アニメ・コミック

2009年11月11日 (水)

森繁久弥氏逝去

俳優の森繁久弥氏が96歳で亡くなられた。天寿を全うしたといえる大往生である。
森繁氏のことを僕があれこれ書くまでもないだろう。数々の映画やドラマ、舞台で活躍されてきて、その足跡の大きさは全ての日本人が知るところである。

森繁氏は数少ないながらもアニメに声優として出演している。
日本初の本格的カラー長編アニメ映画「白蛇伝」(1958年)で宮城まり子と、すべてのキャラの声を演じるという離れ業をやってのけた。そして1997年の大ヒット作「もののけ姫」では猪の長「乙事主」の声で重厚な演技を見せている。宮崎駿は白蛇伝を観てアニメへの道を志したと言われているが、もののけ姫での森繁氏起用の根底には白蛇伝への思いがあったのではないかと思う。
ほかにも、僕は未見だが 2001年の「ドラえもん のび太と翼の勇者たち」や、「スノーマン」で有名なレイモンド・ブリッグス原作の「風が吹くとき」の日本語版にも出演している。

あと、これは個人的なことだが森繁氏は僕と同郷で、地元の名誉市民でもある。
故郷の偉大な先輩の死を悼み、冥福を祈りたいと思う。

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「白蛇伝」この美男も森繁さん・・・。


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2009年11月 4日 (水)

タツノコの遺伝子

先日NHKのBSハイビジョン特集で「アニメ青春時代 夢に挑んだ男たち」という番組が放送された。日本のTVアニメ黎明期から独自の路線でひときわ大きな輝きを放ったタツノコプロの物語である。

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文字通り「遺伝子」を受け継いだ吉田竜夫氏の長女・吉田すずか版の、現代風にアレンジされたアクビちゃんを参考に描いてみた。

1963年(昭和38年)に始まった鉄腕アトムに刺激を受けた吉田竜夫が自分もアニメを作ろうと、マンガ工房だったタツノコプロをアニメ制作会社に変貌させた。漫画家で挿し絵画家でもあった吉田だがアニメに関してはまったく素人、そこへ新聞広告によって集まった人々もまた素人ばかりであった。唯一、吉田が声をかけた笹川ひろしだけが手塚治虫の元でアニメ制作を経験していたのみであった。
そんな素人集団ゆえか、既成概念に縛られない自由な作風がタツノコの持ち味となり、そこからは個性溢れるクリエーターが数多く輩出されたのである。
番組で紹介される主な“タツノコ出身者”は、後にガンダムやナウシカの美術を担当し、あの傑作・マッハ号のデザインを生み出した中村光毅、同じくガンダムのメカデザインなどででいまや知らぬ人のいない大河原邦男、大河原はガッチャマンの敵メカなどを始めとするメカデザインやタイムボカンシリーズを担当しており、アニメ界で「メカニック・デザイン」という肩書きを初めて持った。そして劇場版「地球へ・・・」などで知られる実力派アニメーターの須田正己、画家の天野嘉孝。大河原がメカデザイナーなら天野は「キャラデザイン」の専門家だ。アニメーターを経験せずにキャラデザイン専門の役職というのは極めて異例だった。そしていまや世界的映画監督の押井守らである。
そしてこうした人々の才能を信じ、開花させたのが吉田竜夫であった。吉田は多くの人間を育て、僕らに夢を与えてくれた。そしてその「タツノコの遺伝子」は今も脈々と受け継がれている。

番組で紹介されたわけではないが「イデオン」などのキャラデザインで知られ、この年末公開の「宇宙戦艦ヤマト 復活編」では総作画監督を務める湖川友謙もタツノコの遺伝子を受け継ぐ一人だろう。タツノコに所属していた訳ではないが、若いころに数多くのタツノコ作品に参加しており、その作画の随所に吉田竜夫の影響が見てとれる。番組中で紹介された吉田のキャラデザインの絵柄は後の湖川の絵と共通点が多く、絵柄的には今でも最も「タツノコ色」を残す一人だと思う。OVA版ガッチャマンなどを手がけた梅津泰臣もタツノコ出身ではないながらも、その絵はタツノコの遺伝子を受け継いでいると言えるだろう。

初期のタツノコ作品は、そのほとんどが吉田竜夫のキャラデザインによるものだ。それが独特のタツノコカラーと呼ばれる作風につながったのは言うまでもない。僕は子供ながらにタツノコの作風が独特のものであることを感じ取っていた。東映動画や虫プロと同じくらい、あるいはそれ以上に「タツノコ」は特別な存在だったのだ。
そのタツノコプロはかつて、僕が通っていた大学のすぐ近くにあった。
番組中でも、そのタツノコのスタジオがあった場所を笹川が訪ねるシーンがあった。懐かしい駅も映っていた。僕は大学時代にその駅前で何度か笹川氏をみかけたことがあった。声をかけることも出来ず、ただ後ろ姿を見送っただけだったが。
雑木林の中に「←タツノコプロ」と書かれた看板が立っていたことを今も憶えている。なぜ、あんなにも近くにいながら僕は一度もタツノコを訪問しなかったのだろうか。そのことは今でも後悔している。
そのころ、吉田竜夫はすでにこの世にはいなかった。吉田竜夫は1977年に45歳という若さでこの世を去っていたのだ。僕がそのことを知ったのは、このブログで何度か紹介している雑誌「マンガ少年臨時増刊 TVアニメの世界」(1977年刊)に掲載された記事によってであった。ちょうどアニメにのめり込み始めた頃であり、僕にとっての「アニメの入門書」とも言えるこの本で僕は、小さい頃から何度も目にしていた「吉田竜夫」の顔を初めて知ったのだ。しかしそれが「訃報」であるというのは皮肉な感じがしたものだ。

