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2009年3月

2009年3月28日 (土)

世界の野球

第2回WBCで日本が2連覇を決めてから4日、ようやく興奮も収まりつつある。
僕はすぐに記事を書こうとしたが、色々書いてはみたものの焦点がぼやけてしまい全く内容をまとめられずにいた。かと言って今もちゃんとまとめられたとは言い難いが、やはり大会全般的な事から書いておこうと思う(ほかにも書くのかよ)。

関心の低かった第1回大会とは違い北京五輪惨敗後の大会ということもあり開幕前から異様な盛り上がりをみせ、国民的関心事となった今大会だった。そして監督選考と選手選考でのゴタゴタもあり、日本球界が一枚岩だったとは言えない中で、様々な曲折を経た末につかんだ勝利であるだけに興奮と同時になんとも言えない安堵感を持ったのも事実だった。日本中を歓喜の渦に巻き込んだこの勝利はそんなゴタゴタなどどうでも良いことにしてしまった。本当のところはどうでも良いわけではなく、この勝利によって日本球界が少しでも良い方向に向かって行って欲しいと心から切に願う。
幸いにして、少なくとも日本はWBCへの国民的関心も高く、2連覇したことで選手が代表入りすることに誇りを持つことができるようになった。この熱が冷めないうちに球界挙げて「日本代表」というものへの意義付けや、代表監督・選手の選考の決定方法などWBCに臨むにあたっての環境整備に取り組むべきだろう。併せて運営面への積極的な意見介入、国内とアジアを中心にした野球発展への更なる取り組みなど「世界一」の国にふさわしい球界になってほしい。

では、WBCは世界一を決めるにふさわしい大会だったのか。
残念ながら答えはノーだ。
まず、時期の問題。選手が最高のパフォーマンスを発揮するには3月という時期はあまりにも良くない。ケガのリスクを恐れ、多くの大リーガーが辞退したのもムリはない。日本や韓国が傑出した戦いを見せたのはそういったリスクを恐れず、早い段階から準備をし、チームを熟成させてきたからだ。開催母体のMLBが自国のリーグを重視する余りこの時期になってしまっているわけだが、そんなだから大リーガー達も出たがらない。メジャーリーグを中断してでも行うくらいの本気度を見せて欲しい。野球の母国アメリカの選手達がWBCへの参加にあまり積極的でなかったのはやはり寂しい限りだった。「辞退した選手達でチームを編成した方が強かっただろう」なんて皮肉られるようでは・・・。開催時期が夏になってしまうと日本だって韓国だって困るだろう。しかし、今後4年に一度の世界一を決める大会ということで定着させるならば痛みも必要なはずだ、本当に野球の世界的発展を願うならば。

そして誰もが思うように、勝ち上がっていくシステムの問題。せめて2次ラウンドでいっせいにシャッフルするべきだろう。また「1位通過決定戦」も無駄だ。抽選で組み合わせを決めればいいだけのことだ。韓国チームにばかり詳しくなってしまって「ワールド」と言いながら、日本は4チームとしか対戦していないのだ。

ほかにも投手の球数制限や開催地の問題(決勝ラウンドがアメリカばかり)などもあるが、WBCはまだ始まったばかりだ。そもそも、アメリカでなければ、MLBでなければWBCを立ち上げることすらできなかったはずだ。そこはさすがにスゴイと認めざるを得ないし、そのおかげでここまで盛り上がれたのは事実だ。それに、始めから何もかもが全てうまくいくわけでもなし、何よりも世間に認知させていくことこそが最重要だ。そういう意味では全試合を通じ計80万人以上の観客を動員したことには希望が持てる。日本や韓国での高視聴率も無視できないはずだ。反面、アメリカ国内での視聴率は良くなかったらしいが・・・。

日本は今大会で世界に向けて疑いようのない実力を見せたため、次回以降の代表チームの重圧はさらに強いものとなるだろう。もし、アメリカを始め強豪国が本気を見せ始めたとしたら、日本はうかうかしてはいられなくなる。しかし、そういう中で勝ってこそ真の世界一だと言えるのではないだろうか。サッカーのW杯で勝った国は間違いなく「サッカーの世界一」だと、全てのサッカーファンが認めるように、WBCでのチャンピオンが疑いようもない「野球の世界一」と認められるためには全ての参加国・地域の代表が本気でなければならないのだ。そして本気を出したくなるような舞台がすこしでも早く整って欲しいものだ。

