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2009年6月

2009年6月29日 (月)

梅雨・・・

Photo_11昨日、日曜の東京は昼間ずっと雨が降っていた。出かけなければならない用事もなかったので家から一歩も出なかった。家から出なければ雨はとてもいい。雨の音はとても落ち着くのだ。だけど、防音に優れたマンションではよほどの豪雨でなければ雨の音はあまり聞こえはしない。こんな時は生まれ育った家が懐かしい。家の中にいてもすぐに雨に気づけたし、雨が木々の葉を叩く音は耳にとても心地よかった。僕はよくなにもせずただぼんやりと雨を眺めていたものだ。雨上がりにキラキラ輝く緑の色もまた格別だった。
今週は梅雨らしい空模様になるらしい。出かけるには億劫な日々になりそうだが、梅雨は梅雨らしくある方がいい。昔の梅雨ってもっとシトシトと長雨だった気がするが・・・そう思いこんでるだけなのだろうか。シトシト降る雨は案外嫌いじゃないのだが。

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2009年6月25日 (木)

野球博物館50年

「野球博物館」をご存じだろうか。正式名称は「財団法人 野球体育博物館」。野球の殿堂と博物館、図書館などが一体になった施設で、東京ドームの一角に作られている。「体育」という名称が付いているのは文科省の補助金がもらえるとか、税金が免除されるとか、そういった理由からだったと思う。その野球博物館が今年開館50周年を迎えたというので、久しぶりに足を運んでみた。
入り口階段を降りた正面には、記憶に新しいWBCのトロフィーが展示されていた。前回06年大会のトロフィーと今年の二つが並べられており、二つ並ぶとさすがに迫力がある。順路通りに行くと、次に原12球団のユニフォームと主力選手の道具やサインの展示。ここのレイアウトは基本的に変わらないが、ユニフォームや扱う選手はその都度変わっている。その後プロ野球の歴史、野球の歴史、アマ野球の歴史・・・などの展示がありそれぞれの関連収蔵品が展示されている。古い野球道具やイベントポスターにチケット、ルールブックなど野球好きには楽しい場所であるのは言うまでもない。野球の道具で最も変わったのが、グローブであり、ほとんど変わらないのがボールである。バットも基本的な形状にには変わりがないと言っていいだろう。ボールも見た目はともかく「性能」については長い年月の中で進化してきてはいる。ただ、基本的な作りと形状や素材についてはほかの数多ある球技に比べて一番変化がないはずだ。そこが野球というスポーツの普遍性を表しているのだと展示を見ていて思う。
そして一番広いスペースを取っているのが「野球殿堂」である。今年までの殿堂入り表彰者168名と特別表彰4名のレリーフが壁に掛けられている(レリーフの出来にバラつきがあるのが気にはなるが)。プロ野球に限らず、野球界の発展に寄与した人々が殿堂入りしているのだが、知らない人もかなりいる。陽の当たるスター選手や監督ばかりではなく、こうした人たちを後世に伝えていくという理念は素晴らしい(個人的には殿堂入りにふさわしいと思えない人もいるのだが・・・)。
今年は先にも書いたように野球博物館の開館50年という記念の年である。それに合わせた企画展が順次開催される予定だが、現在は「野球殿堂50年のあゆみ」が開催中(7月20日まで)だ。開館当時の写真や新聞記事、殿堂入り表彰式の写真と殿堂入りした方々ゆかりの品が展示されているので興味のある方は出かけてみるといいだろう。

野球博物館は東京ドームのオープンに合わせて移転・拡張されたのだが、それ以前の1987年までは後楽園球場の脇、地下鉄丸ノ内線の後楽園駅に近いところにあった。僕は大学時代に一度だけ訪れたことがある。シーズンオフの平日とあって、来館者はほとんどいなかった。今でこそ後楽園駅周辺は再開発によって賑やかになっているが、当時(25年前)は後楽園球場の裏口といった感じであった。しかし、その寂れた雰囲気が当時のこの博物館には妙にマッチしていた気がする。館内もあまり明るくなく、だけどもそこここに野球の匂いを感じることができる落ち着いた雰囲気だった。おそらくは本当に野球が好きな人だけが訪れる場所だったのだろうと思う。今は東京ドームの一角に移り入場者は増えたに違いないし、気軽に入れるという意味では良くなった。しかし、訪れる人はまばらであっても個性的な、独立した建造物だったかつての野球博物館を懐かしく思うのは僕だけではないと思う。

Photo_450年記念の復刻チケット。当時の建物の外観が描かれている。


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入り口(左)とWBCのトロフィーふたつ


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名投手・杉浦忠のレリーフ。博物館開館の年、38勝を挙げ日本シリーズ4連投4連勝でMVP。個人的に全盛時の投球を見たい投手の筆頭。

Photo_3松坂のユニフォームとベーブ・ルース来日時のポスター。この時結成された日本チームが後の巨人軍の元になった。それから75年、日本野球は大リーグに肩を並べた・・・のか?