僕は今日、45歳になった。吉田竜夫が亡くなったのと同じ年齢だ。
だけど僕は何も生み出すこともなく、誰かに影響を与えることもなく、ただひたすら人生の時間を浪費してきただけだ。その人生の密度の差に情けない思いを抱きつつ、今日からもまた楽な方、楽な方へと流されて生きて行くんだろうと思う。こんな僕でも少しは誰かの役に立ったり、誰かに影響を与えたり出来てたらいいのに、なんてムシのいいことを考えながら・・・。

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2009年10月25日 (日)

愛・おぼえていますか

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1984年に公開された映画「超時空要塞マクロス」の劇中歌(主題歌)「愛・おぼえていますか」は太古の文明で流行ったありふれたラブソングという設定で、この歌が物語のカギを握っており、ラストはアイドル歌手・ミンメイが歌うこの歌をバックに戦闘シーンが展開される。激しい戦闘にラブソングというミスマッチが歴史的な名シーンを作り出した。
この曲は先頃(10月16日)亡くなった加藤和彦氏が作曲を手がけた作品だ。作詞は夫人(当時)で作詞家の安井かずみ氏。数々のヒット曲を生んだゴールデンコンビの手による名曲だ。単なるタイアップによる主題歌ではなく物語の根幹に関わる重要なアイテムとしてのラブソングを見事に作り上げている。この作品の成功はこの歌なくしてはあり得なかった。

加藤和彦氏は、今さら僕などが言うまでもなく日本の歌謡史において欠かすことの出来ない重要な存在でもあった。「帰ってきたヨッパライ」が流行っていたのは憶えているし、「あの素晴らしい愛をもう一度」は中学の音楽の教科書にも載っていて授業で唄い、憶えた。今でもこの曲や「イムジン河」「悲しくてやりきれない」「青年は荒野をめざす」などはしょっちゅう聞いている。
なにより、僕にとって加藤和彦氏は「カッコイイおじさん」だった。才能に溢れ、背が高くスマートでオシャレ、そしていつも柔和な笑顔を絶やさない。僕が憧れる「おじさんの理想像」だった。だから加藤氏の自殺は少なからずショックだった。才能溢れる人ゆえの苦悩だったのだろうか。

僕たちアニメファンにも素晴らしい曲を残してくれた加藤和彦氏の冥福を心から祈りたいと思う。


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2009年10月 3日 (土)

動き出した実写版「ヤマト」

やっぱ、本当だった「実写版ヤマト」。
地球側主要キャストが今朝のスポーツ紙にでかでかと出ていたのでご覧になった方も多いと思う。

本当にやるんだ・・・というのはアニメ版「復活編」と同じ思い。
どこかで期待しつつもウソならいいのにという思いだ。

タイトルは「SPACE BATTLESHIP ヤマト」。
なんで中途半端に英語なの??
「宇宙戦艦ヤマト」でいいじゃんよ。日本語だからこそ意味があるのに。

その主要キャストは以下の通り。

古代進(ヤマト戦闘班リーダー)=木村拓哉

森 雪(ヤマト戦闘班ブラックタイガー隊)=黒木メイサ

真田志郎(ヤマト技術班班長)=柳葉敏郎

島大介(ヤマト航海班班長)=緒形直人

斉藤始(ヤマト乗組員、空間騎兵隊隊長)=池内博之

相原(ヤマト乗組員、通信班)=マイコ

古代守(進の兄。駆逐艦ゆきかぜ艦長)=堤真一

佐渡先生(ヤマト艦内の医師)=高島礼子

藤堂平九郎(地球防衛軍司令長官)=橋爪功

徳川彦左衛門(ヤマト機関班班長)=西田敏行

沖田十三(ヤマト艦長)=山崎努

・・・なんてコメントしていいものやら・・・・というのが本音だ。
で、あえてコメントを。

▽古代進=木村拓哉は・・・好きではないのだが年齢を除けば実はそう悪くない気がしているのだ、実は。こういう非現実的な世界には合っているかも。
▽ユキ=ん?ユキがブラックタイガー隊??「生活班長」じゃないの??・・・なんでも実写版では「戦う女性」のイメージを強調するのだそうだ。そういう意味では黒木メイサもありなんだろうけど。ん〜、ヒロインが看護婦(師)で「生活班」なんてのは古いのかも知れないけど、血気盛んで前線に飛び出す古代との対比上あまりよろしくない気がする。
▽真田さん=ギバちゃんかぁ。う〜ん・・・キャラの立ち位置的にはいいか・・・。東北弁の真田さん・・・(爆)
▽島=好きな俳優だけど年齢的にちょっと厳しい。まじめな感じはイイ。
▽斉藤=ん??「さらば」のキャラじゃんか。監督が好きなのかな、斉藤が。やっぱもう少しガタイのいい俳優のが向いてそうだけど。
▽古代守=あ、これはイイかも。
▽佐渡先生=コレが驚き。敢えて女性にするのかぁ。クールな女医になっちゃいそうなんですけど。
▽相原=マイコ?マイコー?(←ちがう)。知らない。女性を入れたかったのね。写真を見た限りではむしろ彼女がユキのイメージに近い
▽防衛軍長官=ああ、悪くないかも。ちょっと迫力に欠ける気もするが。
▽徳川さん=ちょっと軽そう。むしろ西田さんが佐渡先生って感じ。
▽沖田艦長=んんんんんん〜。むしろ悪人顔なんですけど。肉体的な迫力に欠ける感じ。

