アニメ・コミック

2009年12月30日 (水)

さよなら2009年

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2009年の終わりが近づいた。

この1年はとてつもなく早く過ぎたような気がする。まあ、大体が歳をとってくると一年一年というのが早く感じるものだろうけど、今年は本当に誇張なしにあっという間の1年だった。
年始めにはちょうど30年前の1979年に出会った素晴らしいアニメ作品について、このブログで触れるつもりである、なんてことを書いたのだが、実際はほとんど書くことができなかった。年の初めには1年という時間はものすごく長い気がしているので「いくらでも書けるな」なんてタカをくくってたわけだ。で、実際はこのていたらく。時間がなかった・・・ってことではなく単にサボってただけである。ヒマな時間ほどダラダラしたくなる生来の怠けグセゆえだ。
ま、そんなわけで結局2009年も、無為に人生を浪費したのみであった。

そんなわけで、せめて1年の終わりにその30年前に夢中で観ていたアニメ「マルコ・ポーロの冒険」の主人公マルコを描いてみた。人生を浪費することのなかった人物。僕が東京でダラダラ過ごしてきたのとほぼ同じ年月を命がけで旅した男だ。
そして、この作品についてはまた改めて触れることになるだろう(例によってまたいつのことになるやら、だが・・・)。

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ここを訪れてくださる皆様、今年一年ありがとうございました。
相変わらず宇宙の辺境ブログですが、今年後半からほんの少しですが1日平均のアクセス数が上がってきました。やってることはなんも変わらず、、、でありますがそれでもなんとなくうれしいものであります。
来年は21世紀もすでに10年目に入ります。
世の中が少しでも良い方向に動いてくれることを願っています。

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2009年12月27日 (日)

古代雪38歳?

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「復活編」では、ほとんど出番のなかったユキ。
動きのあるシーンは艦の爆発で服が破けるというサービスショット(?)のみ。あとは写真の中、そして声のみだった。その声も麻上さんではなかった。
麻上さんが出演されなかった経緯は色々あったようだが、ファーストシリーズからのファンとしてはやはり残念だった。富山さんと違ってご健在であり相変わらず美しい声をされているのだから。母になったユキの声を今の麻上さんがどのように演じられたか聴きたかった。

今年も残すところあとわずか。
この年末の僕は、こころの中のかなりの部分をヤマトに占領されてしまっていた。
復活編そのものは楽しく観ることはできたが、僕にとって特別な作品とはならないだろう。そして、そのことはオリジナルのTVシリーズ「宇宙戦艦ヤマト」と、その続編であり本当の完結編になるはずだった「さらば宇宙戦艦ヤマト」が僕にとってどれほど特別な作品であったかを改めて教えてくれたのだ。
復活したヤマトも僕は受け入れる。だが、そうすることで30年以上も前に観た「ふたつのヤマト」への思いは余計に大きくなるのだ。


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2009年12月19日 (土)

古代進38歳

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「復活編」の艦長服を着た古代進。沖田艦長のような艦長服ではなく、おなじみの艦内服の上にコートを羽織るようなタイプのものだ。

今回の復活編、古代のキャラデザインも声も僕は問題なく受け入れることが出来た。
湖川さんのキャラ&作画、そして山寺さんの声、良かったと思う。
古代の顔はちゃんと古代だったし、大人になった古代の声として山ちゃんは十分な存在感だった。

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2009年12月12日 (土)

「宇宙戦艦ヤマト 復活編」公開!

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「宇宙戦艦ヤマト 復活編」初日の初回上映に行ってきた。

僕が観た映画館はシネコンだったのでロビーには当然ほかの映画の客も大勢いたのだが、予想通りヤマトの観客はあきらかにそれと分かる匂いをプンプンさせていた(なんでオタクってのは雰囲気でわかるんだろうなぁ・・・かく言う僕も他人から見れば、そうなんだろうか・・・)。中にはその筆頭とも言える存在である評論家の氷川竜介氏の姿もあった。

まず最初にお断りしたいのは、映画評ではないということ。ヤマトファンの僕の「感想」であるということだ。いや、映画についての感想というよりは、今日のこの日をどんな気分で迎え、そして過ごしたかというだけの話だ。映画の内容や出来・不出来についても今回は触れるつもりはない。
だからネタバレも含まないのでご安心を。

