー大先生)を知らない人はいないのではないかと思う。
僕がこの「くいだおれ」でご飯を食べたのは、たぶん子供の頃父に連れられて行った1回きりだ。だから「くいだおれ」というとこのCMソングとこの人形「くいだおれ太郎」のことが真っ先に思い浮かぶ。そもそも「食い倒れ」とは「大阪の人間は食べることがあまりに好きなために財産を失う」という大阪人気質を表した言葉であるが、そういう意味よりも先にこの店(のCM)によって知ったくらいなのだ。
子供の頃に見たこの人形、正直子供心には安っぽく思えたし大阪に住んでた高校時代まではこれといった思い入れもなかったのである。しかし大学進学と同時に東京へ出てから早や20数年。「大阪らしいもの」が妙に懐かしくなり、この「くいだおれ太郎」もそういったもののひとつになっていた。
大阪へ帰省し、道頓堀へ行くと「くいだおれ太郎」はいつもそこにいた。昔と同じチープな衣裳を身にまとい相変わらず間抜けな音を出している。けれどそれがなぜか妙に嬉しく「ああ、大阪やなぁ」と安心するのだ。
新しいモノがもてはやされ古いモノはどんどん消えて行く。歴史ある大阪も例外ではない。そんな中で彼は何十年も変わらぬ姿で僕を迎えてくれていた。しかし、ひょっとするともう次に帰った時、彼はいないかも知れない。
飲食店の経営はシビアだ。「くいだおれ」という名前と人形に思い入れがあっても、その利益に貢献していない僕が何を言おうとそれは身勝手な郷愁だ。
けれど身勝手を承知で「くいだおれ」と「くいだおれ太郎」はいつまでもそこにあってほしいと思う。なぜならば「いつもそこにあるもの」と思っていたものがどんどん消えて行く寂しさは、遠く離れたところで暮らしているほどに感じるからだ。
太郎の周りにいる人たちはみな幸せそうに笑っている。そんな風景をみながら、大阪の大阪らしいものはどうにかして残って欲しいと切に願う。けれどもその一方で昔ながらの「くいだおれ」とはどのみちもうお別れなのだということも分かっている。仮に太郎だけ残ることになったとしてもそれはもう太郎であって太郎でないのだ。そう思いながら「くいだおれ太郎」の顔を見上げたら、いつもの顔で笑ってすぐに向こうを向いた。その横顔が寂しそうに見えたのは、やはり身勝手な郷愁ゆえなのだろうか。
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この前日、5月7日に彼はミュージカルの舞台に立った。
で、このセリフ。

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で、その日は弟が留守番。
実はとても貴重な一枚なのである

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不遜ながら

キャプテンにお留守番をお願いしていきます。
出先(といっても実家ですが)でもレス出来ればしますので〜。080504

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アニメソングは永遠に

今日、NHKBSで毎年恒例の「BS永遠の音楽 アニメソング大全集」が放送された。
「四天王」こと佐々木功、堀江美都子、水木一郎、前川陽子各氏のレギュラー(?)に加え、今年はオバQの石川進さんやサリーちゃんのスリーグレイセスらが出演された。タイガーマスクの新田洋こと森本英世@うぉんちゅー!さんも初めてのご出演ではなかったかと思う。しかし、個人的に一番のサプライズは初代009を歌われた「マイスタージンガー」の面々だった。これには本当に驚いた。TVアニメ黎明期の名曲をまさかオリジナル歌手の生唄(テレビだけど)で聴けるとは思ってもみなかったのだ。さすがに声にはお歳を感じるのだがそんなことはどうでも良くなるほどの感激だった。贅沢を言えばエンディング曲も歌って欲しかったところではあった。そして、せっかくゲストに来ていただいたのだからお話を伺いたかった。
けれど、今年は亜土ちゃんが(“ちゃん”づけは失礼かも知れないがやはり“亜土ちゃん”だ)「すきすきソング」を唄ってくれたのもうれしかった。しかもフルコーラスを踊りながらである。カッコイイ!若い!この亜土ちゃんもそうだが、現役で唄ってらっしゃる方々、本当にお若い。僕がこの番組を見ていつも思うのはそのことだ。アニソンは若さを保つ秘訣なのかも知れない。そして子供の頃から聴いていた歌を今も変わらぬ声で歌われている方々を見て僕もまた元気になれるのだ。