これ書きながら「じゃあ誰がいいんだろう」と考えてみたけど。意外と俳優の名前が思いつかない。佐渡先生は中村梅雀さんあたり良さそうな気が。沖田艦長は江守徹さんかなぁ。あと20年若ければ絶対に三國連太郎さんなんだけどな(ホントは三船敏郎さんがいれば文句なし)。徳川さんは大滝秀治さんあたりが最高なんだけど・・・。アナライザーは出るのだろうか??だとしたらやっぱCGなんだろうか。せめて声は緒形さんに!ほかにも加藤三郎や、太田、南部、藪らはサブキャラなので出るのかどうか分からないけど出て欲しいな。

ガミラス側は後日発表とのことだが、こちらはより衝撃的なことになりそうな予感がする。デスラーなんて伊武さん自身がやってなんら問題がないように思うんだけど、もう少し若い俳優なら阿部寛なんかは顔が濃いし、怪しい役もこなせるのでいけそうな感じがする。ドメルは藤岡弘、でどうだろう。
そもそも、ガミラス側って日本人にできるのかという疑問はあるけど。
そしてスターシャは・・・出るのか?これこそ日本人じゃどうしようもないだろうし。出ないとストーリーが成り立たないし・・・。スターシャかぁ・・・これが成否のカギかも。
まあ、アニメやマンガを実写にする際はビジュアル的なものを含め全てがイメージ通りだなんてことはまずあり得ない。問題はフィルムの中でそのキャラが成立しているかどうかである。それは完成したものを見てみないと分からないので、しばらくはあれこれ思いをめぐらせながら無い物ねだりをするのもまたいいかもしれない。

アニメと実写は全く別物だと割り切りたいけど、そんなのは絶対ムリだ、「ヤマト」と名が付いているのだから。本当は「復活編」も「実写」も実現などして欲しくなかった。だけどやっぱり「ヤマト」から目を背けるのことなど出来ない。あの熱い想いをもう一度取り戻せるかも知れないという期待をしてしまうのだ。
もう動き出してしまったからには、僕らは待つしかない。それがどんなものになろうとも間違いなく観に行くだろう。

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2009年9月30日 (水)

「アニメの殿堂」はなくなるのか

今年、まだ自民党(と公明党)政権だったころ話題になった「国立メディア芸術総合センター」、通称「アニメの殿堂」は政権交代によりやはり白紙に戻されそうである。僕自身は当初から期待していたので正直残念である。そのあたりのことについては7月に書いていて、今回は繰り返しになるのでやめておくが、今日はこの「アニメの殿堂」についてのコラムを読売新聞で見つけたのでちょっと記しておく。筆者は読売新聞文化部記者の鈴木美潮さん。特撮オタクでアニメやアニソンファンとしても有名な方だ。鈴木さんのコラムにはたびたびアニメや特撮、アニソンが登場するので僕は割と楽しみに読んでいる。鈴木さん自身、TVにもよく登場するのでご存じの方も多いだろう。
今回のコラムは「アニメ界 正当な評価を」と題し、「アニメの殿堂」の建設取りやめについて「そもそも対象がアニメやマンガでなければここまで標的にされなかったのではないか(中略)鳩山首相も含め、アニメやマンガを下に見る意識がどことなく透けて見える」と書いている(全文はこちら)。
まさしく我が意を得た思いだ。僕が前に抱いていた想いと全く同じなのだ。麻生前首相が「漢字が読めない」ことで話題を振りまいた時も「漫画ばかり読んでるからだ」などという「漫画差別」が平気で繰り返されてた。アニメが世界に通用するコンテンツだなんだと持ち上げてみても、所詮はその程度にしか見ていないということだ。

「アニメの殿堂」が白紙撤回されるということは残念だが、今はアニメやマンガを理解しない連中の手にかかっておかしなものになるくらいなら、ない方がマシと考えてもいいかなと思っている。アニメやマンガというのは、世間から認められないという反骨によって成長してきた面もある。そういったエネルギーは失って欲しくないと思う。しかし、過酷な制作現場の状況はなんとかして欲しいと思う。最近どこかで読んだのだが、アニメ制作の現場で賃金が極端に低いのはアニメーターや背景を描く人たちであり、要は制作費の配分バランスがおかしいという事らしい。本当にそうなのだとしたら、そういった構造的問題は一刻も早く改善されるべきであろう。
川端文科相は「ソフトや人材を育てる」と言っているそうだが、こうした現場を視察するなりした上で「殿堂」の要、不要も含めて検討してもらえないものかと思うのだが。

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2009年9月27日 (日)

富山敬さんのこと

前回富山さんの命日の記事を書いたので、特に「何回忌」とかではないのだが
もう少し富山さんのことを書きたくなった。

僕が「TVまんが」ではなく「アニメ」に興味を持ち始めたのは中学生の頃からだ。何度もこのブログで書いているようにきっかけは「宇宙戦艦ヤマト」だった。そのヤマトブームはアニメブームを呼び、アニメキャラの人気はその声を当てている声優さんたちの人気にも火をつけた。アニメブームは声優ブームでもなった。その中で人気、実力、実績などどれをとってもトップにいたのが富山敬氏であった。
1978年当時のTVアニメでは「グランプリの鷹」で主役を、「スタージンガー(サー・ジョーゴ)」「キャンディ・キャンディ(テリー役)」「ヤッターマン(ナレーション)」でレギュラーを務めていたが、なにより前年に公開された「宇宙戦艦ヤマト」と、この年の「さらば宇宙戦艦ヤマト」の古代進役でその人気は頂点に達していた。当然、雑誌に登場するケースも多く各誌でインタビューなどが掲載されている。僕が富山さんの名前をいち早く覚え、「声優」という仕事を知ったのもこうした記事でだった。
と、いうわけで今回は富山さん自身がメディアに登場した時の画像をいくつか紹介しよう。