僕は今回、日本の試合はほとんど観たが、それでも全てをつぶさに見たわけではないし、ましてや他のグループの試合などはほとんど見ることはできなかった。だから日本で報道される限りにおいての情報しか知らない。ほかの、中継で見ることができなかったチームがどうだったのかはほとんど分からない。
優勝候補に挙げられたドミニカ共和国がオランダに2度も敗れ、1次ラウンドで敗退したのには誰もが驚いたはずだ。では、オランダチームというのはどんな選手がいて、どんな野球をするのだろうか?そしてもし、日本と当たっていたら?・・・誰もがそんな関心を抱いたはずだ。2度目にドミニカを破った後の会見でオランダの監督は感極まって涙を流した。それほど感動的な試合を観たかったと、僕は心底思った。
他にもカナダ相手に善戦したイタリアや、「そんなとこで野球やってんの?」ってすら思う南アフリカなど、普段は目にすることのない国の野球が観たくてたまらなかった。もし日本がオランダやドミニカと当たっていたらどんなゲームになってたいたか考えただけでもワクワクする。オランダチームだって日本や韓国と戦いたかったに違いない。いや、もちろん日本以外のゲームももっともっと観たい。サッカーのW杯だって本当のサッカー好きは母国を応援するだけではなく世界の多彩なサッカーを楽しんでいる。WBCが同じように野球ファンにとって、日本の試合でなくとも楽しめるような、楽しみになるような、そんな大会になって欲しい。
そんな大会でなら、日本が世界一になれなくたって構わない。日本ばかりが勝つようじゃ野球の未来もあったもんじゃない。勝てなくて悔しい思いをして次の大会が待ち遠しくて仕方なくなる。それもまた楽しいと思う。

世界には僕らの知らない野球がまだまだたくさんある。
なんだか、とても素敵じゃないか。

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2009年3月23日 (月)

歴史的勝利?

WBC準決勝で日本はアメリカに勝った。

エキシビジョンマッチではない試合で、日本のプロ野球が大リーグに勝つというのは日本プロ野球の歴史始まって以来の出来事である。日本のプロ野球の目指すところは大リーグと単独チーム同士で覇権を争うことにあったのだが、形は違えど米本土でアメリカを破ったことの意味は大きい。WBCという大会の意義や米国代表チームが実は「最強」には程遠いメンバーであることなど、手放しで快哉を叫ぶ気になれないのも確かではあるが、やはりこれは歴史的勝利と呼ぶべきものなのだろう。
しかし、僕の中には複雑な感情がある。
「圧勝」といえる勝ち方を日本がしたこと、それは嬉しい。だけども大リーグの選抜チームがこうもあっさり負けたことに対して寂しい気持ちとが、僕の中にはっきりとあるのだ。
日本のプロ野球は常に大リーグを目標にしてきた。野球、いやベースボールの最新トレンドは常に大リーグだった。変化球にしても、ユニフォームの流行にしてもすべてはアメリカ発であった。巨人V9の礎となったのは「ドジャース戦法」であったし、野村監督お得意のID野球の原点は、野村が現役当時に南海に在籍していた元大リーガー、ドン・ブレイザーの緻密な野球から学んだものだ。阪急に在籍した“怪人”スペンサーはそのイメージとは裏腹に相手投手を細かく研究し、データを駆使する知性派だった。パワーで日本野球を席巻したかのように思われがちな外国人選手達がもたらしものの多くは「知的財産」だったのだ。そうした財産を吸収し、日本人らしい勤勉さによって磨き上げ、日本の野球は今日のように発展してきた。
その結実としての勝利だと、僕は思う。それ自体はとても誇らしい。

