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2009年4月

2009年4月26日 (日)

Gキャラ×Post It vol.3 〜哀・戦士/男と女〜

ネタがないので「ポストイット」に描いたガンダムキャラ第3段。
今回は名編続きのシリーズ中盤、映画で言えば「哀・戦士編」に当たるところでそれぞれのエピソードの主役を担った悲運のカップルたち。


Photo_4
“本当の大人”を感じさせてくれた2人。会話のやりとりがいちいちカッコ良かった。
「あんな子が欲しいのか?」「フフ、まさか・・・」


Photo_2
劇中では一緒に登場することはなかった2人。アムロの想像の中で幸せそうに微笑む姿を除いては・・・。


Photo_3
生活のためにジオンの手先となった女スパイと、軟弱者。わずかの間に心通わせ一瞬にして引き裂かれた、恋人とも呼べない2人。

・・・そんなわけでネタなしで苦しい時の穴埋めでした。

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2009年4月18日 (土)

1周年

「これでもよ、感謝してるんだぜ・・・」
090418

と、いうわけでブログ開設1周年の感謝の気持ちを込めてジョーです。
「感謝の気持ち」の割に、荒い絵ですみません。そこで冒頭のセリフとあいなるわけでして・・・。

昨年このブログを始めて、今日でちょうど1年。更新は平均しておよそ3・5日に一度というペースで細々とやってきた。累計アクセス数はいつの間にか2万を超えていたが、1年でこのくらいなら上出来なのだろうか?
ほとんどがひとりよがりの思い出話と自己満足の駄文、そして拙いイラストばかりであり、大した内容もないこのブログを読んでくださってる方には心から感謝したい気分だ。元々粘り強くもない性格の僕がこうやって続けていられるのは、訪れてくださる皆様の暖かいコメントがあったればこそであるが、もうひとつ僕がきっと人一倍自己顕示欲が強いからではないかと思う。自分の考えや思っていることをひけらかしてみたい性格なのだ。自己顕示欲が強いというのは目立ちたがりということ。そして寂しがりということだ。自分のことを人に分かってもらいたい、知ってもらいたくてあれこれやってみるわけだ。そういう欲が消えない限りは続けられそうな気もするが、決して内容の向上は望めないだろう。話題の抽斗も決して多いわけではないので底はすでに見えているが、小出しにしつつ引き続きダラダラと続けていきたいと思っている。

・・・そんなわけで2年目に突入したこのブログ。せめて見た目くらいは変えようとページデザインも変更してみました(と、いっても大したことはしてませんが)。
今後ともどうぞよろしくお願いいたします!


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2009年4月17日 (金)

3086・・・そして無人の荒野へ

イチローがついに3086安打を打ち、張本の記録を抜いた。当たり前のように実にさらりと打ってしまった。今日打つであろうことはほとんどの人が願望も込めて予想していただろう。そして打った。今、イチローについて書きたいことは概ね前回のブログで書いてしまったので、今回は書くことがない。

これからひとり無人の野を往くイチローがたどり着く場所はどこなのだろう。

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3085

イチローが日米通算で3085本目の安打を満塁ホームランで飾った。今さら説明するまでもないが日本出身(“日本人の”ではない)のプロ野球選手として張本勲の記録に並んだ(“日本タイ記録”でもない)。ホームラン、しかも満塁というところで打つあたりさすがはイチロー・・・と全ての日本人が思ったであろう。張本は3000本めの安打をホームランで飾り、その張本の記録にイチローはホームランで並んでみせたということもまた面白い。
昨日はマリナーズに復帰したケン・グリフィーJr.もマリナーズでの通算400号を放ち(アメリカではこちらの方がニュースだろうが)、日米両方の野球が好きな僕にはうれしい日であった。グリフィーに憧れていたイチローにとっても心に残るのではないだろうか。

