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2008年10月

2008年10月29日 (水)

手塚治虫ばかりがすごいのか

27日のNHKスペシャル「日本とアメリカ 日本アニメvsハリウッド」を興味深く観た。アイデアが枯渇しつつあるハリウッドが日本のアニメやマンガに目を付けているという話はすでに珍しくもないのだが、番組によると現在日本のアニメを原作とする映画(実写、CGアニメなどによる)の制作が7本進行中だという。番組の中では日本人なら誰でも知っている「鉄腕アトム」のフルCGアニメの製作現場を初めて紹介していた。版権を持つ手塚プロとハリウッドの製作会社との間の考え方の違いに焦点を絞り、徹底的にマーケット調査をしたうえでそれをキャラデザインやストーリーにまで反映させ「売れる」作品を作ろうとするハリウッド側と、対して作り手の思いを大事にする日本との違いを見せるという内容だった。また独自の企画で初めからハリウッドのマーケットを狙った「アフロ侍」のGONZOのレポートもありなかなかに面白いモノであった。

ただ、やっぱり「またそこに話を持ってくの?」というのがあった。

日本のアニメが独自の発展を遂げた理由のひとつに作画枚数の制限がある。フルアニメであるディズニーに較べ日本の一般的なTVアニメは1秒当たりの作画枚数が3分の1であるということは良く知られている。そんな「動かない絵」でも面白く見せるための工夫として、止め絵を効果的に使うなどの演出上の工夫や脚本(ストーリー)を重視する日本独特のスタイルを「手塚治虫が考え出した」という説明だ。そして、その手塚のアイデアのおかげで独自の発展をした日本のアニメに今ハリウッドが注目している、かつてアメリカのディズニーに憧れた手塚の思いが遂げられたと言わんばかりだ。これには首をかしげざるを得なかった。ここでも「手塚の神格化」が行われていた。なんでもかんでも「手塚のおかげ」という考え方にはそろそろうんざりする。まあ、そうした方が解りやすいだけなのだろうけれど。

そもそも作画枚数を極端に減らすというのは、手塚が週に1回の30分番組(本編は22分程度)を成功させるために、徹底的な低コスト化を図る必要があったからだ。前例のないことを成功させるために手塚はTV局に対して普通では考えられない制作費でアトムを売り込んだ。そのためコストを抑え、制作効率を上げるためには「動かない絵」にせざるを得なくなった。「ストーリー重視」「演出上の工夫」などは全て、それらを補うための“苦肉の策”だったのだ。そして、それを行ったのは現場スタッフたちである、手塚の指示ではない。
こうした制限が引いては日本のアニメが現在のような進化を遂げた一因になったことは間違いではないだろう。けれども、そのことまでも“手塚の功績”であるという番組の作り方には納得がいかなかった。手塚が安い制作費で作品を売り込んだことが、後にアニメ界の過酷な製作現場を生むことに繋がったというマイナス面を無視して「手塚はスゴい」というイメージだけを植え付けているところはいかにもNHK的ではある。
大体、ディズニー信奉者である手塚が動かない絵を良しととする訳がない。実際、動きの少ないアトムについては相当のジレンマもあったようだ。しかし、この時の手塚にとって大事なことは前人未踏のことを為すことであった。だから絵は犠牲にしても、まず全国のお茶の間に毎週アトムを届けることを優先したのだ。
だから大きな意味において日本のアニメの発展のいくらかは「手塚治虫の功績」である、やはり手塚治虫という存在なしに現在の日本アニメ界を語ることも難しい。ただし「罪」も含まれるが。誰もやろうとしなかったことを成し遂げることで世の中を動かしたことは間違いない。それをもやはり手塚治虫だったから出来たことなのだ。

それにしても、あのCG版アトムのデザインは・・・あれで本当にOKなのだろうか手塚プロは。まるでアトムとコバルトの中間のようなあの中途半端さは・・・オリジナルのアトムの幼さは、アメリカ人には好まれないという市場調査による判断らしいのだ。手塚の作品をハリウッドで映画化すると言うだけでも感慨深いモノはあるし、新しいマーケットを開拓したいという手塚プロの思惑も分かる。けれど、アトムらしさを失ったアトムがアメリカや世界で人気を博したとして、それはアトムの人気と言えるのだろうか。そして天国の手塚治虫は果たして喜ぶのだろうか・・・。