で、感想をひと言でいうならば「ヤマトはやはりヤマトだった」に尽きる。
これは間違いなくヤマトの映画だった。最初のTVシリーズから早や35年が過ぎ(映画の設定上は完結編の17年後)世の中がこれだけ大きく変化し、アニメを取り巻く環境もファン気質も何もかもが変わった中で、ヤマトは相変わらずヤマトとして僕らの前に再び(映画としては五たび、か)姿を現したのだ。僕のような“リアルタイムヤマト世代”は、それだけである意味充分だったりするわけだが。

「地球を守る」

ただその一点においてのみ存在理由を持つ宇宙戦艦ヤマト。それは最初の航海から変わることがない。そしてその使命と信念になんら疑問を抱くことのない熱くまっすぐな古代と部下たち。ストレートで熱いセリフはヤマトならではであり、普通なら気恥ずかしいような言い回しもヤマトならすんなりと心に入ってくる。外連味があるようなのにそう感じないのは作り手がヤマトを信じているからなのだろう。作り手の世代というのもあるのかも知れない。人生の目的や信念、そして自信を持ちにくい世の中にあってはアナクロと笑われるかもしれないが、これがヤマトなのだ。逆にこんな時代だからこそ、ブレることのないヤマトの世界観は大きな意味を持つのかも知れない。「地球を守る」という点に於いて今回のヤマト復活編は、最初のTVシリーズにその精神が最も近い作品だったように思う。

物語が、僕が認めたくない「完結編」の続編だというところに正直わだかまりは残るのだが、そのわだかまりも長い年月を経て随分薄れたと思う。最初のTVシリーズを観たときのようなドキドキ感、「さらば」を観たときのような強い思い入れや切なさもなく、落ち着いて淡々と、だけど決して冷めていたりひねくれてもいない目で僕はスクリーンを観ていた。この感覚をどう表現すればいいのだろう・・・感慨深いというのとも違う、懐かしさでもない、何かこの復活編を今日この場所で観ることになるのがずっとずっと昔から決まっていたようなとても不思議な気分だった。あんなに「新しいヤマトはもう観たくもない・・・」と思っていたのがウソのように。

「さらば」の後、続編が次々と作られていたころ、僕(やファンの多く)は西崎氏が金儲けに走っていたと感じていた。そしてヤマトの新作が作られるたび、ヤマトと僕の心が汚されていくような気がしていた。だけど、物事はそんな単純なものではないと今では分かる。西崎氏を一方的に批難していた気持ちも今はすっかりなくなった。彼ほどヤマトを愛し、ヤマトに全てをかけたきた人物はいない。その情熱には心から敬意を表することができるし、うらやましくもあるくらいだ。
このブログにたびたびコメントを寄せてくださるまりあさんと今日の上映後にお会いすることができ1時間ほどお話をした。まりあさんも僕同様にヤマトに複雑な思いを抱き続けていた方だ。自分はヤマトファンであることを公言しづらかったこと、ヤマトを茶化されたりしたくないためアニメ好きの友人とですらヤマトの話をできなかったことなどヤマトに関しては常に孤独だったといったような話をした。そしてヤマトが僕にとってもまりあさんにとっても同じように特別な存在であることを感じることができた。同じような人たちが日本全国にいるのだろう。こんな話ができたのも復活編あってのことだ。だから、今またこうしてヤマトを復活させてくれた西崎氏には心から感謝している。

ヤマトが観られるというだけでテンションが上がりっぱなしだったのは30年以上も前のことだ。あの頃はヤマトそのものが時代の象徴であり、時代の特別な存在だったが、多様化がここまで進んだ現代に至ってはヤマトも数ある映像コンテンツのひとつでしかない。マスコミでの取り上げられ方からもそれは分かる(寂しいことではあるが)。アニメ映画で万人向けと呼べるのは今やジブリ作品くらいになってしまった。かつて多くの人が熱狂したヤマトも、今回の復活編は僕ら「ヤマト世代」をコアターゲットにした作品であるのは間違いない。
今再び、あの頃の再現を願うのは無理な話だろう。初日の初回に行くことで、ほんの少しそんなことも期待してはみたけれど・・・。
だけどそれでいい。あの夏の輝きはあの夏だけのものなのだから。

