アニメ・コミック

三船 剛

Go_2

笹の葉サラサラ・・・東京はあいにくの曇り空です。
そして七夕とは何ら関係のない絵ですみませんです。
さらに、色も付けないで申し訳ありません。
あまり更新が出来そうにないので、落描きでお茶を濁そうと急ぎ描きました。
やはりあのバタ臭い独特の絵は難しいっす。
時間が出来たらせめて着色しようと思います。
そして、先週末公開された映画「スピードレーサー」。早く観て、感想を書きたいのですが・・・公開中に行けるのだろうか?

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トキワ荘の青春

先日、たまには早く寝ようと夜11時頃に横になるも結局寝付くことが出来ず12時すぎに起きてTVを付けた。すると日本映画専門チャンネルで「トキワ荘の青春」という映画をやっていた。1996年に公開された時にも観ているので眠くなるまで観ていようと思ってたら結局最後まで観てしまっていた。

Photo←チケット半券

「トキワ荘」
ある年代以上のマンガ好きなら説明するまでもないかもしれない。そして人によっては特別な響きを持って聞こえるかも知れない。
手塚治虫、藤子不二雄、石森章太郎、赤塚不二夫、水野英子ら後にビッグネームとなる漫画家たちが若い頃住んでいたことから「漫画家の梁山泊」とも言われた東京のアパート(今はもうない)である。そのトキワ荘に住む若き漫画家たちの日常を描いたのがこの「トキワ荘の青春」である。
主人公は寺田ヒロオという「背番号0」や「スポーツマン金太郎」などで知られた漫画家だ。先に書いた他のビッグネームに比べると知名度では劣るが少年漫画誌全盛となる少し前の時代を代表する漫画家の一人だ。彼は石森や藤子、赤塚らよりも以前からトキワ荘に住み、後から入居してきた彼らのよき兄貴分でもあった。
寺田は後輩達の相談相手になったりお金を貸してあげたりと実に面倒見がいい。映画の寺田は、ひたすら優しくいつも柔和な笑顔を絶やさず、静かに語る青年だ。そして自分の作風が「古い」という悩みも持っている。実際はもっと快活だったというがこの映画のキャラとしてはとてもいい。
面倒を観ていた後輩達が売れっ子になってゆく一方、寺田は皮肉にも時代の波に取り残されて行く。編集者も作風を変えろと言うが「子供達に嘘はつけない」とそれを拒む。寺田は自分が時代遅れの作家になっていることを知りつつも作風を変えない。そして彼はトキワ荘を出る。
ネタバレになるのであまり詳しくは書かないが、そんな風に時代に乗り遅れた漫画家である寺田に「あなたが描いてきたことに意味はあるんだよ」と言ってるような素敵なラストシーンが用意されている。そしてそれは漫画家と漫画を愛する人すべてに福音をもたらすラストシーンだと思う。

この映画は実に淡々と、しかし丁寧に若き漫画家たちの日常を描く。大きな事件も説明的なセリフも説教臭いセリフも、大げさな演技もなにもない。積み重ねられていく彼らの日常がとてもいい。悩みは悩みとして喜びは喜びとして素直に受け止めることが出来るからじわ〜っと心に染みこんでくる。
僕が小さい頃から親しんできた漫画家たちの若き日の姿。映画で描かれるそれは史実を元にしたとはいえあくまでもフィクションだ。けれどそこは大きな問題ではない。僕は彼らの過ごした時代とトキワ荘の空気、そして彼らが漫画に燃やした情熱をとてもうらやましく思った。トキワ荘の物語もまたかけがえのない青春の物語なのだ。何かに夢中になり一生懸命に日々を過ごすこと、それこそが人生に輝きを与えてくれるということ、そして当たり前のようでいてそんな奇跡のような日々を過ごせる人は少ないのだということをこの映画は教えてくれる。
僕がトキワ荘というものを知ったのはいつ頃だったろうか。いつか自分が大人になったとき志を同じくする仲間と出会いこんな時代を過ごせるんじゃないかと夢見ていたような気もする。しかし、一生懸命に日々を過ごさなかった僕にそんな輝ける時代はなかったのだ。僕のようなダメ人間にとっては、人生の後悔を強く意識させられる苦さを持った映画でもあるのだ。

追記;この映画に登場する主な漫画家は先に書いた6人のほか鈴木伸一(後のアニメ演出家。オバQの“ラーメン大好き”小池さんのモデル)、森安直哉、そしてトキワ荘の住人以外で、つのだじろう、つげ義春、棚下照生などである(恥ずかしながら森安直哉、棚下照生などは名前を知っているだけで絵すらも浮かばない)。
漫画家達を演じる俳優にそれほど有名な人はいない(劇団でお芝居をやっている人が多く詳しい人にとっては有名かも)が、中には「えっ、こんな人が」という人もいる。観ていない方のために詳しくは書かないが鈴木伸一役、藤本弘(藤子F不二雄)役、森安直哉役の俳優さんは一般的にも最近かなり有名になっている。
またトキワ荘物語には欠かせない石森のお姉さんもちゃんと登場する。

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ハチクロ

「ハチミツとクローバー」通称「ハチクロ」。僕がこの数年の間で最もハマった作品である。アニメ、映画、ドラマ化もされた。先日のBSマンガ夜話でも取り上げられたので少しこの作品について書いてみたくなった。

キャッチコピーでは「《全員片思い》逆送ラブストーリー」などと表現されるこの作品だが、ラブストーリーが話の軸にはなっているが、そもそも“ラブストーリー”と言っていいものかどうかも難しいと僕は思う。ラブストーリーというモノを定義できるのかどうかは別として、簡単に言えばそれは「恋の顛末」を描くものだと思う。そう考えればこの作品の主題はもっと別の所にあるように思う。