完成作品を観てもいないのにこんなことを書くのもなんなんだけどね。

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念のため言っておくが、僕は手塚作品のファンだしアトムも大好きだ

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2008年10月28日 (火)

Gキャラ×Post It vol.1

G(ガンダム)キャラを7.5cm正方形のPost Itに描いてみた。
描いてみた、といっても昨年のこと。
仕事中、合間を見てちょこちょことシャーペンで。シャーペンでシャア・・・ぷぷっ(こらこら)。
ちっちゃい紙に描くのは元々好きなので、楽しくなってちょーしに乗ってあれこれ描いては職場のPCモニタに貼って遊んでた(それが許される職場って・・・)。

とりあえず、そのうちからレギュラー6人です。
他のキャラはまたおいおい。
画像調整していないため、汚れなどそのままでお見苦しいかと思います。

また、ブラウザの種類や設定によっては絵の位置とコメントが著しくずれている場合もあると思いますのでご了承くださいませ~。

Photo
アニメ史上初めての画期的ネクラ主人公。

Photo_2

そんなネクラなPCオタクを慕う女の子。だけどそんなキミをオレは好きだぜっ。

Photo_3

色々と勘違いしちゃった人。独り言をいうクセあり。

Photo_4

その妹。ブラコン。変なアニキなのにねー。

Photo_5

気の短い艦長さん。不器用。なにやってんの!

Photo_6

WBのお袋さん。まだ18歳なのに〜。不器用な人をほっとけないらしい。

ああ、眠れないからって何やってんだろ。

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2008年10月26日 (日)

リアル鉄五郎

「鉄五郎」とは水島新司の傑作野球漫画「野球狂の詩」に登場する、50歳を過ぎてもなお現役を続けるプロ野球の投手岩田鉄五郎のことだ。

今日、アメリカ大リーグのワールドシリーズ第3戦に先発登板したフィリーズのジェイミー・モイヤーは今年の誕生日(11月18日)が来れば46歳になる超ベテランの左腕投手で「リアル鉄五郎」に最も近い選手だ。今日の試合が自身初のワールドシリーズ登板であり、もし勝ち投手になっていれば史上最年長のワールドシリーズ勝ち投手になるところだった。リードして降板したもののチームは同点に追いつかれ勝ち星はつかなかったが、絶妙のコントロールとテンポの良い投球で岩村を初めとする若いレイズ打線をほんろうした。
今季は16勝7敗でチームの勝ち頭。投球回数196回1/3は28歳の松坂より34イニングも多い。クレメンスやジョンソンなど速球派の華やかな選手ではないため、日本ではあまり知られていはいないが、38歳で初の20勝、40歳で自己最多の21勝を挙げ、通算でも246勝185敗という名投手である。2005年までマリナーズに在籍していたのでもしかしたら憶えている人もいるかもしれない。

日本で岩田鉄五郎に最も近い投手といえば、現役最年長投手の工藤公康(45歳)だが、この数年は成績が芳しくなく来年の成績しだいでは現役続行が危うい。そういう意味で楽しみなのは43歳にして今年11勝を挙げ、通算200勝も達成した山本昌だろうか。身体が頑丈で、もともと速球派でないだけにまだまだ長く活躍出来そうな予感がある。
ちなみに日本球界の最年長登板記録は元阪急ブレーブスの浜崎真二で48歳10ヶ月。
大リーグはというと「史上最高の投手」と言われたサッチェル・ペイジの「59歳」とされている。ただし、これはあくまでも「公称」。実際はもっと年をとっており60歳を過ぎていたという説もある。というのもペイジは戦前生まれ(1906年とされている)の黒人であり、生年月日が正確かどうか分からなかったのだ。そして彼の全盛期、大リーグは白人だけの世界でありペイジが活躍したのは黒人だけのリーグ「ニグロ・リーグ」だったのだ。そのため大リーグ入りしたのは1948年、42歳の時でありすでに全盛期を過ぎていた。それでも、当時ペイジが契約したインディアンスのエース「火の玉投手」と呼ばれた速球投手のボブ・フェラーは「サッチェルのボールに比べたら私のボールなどスローボールみたいだよ」と言ったそうだ。