だからこそ、と余計に思う。
「大リーグがこんなんでいいのか?」・・・・と。

多くの日本人が当たり前のように大リーグで活躍している、今のこの時代しか知らない若い世代には想像もつかないだろう。かつての大リーグとは、とてつもなく大きな山のような存在だったことを。今では笑いのネタにしかされない星飛雄馬の“大リーグ・ボール”に込められた思いを。“サムライ”番場蛮が命がけで開発した魔球の数々も超一流の大リーガーには全く通用しなかったことを・・・。もうそんな時代じゃないことは僕にも分かっている。だけども、何か違う気がする。
イチローが「特別な感情は湧かなかった。そこが特別」と言っていたが、大リーグでも超一流となったイチローにとってはすでに「特別な相手」ではなかったのだろう。「そこが特別」とはそういう平静な感情でいられることについての感想、つまり日本の野球がそれだけ強いモノだという自身なのだと、僕は思った。
だけど、僕はやはり大リーグは「特別なモノ」であってほしいのだ。それが少年時代のノスタルジーによるものであると笑われても構わない。夢や憧れというものは永遠であることを、どこかで望んでいたいものじゃないだろうか。父や兄という存在は、いつまでも乗り越えられないものであってほしいように・・・。

そういう意味で、僕には少し希望がある(非国民と言われるだろうが)。
それは、おそらくは、多くのアメリカ人や大リーグ関係者にとってのWBCは、「しょせんエキシビション・マッチじゃないか」と思っているのではないかということだ。彼らにとって最も重要なのは国内リーグ、つまりメジャー・リーグであり、ファンにとっての楽しみはひいきチームの勝利だ。そしてメジャー・リーグが世界最強のプロ野球リーグであるという自負だ。だから、今回の敗退も屈辱的とは思っていても実はかなり想定内の出来事だったのではないだろうか。明らかに準備不足の上にもっともっと実力のある大リーガーが出ていないことも知っているのだから。だから、僕のような古くからの大リーグファンは思う「アメリカはまだまだこんなもんじゃないはずだ」と。
アメリカ代表がもっと早くから、真剣にこの大会に臨み可能な限り「最強」に近い形のチームであって欲しかった。イチローが「寂しい」と思うようなメンバーではなく「よくこんな連中に勝ったもんだ」と思わせるメンバーであれば、と。
そうであれば、もっと心の底から沸き立つような感情が起こったはずだ。

だから僕は思う。
楽しみはまだまだ残されている。
WBCがメジャリーガーがこぞって出たがるような名誉のある大会になり、日本や韓国、キューバなどと真剣勝負を繰り広げるという楽しみが、まだ残っているのだ。
そこで日本が決勝戦をアメリカ代表と戦い、勝つ日が来たとしたら、その時こそ心の底からとてつもなく大きな喜びがわき上がってくるだろう。
僕はその日を夢に見る。

だけど夢のままでもいいと思っている、心のどこかでは。

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2009年3月21日 (土)

ずっとアニメが好きだった(13)

赤毛のアン(1)

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数々の名作アニメが誕生した1979年。そのトップを切った作品が「赤毛のアン」である。同年1月7日〜12月30日まで、日曜午後7時半のフジテレビ系列の看板だった「世界名作劇場」の枠で放送された文字通りの「名作」アニメだ(調べてみて、年の瀬の30日までレギュラー番組の放送があったことに軽く驚いた)。
放送は全50話。シリーズ演出は高畑勲でレイアウト(クレジットは「場面設定・画面構成」)に宮崎駿という「ハイジ」「三千里」の名コンビ、美術監督に井岡雅弘、キャラデザイン・作画監督に近藤喜文、脚本は高畑自身のほか映画監督でもある神山征二郎ら数人が手がけている。音楽は毛利蔵人。レイアウトは、宮崎駿が「ルパン三世 カリオストロの城」制作のため降板し、18話以降桜井美知代に交代した。
「ガンダム」開始直前の富野喜幸(当時)も絵コンテで数話に参加している。余談になるが、富野氏は「ハイジ」「三千里」でも絵コンテで参加、日常的な芝居に重きを置く高畑演出を間近で見ている。そのことが「ガンダム」という作品に与えた影響は決して小さくないはずだと、僕は思う。