舞台は東京の架空の美術大「浜田山美術大学(通称:浜美)」。そこに通う5人の学生(物語の進行に合わせて何人かは卒業する)と彼らをとりまく人々の群像劇だ。全体を通しての主人公といえるのは男子学生の竹本祐太。彼と彼が恋する“はぐちゃん”こと花本はぐみを中心に物語は展開するのだが、エピソードによって主人公が入れ替わるなど物語は重層的である。可愛い絵柄と現代的で切れのいいギャグを織り交ぜながらもストーリーの根幹を成すものはあくまでシリアスだ。しかも物語の当初からかなり多くの伏線が張られていて、改めて読み返すと全ての展開が最初から作者の頭の中にきっちりと完成していたとすら思える。登場人物たちがなぜそういう行動をするのかという背景も含め説得力のある展開なので余計にそう思えるのだ。
報われない恋を生きることの切なさと、それとは背中合わせの幸せ(報われないと分かっていることに“安住”するとでも言おうか・・・)、報われないかもしれないけれどそれを承知で相手に尽くそうとする意志、才能を持つ者と持たざる者の絶対的な壁、才能を与えられたが故の苦しみと才能を持つ者への献身的な愛、そして人生に二度と訪れることのない輝かしい日々・・・僕の貧困な表現力ではとても書ききれないほどの要素がぎっしり詰まっているのだ。そしてこれらの要素を内包しつつ、甘酸っぱい青春ドラマとしても極めて上質な内容になっている。
学生時代はよく「モラトリアム」などと言われる。辛い現実社会の荒波にさらされる前のほんのわずかな猶予期間。だからこそみんな目一杯我が世の春を謳歌しようとする。この物語もともすればその「モラトリアム」を描くだけになったかもしれないが、そうはならなかった。「いつまでも気の合う仲間と過ごしたい」「今が永遠に続けばいいのに」という想いは誰しもが一度は持ったことがあるだろう。けれどもそんなことはあり得ない。誰もが皆それぞれの道を選び、歩んで行く。
昨今流行のJ-POPよろしく「いつまでも一緒だよ」とか「君は君のままでいい」などという甘ったるい言葉が、一見この作品には合いそうだが実は全く違う。登場人物たちはいずれ自分たちがバラバラ(心が、ではない)になることを覚悟しているし、自分が変わって行くことや変わらなければならないことを決して恐れていない。だからこそ「今という時間の輝き」が際立つのである。
物語中、主人公の竹本が何度も「今、この瞬間」を噛みしめるような場面とモノローグが出てくる。けれど、そうした時間はもう2度と来ないであろうことを竹本の言葉を通して読者は共感する。彼ら登場人物と同世代の人たちならば今の時間をより大切に思うであろう、そしてもうとっくの昔にそんな時代を過ぎてしまった僕のような世代にとっては懐かしくも胸が締め付けられるような気持ちになる。
最後はみんなそれぞれの道に向かって歩き出す。ラストに向かっての展開は途中までの物語からは想像できないほどシビアで重い。けれどもとても希望のある素晴らしいラストを迎える。
誰と誰がくっついてめでたしめでたしといったいわゆる「大団円」的ではなく登場人物たちの未来を想像し、どうかみんなが幸せになって欲しいと願うことのできるそんなラストである。
彼らはまたいつかみんなで集まる日はあるのだろうか。
けれど、そんなことはどうでもいいことなのだ。
輝きのある時間を過ごせたという、そのことだけできっと彼らのその後の人生の支えになるに違いないのだから。

余談。
この作品にのめり込んだ理由がもうひとつ別にある。
作品の主な舞台「浜田山美術大学」のモデルになった学校に僕は4年間通っていた。
作品の中には懐かしい学内の風景がそのままの姿で何度も登場する。
だから、僕は自分が彼らと共に学ぶ学生であるかのような気持ちでずっと作品を読んでいた。
彼らのようにドラマチックで密度の濃い学生生活ではなかったけれど、悔いもたくさんあるけれど、まぎれもなく「輝ける時間」を過ごしたと思う。あの頃毎日のように顔を合わすのが当たり前だった連中の、何人かは今でも友達だがほとんどのヤツらのその後を僕は知らない。そしてその逆もまた然り、なのだ。
この作品を読んでそういった連中のことをふいに思い出したように、どこかでこの作品を読んで僕のことを思い出してくれたヤツもいたのだろうか・・・。
そしてみんなが幸せに過ごしていてくれればいいと、心からそう思う。
ほとんどの連中ともう2度と会わないのだとしても。

Photo
←この絵はハチクロの「はぐちゃん」をイメージして描いたもので実際の作品の絵柄は全然違う。2年前に同じくハチクロにハマっていた友人の誕生日にプレゼントした。

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少女漫画絵

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「カリフォルニア物語」の主人公ヒース・スワンソン。
何十年ぶりかに描きました。

そんなわけで(どんなわけだ)今回は、昔模写した少女漫画の絵を恥さらしします。

Photo_7まずは「キャンディ・キャンディ」のアニー。中2のころ描いたもの。
いがらし先生の絵は特にこの横顔の鼻の線が大好きだった。「キャンディ」は7巻まではいとこのおねえちゃんちで読んでいて続きがどうしても読みたくて8・9巻を自分で買って読んだ。
パティのファンだったくせに、なぜかパティの絵がない。

Photo_602_2続いては川原由美子作「KNOCK!」のヒロイン舞ちゃんを2枚。高1のころ。薄くて細い線で描いたので、ちょっと見づらい。川原先生の絵はとにかくカワイくて好きだった。
この「KNOCK!」のほか「前略・ミルクハウス」「すくらんぶるゲーム」のほか短編集など単行本もけっこう持っている。

01_2最後は太刀掛秀子作「まりの きみの声が」のヒロインまりの。これは高2のころ。
太刀掛作品は「花ぶらんこゆれて...」が有名だが、つい最近まで僕はこれしか読んだことがなかった。この作品にはどこでどう出会ったか全く記憶にないが、かなり入れ込んでいたようでまりのの模写の数は相当多い。

以上のように基本的にはカワイイ絵が好きだが、今回久々に描いた「カリフォルニア物語」の吉田秋生は別だ。いや、もちろんカワイイ絵も描く人ではあるのだがいわゆる「少女漫画的」な絵ではなく、目は小さいし足も短い。人物のデッサンが実にしっかりしていて骨格や筋肉を感じる絵だった。それでもやはり女性独特の感性による線は繊細でとても美しい。今も好きな作家の一人だ。

僕は少女漫画の女の子が大好きだ。
・・・なんて言うと2次元フェチのようだが、その通りだ。いや、ウソです。
少女漫画の、というより女性作家の描く女の子が好きと言った方が正しい。
男性作家の描く女の子とは何かが違う。それは絵的にもキャラ的にもなのだが、何がどう違うかは上手く言えない。だがいつもあんな絵が描きたいと憧れていた。
だから少しでも近づこうと模写をしていたのかも知れない。
最近は模写というのはまったくやらないが、それでも気に入ったタイプの絵があると真似したくなる。最近では谷川史子や志村貴子の絵がとても好きだ。「群青学舎」の入江亜希の絵もいい。
この頃はあまり少女漫画を読む機会はない。本屋ではよく今時の少女漫画の表紙絵をざっと見るのだが、どうも手にとって見たくなる絵はあまりない。時代の流行というのはあるのだろうけれど、あまり好みではない絵が多いように思う。
そんなわけで昔好きで模写した絵をさらしてみたわけです。

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北の狼

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某所で野球狂の詩が話題になったので描いてみました、北の狼こと火浦健。
鉛筆で急いで書いたせいで汚くてナンですが(言い訳)・・・。