淡々と、しかしきっとその心の奥には熱いモノを秘めながら投げていたモイヤー投手。ワールドシリーズとは縁のない環境(マリナーズで地区優勝は2度経験した)で投げ続けてきた彼のピッチングと、年齢よりも老けて見える顔(そういえばどことなく鉄五郎に似ている)を見ていると、なんとなく弱小メッツで孤軍奮闘していた岩田鉄五郎を思い出したのであった。

Photo←こうして改めて描いてみると随分年寄りくさい。今時の50歳ってもっと若々しいよな〜。ていうか30数年前だとしてもちょっと老けすぎかも。まあ孫もいる「おじいちゃん」なんだけど。

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2008年10月22日 (水)

♪どこから来た〜のっ?マコ、ねえマコ♪

Photo

と、いうわけでポニョから人魚姫つながりってことで「魔法のマコちゃん」です。
生まれて初めて描いてみたけど難しい・・・。

サリーちゃん、アッコちゃんに続く魔法もの第3弾として製作された。放映は1970年から71年にかけて。調べてみてちょっと驚いた。もう少し古いと思っていたからだ。1971年と言えばルパン三世の放送が開始開始された年でもある。正直この2作品がほぼ同時期のものという気がまったくしていなかった。
前2作と違い、東映動画のオリジナル企画である。
恋愛が話の主軸になることもあり、主人公マコの年齢設定を高めに上げてストーリーに社会問題を取り入れるなどした意欲作だ。
女の子向けではあるが、僕はわりと良く観ていた憶えがある。さすがに細かいエピソードやシーンはあまり憶えてはいないが、マコのかわいさとは裏腹に、恋した少年になかなか会えないもどかしさなど話がやや重かった印象だけは残っている。
余談だが、マコが恋する少年の名は「アキラ」・・・。

OPテロップには「原作:浦川しのぶ」とあるので、少女漫画が原作のようにも思うがこれは脚本家であり、企画に参加した辻真先氏のペンネームである(東映アニメーションのHPにあるので間違いないと思われるが、Wikiにはプロデューサーである横山賢二氏のペンネーム、とある)。
可憐でいてどこかはかなげな少女・マコのデザインは高橋信也氏。実力の割にあまり知られていない方だと思うが、女性のデザインに独特の色気があり僕はけっこう好きだ。「ヤマトよ永遠に」でサーシャや主要女性キャラのデザインをした人といえば分かるだろうか。愛らしい口元と目の表情にマコの面影が見える。その後のヤマトTV第三シリーズでも雪以外の主要な女性キャラをデザインしている。
また、本作は後に「美形キャラ」で人気を博す荒木伸吾氏も作画監督として参加している。「ジョー」と時期がダブるため男性キャラがなんとなくジョーっぽい。
マコの声は美少女から太ったニワトリ(?)までなんでもこなす名優・杉山佳寿子氏。少し鼻にかかった独特の声が素敵だったなぁ。
主題歌は言わずと知れた堀江美都子氏。「どこから来た〜のォっ」と「のォっ」の部分で声を意図的に裏返し語尾を上げるあの歌い方がイイ。あれは少女期のミッチに独特のもので「アクビ娘」でも「素敵なコォっ」の部分でも見事に発揮している。曲はこれまたミッチとは名コンビの渡辺岳夫氏だ。この曲では珍しく作詞も手がけている。

マコちゃんの画期的なところは少女ものでは初めて「胸」のある主人公としてデザインされたことだと、勝手に思っている。しかも人魚なものだから、のっけから上半身ヌードだ(隠れてたけど)。これにはかなりドキドキした。思えばアニメキャラで初めて異性として意識したのがマコだったのかも。

そんなわけで、ただ元ネタつながりというだけでポニョのあとはマコについて書いてみました。
ただの作品紹介になっちゃったけどね。

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2008年10月19日 (日)