僕は放送当時、全話を観た。なぜこの番組を観ようと思ったのかは憶えていない。原作を読んだこともなかった。演出が高畑勲だからでもレイアウトが宮崎駿だから、でもない。この当時の僕はまだアニメ初心者で、この両氏についての知識(「レイアウト」という仕事がなんであるかすら知らなかった)はほとんどなかったはずだ。なぜなら僕が最も頼りにしていた「アニメージュ」では、この両氏をフィーチャーした記事は少なくともアンの開始以前にはなかったのだから。世界名作劇場のファンというわけでもなかった。むしろこの枠の番組は「よい子」が観るものと避けていたくらいだ。だから余計に、なぜなのかがまったく想像すらできないのだ。
「アニメージュ」で「アン」の記事が出たのは1979年1月号(78年12月10日発売)だから、放送開始のおよそ1ヶ月前だ。この段階ではスタッフ名は単なる「情報」として記載してあるのみで「あのハイジのスタッフが」などというあおり文句すらない。キャラ紹介に至ってはアンの養母となるマリラとその友人のリンド婦人を逆に書いてある始末だ。掲載されたアンのキャラもお世辞にもかわいいとは言えない、暗い目をした痩せてそばかすだらけの女の子だったからキャラに惹かれたとも思えない。続く79年2月号で、ようやく高畑勲のインタビューが掲載されているが、この段階でも高畑氏は“いち演出家”扱いでしかない。そのインタビューの脇に、キャラデザインの近藤氏が描いたアンの初期設定ラフ画が掲載されている。こちらは表情は暗いものの、美少女だ。僕は当時「こっちの方が可愛くていいのに・・・」などと思っていた。そのことだけは憶えている。この2月号は第1話放送後に発売されている。だから第1話を観たあとにそういう感想を抱いたことになるわけだから、第1話を観ただけではまだ僕は「アン」の魅力に気づいてはいなかったのだろう(面白い、とは思った)。「なんや、このデコッパチは・・・」そう思いながら、淡々と進む初回を観ていたのだ。

しかし、すぐに僕はこの作品の虜になってしまうことになる。
アンと、アンを取り巻く人々との日常が美しく輝いて見えるまでそう時間はかからなかった。

(続く)

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2009年3月12日 (木)

別れの季節・1979年春のこと

世の中は今、卒業シーズンである。

30年前の今頃、僕はまだ中学2年生で卒業まではまだあと1年あったが僕たちの学年はある事情で一足早い別れの季節を迎えていた。
僕の通っていた中学校は生徒数がキャパを超えてしまい、1979年度、つまり1979年の4月から生徒の半分は新しくできる中学に移ることが決まっていたのだ。当時の僕たち2年生はなんと14クラス、ひとつ下の1年生は16クラスもあり1年生のうち数クラスはプレハブ校舎で授業をしていたくらいだった。だから、入学時から当然そのことは予定として組み込まれており、みんな分かっていたことではあった。
そうは言っても2年間一緒に過ごした友人たちと離れるのはとても寂しく、多感な年頃の僕らは皆一様に感傷的な気分に包まれていた。僕らの学年だけでもこのまま卒業まで一緒にいられないのか、、、なんてことを先生たちに本気で訴えたこともあったように思う(それがどれほどの真剣度だったか、いやそんな訴えをしたかすらも本当のところ記憶は曖昧だ。そういう話を友人たちとしただけかも知れない)。もちろん、いち公立中学でそんなことを出来るわけもないのだが、とにかく僕らは友人たちのと別れを惜しむ毎日を過ごしていた。
そんな中、当時の女の子たちの間で流行ったのが「サイン帳」だった。女の子が想い出にとクラスの内外、男女を問わず「なんかひと言書いてね」とあちこちで回されていた。新しい中学に移るコたちが特に一生懸命だったように思う。そして僕ら男子どもは、ちゃんと自分にもサイン帳が回ってくるのかどうか内心ドキドキして待っていた。まるでバレンタインデーの気分だ。そして回ってきたら回ってきたでそっと前のページを覗いては「なんや○○よりオレの方が後かいな」とか「おっ、男子ではオレが最初やん」などとしょーもないことに一喜一憂したものだった。女の子の方が実は大抵一枚上手で「本当に想い出にしたい(本命)サイン帳」と「義理サイン帳」をちゃんと使い分けていたのである(これもバレンタインのようだが)。だから、男子で自分が最初だからと言ってもそれは「義理」の方の可能性もあったのだ。僕はそんなこととはカンケーなく、なんていうかお決まりのように必ずイラストを添えていた。人の手に残るモノだからと、けっこう一生懸命に描いたと思う、あの時の何人かの手元には僕のイラストが今でも残っているとしたら・・・少し嬉しい。