野球狂の詩は水島新司作品の中でも根強い人気を誇る作品だが、中でも「北の狼 南の虎」シリーズは屈指の人気作だ。原作3部作、アニメは前後編に分けて放映され劇場公開もされた。アニメ版ではこのエピソードだけの主題歌も作られるなど最初から原作人気を意識して作られている。
アニメ版「野球狂の詩」は原作とは逆に水原勇気編が先に放映され、その後各エピソードが放映されたのだが、ロマンアルバムはこの「北の狼 南の虎」のみが発売された。それほどこのエピソードの人気は高かった。
水島新司は元々、はみ出し者やアウトロー、境遇に恵まれない人を描くのがとてもうまい。「北の狼 南の虎」は親に捨てられた双子が主人公だ。しかし水島漫画のセオリーで言えば“北の狼”こと火浦健の方が主人公だといえる。もちろん「東京メッツ」が物語の中心であるからそのチームに入った火浦が中心になるのは必然だが、捨て子とはいえ愛情たっぷりの夫婦に育てられ天真爛漫な“南の虎”こと王島大介との対比によって火浦の境遇の悲劇性が引き立ち、読者はどうしても火浦に肩入れする構図になっている。「北と南」という地域による対比もさせているのは間違いない。

健はあることをきっかけに大介と自分が双子であることを知る。そして密かに慕っていた食堂で働く女性が母であるということも。
健は母との再会を果たすが、暖かい家庭がある大介には敢えて真実を明かさないまま物語は終わる。もっとも、大介のエピソードでは大介が両親の実の子でないことを知っていることも明かされてはいる。けれど、彼も両親もそれを敢えて話さない。
皆が皆お互いのことを思いやるという優しさがこの「北の狼 南の虎」の根底に流れているのだ。いや、野球狂の詩という作品全体がそうかも知れない。時には不器用なまでに相手を思いやる登場人物たちがこの作品の温かさにつながっているのだろう。健の場合は思いやりが悲劇につながったというところがあまりに悲しかったのだが・・・。

未読、未見のかたには是非おすすめしたい名作である。

Ra←ロマンアルバム「北の狼 南の虎」

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ずっとアニメが好きだった(その6)

〜アニメージュ創刊〜

ロマンアルバム「鉄腕アトム」に創刊の告知が掲載されてからおよそ1ヶ月半後の1978年5月26日、徳間書店から待望のアニメ情報誌「アニメージュ」が発売された。それまでもアニメ専門誌というものは存在していたが、コアなマニア向けであった。アニメージュはごく普通に書店の雑誌コーナーに並ぶようなものとしては初の専門誌であった。表紙は「宇宙戦艦ヤマト」。その夏に続編が公開予定であり前年からのヤマトブームはまだまだ続いており、この時代を象徴するものの代表格であった。

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←黒の背景にシルバーのヤマトがクールでカッコイイ!


巻頭の特集はそのヤマトの新作映画「さらば宇宙戦艦ヤマト」。映画の情報自体は少なく、海底ドックに眠るヤマトのイラストと彗星帝国のキャラとメカデザイン、そして新鋭艦「アンドロメダ(この号ではまだ名前は付いていない)」の設定ぐらいだ。ほかは1作目のおさらいと西崎Pのインタビューだった。インタビューの中で西崎Pはハワイでのスタッフたちの取材旅行中に観た、当時話題の「スター・ウォーズ」と「未知との遭遇」について「スター・ウォーズは単なる娯楽映画、恐るるに足らず。未知との遭遇はショックを受けた。ヤマトと同じ“宇宙愛”をテーマにしていたから」などと発言していた。それでも「ヤマト」への自信を覗かせるなどやはり西崎Pらしい内容だった。
続いて20ページに渡り「6月のテレビアニメガイド」がカラーとモノクロで構成されている。6月に放送予定の各エピソード紹介にスタッフや声優のインタビューなどもある。ちなみに当時放映中の主なアニメを挙げてみると・・・「ルパン三世(新)」「闘将ダイモス」「スタージンガー」「ハーロック」「新・巨人の星」「グランプリの鷹」「未来少年コナン」「ヤッターマン」「一休さん」「キャンディ・キャンディ」・・・などなど。ほかに「ドカベン」「一球さん」「野球狂の詩」と3本もの水島野球漫画が放映されていた。
巻中に「超人ロック」や「ダイモス」などのキャラ原案でも知られる聖悠紀氏のオリジナルコミック「黄金の戦士」を挟み、後半は「アンコールアニメ(1)=ホルスの大冒険」「声優24時=神谷明」「プロダクション訪問=東京ムービー」「スポットライト=水木一郎」「アニメ人物マップ=笹川ひろし」などの記事があり、その他にも「アニメ塾」や「アニメの歴史」「サークル紹介」などといった記事が続く。「アニメ塾」は“ラーメン大好き小池さん”こと鈴木伸一氏(現:杉並アニメーションミュージアム館長)とアニメ評論の第一人者おかだえみこ氏による文字通り「アニメの作り方講座」である。アニメの基礎から応用まで、丁寧なイラストと文章で解説している。
このように、アニメージュの柱はあくまでもテレビや映画など商業アニメの情報であるが、アートアニメや海外のアニメの情報もありかなり幅広いものであった。最新のアニメ情報のみならず、過去の作品やアニメ制作の現場・スタッフにもスポットを当てるなど、アニメそのものへの理解を深めるような企画を多く掲載していた。

ついに世に出たアニメージュは硬軟織り交ぜバラエティーに富んだ誌面でアニメファンの支持を得る。アニメージュはアニメファンの裾野を広げその後のアニメ界発展に大きな影響を与えたことは間違いないと思う。
個人的には「アニメーター」という職業がクローズアップされ、ある種のアイドル扱いされるようになったことはとても印象深い。
次回はその辺りのことに触れてみようと思う。

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リン・ミンメイ

Photo寝付けなかったので・・・なにかネタを考えるも思いつかず、また過去絵で恥さらしをします。
一世を風靡したアニメ「超時空要塞マクロス」のヒロイン、リン・ミンメイです。高3の時に描いたもの。