ポ〜ニョ、ポニョ、ポニョ、半魚人♪

今頃になったが、やっと観た「ポニョ」。

いや〜、ずっと混んでる気がしてたのでついつい行きそびれてたが、さすがにもう空いてた、土曜にも関わらず。

で、どうだったか。
悪くはなかった、が、なんだろう、もうひとつ面白いとは思えなかった。
最近の宮崎駿作品を観ていて思うのは、その世界観やストーリーがすんなりと入ってこないということ。凄まじいばかりのイマジネーションの洪水に圧倒されるのは相変わらずなのだが、その世界観とストーリーの構築に乖離が見られるという感じがしてしょうがない。やりたいことや伝えたいことは「なんとなく」分かるものの、「これはどういう意味なのか」「あれはなんだったんだろう」なんてことばかり気になってしまって、もひとつ楽しくないのだ。
これは自分の感性が鈍ってしまっただけなのだろうか?
ポニョに関して言えば、リアルな舞台(日本の港町)と不思議な世界(海と魔法)とのつながり方がしっくりこない。リアルに描写された現代社会の人たちが「ポニョ」や「魔法」「不思議なこと」をああもあっさり受け入れてしまっていいものかと思う。ポニョとポニョの「父親(元人間)」やポニョの母との関係も全くもってわからない。

宮崎駿は「すべて察しなさい」と観客に言っているように、僕には思える。
穿った見方をすればついてこられないならいい、ついてこられる人だけついてきなさい、と言ってるように思う。
それができないならどうでもいいよ、みたいな突き放した感じ。
けれども、敢えて偉そうに評論家ぶって書くならば、宮崎駿はあふれ出るイメージをまとめ切れていないと思う。宮崎駿という人間の中ではそれぞれに裏付けがあり意味のあるものばかりだと思うのだが、それを映画としてまとめきることが出来ていないのではないかと思う。クライマックスもはっきり言って「え、ここがクライマックスなの?」と数々の宮崎アニメを観てきた身には拍子抜けだった。
ひとつひとつのシーンは実に魅力的で、よくもまあこれだけのことを思いつくもんだと感心してしまう。やはり並の人ではない。けれども、映画の中で引っかかってくるシーンに対して「ああ、あれはこういうことだったのか」と思えるようなことがほとんどない。だからなにかがずっとひっかかり通しでカタルシスがない。
もしそれを承知で、というか計算しているのだとすればすごいことだとは思う。
ただ、観終わったあとに爽快感がないのであれば、映画としてはどうかなと言わざるを得ないのだが。
ナウシカやラピュタ、トトロなどにはそれらがあった、と僕は思っている。

ただ、観る価値は十分にある。
公開当時からさかんに喧伝されているように、作画の力はすごい。どうすごいかは・・・観るのが一番だろう。
表現そのものに好みは分かれるだろうけど。
別の意味ですごいと思ったのは、ポニョの変身には段階があって、その途中の姿がけっこうグロなことだ。お世辞にもカワイイとは言えない。あの姿を描くのは勇気がいったと思うが、そこはさすがに宮崎駿だと思った。あと、あるおばあさんの「人面魚じゃないか〜」というセリフ。身も蓋もないことを敢えて言わせるところは、これまた宮崎駿だ。これは彼の「良心」の部分だと僕は思う。
一方、これは最近の宮崎アニメの最も嫌いな部分だが、声の出演者についてだ。
このところ有名な俳優を使うことが定着しているが、彼は本当にあれでいいと思っているのだろうか?おそらくは「アニメ的な芝居」を嫌ってのことだろう。しかし、ヘタではどうしようもない。ポニョでは子どもたちとおばあさん役の人たちが一番上手だった。だが、肝心の宗介の母親と、ポニョのお父さんがどうしようもなくヘタだった。ヘタでも味わいがあり、妙に合っていたトトロのお父さん役・糸井重里とはかなり違う。ただヘタなだけで、役を消化しているとは、とても思えなかった。この辺りは昔からアニメが好きだった人ほど気になるところであろう。やっぱ声はプロの声優の方が安心して観られる。

繰り返しになるが、それでも観る価値は十分にあると思う。
圧倒的なイマジネーションは脳が刺激される感じがする。
辛口なのは宮崎駿作品だから余計にそうなるのだ。
なんだかんだでこれだけヒット作を生み続けるなんてのは並大抵ではない。
ただし、ヒットの背景にあるものが決して作品の力だけでないことはオトナのみなさんなら充分承知のハズ。
今や「ジブリ」は一大ブランドなのだ。ディズニーを嫌う宮崎駿が、その「ディズニーブランド」を無条件で受け入れている人たちに、「ジブリブランド」を同じように受け入れられているというのは皮肉な話だ。そういう人たちがいて初めてジブリも宮崎駿も作品を作り続けられるのだから。
けれど、宮崎駿という人はもっと毒を持っている人だ。いつか、ジブリ信奉者を裏切るようなとんでもない傑作を作って欲しいな、と僕は思う。