わだかまりも複雑な思いも小さくなりはしたが永遠に消えることはないだろう。けれども、僕は今回の復活編を心から歓迎できるようになった。そんな思いもヤマトを好きであるがゆえであり、それも含めてヤマトが好きなんだということを復活編公開までの数ヶ月間に改めて思えるようになったからである。
ヤマトのロケットアンカーは僕の心の奥底に深く突き刺さったまま抜けない。だから、ヤマトの行く先には僕の心もくっついて行かざるを得ない。その先に何があっても、僕はヤマトの航海を追い続けることになるのだ。

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2009年12月 9日 (水)

ヤマト復活まで、あと2日

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・・・と、いうわけで先日観た「さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち」より。いつ観ても一番泣けるシーン。死んじゃった斉藤の顔が上手く描けてません・・・。
真田さんは復活編にも出るんだけどね(うれしいけど、やっぱ複雑・・・)。

世間では意外なほど静かだが、ファンの間では盛り上がっている(はずの)「宇宙戦艦ヤマト 復活編」。先日はTBSで深夜にひっそりと宣伝番組と劇場版第1作が放送され、同じ日にCSのファミリー劇場でも岡田斗司夫と山寺宏一がヤマトについて語る番組が放送された。また、11日深夜にはCSのヒストリーチャンネルでも「ヤマトと生きた時代」が放送される予定だ。
ファミリー劇場では劇場版ヤマト全作品の放送もスタートしている。
8日夜には「さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち」が放送された。DVDも持っているし、翌日朝早いから観る必要はなかった。なかったのだが、観てしまった。ヤマトという作品について複雑な思いがあることはこれまで何度も触れている。だけど、それは深い愛情と思い入れゆえのことだ。だから、今まさにこの時間に放送しているというのに観ないなどということはできようはずもなかった。

そして、泣いてしまった。
ある時期僕は、とてつもなく感動したはずのこの作品を観ても泣けない時期があった。その理由は「ヤマト」と僕がが歩んできた道、つまり「さらば」で終わるはずだったヤマトの“その後”のせいであることは言うまでもなかった。だけど「完結編」公開からすでに4半世紀も経った中で僕の心も少し変化したのかもしれない。公開当時と同じというわけにはいかないけれど、素直に楽しみ、そして泣くことができた。涙の半分は31年前の気持ちが流させたものだったと思う。ずいぶんと時が流れたんだなという思いがヤマトに熱狂した暑い夏を思いださせてくれた。それだけの月日を経て来た自分がどれだけヤマトを好きかということを再認識させ、ヤマトへの複雑な思いすらも氷解させてくれるほど熱い涙のような気すらした。
僕は「さらば」を観てひさしぶりに素直に感動できたことが嬉しかった。

今度の「復活編」は「さらば」とはつながりのない世界の物語だ。と、言うより「さらば」だけが、ほかのその後のヤマトの世界とつながりのない番外編のような作品に結果的にはなってしまった。だからと言って「さらば」が色褪せるわけではない。むしろ「さらば」がより特別な作品となっていると言っても良いだろう。31年前の真夏、日本中のアニメファンが待ちこがれた作品がそこにあったこと、その熱をリアルに体験できたことによって「さらば」はいつまでも僕の中で特別な輝きを放ち続けるのだ。

3日後の12月12日、ヤマトは復活する。
今は「復活編」を素直に楽しみに思えるようになった。今後も複雑な思いは薄れつつあっても、永遠に消えはしないだろう。だけどそんな思いも含めて「ヤマト」は僕にとってとびっきり特別な存在でありつづけるのだ、永遠に。

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2009年11月29日 (日)

響子さん、好きじゃぁ〜っ!!!