キャラデザインは美樹本晴彦氏。当時は安彦先生の影響がバリバリに見てとれてた。美樹本氏はこのマクロスで一気にメジャーになったわけだが、「マクロス」以前の美樹本氏のアニメ界における実績はほとんどないという中での大抜擢で、まさしく「彗星のごとく」という形容がピッタリだった。
しかし、これより前から美樹本晴彦は知る人ぞ知る存在だった・・・といっても僕もそれほど詳しいわけではないのだが。たまたま手に入れた同人誌に、木によりかかるフラウ・ボウのめちゃくちゃ上手いイラストが載っていた。文章とともに「HAL」という名前が書いてあった。それが美樹本晴彦(当時:良春)だった。それからしばらくして「OUT」のみのり書房から画期的なガンダムムック「GUNDAM CENTURY」が1981年に発売され、その中に「美樹本良春」の名を見つけた。その本の中で彼は、ホワイトベースのある日常を描いたオリジナルの読み物のイラストを安彦タッチ描いていたのだ。安彦先生と見まごうほどの・・・というほどではさすがになかったが、やはり上手だった。
そして、その翌年「マクロス」で彼は本格的にアニメ界にデビューすることになるのだ。アニメ誌に掲載されたマクロスのキャラデザイナーの名前は「美樹本晴彦」となっており、僕は最初「おや?」と思ったのだがこれは「美樹本良春」だと確信していた。そして彼の存在を知らなかったアニメファンの間では「安彦タッチのこのデザイナーは誰だ」とちょっとした騒ぎになったのだった。
かくして「マクロス」が当時のアニメを代表する人気を得たことは周知の通り。ミンメイはバーチャルアイドルの走りのような存在になるものの、女の子たちにはすこぶる評判の悪いキャラでもあった。対照的に早瀬中尉は好意的に受け取られていたようだ。かく言う僕も当初はその可愛い外見にだまされた(?)クチだ。一時期はミンメイの絵を描きまくっていた。これは、少しこなれてきた頃に描いた一枚だと思う。まだまだ思い入れたっぷりな感がある・・・恥ずかしい。
その後の映画版でもミンメイはかなりイヤな女だったが、そこはすべて計算し尽くされた演出であり最後の歌唱への布石としての必要悪だったのである。ミンメイの歌が流れる中繰り広げられるクライマックスの戦闘シーンは、CG全盛の今見るとなんと重厚で迫力に満ちたものであることか。今、あんな作画が出来るアニメーターがいるのだろうか?
この映画版マクロスは時代を象徴する傑作になったと個人的には思っている。

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←映画版マクロスのころにも僕はけっこうミンメイを描いた。
・・・結局好きなんじゃん(爆)。

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COBRA

コブラの新作アニメが制作されるそうである。
監督は原作者の寺沢氏が自ら勤められるそうで、出﨑さんや杉野さんはノータッチらしくちょっと残念(美術は旧作と同じく小林七郎さん)。うれしいニュースとしては野沢那智さんと榊原良子さんが声をおやりになることだ。ちなみにクリスタルボーイは小林さんではないので、これも残念。
コブラのアニメといえば1982年に公開された映画が最初だった。出﨑さんと杉野さんのコンビがSFをやるというので驚いた覚えがある。その制作過程をネタにしたエッセイのようなものを出﨑さんがアニメージュで連載し、挿絵を杉野さんが描くという贅沢な企画もあった。
声が松崎しげるというのも驚いた。いや、抵抗があったというのが本音だ。そのほかにも風吹ジュンや中村晃子などの有名女優らが出演しているが、当時の劇場アニメでは話題作りのためにこうしてメディアに取り上げられやすい有名人を使うことが多かった。僕はこういうのが大嫌いで、プロの声優さんを冒涜しているとすら思っていた。そして大概は下手だったのだ(本作でいえば久米明や田島令子など非常に上手な俳優さんも出演されている)。コブラもそうした先入観を持ってしまっていたのと、松崎しげるのあのダミ声(歌ってるときは素晴らしいけれど)をドルビーステレオで聞かされたせい(なのか?)で劇場で観た印象はイマイチだった。
Photo
←当時の新聞広告


しかし近年、見直す機会があったがこれが意外と面白かったのだ(風吹ジュンはやはり下手だったが)。それが自分がオトナになってようやく本来の面白さに気づいたからなのかどうかはよく分からない。なぜなら公開当時の評判は決していいものではなかったからだ。しかし、オトナの鑑賞に充分堪えうる演出と劇場版らしい丁寧な作画はさすがだと思ったし、公開当時に感じたマイナス部分もさほど気になることはなかったのだ。
細かい評論は避けるが、一見の観る価値は十分にあると思う。
その後TVシリーズの「スペースコブラ」が同じスタッフで制作される。コブラ役はもちろん野沢那智。これもかなり驚きだったが、果たしてこんなにピッタリな声優さんがいるのかと思うくらい素晴らしかった。映画版の松崎しげるは「悪くなかった」が、野沢さんの芝居はレベルが違っていた。軽さの裏にシリアスなものを秘めたコブラの性格を表現する演技はまさしくプロのそれだった。そして野沢さんの声には品があった。そこが決定的な差であったと僕は思う。
余談だが、コブラがアニメ化されるずっと以前から僕はコブラの声は山田康夫さんが演ずるものだと決めつけていた。それはコブラのモデルがジャン・ポール・ベルモンドでありその吹き替えといえば山田さんだったからだ。そしてコブラのキャライメージがルパン三世ともダブること(ルパンがベルモンドで実写化されるといいな、とも思っていた)もそういう思いに拍車をかけた。野沢さんというのはかけらも頭になかったのだが、野沢さんはかつてパイロット版でルパンを演じているわけで、共通項のあるキャラと声優さんが不思議なところでつながっていたことになるのだ。
話を元に戻そう。
TV版のコブラ、第1話は素晴らしかった。演出、作画ともジョー2の第1話に匹敵するできばえだった。その後もしばらくは夢中で観ていたが、シリーズ途中で出﨑さんと杉野さんは次回作「ゴルゴ13」のためスタッフから外れると僕の興味も急に失せてしまい後半はあまり観なくなった。結局のところ「コブラ」そのものの大ファンでもなかったこととやっぱり出﨑&杉野コンビだから観ていたということだったのだろう。
新作も興味はあるが実際に観るかどうかは分からない。けれど野沢さんの声は聞きたいし、かつての傑作である第1話との比較もしてみたいとは思う。

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←TVシリーズ開始後間もなく、高校3年の頃に描いたもの。
 この頃は完全に「杉野タッチ」に傾倒していた。

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ずっとアニメが好きだった(その5)