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2008年10月17日 (金)

おかしな話(プロ野球編)

日本のプロ野球はおかしな話だらけなのだが、今回はいわゆる「田澤問題」である。

社会人NO.1右腕・新日本石油の田澤純一がメジャーリーグに挑戦するので日本プロ野球のドラフト候補からは外して欲しいと要望した件で、日本プロ野球機構(NPB)が有望選手流出に歯止めをかけようと「罰則」を設けることにした。
簡単に言えば、日本のドラフトを経ずして(つまり日本のプロ野球を経ないで)海外でプレーした場合は一定期間を経過しないと日本のプロ野球ではプレーできないという縛りをかけるということらしい(指名されなかった選手に関しては適用されない)。「海外へ行くのは勝手だけど君の戻ってくる場所はないよ」と言っているのだ。その期間については高卒と、大学・社会人で多少の差はあるものの、これはどう考えてもアマ選手への恫喝でしかない。
なんとまあ、狭量な事だろうか。
こんなことしか考えつかないNPBは情けないのを通り越して哀れですらある。

そもそも田澤はそんなに悪いことをしたのか?
単に日本よりアメリカでプレーしたいと願っているだけではないか。日本のドラフトで指名されてしまえば、仮に入団を拒否しようとも少なくとも1年間はアメリカへ行けない。だから指名してくれるなと筋を通したに過ぎないのだ。それに田澤は、アメリカのチームと契約できるという保証もない。日本のドラフト指名を受けないことが確定しない限りメジャーのチームと交渉は出来ないのだから。
筋の通らないことをしているのはむしろNPBの方である。
メジャーが田澤をドラフトで指名したわけでもなければ、どこかのチームが契約を強行したわけでもない。一人の若者が夢を追いかけようとしているだけなのだ。可能であればそれを潰そうとしたが、現行ルールでは止めようがないと分かると全ての責任が田澤にあるかのように「罰則」を設けようとしている。そして後に続くであろう若者の夢を潰そうとしているのだ。

有望な選手が次々と海外へ出て行くことに危機感を感じるのは当然だ。そのことに何らかの手を打とうとするのも分かる。けれども選手の流出は「選手の責任」ではない。アスリートがどこに活躍の場を求めようとそれを邪魔する権利は誰にもない。
野茂がメジャーへ行こうとした時にあわてふためいた挙げ句、止められなかった。そして「野茂に続く選手が現れないように」とあれこれ手だてを考えるものの有効な手段はなく、せいぜい「球団が損をしないためのシステム=ポスティング」を考えついたくらいだ。結局イチローや両松井など次々に人気選手が海を渡った。そして野茂が引退した今年、ついに有望アマ選手がメジャー挑戦を明言した。そしてまたもあわてふためいて「行かせない手段」を考えた。どうしてこうも考え方がマイナスなのだろうか。そして全てが後手なのだろうか。なぜ、もっと魅力ある球界作りをしようとしないのだろうか。野茂以降の13年で何も進歩していないではないか。野茂の勇気ある行動から学んだことはなかったというのだろうか。

結局重い扉を開けるのは選手の勇気だ。
しかし、その勇気と夢を抑えこむことしか考えない日本の球界とはいったいなんなのだろう。

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おかしな話

こんにゃくゼリーの販売中止である。

このところCMで目にしている人も多かろうと思う。少し前にのどに詰まらせ小さい子どもが亡くなったというのがきっかけだが、事故そのものは以前からよくあり注意喚起の勧告がメーカーになされて、より分かりやすいようにと注意書きが改善されていた。
けれども事故は起きた。
そりゃそうだろう、どんなことにも100%はあり得ない。ましてやメーカー側がどれだけ注意しようとも消費者側にその気がなけりゃ、いやあったとしても事故が起こる可能性は常にあるのだ。