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と、いうわけで「めぞん一刻」です。10何年、いや、20年ぶりくらいに全15巻を一気に読み返した。いや〜、やっぱ面白かった。

僕が10代後半から20代前半にかけて最もハマった漫画であり、各巻の奥付を見返してみたら第1巻以外は全て初版本を購入している。「めぞん」は当時創刊したばかりの「ビッグコミック・スピリッツ」の看板連載だったが、僕は連載では読んでおらずおそらくはどこかで評判を聞いて第1巻を購入したのだと思う。その後も連載には目もくれず、単行本が出たらまとめて読んでいた。2巻以降すべて初版を買っていたとは自分でも驚きだが、それだけ楽しみにしていたということなんだろう。

「めぞん」を読み返して改めて感じたのは「幸せなモラトリアム」ということだ。

主人公の五代は苦労ばかり背負い込み、いつもいつも大変な思いをする(本人の責任もあるけど)。でも、彼は大好きな響子さんと一つ屋根の下に暮らしているし、迷惑でおかしな人たちだけどかまってくれる隣人たちがいる。慕ってくれる女の子もいるし、恋敵もいればちゃんと悪友もいる。少なくとも孤独ではない。つまり五代は決して不幸ではなくむしろ幸福なのだ。だから彼が毎日考えていることといえば、どうにかして響子さんと「うまくいく」ことだけだ。それだけを考えられる日々なんてどれだけ幸せであることか。
一方の響子さんは死んだ旦那さんを忘れられないでいるけれど、自分を好いてくれる男が身近に2人もいる。どちらも嫌いではないけど、亡くなった夫へ操を立てる気持ちもあってか、態度をはっきり決められないでずるずると結論を先延ばしにしている(読者には五代の方を好きだと分かるように描いてはいる。特に中盤以降は)。だけど五代や三鷹、そして一刻館の変な住人達に振り回されながらも日々の生活に充実感を持って生きられるようになり、悲しみも薄れてゆく。彼女も、そうした「幸せなモラトリアム」を日々生きている。

恋愛の何が楽しいって、自分が誰かを好きになるということ自体がまず楽しい。そしてその思いを相手にいかにして伝えようかと考えることが楽しい(しんどいことも含めて楽しい)。相手が自分のことをどう思っているのか、探りを入れながら会話したりするのが楽しい。自分の好きな相手が自分に気があるかも知れないと思えるようになり、少しづつお互いの心に触れ合っていくことがまた楽しい。そうやってお互いが本当に好きだと確認できるまでの期間(あるいは決定的にフラれるまでの期間)、ジリジリ、ドキドキしながら色んな事を考えているのが何より楽しいんだと僕は思う。それが「幸せなモラトリアム」ということだ。「めぞん」は15巻に渡って、その「幸せなモラトリアム」を描いているのだと思った。
僕の若い頃に「モラトリアム人間」という言葉が流行ったが、それは、もう一人前の大人にならなければいけないのにいつまでも大人になろうとせずお気楽な身分に甘んじていたがる若い連中のことだ。もちろん否定的な意味で使われていた。「めぞん」もモラトリアムな人たちの物語だ。だからこそいつまでもそうではいられない現実の中で、ある意味ユートピアとも言える物語世界に惹かれたんだと思う。


「めぞん」連載時、僕は主人公の五代とほぼ同世代だったので、けっこう感情移入をして読んでいた(幸いにして僕は浪人もせず就職もすんなり決まったけど)。僕も田舎から東京へ出てきて、風呂なしトイレ共同のアパートに暮らしていたのだが「一刻館」のように美人の管理人もおかしな住人(迷惑なだけの住人はいた)もいはしなかった(当たり前だが)。だけど、少しは住人同士の交流やお付き合いなんかもあるんじゃないかと上京前には思っていたがそんなものは欠片もなかったのである。まあ現実なんておおかたそんなもんだし、あったらあったで煩わしく思っていただけかもしれない。
大学時代は社会的に認められた最後の「モラトリアム」だ。高校時代ほど学校にも勉強にも縛られないし、僕のように親元を離れていたら親からも自由だ。社会的責任もない。毎日の生活はすべて自分次第。何よりも人間関係の自由さは大学時代ならではだった。思えば本当に現実と向き合ったのは就職活動を始めてからのことだった。それまでの時間は本当に気楽だった(当時は4年の夏からが就職活動の本番だった)。いや、それでも当時は当時なりに色々思い悩んで苦しんではいたはずだけど今から思えばそんなことで思い悩んでいられたことが、どれだけ幸せだったのかということを感じないではいられない。結局その頃の僕にとっても最も重要だったのは好きな女の子のことでしかなかった。