〜アニメージュ創刊前夜(2)〜

Tv
1977年11月、ロマンアルバム(以下RA)第2弾「009」発行とほぼ時を同じくして1冊の本が朝日ソノラマから発行された。タイトルは「月刊マンガ少年臨時増刊 TVアニメの世界」。「マンガ少年」といえば大ヒット作「地球へ・・・」や「火の鳥」「サイボーグ009」などのメジャー作品のほか、みなもと太郎、永島慎二、高橋葉介らも描いておりマンガ誌としてはかなり玄人向けというかマニア向けの雑誌であった。その「増刊」というからにはこの「TVアニメの世界」のターゲットが自ずと分かろうというものだ。
ヤマトによって僕のアニメへの興味は観ることだけでなく作品作りの裏側やファン活動などの周辺へと広がった。この本と出会ったのはそんな頃だ。RAのような作品のムック本ではなくアニメ全般を扱ったこの「TVアニメの世界」は僕にとって「アニメの入門書」であった。
214ページにも及ぶこの本、主な内容は、巻頭カラーとセンターカラーで「ヤマト」とガッチャマン」のそれぞれ25話、81話のストーリーを合計28ページに渡り再現しているほか「読者が選んだテレビアニメベストテン」「テレビアニメ14年のあゆみ」「アニメスタジオ訪問記」「アフレコスタジオ訪問記」「ダンガードA」の声優らによる座談会・・・などである。「特集:サイボーグ009」として「Xの挑戦」のシナリオと009全話のストーリー紹介もある。さらにアニメーターを目指す少年が主人公の「鳥よ飛び立て」という描き下ろしマンガ、そして幻のアニメ専門誌「ファントーシュ」の復刊準備号なるものが巻末の12ページを占拠しているのだ。
中でも動画スタジオやアフレコスタジオの紹介は興味深いもので、「こういう世界に入れたらいいなぁ・・・」などという思いが漠然とだが芽ばえた。まだ将来のことなんてなにひとつ具体的に考えていない僕だったが、絵を描くということが大好きなアニメの世界へとつながるような気がしていたのだ。
僕の知的好奇心(?)はさらに勢いを増し、当時はまだアニメ専門ではなかった月刊「OUT」にも手を出し始める。この「OUT」についてはまた別の機会に書くつもりだが、何かに興味を持つことは知らず知らずのうちに自分の世界を広げていってくれるものなんだと今にして思う。最初は少しでもアニメの情報が欲しくて買った(最初に買ったのがスタジオぬえの特集号だった)のだが、自分の全く知らない世界であったサブカルを中心とした内容は、それはそれでかえってオトナの世界のように思えて魅力的だった。

RAはその後も順調に版を重ねる。
1977年末の「ロビン」の後、明けて1978年には「デビルマン」「タイガーマスク」「スーパージェッター」とほぼ月に1冊のペースで発売され、第7弾となる「鉄腕アトム」の巻末にいよいよそれは掲載される。
「アニメージュ」の発刊告知である。キャッチコピーは「ほとばしる青春のエネルギー いま、熱いまなざしをうけて5月26日発売!」とある。RA「アトム」の発売が4月13日であるから、そこからおよそ1ヶ月半がどれだけ待ち遠しかったことか。続く5月13日発売のRA「ライディーン」の表紙裏にカラーで発売広告が掲載された。
いよいよアニメージュの発売が迫ってきていた。
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←RA「鉄腕アトム」巻末のアニメージュ広告

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←RA「勇者ライディーン」表紙裏のアニメージュ広告

(追記)
同じ頃、僕が買った一冊のイラスト集がある。
ヤマトで興味を持った(実はそれまで知らなかったのだ)松本先生の画集「松本零士の世界」だ。その表紙には「イラストアルバム《アニメージュ》」とある。これがおそらく「アニメージュ」という言葉が世に出た最初だろう。巻末には「アニメージュ」(Animation-Image)と造語である旨説明があるが、なぜこのイラスト集にいきなりこうした名前が付けられたかは不明だ。その後徳間書店から刊行された「石森章太朗の世界」「永井豪の世界」なども同じように「イラストアルバム《アニメージュ》」と付けられてはいるのだが・・・。
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←松本零士の「士」の下に「アニメージュ」の文字が読める

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さて問題です

0091_2_2 この人は誰でしょう?(ヒント:胸元をよーっく見てください)。答えをすぐに知りたい方は今日発売の少年マガジンを見てください。宣伝してるわけではありませんです

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ずっとアニメが好きだった(その4)

〜アニメージュ創刊前夜(1)〜

ロマンアルバム(以下RA)「宇宙戦艦ヤマト」によって、それまで以上にアニメへの興味を膨らませた僕は「TVまんが」から卒業する機会を完全に失った。いや、そもそも「TVまんがもそろそろ卒業やな」なんて考えたことはただの一度もなかったのだが。
ヤマトのRAが発行された数ヶ月後には第2弾「サイボーグ009」が発行された(昭和52年11月30日発行とあるが雑誌の常として実際の発売はもっと早かったはず)。RA「ヤマト」には続刊の予告も何もなかったことを思えば、第2弾の発行はヤマトの成功があって初めてGOサインが出たのだと思われる。おそらく相当の手応えがあったのだろう、RA「009」の巻末にはヤマトの時とは打って変わって第3弾「レインボー戦隊ロビン」や「イラストアルバム 松本零士の世界」「イラストアルバム 石森章太郎の世界」などの告知がずらっと並び、さらに「アニメーション人気コンテスト」なる企画の告知まである。これは好きな作品とキャラを5人まで書いて応募するというものだ。結果発表がどういう形で行われたかは知らないが、おそらくマーケティング調査も兼ねていたのだと思う。その結果や反響が「アニメージュ」創刊への大きなステップであったことは想像に難くない。

009ra1
さてこのRA「009」もヤマトと同様、巻頭には描き下ろしのカラーグラビアがある。しかし、ヤマトと違い出来はかなりイイ。シンプルだがデッサンがしっかりしていて間違いなくプロのアニメーター、それもかなり実力のある人が描いたに違いない。原画が誰であるかの記述はないが、初代009の本編でも作画監督をやった木村圭一郎氏だと聞いたことがある(未確認)。今では考えられないことだが、この頃はまだアニメーターにスポットが当たることは少なかったのだ。とにもかくにもこのカラーグラビアは、009大好きな僕にも満足できる出来であり、またしても僕は模写をしまくった。

このRAでは原作者である石森章太郎先生へのインタビューや脚本の辻真崎先生の寄稿文、声優さんとプロデューサーの座談会なども掲載されてていてヤマトに比べるとかなりマニア向けの内容になっている。RA「ヤマト」の成功が早くも編集方針に反映された形だ。巻末近くには「アニメファンよ手をつなごう」と題した記事がある。記事といっても実はほとんど広告だ。それは「東映アニメーションファンクラブ」の会員募集の記事であった。なぜ東映動画のファンクラブの記事がロマンアルバムに掲載されているのかという疑問はさておき(理由はちゃんとあるのだが)、こういった記事が掲載されることからもターゲットが絞られていたことが伺える。この「東映アニメーションファンクラブ」には僕もその後入会することになるのだが、それはまた別の機会に触れることにしよう。
このRA「009」発行とほぼ時を同じくして1冊の本が朝日ソノラマから発行される。「月刊マンガ少年臨時増刊 TVアニメの世界」である。この本は完全にマニアにターゲットを絞った1冊であり、この本によって僕はまたさらに深くアニメに傾倒していくことになる。
(続く)

Ra009


この表紙の絵と同じポーズのジョーを音楽室の机に落描きしたことがあった。ある日音楽のセンセイに「009の絵を描いたのAKIRAくんでしょ?他のクラスの女の子がカッコイイ絵が描いてあるって教えてくれたの。残念だけど消しといてね」と言われたことがあった。わざわざ僕に言わずとも消そうと思えば消せるものを本人に消させるなんてかなり優しい人だ。この先生はリクエストするとヤマトの主題歌を弾いてくれたりするおちゃめでカワイイ人で僕はけっこう好きだった。