最近の日本は「安全」であることに異様にこだわる人たちで一杯だ。
もちろん、安全は大切である。
けれども安全であることを前提にするあまり、何かが怒った場合には気持ち悪いほどヒステリックに騒ぐ。そしてそういう人たちの場合「安全」は与えられるモノだと大抵は思っている。
毒物混入のように自分たちではどうしようもないケースはしょうがないが、ほんの少し注意すれば防げるようなことまでメーカーの責任として押しつける風潮(こんにゃくゼリーで亡くなった子どもの保護者のことを指しているのではない。あくまでも最近の「風潮」のことだ)は正直変だ、というより怖い。その結果、文句を言われる前に「言い訳」が出来るよう、世の中のあらゆる商品には想定できる限りのあらゆる「注意書き」が書かれるようになった。
そして消費者は自分の頭で考えるのをやめ、どんどんバカになってゆくのだ。

これからは「サトウの切り餅」にも注意書きが書かれるのかも。

「この商品は焼いたり煮たりするなど、熱を加えることでおいしく召し上がれます。熱を加えた場合、素手で触ったり熱いまま食べるとやけどする危険性があります。また、熱を加えると柔らかく、粘りけが出ます。そのためのどに詰まりやすくなるので注意してください。お年寄りや小さいお子さんは熱を通す前に2〜3センチ四方程度に切ってから召し上がることをおすすめします。のどに詰まるのが心配な方は熱を通さず固いまま食べるようにしてください(小さく砕くことをお勧めします)。歯の悪い方や入れ歯の方は固いままたべることはお勧めできません。また、そのまま食べた場合は、熱を加えた場合より風味が落ちますのでご了承ください」
ってな具合に。
そんでもって「漢字が読めない子どもが知らずに食べてのどに詰まらせた」とか「字がちっちゃくて読めなかった」なんていうクレームが来るのかも。

笑えない・・・。

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2008年10月12日 (日)

少年マガジン50年の・・・

こんな本を最近買った。

01ひとつは「漫画表紙コレクション」。漫画をメインビジュアルにした表紙1289枚がオールカラーで掲載されいる。


02もうひとつは「少年マガジンの黄金時代」。少年誌には欠かせなかった特集や記事、そして伝説の編集者・大伴昌司氏の企画した数々の特集を網羅したもの。


どちらも新書版サイズ。表紙コレクションの方は1ページに4枚の表紙が掲載されているが、1枚当たりのタテサイズは5.5センチなので正直なところちょっと小さいかな、と・・・。けれど1289枚にも上る表紙をオールカラーで見るのは圧倒的だ。自分の記憶にあるものもそうでないものも全てがまぶしい。登場する漫画の数も当然のことハンパではない。主立ったものを挙げたいところだが、それだけでも相当な数に上るのでやめておく。興味のある人は是非見て欲しい。想い出の漫画が一度くらいは表紙になっているはずだ。時代を追って見ていくだけで人気漫画の変遷と絵柄の流行も自然と分かる。あの伝説の横尾忠則デザインの表紙シリーズもすごい。
ちなみに漫画家別の登場回数単独トップは、やはりちばてつや先生だった。巻末にはちば先生のインタビューもある。そこに掲載されている表紙は「創刊10周年記念超大号」。手塚治虫、水木しげる、横山光輝、さいとうたかお、ちばてつや、石森章太郎、赤塚不二夫、藤子不二夫・・・などなど、当時の連載漫画家が一同に会した写真だ。僕と同世代の人間なら涙を流すこと間違いなしだろう。

もう一冊は、昔の少年雑誌には必ずあった様々な特集記事を紹介したものだ。今でも様々な記事はあるにはあるが、かつては漫画とともにこうした読み物もまた少年誌の大きな柱であった。
記事の内容は多岐に及ぶ。ウルトラマンなど人気特撮の図解(怪獣の解剖図などのアレだ)や、未来都市の予想図、世界の怪奇スポットや伝説、漫画の出来るまでなどなどバラエティーに富んだ記事が溢れていたのだ。僕は小松崎茂氏のイラストで展開される「未来の交通」や「地球滅亡」、そして「世界の7不思議」「古代遺跡のナゾ」みたいな記事が大好きだった。
この本には、あの力石徹の葬儀の告知とレポートも掲載されている。「葬儀」が行われた事実はよく知られているが「どんな葬儀だったか」はあまり知られていない。そういった意味でも貴重な記事だ。

個人的には「少年マガジンの黄金時代」がとても気に入った。上手く表現できないが、ある意味時代も少年や少女も今よりもっと牧歌的で純な時代だったのだろうと思えるからだ。
情報を得る手段が限られている分、こうした少年誌の記事を本当に楽しみに読んでいたような気がする。