「めぞん一刻」は、そんな人生で最もお気楽で幸福だった時代を僕に思い出させてくれる作品なのだ。
ほんの小さな胸の痛みとともに・・・。


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当時の「ビッグコミックスピリッツ」新聞広告。こんなもんまで取っておいてたんだ、オレ・・・。

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コチラは庭掃除の時は髪を束ねてることが多かったかなと思い、描いてみた髪束ねバージョン。

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2009年11月24日 (火)

作詞家・丘 灯至夫さん亡くなる

舟木一夫のヒット曲「高校三年生」の作詞で知られる丘 灯至夫(おかとしお)氏が亡くなった。92歳だった。
「丘 灯至夫」という名前を聞いてピンと来る人は少ないと思う。「高校三年生」ですら僕が生まれる前年のヒット曲だから、僕がものごころついた頃にはすでに世間では「懐メロ」に近い扱いの歌だった。
かく言う僕も「オカトシオ」と音で聞いてすぐにピンとは来なかった。だけど「丘 灯至夫」という漢字には見覚えがあった。それは子どもの頃毎週のように見ていた文字だった。それは大好きだったアニメのスタッフ・クレジットで流れていた。丘さんの書いた歌に僕は(いや僕らの世代は皆、間違いなく)小さい頃から親しんでいたのだ。

その親しんできた歌とは、

♪クシャミひとつで呼ばれたからは それが私のご主人様よ〜♪ 

・・・で始まる、おなじみ「ハクション大魔王の歌」である。そのエンディング曲「アクビ娘の歌」やおなじくタツノコ作品の「みなしごハッチ」「紅三四郎」など(「カバトット」なんてのもある)も丘さんの作詞である。毎回毎回番組のOPやEDで見る「丘 灯至夫」という文字は、読み方は分からなくても「カタチ」として頭に刷り込まれていた。だから今日の訃報に接したとき、僕はそれが誰であるか分かったのだ。

丘さんの代表曲である「高校三年生」はあまりにも有名なので僕より若い人でも聞いたことはあるかもしれない。だけど、同じ丘さん作詞で歌も同じく舟木一夫の「涙の敗戦投手」という歌はあまり知られていないと思う。これは昭和39年に発表された歌で、直球ど真ん中ストレートな内容である。

みんなの期待 背にうけて
  力のかぎり 投げた球
  汗にまみれた ユニフォーム
  だけど敗れた 敗戦投手
  落ちる涙は うそじゃない

フルコーラス聴きたい方はコチラ

曲調と言い歌詞の内容と言い、いかにも古めかしいが僕はこの曲が好きだった。高校野球の「心」を歌った名曲だと今でも思う。
この歌を初めて聴いたのは小6のころだったと思う。ある年の夏の甲子園が終わった直後に放送された、過去の大会を振り返る番組のBGMに使われていたのだ。僕はその番組をたまたま録音していて何度も繰り返し聞いて、この歌を覚えた。だけど当時はBGMで使われただけなので「高校三年生」というタイトルも歌手も知らなかった。ただなんとなく曲調が「高校三年生」のようだし、声も舟木一夫に似ているなぁとぼんやり思っていた程度だった。随分長い間この歌のことを思い出すこともなかったのだが、たまたまこの夏、別の高校野球をテーマにした歌のことを調べていたときに思い出して調べてみたら「高校三年生」と同じ、丘 灯至夫:作詞、歌:舟木一夫(作曲者は別)だということを知ったのだった。いつか、この歌についてもブログで書こうと考えていたところに今日の訃報であった。

今日の丘さんの訃報を聞いて、アクビちゃんやハッチを思い浮かべる人は少ないだろう。だけど、日本中でこれらの歌を聴いて育った人はたくさんいて、今日もどこかのカラオケ店で歌われているに違いない。

♪ゆけゆけハッチみつばちハッチ とべとべハッチみなしごハッチ♪

丘さんと縁もゆかりもない人が、丘さんの作った歌ということも知らずに今日も歌っている。なんとも不思議で素晴らしいことだ思う。丘さんにとってもそれは何よりも喜ばしく、そして「歌」そのものにとっての幸せであるに違いないと、僕は思う。。