試合の趨勢はほぼ決まった中でしかも満塁、いわゆる“おいしい場面”である。インタビューでは「当てるのに必死だった」と言ってたが本当は狙っていたはずだ。ファーストストライクのフルスイングがそれを物語っている。ほぼど真ん中のストレートを真後ろにファウルするなど、イチローの技術ではありえないからだ。僕には相当力んだように見えた。ホームランはツーストライク後の変化球だったのでその時点では頭を切り換えたかも知れないが、心は狙っていたと思う。切り替えた頭と狙う心が生んだ完璧なスイングだった。普段は身体の前の方でボールを捉えるのがイチローだが、ホームランを狙って打つときは体重を前に移し切らずに腰を鋭く回転させて身体の近くでバットにボールを乗せるようにして打つ。今日のスイングはまさしくそんなスイングだった。イチローのホームランの軌道は普段はもっと低いのだが、昨日は低めのボールをアッパーで捉えたので打球がかなり上がった。ホームランが出にくいと言われるセーフコ・フィールドであれが入るということはかなり力の入ったスイングだったはずだ。
WBCの決勝打の後、胃かいようでDL入りという衝撃、そしてこの劇的な復活というのはあまりにもドラマチック過ぎる。出来過ぎだと思えるほどに。しかし、これがイチロー流に言えば「持ってる」ということなのだろう。もし今シーズンも200安打を放てば9年連続で大リーグ新記録だし、そこに到達するならその前には自動的に史上最速のメジャー2000本安打の達成もクリアすることになる。8試合の欠場がシーズン終盤にどう響いてくるのか、あるいはそんなことなど忘れてしまうくらいの活躍をするのか、今シーズンもますますイチローから目が離せなくなってしまった。

もう日本にはイチローが背中を追う選手はいない。イチローがこれから歩む道には偉大なるメジャーのマイルストーンが立っているのみだ。そしていつの日か、イチローの名がそのマイルストーンに刻まれる日が来ることを、僕は夢見る。
その夢はベーブ・ルース来日の頃からの日本野球の夢のひとつでもあるはずだ。
イチローが刻む歴史は、長い長い日本野球の歴史がたどり着いたひとつの金字塔なのだ。
彼が歩いてきた道には多くの野球人の夢が埋まっている・・・。

以下、余談。
昨日イチローは・・・というか全メジャーリーガーが背番号42を付けてプレーしていたことに気がついたと思う。しかもネームも入っていなかったのでよっぽどメジャーに詳しくない人は誰が誰だか分からなかっただろうし、なぜみんな42番を付けているのかも(中継を観ていなかった人は)わからなかっただろう。
今日は黒人初の大リーガーとなったジャッキー・ロビンソン(注釈ばかりで申し訳ないが“現在の大リーグ組織では初の”黒人プレーヤー)がデビューした日で、大リーグでは彼がデビューして50周年を記念となる1997年以来、その功績を讃え「ジャッキー・ロビンソン・デー」として毎年全選手が42番を付けてプレーしているのだ(42番は現在、97年当時から42番をつけていて今も現役である選手を除き、全球団で永久欠番扱いになっている)。敢えてこじつけるならば、白人以外はプレーできなかったメジャー・リーグでこうして日本人がプレー出来るのもロビンソンが重い扉を開いたから、と言えなくもない。そんな記念の日にイチローが、それも日本人ではない(アメリカにおける黒人同様に、日本の近代においては差別を受け続けてきた朝鮮民族である)張本の記録に、遠いアメリカの地で並んだということはなんだかとても感慨深い。
それぞれの国で、それぞれの時代に、全く違うルーツを持つ人々がそれぞれの思いを持って野球というスポーツに取り組み偉大な歴史を刻んできたという事実が僕には感慨深いのだ。そういう意味ではイチローは最も恵まれた時代に生まれ、恵まれた環境の中で野球だけに打ち込むことが出来ているぶん幸せなのかも知れない。僕はそういったことを忘れずに野球を観ていたい、観ていかなければ、と思う。

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2009年4月15日 (水)

深キョンドロンジョ様

・・・のつもりなのだが。
2_2

前々回の記事の時に描いた映画版ドロンジョ様は色鉛筆で少しだけ色を着けたのだが、フォトショップを使って、も少しちゃんと色を着けてみた。
もうちょっと色気とかかわいらしさとか欲しいところだが・・・ま、しょーがない。これが実力だ・・・。

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2009年4月13日 (月)

ずっとアニメが好きだった(15)

〜東映アニメーションファンクラブ〜

Photo
「45871」
「東映アニメーションファンクラブ」での僕の会員番号だ。
1979年の3月だったと思う。僕は「東映アニメーションファンクラブ」に入会した。