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2008年10月 9日 (木)

野球(バカ)談義

野球バカ3人(37歳、43歳=僕、48歳、全て男)が5時間ばかりをほぼ野球の話題のみで語り合った。

彼らと知り合ったのは15年前。以来何年かに一度会っては野球談義に花を咲かせる間柄だ(人によってはもう少し高い頻度で会うが、それほど頻繁に会うことはない)。
知り合ったのはもちろん野球を通じてなのだが、出会うべくして出会ったと言うべきメンツだ。
「野球好き」というのがただ一つの共通項(経験者であるというのもある)だが、野球好きにも色々なタイプがいて野球を「どんな風に好きか」あるいは野球の「どういうところに興味をもっているか」という点で共感できる人というのは意外と少ない。この(僕を含む)バカどもはそういう点で共感できる希有な存在なのだ。そして知り合った時のシチュエーション自体が「そういう人たち」が出会うようなシチュエーションだった。その経緯というのは・・・いや、長くなる上に、興味のない人にとっては本当にどうでもいいことなのでやめておこう。
他にも時を同じくして出会った友人がいるのだが、居住地の関係で今回は3人のみだった。

今さらながらの五輪野球についてその敗因を語り、じゃあ次回WBCはどうなるんだという話題に当然なり、普通の野球ファンならここで日本代表監督は誰だという話題になるのだが、我々はアメリカチームは誰が監督になるんだという話題になった。そして、第1回のアメリカの監督は誰だったっけ?という話になり・・・
まあ、このへんもどうでもいい話だがひとつ自慢を言えば僕の記憶が正しかったことだけは明記しておこう。あとの2人と遠隔地に住む友人は誰も答えられなかったのだ(えっへん)。
しかし、これすら尊敬してくれる人が極めて限られるという哀しき現実があるのだけれど。

場所を変えての話題は「なんで野球は面白いのか」あるいは「野球というスポーツの懐の深さ」などである。もちろんこういうのは後付けのテーマだ。「よし、今日はこういうテーマで語ろう!」なんて言って始めるわけではなく、自然とこういう話の流れになったのだ。
やりとりをここで書いていたのではとても書ききれない。要は、いい年こいたオトナの男どもが結論の出ない話題を延々語り続けただけだ。そんで結局「野球はイイ、イイよな」で終わるのだ。
こんな風景は日本中の至る所で毎日繰り広げられているに違いない。けれど、その話題の特殊さ、ていうか「野球バカ」さ加減においてはちょっと珍しいのではないかと思う(そういう自分たちが好きなのだけど)。

我々には共有する想い出がある。
それが15年前の出会いの時のことなのだが、それは僕らが胸を張って宝物だと言える想い出だ。
その時の事がいかに得難く素晴らしい経験であったかを理解してくれる人、あるいはうらやましがってくれる人はほとんどいないと思う。いや、いなくたって構わないのだ。
そのおかげで僕は思う存分「野球バカ」な話が出来る友人を得た。それで充分だ。

あ〜、でもやっぱあの時の話は触れ回りたいなぁ(本音)。


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2008年10月 6日 (月)

緑の髪の少年

Photo
トリトン。
以前からずっと描いてみようと思ってたのだが、なんかうまくいかないので先延ばしにしてた。
うまく描けないという意識があると、結局どうにも上手くいかないものだ。

トリトンについては色々語ることはあるのだが、今回はこの絵だけで・・・。
あれこれ書こうとしたけれど、絵の方ともども調子が出ない。

・・・トリトンファンの方々すみませんです。

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2008年10月 2日 (木)

そして、夏は終わりを告げた

すでに日が沈み、ボールも見にくくなっても少年は「あと一球だけ、あと一球だけ」と野球を続けた。
最後の一球、と言って投げたボールはコントロール悪く闇の中に消えてしまった。
もう辺りはすっかり暗い・・・探すのは明日でいい。明日探そう。
けれど、翌日もそのボールは見つからなかった。
気がつけば随分と日は短くなり雲の形も変わっていた。
夏は終わっていたのだ。