いよいよ3学期の終業式。つまり皆が一緒に過ごせる最後の日、校内のあちらこちらで別れを惜しむ姿があった。今ならケータイで写真を撮ったりするのだろう。そんな中、同じクラスの女子に階段の下で呼び止められた。「○○くん(苗字で呼ばれていた。当時は下の名前で呼び合うことなど滅多になかったのだ)、○○ちゃんが呼んでる」。その子も同じクラスのコで、新しい学校へ移ることになっているコだった。階段の少し上に立ち「握手・・・してくれる?」と言いながら、やや神妙な顔で手を差し出すそのコに笑顔はなかった。
野球部だった僕の、丸刈りにしたての頭をよく触っては「芝生みた〜い」といたずらっぽくはしゃいでいた明るい彼女とは別人のようで、少し戸惑った。そして僕はまったくダメなガキんちょで気の利いた言葉のひとつも返せず「ああ」とか「おう」ぐらいのことしか口から出なかったと思う。そして軽く手を握りかえしただけだ。
「ありがとう、バイバイ」と口元だけ笑って彼女はくるりと背を向けた。

彼女のトレードマークである綺麗なストレートのロングヘアが揺れていた。

3年生になって、その彼女が僕のことを好きだったということをほかの女子から聞かされたことがあった。終業式に握手を求められた時点で(いや、本当はもっと前から)なんとなくそうだとは思っていたので驚くことはなかったし、実は僕自身も少なからず好意を持っていた。ちょっかいを出してくる女の子のことはだんだん気になってくるものだ。もしあの時学校が二つに分かれることなく卒業まで一緒だったら・・・なんてことを当時は考えたりしたものである。

彼女とは中学のわずか1年間を同じ教室で過ごしただけの、ただそれだけの関係。特別なことは何もなかった。だけど最後の握手、それがあった分だけ彼女は僕の中でほんの少しだけどほかのクラスメイトよりは特別な想い出になった。

あのコはどうなんだろう。
あのコの中で僕はほんの少しでも想い出になっているのだろうか。あの時の握手を思い出したりすることがあるのだろうか。
・・・なくたっていい。だけど、もう2度と会うことはないであろうあのコが、日本のどこか(世界の、かも知れない)で同じ瞬間のことを思い出しているかも知れない。そんな想像をするだけで何か言葉にはできない切ないような嬉しいようなそんな気持ちになれる。
それだけで十分だ。

「・・・握手、してくれる?」
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2009年3月 8日 (日)

WBC日韓戦(今日はTV観戦)