当時の僕にとって「東映動画」は特別な響きのある制作会社だったが、東映動画(現東映アニメーション)作品の特別なファンというわけではなかった。では、なぜ「東映動画のファンクラブ」に入ろうと思ったか。そのあたりの記憶はかなりおぼろげだ。おそらくは「何かしたかった」のだろうと思う。アニメの魅力にとりつかれアニメの周辺には色々な世界が広がっていることを知り、自分も観るだけではなく何かをしたくなったのだと思う。そこでアニメ制作では最大手の東映動画の主催するファンクラブならその「何か」のきっかけになると思ったのだろう。
本当に何かしたいのなら、同人誌サークルに入会したり自分でサークルを立ち上げたり、イベントに出かけて友人を作るなりやりようがあったろうと今なら思うのだが、それが出来ないヘタレなところが僕という人間であり、今より100倍はヘタレだった中学生の僕にはこれが精一杯だったのだろう。それでも僕は一歩前へ進んだような気がして嬉しかったのだ。
入会費、年会費はなし(これは大きかったと思う)。東映直営映画館の入場割引、ファンクラブ主催イベントへの入場割引、販売商品(キャラクターグッズやアニメ用画材)の割引、東映アニメーションスタジオニュース(これは本来、ファンクラブ向けというわけではなかったようだ)の配布などが主な特典で、サークル(同人や学校のクラブなど)への支援や作品の貸し出しなども行っていた。僕は主に映画館の入場割引やグッズ購入での割引などで恩恵を受けていたが、後は毎月届くニュースを楽しみにしていた程度だった。
東映アニメーションファンクラブに入って良かったと思っていた一番のことは「銀鉄NEWS」だ。「銀鉄」とは言うまでもなく「銀河鉄道999」のことだが、ここでいう「銀鉄」は1979年に公開された映画版1作目のことだ。その情報が「銀鉄NEWS」という形でファンクラブ会員にはいち早く届いたのだ。映画版の情報が最初にアニメージュに掲載されたのが1979年5月号(4月10日発売)だが、僕はこの
「銀鉄NEWS」の創刊号でTVとは違うキャラデザインの鉄郎を3月に目にしていた。そして大人びた鉄郎の姿やハーロックも登場することに興奮し、ただならぬ期待をこの映画版999に抱くことになったのだ。この「銀鉄NEWS」は映画公開までに都合4号が発行されただけだが、僕にとっては大好きな999の情報をアニメ雑誌より早く手に入れられたという思い出深いものだ。その映画版999は期待に違わず素晴らしい作品で、僕にとって最も大切なアニメ作品のひとつとなったのだが、その話はまた別の機会に譲ろうと思う。

News01←「銀鉄NEWS」創刊号。りん監督や小松原作画監督らの談話、冒頭シーンの絵コンテなどが掲載されている。

Photo_2←こんな封筒で届いた

Photo_4←「Toei Animation Studio News」1980年1月1日号。この年公開される「地球へ・・・」が表紙


さて、この「東映アニメーションファンクラブ」、僕は脱会した憶えもなければ「閉会(っていうのか?)」しますという案内をもらった憶えもない。その後もカラー印刷の「ファンクラブニュース」は何号か届いているし「東映アニメーションスタジオニュース」は少なくとも1981年の2月1日号までは手元に残っている。だけども、それ以後のファンクラブと僕自身のつながりについて記憶が全くないのだ。
ただ、僕自身は1981年頃にはこのファンクラブへの興味はすでにかなり薄れていたことだけは確かだ。このころになるとアニメ好きの友人は増え、休日には誰かしらと会ったりアニメのイベントに出かけることが多くなっていた。それにアニメの世界について知識もついてくると、こういった大手よりも個性的な制作スタジオに魅力を感じ、「東映動画」がそれほど特別な存在ではなくなってしまっていた。更に、数々のアニメ雑誌でかなりの情報を得ることが可能になっており、いち制作会社のファンクラブ会員である意味もメリットもほとんど無くなっていた。
そんなだから「東映アニメーションファンクラブ」とのその後の関わりについて記憶がないのも当然と言えば当然なのだ。とは言っても、届いた会報などは捨てないのが僕の性格なので、それが残っていないということはどこかの時点で自ら脱会をしたか、会員が増えすぎて東映側が活動を停止したかのどちらかという気もする。
まあ、記憶などというモノはある部分は異様に鮮明かと思えばその反面いいかげんなものなんだとつくづく思い知るばかりだが・・・。

1979年頃のアニメファンは皆、情報に飢え、仲間に飢えていた。この「東映アニメーションファンクラブ」はそんな時代だったからこそ存在し得たものだったのだろうと思う。アニメとファンの関係がまだまだ牧歌的な時代だったのだ、あの頃は。

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2009年4月 9日 (木)

映画「ヤッターマン」

春休みも終わって映画館も静かになったろうと思い、ずっと観たかった「ヤッターマン」を昨日観てきた。映画化の企画を知ってから、かなり期待していたのだが、これがけっこう楽しめた。
以下は映画評ではなく「感想」である。このヤッターマンに関して、僕個人としては映画の出来不出来はどうでもいい。これは「スピードレーサー」の時と同じ感覚だ。子供の頃大好きだったアニメが実写映画化され、それがオリジナルへの愛とリスペクトに溢れた作品であればそれで満足なのだ(以下、ネタバレ含むので未見の方はご注意のほど)。