彼は15歳で全国にその名を知られた。
そして、それからずっと注目を浴び続けた。良いときも悪いときも常に。

憧れたチームからの指名を受けられずに悔し涙を流した彼は、それでもその才能を遺憾なく発揮しプロ1年目で31本塁打という成績を残した。勢いもそのままに日本シリーズも優勝し、彼の時代の到来を強く印象づけた。
翌年は憧れのあのチームを相手に日本シリーズで勝ち、涙にくれた。
その後の彼は常勝チームの4番打者として10年以上にわたり打席に立ち続け、その期待に見事に応えた。
彼はチームの成績以上に数々の名勝負でファンを魅了し、そのプレースタイルは洗練されたチームカラーの中にあってはやや異質で、どこか古い時代の野球選手を見るようでもあった。そう「野武士」と呼ばれた、大先輩のチームの選手たちのように。

けれども彼は満たされない思いを抱き続けていた。
いくら強いチームであろうと、どれだけ評価されようとも幼い頃から憧れ続けたチームでなければその心は満たされなかった。2年目の日本シリーズで流した涙、それは強い憧れの裏返しだったのだ。30歳を迎えるシーズン、男はついに恋焦がれたユニフォームに袖を通した。曲折はあったけれど高校時代の盟友もいる名門チームで、彼は人生最高の時を迎えるはずだった。
しかし、度重なるケガと重圧で思うような活躍が出来なかった。野球を愛していそうにない名物オーナーからは心ない言葉も吐かれた。
それでも通算2000本安打と500号本塁打をこのチームで記録できたし優勝もした。後はこのチームで現役を終えるだけ、のはずだった。
けれどもそれは叶わなかった。
それがこの名門チームのやり方なのだ。
生え抜き以外の選手に花道を作ってはくれない。
このチームで現役を終えることを願ったあの3085安打を放った大選手も、力の衰えと共にあっさり放出されたのだった。

2005年のオフ、き名将に誘われて生まれ故郷のチームに移ることを決意した。その名将がかつての野武士軍団と呼ばれた名門チームの一員であり、彼の大先輩に当たることも何かの縁であったのだろうか。「花道を作ってやる」といった名将は彼の花道を見ることなくこの世を去った。その名将に報いようと復活を期した2006年シーズンだったが、11本のホームランを放つも膝のケガは深刻さを増し翌07年はついにただの1度も打席に立つことはなかった。
あの1983年の夏以来、バッターボックスに立つ彼を見ない初めての夏だった。

彼と、そして彼と共に同時代を生きた者たちの夏の終わりは、確実に近づいていたのだ。

彼はいつしか髭に白いモノが目立つ年齢になっていた。
か細かった身体は鎧のように逞しくなっていたが、見た目とは裏腹に自由が利かなくなってしまっていた。あんなに自由に動けたことがまるで嘘のように。
今年、2年ぶりに彼は打席に立った。執念とも言えるものだった。
だがそれは、グラウンドへ別れをつげるための打席・・・夏の日の自分に別れを告げるための打席であった。
打席に立つ度に確実に終わりが近づいてくる、そんな思いを彼は初めて味わったに違いない。
野球をやっている間だけは、彼は少年でいられた。
壊れそうな膝をかばいながらでも、打席に立つと心は弾んだ。
彼はその人生で一体どれだけバットを振ったのだろう・・・
ただただ一心不乱にホームランを打つために、あの感触のために。
けれど、それももう終わりなのだ。

そして彼は最後の試合を迎えた。
試合前、相手チームの監督である憧れ続けたホームラン打者から花束を受け取った。この巡り合わせもまた不思議なものだ。
花束を渡し、世界にその名を知られる偉大なる打者は彼に言った。

「来世は同じチームでホームラン競争をしよう」

彼は泣いた。
ドラフトでの悔し涙も、日本シリーズでの涙も、全て報われた気がした。
彼は、ただの一度もこの憧れの打者と同じチームで戦うことはなかったのだ。
その夢はきっと来世に叶うだろう。

最後の一球。高めのボールを思い切り振った。
バットは空を切った。
全球まっすぐを投げた相手左腕に敬意を表し、彼はバッターボックスを後にした。
そして彼はユニフォームを脱ぐ。
グラウンドと自分の中の少年に別れを告げる時が来たのだ。
彼の長い長い夏は今日、終わりを告げた。
夏はまた来年もやってくる。けれども彼はグラウンドにいない。

闇の中に転がったボールはもう永遠に戻っては来ない。

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Photo_2
似てる、似てないはこの際ナシで、いや似てないんですけども(爆)
キヨ、おつかれさん。

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