02「鎮魂の碑」。太平洋戦争に散ったプロ野球選手の慰霊碑。東京ドームに背を向けるようにひっそりと建っている。かつては博物館の入り口付近にあった。なぜ、これをもっと人目に付くところに移設しなかったのかが分からない。そういうところが日本のプロ野球のもっともダメなところだ。

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2009年6月24日 (水)

ずっとアニメが好きだった(17)

赤毛のアン(3)〜アンの声優たち〜

Photo

前回のアンの記事から随分と間が空いてしまったが、今回は締めくくりとしてアンに出演された素晴らしき声優陣について簡単に触れておきたい。

アンは日常的な会話を主体として物語が進む。ロボットアニメのような叫びもなければ魔女っ子もののように呪文をとなえたりもしない。その分当然、声優さんたちの芝居についても、より自然で高度なことが要求される。それは作画上も難しいものだったと思うが、同じように声だけで日常的な芝居をするというのはかなり大変だったに違いない。アンのムック本を読むと、アフレコ時にはほとんど絵がなく自分のセリフの間は線を見てしゃべっていたという(役柄によって線の色が分かれており、例えば「赤の線=アン」であれば、赤い線が画面に見えている間はアンの声優さんがセリフをしゃべる。絵の完成が間に合わない場合はよく行われていた方法。最近のアニメがどうなのかは知らない)。声優さんたちは絵コンテで事前に画面のイメージを説明されていたというが、それでいてあれほどに見事な芝居がよくできたものだと感心する。

アンの主なキャストをざっと紹介しておくと・・・
アン=山田栄子、マリラ=北原文枝、マシュウ=槐柳二、ダイアナ=高島雅羅といった面々がほぼレギュラーといえる人たちだ。マリラの親友、リンド夫人には大ベテランの麻生美代子、そしてアンの友人たちに、高木早苗、高坂真琴、堀絢子、青木和代、塩屋翼、井上和彦といった面々。アンの人生に大きく関わるステイシー先生に鈴木弘子、現代的な若い牧師に曽我部和行、ダイアナの母に武藤礼子、妹に小山まみ(現:茉美)、そしてナレーションに羽佐間道夫といった実力のある人たちが配されている。

僕にとってアンの声優陣で最も印象深いのがナレーションの羽佐間道夫とマリラ役の北原文枝である。
子供番組に男性ナレーションを起用するのは異例だったが、子供に読み聞かせるような「ですます調」ではないナレーションは、作品の対象年齢を上げ大人の鑑賞にも耐えうる格調高いものにしていた。アンのナレーションは極めて第三者的であり、アンやほかのキャラに寄ったものではなかった。つまり羽佐間のナレーションは高畑監督の分身であったのだと思う。高畑の演出姿勢が羽佐間のナレーションとして作品世界を表していたのだと僕は思っている。コメディー映画の吹き替えのイメージが強い羽佐間だが、落ち着いた品の良い淡々とした語り口はさすがであった。

アンのキャストはその誰もがほかに考えられないくらい見事にぴったりな人ばかりだったが、中でもマリラ役の北原文枝はもう絶対どんなことがあってもほかの人ではダメ!というくらいに素晴らしかった。
マリラというキャラは作中では最も複雑なキャラだ。保守的で頑固だが、責任感がありしっかり者で家事全般に長けている。オシャレとは縁遠いが清潔であることを大事にしている。アンに対して深い愛情を抱いていても、それを簡単に表すことはない。厳格にしつけをするが、融通が利かないほどでもない。そんなマリラの心情を場面場面に応じて演じ分ける北原さんの演技力はまさに「圧巻」のひと言である。そしてアンが成長するにつれて丸くやさしくなり、そして老いてゆくマリラの変化を実に自然に巧みに演じていた。小さくつぶやくようなセリフも、アンをどやしつける声も、諭すような話し方も、マリラという女性が実在したならきっとこんな風に話すのだろうと思えた。いや、マリラが実際に話していると思えるほどだった。
北原さんはアニメの出演経験がほとんどなかったらしい。そして、アンの録音現場では絵がほとんど完成していなかったことが良い方に作用したのではないかと思う。絵によるキャラへの先入観を持たず、また絵に合わせるというテクニックを考えずに芝居に集中できたことが、北原さんの良さを遺憾なく発揮する結果に繋がったのではないだろうか。