コールドゲームである。
まったくの予想外だった。野球ってホントに不思議でおもしろい。
韓国は途中で明日以降を考えた投手起用だったこともあるので、コールド勝ちはおまけみたいなものだったが日本チームは一昨日の戦いっぷりからは想像もつかない猛打ぶりだった。
すべてはイチロー、だったのだろう、やはり。
大会前から「イチロー・ジャパン」などと揶揄されてたように、良くも悪くもイチローのチームなんだということが今日のゲームではっきりした。
中国戦での日本チームは、おそらく相手を見ずにイチローを見ていたのではないか。強化試合、練習試合を通じて不振を極めていたイチローが、本番で打ってくれるのかどうか、打って欲しい、そんな想いでチームメイトは見ていたと思う。そして、打てなかった。イチローは自分自身の調子が悪いからといってベンチのムードを悪くするような選手ではないが、おそらくは他の選手が平常心ではいられなかったに違いない。あのイチローが打てない、見た目は平常心を装っていってもその心中を察するに気軽に声をかけられるような選手がいるはずもない。皆、ハラハラしていたと思う。イチロー自身がそれを望まなくても、やはりイチローは周りが「ご機嫌をうかがってしまう」選手になってしまっているのだ。そのことが各選手のバッティングに影響したのが中国戦だったのだろう。
そして、今日だ。
イチローは第1打席でクリーンヒットを放った。日本中が安堵のため息を漏らした中、どこよりも日本チームのベンチが安堵したはずだ。そして日本のベンチは一気に盛り上がった。イチローは2打席目にバントヒット、3打席目も測ったように人のいないところにボールを落とした。後は「ああ、これでもうきっと大丈夫だ」という日本チームの思いがそのまま出たかのような猛打だった。
今日は稲葉を下げて4番に村田を入れ、6番に内川を入れたことは原監督のファインプレーだった。しかし、それ以上に初回に日本チームが最も苦手とし警戒していたキム・グァンヒョンからいとも簡単にヒットを放ち「これはいけるかも」と思わせ、チームに勇気を与えたのはやはりイチローだった。それがつまり、良くも悪くもイチローのチームであるということだ。ただ打つだけではなく、打つシチュエーションがまた見事なのだ。皆が気をもんでいるところで、最強のライバルチームのエース相手にいきなり打つ。そこがイチローらしい。だからこそ影響力も大きい。そういう意味では、この先の試合においてもイチローが日本チーム最大のキーマンであるのは間違いないのだが、一方でイチローが打てないときにチームの活力をどのように上げていくかということも大きな課題になってくるだろう。ずっと「イチロー次第」では連覇はおぼつかない。
そこでポイントになるのが、今日も活躍した中島、青木と対照的に調子が上がってこないメジャーリーガー岩村だ。
今日の試合、イチローの打ったヒットの後に中島がさらにチャンスを広げなければ試合の展開はどうなっていたか分からない。そして中島の後にキムに強い青木がセンター前に運び、あっという間に先取点を奪った。キムの立ち上がりにペースをつかませないうちに中島と青木がたたみかけたことで今日のゲームの流れを作ったことは間違いない。中島は2打席目にはイチローのバントヒットで満塁になった後、押し出しのフォアボールを選ぶ冷静さも見せるなど地に足の付いたところを見せている。青木は先制タイムリーの後はゲッツー崩れではあったが、足の速さを生かして塁に残ったし、犠牲フライも打ち好調だ。
問題はイチローの2打席目以降、前を打つ格好になる9番の岩村だ。岩村がチャンスメーカーの役割を果たせれば、仮にイチローが抑えこまれた場合にも後ろに好調な中島と青木がいることで日本の得点チャンスはグッと広がる。岩村の場合、安定した守備での役割も大きいので簡単には外さないとは思うが、このまま調子が上がらないと片岡がスタメンということも考えられると思う。
とにかく、これで日本は次のステージに進むことが決まった。後は明日8日の試合の勝者と1位通過をかけた試合が残る。もう一度韓国との試合になる可能性が高いが、そうなれば、この試合こそ今日の試合よりもある意味重要になるかもしれない。今日のコールド勝ちがそのまま実力差でないことは誰よりも選手達が良く分かっているはずだ。1位通過を争うということと今日の負けが逆に韓国にも大きなモチベーションをもたらすだろう。大勝のあとは得てして打てなくなるものだが、日本は幸いにして中1日をおいての試合になる。今日の試合は忘れてまた改めて気持ちを盛り上げてもらいたいものだ。

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2009年3月 6日 (金)