アニメを原作として、しかもその世界観やキャラデザインもほぼ変えないで実写化するという挑戦はかなり成功していたと僕は思った。その意味においてはスピードレーサーより徹底している。このテの作品では制作者がオリジナル作品をどれだけリスペクトしているかが重要だが、このヤッターマンは全く問題ない。そして間違いなく本気だったことが嬉しい。
ストーリーは映画のオリジナルだが、見せ方は徹底的にオリジナルを踏襲している。おなじみの「説明しよう!」(天国の富山敬さん、喜んでるだろうなぁ・・・)に始まり、ドロンボー達の3人乗り自転車、そして「おしおきだべぇ〜」(もちろん滝口順平さん)、オダテブタ、「ポチッとな」・・・・などなどアニメをそのまま、まじめに実写へと転化しているのだ。
ヤッターワン出動シーンではオリジナルの主題歌の2009年バージョンが流れる。歌うはもちろん我らが山本正之!まったく衰えのない歌声に胸躍った。後半にはヤッターキングも登場するのだが、ここではオリジナル版後半のOPを飾った「ヤッターキング」の歌が流れる。これをあの甲本ヒロトのザ・クロマニヨンズが歌っているのだ。これがかなりイイ。そしてEDテーマだった「天才ドロンボー」は映画のドロンボー一味が歌い、踊る。
そして、もうひとつオリジナル版ファンへのプレゼントがあるのだが・・・これだけは実際に観て驚いてもらいたいので伏せておこう。

この企画が発表された時点からドロンボー一味を誰が演じるのかが最大の話題だった。そのドロンボー一味はある意味本当の主役だ。この映画の正否はそこにかかっていたが、演じる3人ともなかなかハマっていた。
深田恭子演じるドロンジョは想像通り、オリジナルよりかなりカワイイ。彼女の場合はあのテンションの低さが逆にイイ味を出していた。無理にオリジナルのドロンジョを意識しなかったところがかえって成功したようだ。高飛車なセリフが「らしく」ないところが良かった。ま、僕は深キョンファンなのでかなりひいき目に見ているのを自覚しているため採点は甘くなる。だけど、彼女は元々どこか現実離れしたキャラなので、アニメキャラとは相性がいいのだろう。
ケンドーコバヤシのトンズラーは、過不足なし。ビジュアル的には実は一番オリジナルからは遠いキャラだった。しかしこれは仕方ない。アニメのキャラは最も現実にはあり得ないプロポーションなのだから。
特筆すべきは生瀬勝久のボヤッキー。彼には一番期待していたのだが、期待以上の出来だった。やはり上手い。いかにもアニメ的なギャグキャラをあのテンションで演じられるのは彼くらいのものだろう。しかもそれが愛らしく、ボヤッキー以外の何者でもなかった。あの付け鼻は、最初どんなもんだろうと思っていたが何の違和感もなく受け入れることが出来た。下手に特殊メイクなんかするよりいいかもしれない。
惜しむらくは肝心のヤッターマンを演じる2人の芝居のテンションがイマイチ(実力の問題?)で、アニメキャラを演じるということに照れがあったのかアクションも含め物足りなさが残った。櫻井翔くんも福田沙樹ちゃんも嫌いではないんだけど・・・。あと、全体にギャグがやや滑り気味ではあった。

この映画版ヤッターマンは今まで観たアニメの実写映画化の中では最も成功した例だと僕は思った。徹底的にアニメの世界を踏襲することにこだわり、監督が下手な自己主張もテーマも掲げずエンターテインメントに徹したことが成功の主な要因だろう。元々リアリティーとは無縁のギャグアニメでありCGとの相性も良かった。だけどもやはりオリジナルへの愛とリスペクト、これがなければ表面のスタイルだけをなぞった薄っぺらいものにしかならなかっただろう。
映画はやはり愛だ。


で、映画版ドロンジョ様。
深キョンに似てるかどうかはこの際ナシで(似てないんだけどさ)
Photo_8


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2009年4月 7日 (火)

ずっとアニメが好きだった(14)

〜ガンダム30年〜

1979年4月7日、つまりちょうど30年前の今日、日本のアニメ史のみならず文化史においても重要かつ記念碑的作品である「機動戦士ガンダム」の放送が開始された。当時、ガンダムがこれほど長く支持され続け影響を与え続ける作品になることを想像できた人は唯の一人もいなかったろう。この作品は間違いなく日本のアニメのターニングポイントとなる作品だった。アニメブームのただ中にあって、そのブームをピークに押し上げ、アニメをブームではなくひとつの文化として定着させた作品だった。