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大阪まんだらけ

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大阪のまんだらけでロマンアルバム5冊購入。
これまで訪れたことがなかったのだが、なかなか楽しい場所である。
かなり珍しいコミックや漫画家の直筆色紙、原画、アニメムックやセル画、関連資料集などなど売り物を見ているだけで飽きない。
今回は昔買い損ねたこの5冊を購入するも、他にもかなり心動かされる本がたくさんあった。そのうちのいくつかは昔は高くて手を出せなかったものであり、かなり迷ったが今回はロマンアルバムを探すことが第一の目的だったので購入を見送った。次回訪れるまで果たして残っているのだろうか・・・。
いや、しかし買うのはいいが収納場所がない。モノを捨てないというのも限界か・・・。

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アニメソングは永遠に

今日、NHKBSで毎年恒例の「BS永遠の音楽 アニメソング大全集」が放送された。
「四天王」こと佐々木功、堀江美都子、水木一郎、前川陽子各氏のレギュラー(?)に加え、今年はオバQの石川進さんやサリーちゃんのスリーグレイセスらが出演された。タイガーマスクの新田洋こと森本英世@うぉんちゅー!さんも初めてのご出演ではなかったかと思う。しかし、個人的に一番のサプライズは初代009を歌われた「マイスタージンガー」の面々だった。これには本当に驚いた。TVアニメ黎明期の名曲をまさかオリジナル歌手の生唄(テレビだけど)で聴けるとは思ってもみなかったのだ。さすがに声にはお歳を感じるのだがそんなことはどうでも良くなるほどの感激だった。贅沢を言えばエンディング曲も歌って欲しかったところではあった。そして、せっかくゲストに来ていただいたのだからお話を伺いたかった。
けれど、今年は亜土ちゃんが(“ちゃん”づけは失礼かも知れないがやはり“亜土ちゃん”だ)「すきすきソング」を唄ってくれたのもうれしかった。しかもフルコーラスを踊りながらである。カッコイイ!若い!この亜土ちゃんもそうだが、現役で唄ってらっしゃる方々、本当にお若い。僕がこの番組を見ていつも思うのはそのことだ。アニソンは若さを保つ秘訣なのかも知れない。そして子供の頃から聴いていた歌を今も変わらぬ声で歌われている方々を見て僕もまた元気になれるのだ。

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アニメージュ増刊「アニメソング・ヒット全集」の第1集。1979年発行。
僕は6集までを持っている。
僕らはアニメ主題歌が本当に「アニメソング」だった時代に育ったのだと思う。

こうしてたくさんの曲を聴いていて思うのは、ひいき目なしに見ても本当にいい曲が多いということ。憶えやすく歌いやすく、作品世界とマッチしていた昔のアニソン。作品世界とマッチしているということは替えがきかないということだ。ひとつのアニソンはひとつのアニメにしか結びつかない。それが想い出とリンクし忘れられない大事なモノになるのだと僕は思う。
昨今のJ-POP歌手が歌っているアニソンは本当にその作品世界にマッチしているのだろうか?定期的に新しい曲に変わる主題歌は今の子供たちの大切な想い出になってるのだろうか?
僕はいつの時代もアニメソングが子供たちにとって大切な想い出であるように願ってやまない。消費され、捨てられ、忘れられていくものではなく、何十年か後にも同じようにみんなが歌えて元気になれるアニソンであって欲しい・・・アニメソングは永遠にそういう存在であって欲しいと心からそう思う。

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マッハGOGOGO!!

02カッコイイ・・・カッコよすぎる。
今、僕の目の前にあのあこがれのマッハ号がある。本物だ。
これがあれば砂漠だって海の中だって走れるし、
ステアリングの「A」ボタンを押せば象だって飛び越えられる・・・いや、そりゃ無理なのは知ってるけど。
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これはこの夏公開の話題作「スピードレーサー」の公開前イベントとして東京・汐留の日本テレビ前に展示されているマッハ号である。
「スピードレーサー」は言うまでもなく日本が誇るアニメ「マッハGOGOGO」を原作とするハリウッド映画である。アニメはアメリカで「スピードレーサー」と名を変え放送され大人気を博した。タランティーノ監督などハリウッドにも多くのファンがいることはよく知られており映画化の噂もずいぶん前からあったが、ついに今年「マトリックス」のウォシャウスキー兄弟の手による映画が公開される運びとなった。
日本オリジナルのものがハリウッドでリメイクされる場合、オリジナルがそのまま生かされることは少ない。しかし、この「スピードレーサー」はメインキャラや覆面レーサーなどのデザインがほぼアニメのまま採用されているのだ。そして主役メカ「マッハ号」のデザインも写真のようにアニメそのままなのだ(細部に多少の違いがあるのと、バージョンアップした新型も登場するようだが)。
ウォシャウスキー兄弟が日本のアニメファンであることは良く知られている。こうした基本設定に手を加えないことは彼らが原作に最大の敬意を払っていることの現れだと僕は思う(マッハ号が飛ぶ時の「あの音」もそのままだ)。ただし、それも元々のデザインが手を加える必要もないほど洗練されていたからこそである。40年も前のアニメのメカデザインが現代でもそのまま通用することは驚愕に値すると思う。タツノコプロ恐るべしである。

ある世代以上なら誰もが思い浮かべることの出来る、タツノコプロ独特の日本人ぽくないキャラデザインは創始者である吉田竜夫氏の絵柄をベースにしている。アメコミの影響を受けた(吉田氏はスーパーマンの日本版コミックを描いてたこともある)バタ臭いデザインは異彩を放っていた。子供心に「タツノコ」というところの絵は違うぞ、と感じるほどに。服装もおしゃれだった。そうしたキャラデザインや抜群にかっこいいメカ、そして日本が舞台ではなく世界中をめぐるストーリーの相乗効果があってアメリカ始め海外で受入れられ易かったのだろう。

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←足長っ!
こんな日本人家族いないし(笑)。

そもそもタツノコプロの創始者である故吉田竜夫氏はプロダクション設立当初から海外マーケットを視野に入れて作品作りをしていたという。図らずも今、それが成功だったことが証明されたのだ。スピードレーサー公式HPの作品紹介の中にこんな一文がある「Based on the classic series created by anime pioneer Tatsuo Yoshida」・・・吉田氏がご存命であればどんなに喜んだかと思うと胸が熱くなる。

子供の頃に夢中で見ていたマッハGOGOGO。
海を越え、時代を超えてこうしてまた僕たちの前に帰ってきたのだ。
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←子供の頃買ってもらったレコード。唄はオリジナルのボーカル・ショップではなく高橋元太郎@うっかり八兵衛のカバーバージョン

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←十数年前に買ったTシャツ

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ずっとアニメが好きだった(その3)