WBC開幕戦を観戦

第2回ワールド・ベースボール・クラシックの開幕戦である日本vs中国を観戦してきた。場内はほぼ満員で日本の野球熱の高さを改めて認識、イチ野球ファンとしては喜ばしい限りであった。
割とあっさりしたセレモニーの後、始球式には王貞治氏が登場し場内はまさしく割れんばかりの拍手に包まれた。王さんを心から尊敬する僕は、マウンドに立つ王さんの元気な姿をナマで観られ思わず涙ぐんでしまった。個人的には王さんのこの姿を観ただけでも足を運んだ価値があった。ていうか、そこが一番感動的であり肝心のゲームはというと、極めてお寒く盛り上がりに欠けるものだった。
投手陣はおおむね良い内容だったと言えるのだが、クローザーの藤川が9番バッターにヒットを打たれるなどやや不安定で、球速も彼本来のものではなかったことは少々気がかりではある。8回に投げた馬原にしてもそうだが、パワーピッチャータイプで似通った2人が後ろの方を任されるということについて僕はかなり危惧しているのだが・・・。
誰もが考えているように、問題は打線だろう。
一番のイチローが全く当たっていないことも心配だが、それでも安定感を欠く中国投手陣から初回と2回の先制のチャンスをモノにできず終盤にダメも押せなかった。追加点は相手のボークによるもので、4点を取ったとは言え中国と同じ5安打しか打てなかったことはお寒い限りである。逆に考えると日本の投手から5安打を放った中国って案外スゴイのかも知れないが・・・。シャープなスイングを見せていたのは2安打の青木とホームランを打った村田くらいで、みな一様に元気なく見えた。
危ない試合だったから言うわけではないが、宮崎合宿からテンション上げすぎだったのではなかろうか?あのテンションでずっといれば疲れるのも当然だと思う。イケイケでやってるうちはいいが、西武、巨人とのゲームで「あれ?なんか変」と感じていてそれが今までつながっている気がしてならないのだ。
今夜のゲームが次の試合にどういう影響をもたらすのだろう。初戦を勝ったことで緊張がほぐれて良い方向に傾けばイイのだが、選手達自身が自分たちの調子について「ヤバいかも」なんて感じていたとしたら心配だ。選手は自分の力を信じられなくなるのが一番危ないのだから。


以下、スタンド雑感・私感。

僕はもう何年も日本のプロ野球をナマで観戦していない。それは「応援団」が嫌いだからだ。トランペットに合わせながら、あるいはみんなで声だけで、というケースもあるがのべつ幕なしに選手の応援歌を歌ったりする、あれが耐えられない。それが楽しくて球場に行く人たちや応援団の人たちを中傷する気も否定する気もさらさらない(むしろ、その情熱には頭が下がる)が、僕は嫌いだ。僕はボールがミットを叩く音が好きだ。バットがボールを捉える音が好きだ。そして誰かと一緒に野球を観ながら、あれやこれやと野球談義をするのが好きなのだ。それを妨げる応援がイヤで、球場に足を運ばなくなったのだ。
WBCの強化試合をTVで観ているときは、応援団がいなかったので「ああ、よかった」と思っていた。けれど、本番ともなれば各チームの応援団が手を組んで現れるのではと危惧していたら・・・やっぱり来ていた。
さすがに特定チームの応援ではないのでスタンドのまとまりはイマイチで、普通に座って観ている人も多かったのでまだマシだったが、周りの観客もみんな立ち上がって応援するようならとっとと帰ろうかと思ったくらいだった。
スタンドの応援風景は日本の野球の風物詩だと、肯定的に捉える向きも多いのだがその一方で別のファンの観戦の楽しみを奪っている面もあるということを彼らはおそらく想像したことなどないだろう。どんなつまらないゲームでも応援で盛り上がって帰ればそれはそれで楽しいだろうけれど、つまらないゲームも面白いゲームも均質化させてしまうような応援を僕は好きになれない。
良いプレー、良いゲームがあれば盛り上がる。つまらないゲーム、つまらないプレーはつまらなく観ればいいのだ。
それもまた野球観戦の楽しみである、と少なくとも僕は思う。

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2009年3月 3日 (火)

「段平おっちゃん」バトン

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きなこ様より「段平おっちゃんバトン」を託されました。
スラスラとあらゆる場面、セリフが浮かぶほどに原作を読み込んでいるわけでもなければアニメ版を繰り返し繰り返し観たというわけでもないので、自分にとって印象的なシーン、憶えているシーンのみでお答えしました。

1 おっちゃんのジョーに対する愛情を強く感じたのはどの場面ですか? 

