水平線の終わりには・・・
・・・虹の橋は、夢の世界はあったのだろうか?
先日(2月25日)BSアニメ夜話で「海のトリトン」が取り上げられた。
その前の週まで僕はカートゥーンネットワークで何十年かぶりに通しで観たばかりだったのであまりにいいタイミングでの放送にちょっと驚いた。子供のころに観たきり再放送などは飛び飛びで観たのみで断片的な記憶しかなかったが、今回改めて見直す機会を得たことは幸運だった。
「海のトリトン」は放送は1972年に放送された。手塚治虫の同名漫画を原作としているがアニメ版は完全なオリジナルストーリーと言ってよい。総監督は富野喜幸(由悠季)。その後数々のヒット作品を生み出す彼のこれが初のシリーズ監督作品である。
主人公が戦うべき理由を見いだせないまま否応なしに平和な暮らしから投げ出されてしまうことや、ゲストキャラ(恐竜やヘプタボーダら)とのつかの間の心の交流と悲劇的な別れ、そして善と悪の定義にくさびを打ち込んだかのような救いのないラストなど、後の富野作品との関連性も見受けられる作品である。1978年発行の「ファンタジー・アニメアルバム 海のトリトン(少年画報社)」で富野監督はこの作品について実に興味深いことを語っている(アニメ夜話で紹介されたアノくだりではなく)。長くなるので引用は避けるが、それは後の問題作「伝説巨神イデオン」のテーマとも関わる話だったので、今回読み返して驚いた。
僕は本放送で見ていたと思うのだが、オープニングの歌と映像の印象が鮮烈であったことははっきりしているが、内容について当時の記憶が実はあまりない。手塚作品だと信じ込んでいたことやシリアスな作品であったこと、ラストが唐突でなんだかよく分からなかったことがぼんやりと思い出されるくらいである。今回通しで観てもあの最終回はすぐには理解できなかったくらいだから当時小2で、しかも頭の悪い僕に理解出来ようはずもなかったのは至極当然である。
だからこそ、なのだろう。僕よりも上の世代である当時の女子中高生を中心に人気が広がり日本初と言われるテレビアニメのファンクラブが作られた。トリトンと言えばファンクラブ。そんなイメージが僕の中には今でもある。
それは上にも書いた、アニメブームが盛り上がってきた頃に発行された「ファンタジー・アニメアルバム 海のトリトン」や翌年の「ロマンアルバム」にトリトンファンクラブのことが紹介されていたからだ。会員が描いたすごく上手なイラスト(今見返しても本当に上手だ)も掲載されていて、「こういう会誌を作る人たちって絵も上手いんやな〜」って感心していたのだ。
そして、このトリトンのプロデューサーはあの西崎義展氏である。彼は後に宇宙戦艦ヤマトを大ヒットさせるのだが、その背景にはこのトリトンでの手応えがあったに違いない。トリトンもまた視聴率では苦戦し打ち切りの憂き目にあったのだが、本来のターゲットよりも上の世代が注目し作品を蘇らせたという点ではヤマトと同じである。ヤマトが放送終了後に中高大学生を中心に人気を得、大ブームを巻き起こしたことはいまさら説明するまでもないことだが、トリトンの時にアニメファンという存在を認識していた西崎氏はヤマトの時もまた同じ手応えを感じていたはずだ。そしてそのファンの力を信じ、ヤマトを成功させたのだと僕は思う。
トリトンは後につながるアニメファンの活動の基礎を築き、アニメとファンの関係を変えて行くきっかけになった作品としても重要な位置にあるのだ。
↓トリトンのムック2冊
「ファンタジー・アニメアルバム 海のトリトン(少年画報社)」
カラーページもたっぷり、スタッフインタビューあり設定資料ありの充実の内容。複製セル画、羽根さん描き下ろしヘプタポーダのピンナップもありで完全にアニメファン狙いの編集である。
「ロマンアルバム 海のトリトン(徳間書店)」
1979年、ブームに乗って制作された劇場版を扱っている。こちらには主要キャストのインタビューがある。まだ少年の面影を残す塩屋さんの初々しいお姿も。
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