はっきりした記憶ではないが、僕が「富山敬」をちゃんと認識したのは、このブログでも取り上げたことのある1977年発行の雑誌「マンガ少年臨時増刊 TVアニメの世界」の寄稿「僕は声有」という一文だったと思う。写真は掲載されていない。
Tv
「マンガ少年臨時増刊 TVアニメの世界」

 富山さんの姿を初めて拝見したのは1978年6月28日発売の「OUT」8月号だった。OUTではファンが声優さんにインタビューするという企画があって、富山さんの前には森功至さん、神谷明さん、山田康雄さんなども登場していた。僕はこの企画で顔を知った声優さんも多い。

Out
これがその中の一枚。ダンディーだ・・・。
だけど、思ったより年配だったことに少なからずショックを受けた。それもそのはず富山さんのアニメデビューはあの「鉄人28号」であり、この時すでに40歳前後なのだ。だけど、ショックの一方でそんな人たちが何の違和感もなく少年の声をやってたりするということに声優という仕事の奥深さを感じたのも確かだ。

「アニメージュ」では「声優24時」と言うコーナーで創刊第3号に登場している。
タイトルは「苦労も淡々と語る都会派の美学 富山敬」。アニメブームを一歩引いたところから見ているクールな姿勢が印象的な記事になっている。富山さんに限らず、当時のベテラン声優の多くは同じようなところがあった。今改めて読み返すと、記事の文体がすごくオトナっぽくてカッコイイ。さすがに週刊誌の記者が集まってできたアニメージュ編集部だけのことはある。
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その中の1枚。タバコ好きだった。

Photo_2 これはアニメブームの真っ最中、1979年に発行された「声優の世界」。巻頭には井上真樹夫氏、麻上洋子氏、水島裕氏ら人気声優のカラーグラビアが掲載されている。これはその中の1ページ。うーん、コメントしづらいな。

1988年(だったはず)に、大阪のよみうりテレビで開局30周年を記念して「よみうりテレビ アニメ30年史」という番組が放送された。パーソナリティーは神谷明。よみうりテレビ制作のアニメ番組のOP,ED全てを放送するというアニメファンにはうれしい番組だった。ゲストも多数登場し、富山さんも「宇宙戦艦ヤマト」のコーナーで麻上洋子氏とともに登場。ヤマトのクルー・古代進、森雪、加藤三郎が並ぶ豪華な3ショットが見られた。富山さんはよみうりテレビ制作のアニメでは「タイガーマスク」「侍ジャイアンツ」「宇宙戦艦ヤマト」で主役を務めた。
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豪華3ショット

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富山さん。当時50歳くらい。

富山さんが亡くなったのはこ番組の7年後、1995年のことである。まだ56歳であった。人気アニメ「ちびまる子ちゃん」の友蔵じいさん役もすっかり定着していた中での急逝だった。友蔵役を引き継いだのが「ヤマト」で真田志郎を演じた青野武氏。ヤマトのピンチを何度も救った真田さんが、この時も古代のピンチを救ったんだ、と涙したファンは多かったはずだ。

富山さんはもういない。だけども残された作品は永遠だ。
いつでもどんな時でも僕たちは富山さんに会うことが出来る。
数々のアニメを観ている間だけ、僕は少年に戻れる。
そしてそこに「富山敬」は生きている。

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2009年9月25日 (金)

「名優」富山敬氏の命日

本日2本目の記事である。

今日、9月25日は14年前に亡くなった「名優」富山敬さんの命日だ。
富山氏と言えば1970年代後半の「声優ブーム」を牽引し、全てのアニメファンから愛されたと言っても過言ではないほどの人気者だった。声優という職業の地位向上に果たした役割も小さくないはずだ。
出演した作品も挙げればきりがない。ヒーローも三枚目もシリアスもコメディーもなんでもこなし、その芝居の幅広さにおいて右に出る者はいなかった。
古くは「タイガーマスク」の伊達直人、「佐武と市」の佐武、「侍ジャイアンツ」の番場蛮、「グレンダイザー」のデューク・フリード、「タイムボカンシリーズ」のナレーター、「銀河鉄道999」のトチロー、「マルコ・ポーロの冒険」のマルコなど・・・。そしてなんといっても「宇宙戦艦ヤマト」の古代進。どれもみな大好きなのだが、僕が一番好きなのは「ガンバの冒険」のガクシャである。作品の素晴らしさ以上にガクシャというキャラが大好きだった。そしてそのキャラクターは富山氏の名演なくしてはあり得なかったはずだ。

僕が初めて憶えた声優の名が「富山敬」である。
それはもちろん、ヤマトにのめり込み、そこからアニメへのめり込んでいったからである(余談だが、ヤマトのエンディングで一番最初に名前が出るのは沖田十三の納谷悟郎氏である。ヤマトの主役は沖田艦長なのだ)。
だから僕にとっての「富山敬」は「声優」の代名詞のような存在だった。

今年、その富山氏の代表作だった「ヤマト」が復活しようとしている。
富山氏のいないヤマトを観るのは初めてになる。
いったいどんな思いが湧いてくるのだろうか・・・。

本当なら大好きなガクシャを描きたいところなのだが、ちょっと時間がないので過去に描いた富山キャラ「番場蛮」で穴埋め。
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2009年9月21日 (月)

ヤマト復活展

東京は丸善書店で【宇宙戦艦ヤマト完全復活展】なるものが開催中ということで出向いてきた。入場無料ということで期待はしていなかったが、そういう意味では期待通り(?)だった。

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丸善が入ってるビルのロビーに、どーん!とこんなのが。足を止めて見ている人が少ないのが寂しい。やっぱ実物大じゃなきゃ(←むりですから!)。

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会場入り口

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会場内。けっこう狭い・・・上の模型はかっこ良かった。かなり古いものらしいが。

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映画版パンフ3種。全部もってるし。下の見開きは「ロードショー責任編集 さらば宇宙戦艦ヤマト」。なのに「新たなる旅立ち」という説明が・・・まん中のは彗星帝国だろがっ!!