少年院で青山君のコーチになったこと。誰よりも愛するジョーに嫌われることを承知で、あえてあのような行動によりジョーを鍛えようとする姿に心打たれました。逆に言えばジョーのためなら他人をも利用してしまうという鬼のようなことでもやってのけるほど深い愛情なのだと。

2 おっちゃんの優しさが滲み出ている行動、セリフがありましたら挙げて下さい。

優しさ、とは少しニュアンスが違いますが、アニメ版「2」第1話より「ジョー、元気でいるか・・・」ですね。「元気かどうか」を心配するところに愛情を感じます。
グローブに顔を埋めて叫ぶおっちゃんが切ない。

3 「いくらおっちゃんとはいえ、ひど過ぎる!」と感じた場面があれば挙げて下さい。

ありません。
おっちゃんの行動はすべて「ジョーありき」なので、一見ひどいと思えてもそれはすべてジョーのことを思ってのことだからです。子は親の気持ちを理解できないことがあるようにそれがジョーに伝わらなくても、おっちゃんの行動はすべてジョーのためなのですから。

4 おっちゃんの手料理で何が一番食べてみたいですか?

・・・正直、あの毛むくじゃらのゴツい手で作ったものはあまり・・・。紀ちゃんの手料理ならなんでも食べます。

5 おっちゃんが可愛い!と感じた場面があれば挙げて下さい。

男の目から見てあまり可愛いという感じ方はしないので、可愛いというのとは違うニュアンスになりますが、アニメ版「2」で新丹下ジムの落成記念パーティーのスピーチ中に感極まって泣く場面がおっちゃんの心情が出ていて好きです。あの時のおっちゃんの思いは私たちファンの思いでもあったような気がしています。

6 ガラスのような心臓のおっちゃんに度々ジョーからキツい言葉が投げ掛けられますが、一番こたえたジョーからの一言を挙げて下さい。

これはやはり白木ジムでの「能なし」発言ですね。あそこのシーンは、原作よりもアニメ版の方が強烈に心が痛みました。

7 あなたが後楽園ホールへ向かっている途中、なんと前方に段平おっちゃんが一人で歩いている姿が見えます。あなたはどんな行動に出ますか?

私がお酒を飲めれば、その辺の居酒屋に誘いたいところですが・・・。ただただその後ろ姿を見送るだけだと思います。

8 おっちゃんは葉子のことをどんな風に思っていましたか?また紀ちゃんについてはどうですか?

葉子に対して特別な思いはなかったと思います。強いて言えばおっちゃんの理解が及ばないタイプの女性だったのでは?
紀子のことはとても好きだったと思います。下町に育ち、気さくで、何かというとジョーのことを気にかけてくれる彼女はおっちゃんにとっても心休まる存在だったのではないでしょうか。

9 ズバリ、おっちゃんは何歳だと思いますか?

55歳!
今の自分の年齢を考えるに、このくらいであってもらわないと困る(何が?)。

10 最後にあなたからおっちゃんへ熱いメッセージをどうぞ!

おっちゃん、人生において大切なモノってなんだ?
夢を見ること?
それとも夢を叶えること?
聞くまでもないよな、おっちゃん。
アンタの夢は叶わなかったもんな。
けれど、一度は失意のどん底に沈みながら
もう一度アンタは夢を見ることが出来た。
夢を見ることの出来る日々がどれだけ輝いてるのか、
アンタを見ていてよく分かったよ。
おっちゃん、オレはさ「信じれば夢は叶う」って言葉が大っキライなんだ。
夢が叶うヤツなんてこの世にどれだけいるってんだ。
叶わなかったヤツらに価値はねぇってのか??
だけどさ夢を見ることはだれでもできるんだよな。
やっぱ、夢は見るもんだよ。
アンタも言ってたよな。
誰だって夢とか希望ってやつは持っていたいもんだ、って。
けど今の世の中、夢見ることを忘れちまったヤツが多すぎるし
夢を見ることすら許されない連中もいる。
なあおっちゃんよ、夢の見方を教えてやってくれよ。
おっちゃん、アンタは今どこで何してんだ?
オレたちはアンタを必要としているんだ。
早くオレたちの前に出てきてくれよ。
みんな、待ってんだぜ。

11 次にバトンを回される方のお名前を教えて下さい。

思い当たる方がおりませんので、きなこ様にお返しいたします。
ほかに引き継いでくださる方がいらっしゃれば、お願いいたします。

**************************
以上です。

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