〜ロマンアルバム「宇宙戦艦ヤマト」(後編・長いです)〜

ターゲットを絞りきれていない感がありありと現れたヤマトのロマンアルバムだったが、その後のロマンアルバムのみならずアニメムックには欠かせなくなるものが掲載されていた、それが「設定資料集」である。人は物事の裏というものを知りたがるもの、そうした心理を刺激する記事であった。元々は一般のファンが目にすることはない製作過程の資料でしかないものにスポットを当て、世に出した功績は評価できると思う。だが商業誌においてこうした資料を載せることになったのはそもそもファンの力が大きいのだ。なぜなら当時、ヤマトファンが編集した同人誌や機関誌にはこうした設定資料がすでに掲載されていたからだ(後から知ったことだが)。つまり、ファンの作った物が商業誌に取り入れられたことになる。だからヤマトを支えているファン層とはそういう人たちであるということを編集部は理解していたはずである。しかし前編で書いたように商業誌のメインターゲットにするほどの確信は持てず、結果的に児童向けとコアなファン向けの内容がごっちゃになったような本になってしまったのではないかと思う。
そんなロマンアルバムではあっても、この設定資料でアニメ製作過程の一端を知り、僕の知的好奇心は大いに刺激された。何よりアニメが人の手で作られているという当たり前のことを認識させてくれたことがその後アニメへの興味を広げることにつながったことは間違いない。
 
そして、終盤の4ページ。この本全体の中ではおまけみたいな記事ではある。しかしこの終盤4ページもまた僕にとっては充分に刺激的であった。
全88ページ中の84・85ページ目に「8月6日上映ルポ 宇宙戦艦ヤマトが燃えた日」と題された記事がある。劇場版ヤマトが公開された当日の都内6館のレポートである。そこには徹夜で行列をするファンの姿があった。何時頃来たとかセル画をもらえたなど、ありきたりの内容に続きこんな一文があった。以下に抜粋しよう。

「銀座東急、8月5日深夜、徹夜組の輪の中から、甘い旋律(メロディ)が流れだす。
♪あの娘がふっていた 真っ赤なスカーフ 誰のためだと思っているか
およそ140人。ここへくるまでは、みんな知らない顔ばかりだった。それが、この「ヤマト」を通して、いま、たがいに手をにぎり、胸をよせあっている。熱い血潮をたぎらせながら、スターシャへの想いを語らいあう。「赤い(原文ママ)スカーフ」のハミングが、銀座の月を濡らすのだ。」

これは後にファンの一体感を高めた「イイ話」として伝わった出来事だ。

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←ロマンアルバム85ページに掲載された写真

明らかに当時の自分より歳上の、高校生から大学生と思しき若者たち・・・大行列をなし、ヤマトのセル画を誇らしげに掲げて写真に収まっている。僕にはモノクロ写真の中の彼らがまぶしかった。そして心からうらやましく、ねたましくもあり、そして憧れた。自分もその輪の中にいたかったと心からそう思い悔しかった。アニメファンにはこういう世界があり、自分より何歩も先を行く人たちがいるんだと知った。そしていつか自分もあの輪の中に入りたちと思った。
つづく86・87ページには、「熱狂!!ヤマトファン大集合」という、ヤマトのファン活動を扱った記事も掲載されている。メインの写真にはステージで熱唱するささきいさおさんと同じステージに立つ故宮川泰さんの姿。キャプションには「ささきいさおが投げた“真っ赤なスカーフ”に殺到するファン」とある。ファンイベントでのひとコマだ。記事の中身はヤマトのオフィシャルファンクラブが盛況であり、そのコアな層が中〜大学生であるといった内容だ。併せて、いくつかの同人誌も写真で紹介されていた。同人誌という「形」になったものは僕の目にかなり新鮮に映った。ここにもまた僕の知らない世界があった。絵を描くのが好きで、学級新聞やクラスの文集などの編集もした自分にとってはものすごく興味深かった。
ここで、行動力のある人ならロマンアルバムの編集部に問い合わせるなど、なんなりとアクションを起こすだろうが、小心者の僕はそういうことすらできなかった。けれど何かをしたい衝動は収まらず一人で何かを作ろうとしたらしく、このロマンアルバムの中身を構成し直すかのようなものをコクヨの計算用紙ほぼ一冊分に鉛筆で描きまくったのである。それは単なる絵と文章の模写でしかなく、なにひとつオリジナルな内容のないことに我ながら情けなくなるばかりであるが。ただ、60ページ以上にわたって絵を描きまくったエネルギーだけは若さのなせる技なのか、我ながらちょっと感心する。この後中学時代の僕はヒマさえあれば、ひたすら同じコクヨのノートにアニメや漫画の模写をしまくった。それがいくらかは絵の上達に役立ったことだけは確かだろう。
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←恥の一冊。

この終盤4ページは僕に、アニメには観るだけではない楽しみ方があることを教えてくれた。ヤマトのロマンアルバムが僕にとって最も重要だったのは、ある意味この終盤の4ページがあったからこそなのかもしれないとすら思う。
記念すべきロマンアルバム「宇宙戦艦ヤマト」。内容は、中途半端でトホホなものの好調な売れ行きを見せた。ロマンアルバムはその後シリーズ化され今も続いている。そしてその成功は初のメジャーアニメ誌「アニメージュ」の創刊へとつながっていき、その後のアニメブームを牽引してゆくのである。
僕自身が交流を求めて外の世界へ出て行くのはまだ少し先、高校へ進学してからの事だ。このころの僕はアニメにハマっていきつつも、まだまだ野球部の練習と学校生活の方が大事だった。

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ずっとアニメが好きだった(その2)

〜ロマンアルバム「宇宙戦艦ヤマト」(前編)〜

僕がアニメの世界にどっぷりハマるきっかけとなった「ヤマト」。それを後押ししたというか、決定的にしたのがヤマトの本格的なムック本として徳間書店が発行したロマンアルバムである。僕が持っているのは第2刷なので発売後スグに買ったわけではなかったようだ。
本の内容は、松本先生のイラストによるスターシャのピンナップ、カラーグラビア「Memories of Yamato」があり、以下「ヤマト航海日誌」「名セリフ集」「設定資料集」「全放映リスト」「ヤマト製作夜話(裏話みたいなもの)」と続く。終盤4ページに映画公開日のリポート、そしてファンの活動についての記事があり、最終ページには西崎Pのメッセージが掲載されている。
 スターシャのピンナップはサインに「1977」とあるから描き下ろしのようである。よく見る正面からのアレではなく肩越しに微笑みかける色っぽいカットだ。カラーグラビアは本編のスチール写真ではなく、なんとすべて描き下ろし・・・しかしながら絵がかなりトホホなのである。まあ分かりやすく言えば低年齢向けのアニメ絵本、しかも出来の悪い部類の・・・って感じの絵だ。これには参った。すでに絵の良し悪しを見分けるくらいには成長していたのでかなり脱力した。そもそも本編のカラー写真は表紙を除くと掲載されておらず、相当ガッカリした覚えがある。