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「ハクション大魔王」と「紅三四郎」

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2009年11月11日 (水)

森繁久弥氏逝去

俳優の森繁久弥氏が96歳で亡くなられた。天寿を全うしたといえる大往生である。
森繁氏のことを僕があれこれ書くまでもないだろう。数々の映画やドラマ、舞台で活躍されてきて、その足跡の大きさは全ての日本人が知るところである。

森繁氏は数少ないながらもアニメに声優として出演している。
日本初の本格的カラー長編アニメ映画「白蛇伝」(1958年)で宮城まり子と2人で、すべてのキャラの声を演じるという離れ業をやってのけた。そして1997年の大ヒット作「もののけ姫」では猪の長「乙事主」の声で重厚な演技を見せている。宮崎駿は白蛇伝を観てアニメへの道を志したと言われているが、もののけ姫での森繁氏起用の根底には白蛇伝への思いがあったのではないかと思う。
ほかにも、僕は未見だが 2001年の「ドラえもん のび太と翼の勇者たち」や、「スノーマン」で有名なレイモンド・ブリッグス原作の「風が吹くとき」の日本語版にも出演している。

あと、これは個人的なことだが森繁氏は僕と同郷で、地元の名誉市民でもある。
故郷の偉大な先輩の死を悼み、冥福を祈りたいと思う。

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「白蛇伝」この美男も森繁さん・・・。


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2009年11月 4日 (水)

タツノコの遺伝子

先日NHKのBSハイビジョン特集で「アニメ青春時代 夢に挑んだ男たち」という番組が放送された。日本のTVアニメ黎明期から独自の路線でひときわ大きな輝きを放ったタツノコプロの物語である。

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文字通り「遺伝子」を受け継いだ吉田竜夫氏の長女・吉田すずか版の、現代風にアレンジされたアクビちゃんを参考に描いてみた。

1963年(昭和38年)に始まった鉄腕アトムに刺激を受けた吉田竜夫が自分もアニメを作ろうと、マンガ工房だったタツノコプロをアニメ制作会社に変貌させた。漫画家で挿し絵画家でもあった吉田だがアニメに関してはまったく素人、そこへ新聞広告によって集まった人々もまた素人ばかりであった。唯一、吉田が声をかけた笹川ひろしだけが手塚治虫の元でアニメ制作を経験していたのみであった。
そんな素人集団ゆえか、既成概念に縛られない自由な作風がタツノコの持ち味となり、そこからは個性溢れるクリエーターが数多く輩出されたのである。
番組で紹介される主な“タツノコ出身者”は、後にガンダムやナウシカの美術を担当し、あの傑作・マッハ号のデザインを生み出した中村光毅、同じくガンダムのメカデザインなどででいまや知らぬ人のいない大河原邦男、大河原はガッチャマンの敵メカなどを始めとするメカデザインやタイムボカンシリーズを担当しており、アニメ界で「メカニック・デザイン」という肩書きを初めて持った。そして劇場版「地球へ・・・」などで知られる実力派アニメーターの須田正己、画家の天野嘉孝。大河原がメカデザイナーなら天野は「キャラデザイン」の専門家だ。アニメーターを経験せずにキャラデザイン専門の役職というのは極めて異例だった。そしていまや世界的映画監督の押井守らである。
そしてこうした人々の才能を信じ、開花させたのが吉田竜夫であった。吉田は多くの人間を育て、僕らに夢を与えてくれた。そしてその「タツノコの遺伝子」は今も脈々と受け継がれている。

番組で紹介されたわけではないが「イデオン」などのキャラデザインで知られ、この年末公開の「宇宙戦艦ヤマト 復活編」では総作画監督を務める湖川友謙もタツノコの遺伝子を受け継ぐ一人だろう。タツノコに所属していた訳ではないが、若いころに数多くのタツノコ作品に参加しており、その作画の随所に吉田竜夫の影響が見てとれる。番組中で紹介された吉田のキャラデザインの絵柄は後の湖川の絵と共通点が多く、絵柄的には今でも最も「タツノコ色」を残す一人だと思う。OVA版ガッチャマンなどを手がけた梅津泰臣もタツノコ出身ではないながらも、その絵はタツノコの遺伝子を受け継いでいると言えるだろう。