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ムックなど。上の段の右側3冊は知らないや・・・。
下の段の奥にも本があるのだが上の棚が邪魔してほとんど見えない。愛のない展示だ・・・。

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8mmフィルム。ビデオが普及していない時代ならではの商品。当時も映写機なかったから買わなかったけど、思いあまって買いそうになった。なぜならフィルムなら絵が見られるから・・・マジで相当悩んだ想い出がある。

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LPレコード2枚と・・・右は下敷きだな。「交響組曲宇宙戦艦ヤマト」は何度聞いたことか・・・。下敷きも全く同じモノをずっと使ってた(まだ持っている)。

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「復活編」原画(コピー)。おっ、この眉なし顔は・・・。左は・・・島?・・・の弟、次郎でした。髪の毛のくりくり感がそっくし。

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最後にキャラ表から折原真帆と古代の娘美雪。もちろん、雪との間にもうけた子供である。ん〜、やっぱタツノコっぽいんですけど

ほかにもセル画や市販されたプラモの完成品などが展示されていたのだが、「レア度」とか「涙度」の高いものはあまりなかったように思う。ていうか愛が足りない、ヤマト愛が。もうちっと展示の仕方に工夫もあったろうになぁ・・・。

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2009年9月19日 (土)

まんだらけで買った

前回記事でちょっと触れた、夏休みがてら帰省した際に大阪のまんだらけで買った本が届いた。

まずは旧ルパンのムック2冊
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ま、徳間書店で言えばロマンアルバムみたいなもの。ていうか、作りはほとんどロマンアルバムである。発行元の双葉社にとって、ルパンはドル箱なのでおそらくは徳間にロマンアルバムを作らせなかったのであろう。「カリオストロの城」のムック本も双葉社から昭和56年(1981年)に発行されていて、これがまんま「ロマンアルバム」だった。今回購入したこの2冊は昭和59年発行なのだが、なぜか僕は持っていなかった。旧ルパン全23話のフィルムストーリーがカラーで掲載されていて、設定資料も豊富。表紙のイラストもシリーズの前半と後半の雰囲気に合わせてあってイイ感じ。

続いては「変身ヒーロー大全集」
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これは講談社発行。東映の等身大変身ヒーローを集めたムックだ。仮面ライダーも東映だが、ライダーはほんの少し触れてあるだけで、表紙にあるキカイダー(とゼロワン)、バロム1、イナズマン、変身忍者嵐、ロボット刑事が収録されている。そして表紙にはないが「好き!すき!!魔女先生」も掲載されている。「魔女先生」がなぜ変身ものとして扱われているのか、ここでは省くがこの作品が収録されていることがこの本を買う決め手になった。それにしても、バロム1以外はすべて石森章太郎原作だ・・・スゴイな、改めて。

つづいては「東京ムービーアニメ大全史」
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これは平成11年、辰巳出版発行の比較的新しいもの。辰巳出版からはこのような製作会社別のムックが何種類か出ている。とりあえず今回は東京ムービー版を買ってみた。大塚康夫氏や杉野昭夫氏のインタビューあり。

最後はコミック版「宇宙戦艦ヤマト」
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放送開始から35年、ついに今年復活するヤマト。最近コンビニ本が出ていたので買おうかと思ったが、ヤマトの装丁はやっぱこれでなけりゃねー。タイトルは3巻とも「宇宙戦艦ヤマト」だが、1巻がファーストシリーズで、2・3巻は続編である。その2・3巻は、映画版の「さらば・・・」ではなくテレビの「2」に沿った展開だが、惑星テレザート星につく前に終わってしまっている(「第1部完」とあるが、今のところ続きは描かれてはいない)。この3巻の巻末には番外編「永遠のジュラ編」が収録されている。ジュラとはデスラーの娘である。そのストーリーの詳細は・・・機会があればどこかで読んでみてほしい。
このヤマト全3巻、僕は間違いなく持っていたのだが行方不明なっている。捨てるはずはないので実家をくまなく探せば出てくるはずなのだが・・・。そもそもそんな分かりにくいところに置いてあったはずもない。今度徹底的に探してみなければ。

今回まんだらけで購入したのは以上である。
毎度毎度買いたいものばかりで本当に困る。いいかげん本棚も限界超えてるのだが。

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2009年9月 9日 (水)

2009.9.9

・・・と、いうわけで今日は9並び、999の日です。
そうです、また999です。

今日は9がみっつ並ぶ日ということで、劇場版999のブルーレイディスクが発売される。
・・・なんだけど、ブルーレイプレーヤー持ってないし。どうしたもんかな。
そうこうしてるうちにすぐに次世代ディスクとかいうことになっちまうんだろうしなぁ・・・。

ま、それはそれとして記念に(?)メーテル描きました。
線はガタガタで、かなり手抜きです・・・すみません。090909_2

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2009年9月 5日 (土)

ミッチ デビュー40周年

今年は僕にとって思い入れの深いものの数々が○○周年を迎える年だ。
そのうちのひとつ(一人)が、今や「アニソン界の女王」として知らない人はいないであろう、ミッチこと堀江美都子のデビュー40周年だ。