もちろん、この2人だけでなく全ての出演者が素晴らしかったことは言うまでもない。
アン役の山田栄子は初のアニメ作品にして主役という大役だった。僕は「なんて変わった声なんだろう」と思った憶えがある。決して美声ではなく、少し鼻にかかったような声で、しかし妙に印象に残る声でもあった。それまでに聴いてたどんな声優の声とも違っていて、それがまた個性的なアンののキャラデザインに妙にマッチしていて、あまり適切な言葉は浮かばないが、なんていうか「初めて観るタイプのアニメに出会った」ような不思議な感じだった。山田は決してこなれた感じではなかったが、その硬さが逆に物語当初のアンの不安な心境にマッチし、アンの成長と山田の声優としての成長がシンクロしていたように思う。
マシュウ役の槐(さいかち)柳二は、当時すでに50代ではあったがしわがれ声のため若いころから老人役が多かったという。おなじみとなったマシュウの「そうさのう・・・」という口癖にはその場面場面で微妙なニュアンスの違いがあり、槐はそれを実に見事に演じ分けていた。口数が少なく照れやのマシュウはセリフにならないセリフというか、息をのんだり言葉に詰まったりということも多く、その息遣い一つ一つが見事しか言いようがなかった。優しさと慈愛に満ち、しかし頑固な一面を持ったマシュウという人物を見事に演じきった槐さんが、あの「レレレのおじさん」だったというのを知ったときはビックリしたものだ。

アンの放送終了後1年も経たないころ、ショッキングなニュースがあった。それはマリラ役の北原文枝が急死したというニュースだった。自宅の窓をふさぐ木の枝を折ろうとして窓から落ちたという。「アン」での芝居が記憶に新しい時期だったので、本当にショックだった。
「アン」が始まったころ、僕は北原文枝という名前は知らなかった。だが、どこかで聴いた声だとは思っていたら、キャスティングを見た母が「奥様は魔女」でサマンサの母親である魔女の役をやっていたということを教えてくれた。ああ、なるほどあの声かと納得した。小さいころに親しんだ声の主が、今こうして大好きな作品に出演しているという、そのことだけで僕は北原さんに対して一気に親近感を持つようになっていたのだ。
亡くなられた当時、まだ60歳。「アン」の後にも、もっと多くの作品に出演されたであろう事を考えると本当に残念でならない。

Photo_2
北原の急死は当時、新聞でも大きく取り上げられた(1980年10月5日付の読売新聞)。女優としての知名度が高かった証だろう。


「アン」について3回に渡って触れた。ちょっと書きすぎだとは思う。たまたま最近再見する機会があったためさらに印象が強かったためだろう。だけど、改めて観てやはり後世に残る名作であるという思いはますます強くなった。そこでちょっと当時のアニメージュを見返してみた。
「アン」が放送された1979年のアニメは名作揃いだということは再三書いているが、当時のアニメージュでは始めて「アニメ・グランプリ」として読者投票を行っている。1980年2月号で結果が発表されているのだが、「アン」は20位にも入っていないことに驚いた。1位の「ガンダム」と2位の「999(映画)」は当然としても、この名作が20位にも入っていないとは・・・当時のアニメージュの読者層の好みがいかに偏っていたかということになるのだろうか?
アニメージュも放映開始前後は、割と頻繁にアンを扱っていたが後半になると特集記事はほとんどなくなっていった。当時のアニメファンが飛びつきそうな話題が中心になっていたようだ。
ブームに乗っかるような作品ではなかったが、観た人の心に何かを残した作品だったことは確かだろう。

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2009年6月17日 (水)