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アニメージュ増刊「アニメソング・ヒット全集」の第1集。1979年発行。
僕は6集までを持っている。
僕らはアニメ主題歌が本当に「アニメソング」だった時代に育ったのだと思う。

こうしてたくさんの曲を聴いていて思うのは、ひいき目なしに見ても本当にいい曲が多いということ。憶えやすく歌いやすく、作品世界とマッチしていた昔のアニソン。作品世界とマッチしているということは替えがきかないということだ。ひとつのアニソンはひとつのアニメにしか結びつかない。それが想い出とリンクし忘れられない大事なモノになるのだと僕は思う。
昨今のJ-POP歌手が歌っているアニソンは本当にその作品世界にマッチしているのだろうか?定期的に新しい曲に変わる主題歌は今の子供たちの大切な想い出になってるのだろうか?
僕はいつの時代もアニメソングが子供たちにとって大切な想い出であるように願ってやまない。消費され、捨てられ、忘れられていくものではなく、何十年か後にも同じようにみんなが歌えて元気になれるアニソンであって欲しい・・・アニメソングは永遠にそういう存在であって欲しいと心からそう思う。

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マッハGOGOGO!!

02カッコイイ・・・カッコよすぎる。
今、僕の目の前にあのあこがれのマッハ号がある。本物だ。
これがあれば砂漠だって海の中だって走れるし、
ステアリングの「A」ボタンを押せば象だって飛び越えられる・・・いや、そりゃ無理なのは知ってるけど。
Photo

これはこの夏公開の話題作「スピードレーサー」の公開前イベントとして東京・汐留の日本テレビ前に展示されているマッハ号である。
「スピードレーサー」は言うまでもなく日本が誇るアニメ「マッハGOGOGO」を原作とするハリウッド映画である。アニメはアメリカで「スピードレーサー」と名を変え放送され大人気を博した。タランティーノ監督などハリウッドにも多くのファンがいることはよく知られており映画化の噂もずいぶん前からあったが、ついに今年「マトリックス」のウォシャウスキー兄弟の手による映画が公開される運びとなった。
日本オリジナルのものがハリウッドでリメイクされる場合、オリジナルがそのまま生かされることは少ない。しかし、この「スピードレーサー」はメインキャラや覆面レーサーなどのデザインがほぼアニメのまま採用されているのだ。そして主役メカ「マッハ号」のデザインも写真のようにアニメそのままなのだ(細部に多少の違いがあるのと、バージョンアップした新型も登場するようだが)。
ウォシャウスキー兄弟が日本のアニメファンであることは良く知られている。こうした基本設定に手を加えないことは彼らが原作に最大の敬意を払っていることの現れだと僕は思う(マッハ号が飛ぶ時の「あの音」もそのままだ)。ただし、それも元々のデザインが手を加える必要もないほど洗練されていたからこそである。40年も前のアニメのメカデザインが現代でもそのまま通用することは驚愕に値すると思う。タツノコプロ恐るべしである。

ある世代以上なら誰もが思い浮かべることの出来る、タツノコプロ独特の日本人ぽくないキャラデザインは創始者である吉田竜夫氏の絵柄をベースにしている。アメコミの影響を受けた(吉田氏はスーパーマンの日本版コミックを描いてたこともある)バタ臭いデザインは異彩を放っていた。子供心に「タツノコ」というところの絵は違うぞ、と感じるほどに。服装もおしゃれだった。そうしたキャラデザインや抜群にかっこいいメカ、そして日本が舞台ではなく世界中をめぐるストーリーの相乗効果があってアメリカ始め海外で受入れられ易かったのだろう。

Photo_3

←足長っ!
こんな日本人家族いないし(笑)。

そもそもタツノコプロの創始者である故吉田竜夫氏はプロダクション設立当初から海外マーケットを視野に入れて作品作りをしていたという。図らずも今、それが成功だったことが証明されたのだ。スピードレーサー公式HPの作品紹介の中にこんな一文がある「Based on the classic series created by anime pioneer Tatsuo Yoshida」・・・吉田氏がご存命であればどんなに喜んだかと思うと胸が熱くなる。

子供の頃に夢中で見ていたマッハGOGOGO。
海を越え、時代を超えてこうしてまた僕たちの前に帰ってきたのだ。
Photo_2

←子供の頃買ってもらったレコード。唄はオリジナルのボーカル・ショップではなく高橋元太郎@うっかり八兵衛のカバーバージョン

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←十数年前に買ったTシャツ

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