ミッチのアニメ歌手としてのデビューは1969年「紅三四郎」の後期OPテーマによってだ(前期OPは流行歌手だった美樹克彦)。以来ミッチが唄ったアニソンは主題歌、挿入歌など1000曲を超えると言われる。僕は「紅三四郎」と2曲目の「アクビ娘」ともにレコードを買ってもらっていて、ちっちゃいころからそれとは意識せずミッチの歌を聴いていたわけだ。そういうこともあってか、ミッチの曲で僕が一番好きなのが「アクビ娘」であり、次が「紅三四郎」である。

僕が「堀江美都子」という名前をちゃんと意識するようになったのは、アニメに興味を持ち始めた中学生の頃だ。アニメの興味は作画や演出家といった映像を作るスタッフへの興味とともに、声優やアニソンを唄う歌手への興味へと広がっていった。元々アニソンは大好きでFMなどで特集があると必ず録音していたのだが、歌っている人にちゃんと興味を持つようになったのはやはりアニメへの興味が高まってからのことだ。
そうした中、アニメ関連の雑誌などで必ず登場するアニメ歌手というのが何人かいて、それがささきいさおであり、水木一郎であり、大杉久美子であり、そして堀江美都子であった。中でもアイドル的ルックスのミッチに僕はことさら惹かれたのだ。ある日、何故そういう話になったかは憶えていないが、母が「堀江美都子って紅三四郎の歌、唄ってたんとちゃうか?」と僕に言った。僕は「え??ホンマに??」と驚いてレコードを取り出して見た。するとそこには母の言ったとおり「堀江美都子」の文字があった。そして僕はピンときた。「アクビ娘の歌」が同じ声だったはずだということに。これもレコードで確かめるとやはり思ったとおりだった。僕はうれしくてうれしくてたまらなかった。当時のミッチはキャンディ・キャンディが大ヒットし、ボルテスVのようなロボットものも唄うなどすでにその地位を確立していたが、あの紅三四郎の歌声とは僕の中で結びつかなかったのだ。しかし、なるほど言われてみれば声は幼いが、たしかにミッチの歌声に違いなかった。
幼いころから何度も何度も聞いてきた大好きなレコード。そしてその歌声の主が、今(つまり中学生の)興味を抱き始めてる歌手だったということに不思議な縁を感じないではいられなかった。中学生の僕は再び出会うべくしてミッチと出会った。そんな気がしてならなかったのだ。

それからはお小遣いをやりくりしてミッチのレコードを買いまくった。観たことのないアニメの主題歌もミッチの歌なら憶えたし、好きになった。深夜ラジオ「ミッチの独り言倶楽部」も毎晩聞いた。高校生になるとミッチのライブにもたびたび足を運んだりもしたし、サインをもらうためにあまり買いたくないレコードも買った。当時、すでにミッチには多くのファンがいてコンサートやライブも開催されていた。だけども、今ほどにはあきらかなファン向けイベントというのは少なく、遊園地などで子供向けに「堀江美都子ショー」みたいなのも多くちょっと肩身の狭い思いをしながら見たものだった。いつだったかサイン会のときにララベルのイラストをあげたこともあったはずだ。あんなのもらったって困るだろうに・・・。
もちろんファンクラブもあった。
僕は「サークル・ミッチ」という公認(だが、私設の)ファンクラブに入会していた。会員向けに写真集を作るなど、なかなかに充実したクラブだったと思う。
僕は会員の方々と直接交流を持つことはなく、どちらかというとミッチの情報が欲しいだけの理由で入会していたが、何事も長続きしない僕は、大学生になるころには会費を滞納するようになり自然退会のような形で「サークル・ミッチ」とは縁が切れた。

僕が主題歌としてミッチのアニソンを聞いたのは「愛してナイト」あたりが最後かも知れない。その頃からTVアニメ自体をあまり熱心には見なくなりつつあったせいもあるだろう。また、その頃はアニメの主題歌が「いかにもアニソン」といったものから、現在のようにJ-POP的なものに変わりつつあった頃でミッチや水木一郎、ささきいさおといったアニソン歌手が主題歌を歌うケースも以前ほどにはなくなっていた時期でもあった。だから「愛してナイト」以降のミッチの曲はほとんど知らない。そういう意味ではファン失格だろう。

だけども僕にとってのミッチは、僕が大好きだったアニメの主題歌を歌うミッチだ。オリジナル・アルバムを意欲的に出していたミッチも好きだったしそのアルバムも買ったけど、やはりミッチはアニソンでこそ最高に輝くのだと僕は思う。
40年という月日が嘘のように思えるほど変わらないその歌声は、僕の心を「堀江美都子」を知らなかった子供の頃に連れ戻してくれる。そして大人になった僕の心には深い安らぎを与えてくれるのだ。

ミッチ、デビュー40周年おめでとう。
あなたの歌声で育ち、今もその歌声に元気をもらっている「元・少年」がここにもいます。いつまでもその宝石のような奇跡の歌声を聞けることを願っています。

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「紅三四郎」のジャケットとレコード中央部のアップ。
5歳の時、僕はミッチと出会っていた
ちなみにB面「夕陽の男」は、ミッチではなく「ハクション大魔王」や「みなしごハッチ」の主題歌を唄う嶋崎由里と、山尾百合子のデュエット曲。こちらも名曲である。
考えてみれば男の子向けのアニメでA、B面とも女性(少女)歌手が歌うって極めて異例かも?

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「ハクション大魔王」のジャケット。紅三四郎とはA面とB面の歌手が入れ替わったことになる。

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ミッチのコンサートパンフ。サインは直筆。「1980年7月31日」とある。実はどこで見たのか、よく憶えていない(それでもファンかよ!)