Photo
←トホホな古代と雪

実はこのロマンアルバムシリーズには当初「テレビランド増刊」という冠がついていた。つまり児童向けのテレビ雑誌の編集部が「アニメのムック本を作れと言われたもののどう作っていいのやら」というとまどいがこのカラーグラビアに現れているように思う。あるいはターゲットをマニアに絞って編集して、もしも売れなかったらヤバいので間違って子供が買っても大丈夫な内容にしたかのどちらかである、きっと。製作スタッフや声優さんのインタビューが全くないことからも、編集部は「そういうところ」に興味を持っているファンがいるということは知っていても、まだ雑誌のターゲットとして想定するには難しかったのだろう。
(後編へ続く)

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ずっとアニメが好きだった(その1)

〜オタク的行動の芽ばえ〜

僕は小さい頃から好きなモノがずっと変わっていない。その時々で多少興味の幅が広がったり狭まったりしてはいるが基本的に変わらない。野球とアニメと漫画。この3本柱である。興味の持ち方や関わり方、原体験という部分でアニメや漫画とリンクする部分が多い特撮がその次くらいに位置する。
このブログではことあるごとに好きなモノと自分との関わりについて触れることになると思うがそれぞれとの関わりについて「想い出語り」を主題にして不定期に書いてみようと思う。何回続けようとかまったく考えず、想い出尽きるまで語ってみたい。

前置きが長くなった。悪い癖である。本題に入ろう・・・今回はアニメについての第1回である。

「オタク」という言葉、個人的には好きではない。が、世間に認知されておりその特性も含め分かりやすい言葉なので敢えて使う。僕が「オタク」的な行動をとるきっかけになった作品、それは「宇宙戦艦ヤマト」である。僕と同世代のオタクたちにはそういう人が多いと思う。

前回、ラジオドラマ「宇宙戦艦ヤマト」について触れた。この番組が放送されたのは1977年の12月。同じ年の8月、TVシリーズの再編集を中心とした映画「宇宙戦艦ヤマト」が公開されブームを巻き起こした。ラジオドラマが企画されたのはすでにこうした実績あってのことである。僕ももちろん劇場へ足を運んだ。このときの私はすでに「ヤマトファン」であり、待ちに待ったこの映画は小学生の頃からヤマトに抱いていた熱い思いを満たしてくれるものであった。

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←映画版「宇宙戦艦ヤマト」のパンフ表紙と裏表紙。裏表紙は実際にはないシチュエーション(「青い地球」に帰還するヤマト)である。

最初のTVシリーズが放映されたのは1974年から75年にかけてのこと。前番組「侍ジャイアンツ」の大ファンだった僕は侍ジャイアンツが終了する頃に流れ始めた新番組の予告に釘付けになった。
「西暦2199年、人類は滅亡の危機にさらされていた・・・」
細かい部分は憶えていないが、おおむねこんなだったろう。そのナレーションと共に現れたヤマトの勇姿!元々軍艦好きでプラモをたくさん作っていたこともあり、戦艦が宇宙を飛ぶ、しかもそれが「大和」だというだけでワクワクした。また、前年に出版された「ノストラダムスの大予言」のブームもあり「人類滅亡」がキーワードになっていることが一層の興味を引いたのだった。
その第1話・・・期待に違わぬ出来であった、もう完全に魅了された。明らかにこれまで観たどのアニメとも違っていた。誰も見たこともなく経験したこともない宇宙空間での戦闘シーンがリアルに感じられ、地球に向かう遊星爆弾は「人類滅亡」を予感させる恐ろしさに満ちていた。僕は夢中になった。
しかし、視聴率が伸びず全26話を持って終了したのはあまりにも有名な話だ。ただ、ヤマトにとって幸いだったのはいわゆる「テコ入れ」を受けなかったことだろう。視聴率が伸びないからと言って子供向けに路線変更などをしなかったことがその後のヤマトの運命を良い方向に導いたと言っても良いと僕は思う。

その後しばらく僕は数少ないヤマト関連の出版物を、これまた少ないお小遣いで買い求め、ヤマトの絵を描きながら心の隙間を埋めていた。この時代は夕方になるとアニメが数多く再放送されており、ヤマトもほどなく再放送が始まる。関西での最初の再放送がいつだったか記憶にはないが、少なくとも僕が小学校を卒業する前だったはずだ。なぜなら、小5か小6の時に初めてラジカセを買ってもらった僕は再放送で全話をカセットテープに録音したからだ。それほどヤマトの再放送を待ちこがれていたのだ。
そして、ここに「オタク」の萌芽があったことに気づく。
ただ「好き」なのと「オタク」の違い。それはデータの収集や分析(大げさだが)をしたり、2次的な生産活動=絵を描いたり、模型を作ったり、サークル活動をしたりしながら繰り返し楽しむかどうか、だと思う。さらにそこにお金をかけることを惜しまないというのも大事な点だ。生まれ持った性格によるところが大きいと思うが、それを発現させるきっかけもまた重要だ。
僕にとってはそれがヤマトであった。
ヤマトを「好き」なだけでは飽きたらず「形になるモノ」を残したいと思った。当時考えることができた最高のモノが音を残すことだったのだ。録音のためTVのイヤフォンジャックからラジカセの入力端子につなぐケーブルも買った。そうすれば家族の話し声も雑音も気にしなくてすむ。僕はそこまでしてヤマトを残そうとしたのだ。充分に「オタク」的な行動であることに笑ってしまう。数年後、家にビデオデッキが来る(「来る」という表現が昭和的・・・)までカセットに録音するというのは基本的かつ重要な行動になった。

その後ヤマトはあっという間に、まさしくあっという間に社会現象になった。中学生になった僕はヤマトブームの洗礼を浴びた。自分で楽しむだけだったヤマトやアニメの世界が広がってゆくのを感じていた。ヤマトが映画化された背景には多くの(じぶんよりちょっとお兄さんやお姉さんの)ファンがいることを知った。そうした(自分も含めた)ファンの力が世の中を動かすこともあるんだと知った。そして何よりも「作っている人たち」を意識するようになった。それらを知るきっかけが映画公開後に出版された記念すべきロマンアルバム第1号「宇宙戦艦ヤマト」だった。翌年にはアニメ専門誌「アニメージュ」が創刊され、アニメブームは確実に広がりを見せていくのである。
その表紙もまた時代の象徴「ヤマト」であった。
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←ロマンアルバム「宇宙戦艦ヤマト」
設定資料というものの存在を知った1冊。

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ラジオドラマ 「宇宙戦艦ヤマト」

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先日所用があり、実家へ戻った。
実家には昔集めた数々のアニメ関係の雑誌、グッズなどが今も残っている。
その中には(録音用の