実を言うと僕は第1話を1日早い4月6日に観ている。ちょっとコネがあり早く観る機会に恵まれた・・・わけではない。僕が住んでいた関西地方でガンダムは、「ザンボット3」以来の金曜夕方5時という枠で放送されていた。だから関西地方のアニメファンは全国にさきがけて1日早くガンダムを観ていたわけで、関西のファンにとって30周年の記念日は4月6日なのだ。しかし、公式的には4月7日が放送開始日なのでこの記事では今日が放送開始から30周年ということで書いている。

僕は本放送では全話を観ていない。
観たかったけれど観られなかった。当時の僕は中3で、野球部に所属していたため平日の放課後は必ず練習があり5時からの放送にはどうがんばっても間に合うわけはなかった。雨が降っても室内で練習があったのでガンダムを観られるのはテスト期間中で練習がないときだけだったのだ。家庭用ビデオはまだまだ高価であり、当然我が家にはなかった。
だが、幸いにして第1話を観ることは出来た。まだぎりぎり春休み中だったからだ。
この時の僕は後のハマり方からは想像がつかないほどガンダムに期待していたわけではなかったと思う。というのも、第1話の印象をあまりよく憶えていないのだ。後になってあちらこちらで、あの1話がいかに衝撃的だったか語られるのに僕はなぜか強い印象を持っていなかった。おそらく、あの第1話の凄さを認識できてなかったのだろうと思う。ハイレベルな内容についていけてなかったのだ。しかしながら「もう観ない」とも思わなかった。少なくとも面白そうだという印象は持っていたはずだ。
僕が次にガンダムを観ることができたのは第9話「翔べ!ガンダム」だった。舞台はいつの間にか地球に移っていた。ただでさえ難解なストーリーをすっ飛ばしていたにも関わらず、この第9話を僕は「録音」している。つまり久々に観るガンダムを楽しみにし、「記憶」に留めるための準備をし「記録」していたのだ。だからついていけてなくても「観たい」と思わせる作品であったことは確かだったのだ。
この第9話が2度目に観たガンダムだったことは幸運だった。なんせ、あの名台詞「オヤジにもぶたれたことないのに!」で知られるシリーズ前半屈指の名編である。アクション的な見せ場もあり、アムロの最初の転機となる重要なエピソードだ。何より作画が良い。特に、ふさぎ込むアムロとそれをなだめるフラウ、そしてアムロを殴りつけるブライトなどなど、安彦氏ならではの細やかな芝居が存分に発揮されている。録音していた僕は繰り返し繰り返しこの第9話を聴いた。ほとんどのセリフを憶えてしまうほどに。そしてこの9話によって僕は完全にガンダムの虜になってしまった。
その後も飛び飛びで観ることが多く、ほぼ続けて観ることができるようになったのは、中学最後の夏の大会が終わり野球部を退部した後で、アムロが脱走する辺りからだったと思う。それでも受験勉強や学校行事の関係でところどころ抜けてはいたが、その頃になるとガンダムはアニメ雑誌に欠かせないほどの話題を集め始めていたおかげで十分な情報によって足りない部分を補完しながら観ることが出来た。

放送開始からおよそ10ヶ月後の1980年1月26日(関西では25日)放送の第43話「脱出」でガンダムは最終回を迎えた。アニメファンの人気とは裏腹にガンダムは突然打ち切りという憂き目に遭ったのだ。
けれど、ガンダムは僕や当時のアニメファンに大きなものを残した。ガンダムの本当のブームは放送終了後にこそあったのだ。放送が終わってもガンダム人気は衰えることを知らず、再放送が行われ関連出版物が次々と刊行された。アニメ誌上で作品の分析が行われ、こぞって同人誌も作られた。そして、いつしか「映画化」という機運が盛り上がった。ファンの熱意と制作者の熱意、そしてそこに商機を見いだしたメディアや企業がそれを現実のものとした。それこそが今のアニメを取り巻くカルチャーの原点となっているものであり、ガンダムがアニメとファン、そして社会や経済との関係を決定づけたと言っても過言ではないだろう。
何より心地よかったのは、そのブームを自分たちが作っている、支えているという実感があったということだ。そのことはあの時代を体験した世代だけが共有できる大きな大きな財産だ。

僕にとってのガンダムは大好きな作品であるということ以上に、その後の僕自身の生活、いや、もっと言えば人生そのものに大きく影響を及ぼした作品だった。間違いなく。

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