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「サークル・ミッチ」発行の写真集。1000部限定の非売品。写真はモノクロのみだが、本当の貴重品!

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2009年9月 3日 (木)

宇宙戦艦ヤマト 復活編

超しんどかった仕事を終え、一段落。復活しました。
う〜、それでもまだしんどい・・・。

そんでもって「宇宙戦艦ヤマト 復活編」。
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沖田艦長は出ないだろうけどね、さすがに・・・。

ネットでもいきなり予告編が公開され始めた。
ホントにやるのね・・・ついこないだまでまだまだ半信半疑で、結局お流れじゃないかと思っていた。しかし、東宝のHPで予告編まで流れ始めたとなるとこれはもうホントなんだと実感。心のどこかでウソであってほしいという思いはずっと持っていた。それは、世間の「またやるの?」という嘲笑を聞きたくないという思いであり、僕たちのヤマトをこれ以上さらし者にして欲しくないという思いだ。だけどその反面「ひょっとして今度こそは素晴らしいヤマトが観られるかも」と、期待してしまう気持ちが同居するのはヤマトファン共通の心理ではないだろうか。
・・・それもこれもあのトラウマによるものである。

で、その予告編である。

あかん・・・あのBGM聞くだけで鳥肌が立ってしまう。
けっこうグッときてしまう。この宮川さんのオリジナルBGMは本編でも使うのだろうか。アレじゃなきゃヤマトじゃないし。
作画監督が「さらば」の湖川氏だけあって絵は美しい。だけど少々リアルさがアップしたせいか「タツノコ版宇宙戦艦ヤマト」みたいで(湖川氏だからしょうがないんだけど)違和感もある。佐渡先生とアナライザーが出たときは無条件で泣けた。声もそのままだし。
古代の声はたぶん山寺宏一氏だろう。これはOKだ。雪は予告篇には出てこない。
沖田艦長のレリーフにも泣けた・・・。
CGのヤマトにはやはり馴染めない。あの錨マークもやめて欲しい。CGの戦闘シーンはスピーディーなんだろうけど、手描きのが観たい。ヤマトの戦闘シーンはスピーディー過ぎないところに魅力があったんだけどな。ああ、金田さんが参加してたらどうなってたろう・・・。

・・・などなどとりとめなく感想を書いてみたが、なんだかんだで間違いなく観に行くだろう。
僕はやっぱりヤマトが大好きだ。
ヤマトの旅の終わりまで付き合うしかない。

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2009年8月11日 (火)

恥さらしの時間(3)

穴埋め企画「恥さらしの時間」。
第3回目はこのところずっとネタにしている劇場版「銀河鉄道999」である。
すべて30年前の1979年、中3の時に受験勉強そっちのけでせっせと描いたものだ。
そりゃ受験失敗するわな・・・。

それじゃ、いってみよー。

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まずは鉄郎。ま、普通に模写ですな。詩はOPナレーションだが本編とは一部が違っている。アニメージュの公開前の特集に載っていたのをそのまま書き写した。

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機械伯爵。ネーミングとデザインが秀逸な悪役。これも単なる模写


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リューズ。これも模写。映画のカットではなく設定書の模写。リューズの名は、時を操る女ということで時計の「竜頭」から来てるらしい。

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トチロー。模写。ハーモニカの音が印象的なシーン

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最後はハーロック。これだけは模写ではなく、クライマックスの戦闘シーンを思い浮かべて描いた。ハーロックは割と早い時期から模写ではなく自分なりの描き方を模索していた

・・・以上。
え?メーテルがない??・・・なぜかこの頃はあまり描いていなかった。
難しいからか・・・?

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2009年8月 7日 (金)

銀河鉄道999映画祭

3回連続999ですんません。ひさしぶりに999燃えです。

去る8月4日、新宿のバルト9で行われた「銀河鉄道999映画祭」のイベントへ行ってきた。999の劇場版公開から30年記念、そして9月9日に発売されるブルーレイの発売記念の企画だ。劇場版999のHDリマスター版の上映とゲストによるトークなどが行われるだけのイベントだが、30年経ってなおこうしたイベントが成り立つということこそが999という作品が持つ力なのだろう。

ゲストは、もちろん松本零士先生。そして野沢雅子さん、池田昌子さん、肝付兼太さん、麻上洋子さんらの声優陣、さらにゴダイゴのタケカワユキヒデさん。そしてりんたろう監督、東映の高見義雄プロデューサー、作曲家の青木望さんという豪華なメンバーだ。現在発売中の雑誌「ダ・ヴィンチ」でメーテルのイメージグラビアを披露しているモデルの杏さんが、そのメーテルの服装(コスプレ)で登場するというのシーンがあったのだが(遠目にはすごく似合ってた)、客層が客層だけにそれほど盛り上がりもせず(イベントのあった映画館の入ってるビル、つまりマルイの客層なら大興奮だったのだろうけど)杏さんがちょっと可哀相な気もしたのだった・・・。ただ杏さんと並んだ松本先生がちょうど鉄郎ぐらいの背の高さだったことを司会者に突っ込まれて、笑いを誘っていたがまんざらでもない様子だった。
当然、我々オタク的には杏さんよりも声優さん達の登場こそが大興奮であって、僕なんかは野沢さんや池田さんの姿を見ただけで涙ぐむ始末だった。池田さんの声なんて本当に全くお変わりなく目をつむって聞いていたらすぐそこでメーテルがしゃべっているかのようでホントに感激しどおし。もちろん池田さんご自身がお美しく、ふだんのしゃべり方そのものがメーテルのような方だった。
声優陣は一旦退場の後、タケカワユキヒデ氏が生で主題歌を熱唱。カラオケで歌うのは初めてだと言って場内を笑わせてたが、そのオケはタケカワ氏自作とのことでプロらしいこだわりを見せてた。そしてりんたろう監督、高見義雄プロデューサー、作曲家の青木望さんらが登場し、タケカワ氏をくわえて当時のエピソードを披露。なんでもタケカワ氏は主題歌を一晩で仕上げたとのこと。しかも資料はキャラ表となぜか機関車の車輪だけ渡され「この車輪が空へ上がってゆくんだって言われて、さあゆくんだ・・・って下から上に上がって行くようにした」という話で場内大爆笑。トークの上手さもさすがで一番ウケてた。ただ、時間が少なくみなさんの話をちょっぴりしか聞けなくて残念ではあった。個人的には青木望さんの話をもう少し聞きたかったのだけど、おとなしい紳士の青木さんは口の達者な人たちに囲まれてしゃべりにくかったのかな・・・。