初期のタツノコ作品は、そのほとんどが吉田竜夫のキャラデザインによるものだ。それが独特のタツノコカラーと呼ばれる作風につながったのは言うまでもない。僕は子供ながらにタツノコの作風が独特のものであることを感じ取っていた。東映動画や虫プロと同じくらい、あるいはそれ以上に「タツノコ」は特別な存在だったのだ。
そのタツノコプロはかつて、僕が通っていた大学のすぐ近くにあった。
番組中でも、そのタツノコのスタジオがあった場所を笹川が訪ねるシーンがあった。懐かしい駅も映っていた。僕は大学時代にその駅前で何度か笹川氏をみかけたことがあった。声をかけることも出来ず、ただ後ろ姿を見送っただけだったが。
雑木林の中に「←タツノコプロ」と書かれた看板が立っていたことを今も憶えている。なぜ、あんなにも近くにいながら僕は一度もタツノコを訪問しなかったのだろうか。そのことは今でも後悔している。
そのころ、吉田竜夫はすでにこの世にはいなかった。吉田竜夫は1977年に45歳という若さでこの世を去っていたのだ。僕がそのことを知ったのは、このブログで何度か紹介している雑誌「マンガ少年臨時増刊 TVアニメの世界」(1977年刊)に掲載された記事によってであった。ちょうどアニメにのめり込み始めた頃であり、僕にとっての「アニメの入門書」とも言えるこの本で僕は、小さい頃から何度も目にしていた「吉田竜夫」の顔を初めて知ったのだ。しかしそれが「訃報」であるというのは皮肉な感じがしたものだ。

僕は今日、45歳になった。吉田竜夫が亡くなったのと同じ年齢だ。
だけど僕は何も生み出すこともなく、誰かに影響を与えることもなく、ただひたすら人生の時間を浪費してきただけだ。その人生の密度の差に情けない思いを抱きつつ、今日からもまた楽な方、楽な方へと流されて生きて行くんだろうと思う。こんな僕でも少しは誰かの役に立ったり、誰かに影響を与えたり出来てたらいいのに、なんてムシのいいことを考えながら・・・。

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2009年10月25日 (日)

愛・おぼえていますか

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1984年に公開された映画「超時空要塞マクロス」の劇中歌(主題歌)「愛・おぼえていますか」は太古の文明で流行ったありふれたラブソングという設定で、この歌が物語のカギを握っており、ラストはアイドル歌手・ミンメイが歌うこの歌をバックに戦闘シーンが展開される。激しい戦闘にラブソングというミスマッチが歴史的な名シーンを作り出した。
この曲は先頃(10月16日)亡くなった加藤和彦氏が作曲を手がけた作品だ。作詞は夫人(当時)で作詞家の安井かずみ氏。数々のヒット曲を生んだゴールデンコンビの手による名曲だ。単なるタイアップによる主題歌ではなく物語の根幹に関わる重要なアイテムとしてのラブソングを見事に作り上げている。この作品の成功はこの歌なくしてはあり得なかった。

加藤和彦氏は、今さら僕などが言うまでもなく日本の歌謡史において欠かすことの出来ない重要な存在でもあった。「帰ってきたヨッパライ」が流行っていたのは憶えているし、「あの素晴らしい愛をもう一度」は中学の音楽の教科書にも載っていて授業で唄い、憶えた。今でもこの曲や「イムジン河」「悲しくてやりきれない」「青年は荒野をめざす」などはしょっちゅう聞いている。
なにより、僕にとって加藤和彦氏は「カッコイイおじさん」だった。才能に溢れ、背が高くスマートでオシャレ、そしていつも柔和な笑顔を絶やさない。僕が憧れる「おじさんの理想像」だった。だから加藤氏の自殺は少なからずショックだった。才能溢れる人ゆえの苦悩だったのだろうか。

僕たちアニメファンにも素晴らしい曲を残してくれた加藤和彦氏の冥福を心から祈りたいと思う。


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