連邦のV作戦をキャッチ

G1G_5連邦軍の新型モビルスーツがほぼ完成した模様である。これがかねてから噂される「V作戦」の一部であることはほぼ間違いないと思われる。詳細なスペックは不明だが、全長は我が軍のザクに匹敵するサイズはあるようだ。武器らしきものは見当たらない。衆人の目にさらされる場所に堂々と置いてあるところから、連邦は一般市民に対し、あくまでも平和利用のモビルスーツであると説明しているようである。目立つカラーリングであるのもそうした説明に説得力を持たせるためのカムフラージュであろう。来月中にも何らかのイベントが連邦主催で行われるとの情報もあるが、これがこのモビルスーツに関係したものであるかは不明。自分は引き続きサイド7にとどまり、可能な限り監視を続ける。

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・・・てなわけで完成に近づきつつある実物大ガンダムを見てきた。カッコイイっす!思ってた以上にカッコイイ。今にも動きだしそうである。立ち姿も美しい。ガンプラのデザインノウハウが生かされ、細部まで作り込まれていてアニメのデザインを損なわずにリアル感が出ている。
周辺はまだ工事用の柵で覆われているので足元は見えないのだが、それでもかなり間近で見られる。今日は平日だったが、それなりに人は集まっていてみなうれしそうに、そして楽しそうにガンダムを見上げていた 。 正式公開は7月11日だが、その日はどんな騒ぎになG_7るのやら・・・。混乱を承知でG_9見に行こうかと思っている。 G_11

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2009年6月 7日 (日)

ペンタブで描いてみた

Jk0905_2先週購入したペンタブに慣れるために、とりあえず描いてみた。

以前の記事「なんやかや」にアップした絵を下絵にしたので、イチからペンタブで描いたというわけではないが・・・。この下絵は仕事場にあるペンタブで描いたラフを元に改めて鉛筆で描いたものだ。


Jk090601_2
その仕事場のペンタブで描いたラフから、そのまま仕事場で線をクリンアップしたものがこちらのイラスト。色は自宅で着けた。服装は意図的に夏服と分けて描いたが、同じラフを元にしていても顔の感じや身体の傾きなど微妙な違いが出ている。こういう線のニュアンスの違いというのは意図したものではないが、やはりけっこう違いが出ているものだと実感。同じ顔を描いたつもりだったのだが、自分の感覚というのは信用できるようでできないものである。

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2009年6月 5日 (金)

ペンタブ購入!!

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かねてより懸案(なんの?)だったペンタブを購入した。マウスでの作業に馴染んでいたしさほど不便でもなかったのだが、ペンタブならではの利点も侮りがたく気持ちは購入へかなり傾いていた。
で、3日に決意し、新宿のビッ○カメラに買いに行った。持ち帰ったあと、すぐに箱は空けず夕食を食べてからゆっくりセッティングしようとしていたのだが、いざセッティングしている途中でiMacにつなぐためにはケーブルアダプタが必要なことに気づく。さて、今からまた新宿まで出て行くのもかったるい、かといってこのまま翌日まで何もしないのはイヤだし・・・と考えていたところ近所にコ○マがあったことを思い出す。確か遅くまで営業していたはずとすぐにネットで調べたら午後10時まで。まだ余裕だったのでチャリを飛ばして行き、アダプタを探すも置いてない。Mac本体は販売しているが周辺機器などは全然充実していない。店員の態度は悪いしサイテーだったな、コジ○は。
ムカつきながら家に帰って、どうしようかと考えあぐねていたら吉祥寺のヨドバ○カメラのことを思い出した。営業時間を調べたらここも10時までやってる。あと1時間以上あるし、あそこなら僕が買ったペンタブも置いていたし絶対大丈夫だろうと思い、またもチャリで吉祥寺まで飛ばした。
さすがに天下のヨ○バシはちゃんと置いていた。これで一安心。こんな時は都会に住んでいて良かったと思うのであった。
さっそく家に帰って接続・・・と行きたいところを我慢して、チャリでかいた汗を流すために風呂へ入ってから改めて落ち着いて接続したのであった。

僕が購入したのは、ワコムの「Cintiq12WX」。液晶画面にペンで直接描画できるタイプのものだ。作業画面は12インチと小さいのだが、僕の狭い机にはちょうどいい。それに画面を見つつ手元でペンを操作するというのが、何度やっても慣れないのでどうしても直接描画できるタイプが欲しかったのだ。
モニタ一体型のiMacにつなげれば、ちょうどマルチモニタになるので、ペンタブでディテールを描きながら、iMac本体で全体をプレビューしながら作業できるのでとても便利である。

ちょっと高い買い物ではあったが、いいオモチャを手に入れた気分である。

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