僕は一人で参加したのだけど、おそらく会場にいたほとんどの人が同じ時代を生きてきた人たちだったはずだ。昔と変わらぬ鉄郎やメーテルの声を聞き、あの主題歌を生で聴き、スタッフの思い出話に目を細める。それはある種同窓会とでも言えるような柔らかく暖かい空気だった。だからこそ、僕はすでにこの世にはいない999のスタッフや声優さん達のことを考えないではいられなかった。
この名作のビジュアル面を担った、キャラデザイン・作画監督の小松原一男さんと美術監督の椋尾篁さん、そして先頃急逝されたアニメーターの金田伊功(メーテル星崩壊シーンなど名シーンを作画)さん。声優陣ではトチロー役の名優・富山敬さんやアンタレスの久松保夫さんらもすでにこの世にはない。監修をした映画監督の市川崑さんも昨年亡くなられた。そこには30年という月日が厳然と横たわっているが、高見プロデューサーが語ったように、彼らもまたこのイベントを喜んでいるはずだ。こうして作品が残っているということが、彼らの生きた証でもあるのだから。

最後に劇場版999を観た。観客席にはゲストの方々もいた。
30年ぶりにスクリーンで観る999はやはり格別だった。
ビデオやDVDで何度も観てはいるが、考えてみれば映画館のスクリーンで観るのはちょうど30年前の公開時に観て以来だ。
セリフ、音楽のタイミング、効果音などほとんど憶えているが、それでもやっぱり感動してしまうし泣くシーンもほとんど同じだ。
涙の量は歳取った分だけ増えていたかもしれないけど。

この作品を生んだスタッフやキャストの方々と、30年という時を経て同じ空間で999を観られたなんて、長年999のファンでいつづけて本当に良かったと思う。
本当に幸せな経験だった。

※やはり写真はNGだった。残念!!

999
入場者に配られたパス。ラミネート加工されている。名前書けないじゃん!!

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2009年8月 4日 (火)

映画「銀河鉄道999」公開30周年!

今日8月4日は映画「銀河鉄道999」の公開からちょうど30年目の記念日である。
今なお色褪せない名作であり、アニメブームを代表する作品だ。
そして僕が最も大切にする作品のひとつでもある。
999について書きたいことはいくらでもある。
だけど今日は、このイラストにすべての思いを込めよう・・・

99930th2_3

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2009年8月 1日 (土)

ずっとアニメが好きだった(18)

〜映画「銀河鉄道999」公開前夜〜

映画版「銀河鉄道999」は1979年8月4日に公開された。
その30年目の記念日を前に「999」公開前のことを少し書こうと思う。

当時の僕は中学3年生で、アニメの世界にどっぷり浸り始めていた。
過去にこのブログで何度も触れたので、今回は詳しく書かないが「宇宙戦艦ヤマト」を起爆剤としたアニメブームはこの1979年に最初のピークを迎えたと言っていいだろうと思う。そのヤマトのTVシリーズ監督であり、ビジュアルイメージを担ったのが漫画家・松本零士だ。ヤマトのヒットにより当時最も注目されるクリエーターの一人になっていた。僕もヤマトを通じて松本零士に興味を持ち、アニメ化される前から「キャプテン・ハーロック」や「銀河鉄道999」を読み始めていた。
そのハーロックと999は1978年の春と秋に立て続けにTVアニメの放映が開始され、同じ78年の夏には「さらば宇宙戦艦ヤマト」が劇場公開されていて、ちょっとした「松本アニメブーム」と呼べる状況にあった。
そんな中で映画版999が製作されたことはある種必然と言えることだったのかもしれない。ただし(これは後で知ったことだが)映画版999の企画はTVのヒットを受けたものではなくTVシリーズが始まったのとほぼ時を同じくして企画がスタートしていたらしい。その時からりんたろう監督や小松原一男作画監督などハーロックのスタッフでの製作もほぼ決まっていたとのことだ。

僕が映画版999の情報を知ったのは1979年3月のこと。当時入会したばかりの「東映アニメーションファンクラブ」の会員に届けられた「銀鉄NEWS」でだった。ただ、ここの記憶は少し曖昧だ。999の映画化情報自体は先にどこかで知っていて、その情報を得るために東映アニメのファンクラブに入ったような気もする。
いずれにせよ、映画版999のビジュアルイメージを初めて見たのは「銀鉄NEWS」で間違いない。アニメージュに映画版999の記事が掲載されたのは79年4月10日発売の号においてだったからだ。
その「銀鉄NEWS」に掲載された15歳の鉄郎は等身が伸びて、キリッとした表情をしていた。その予想外の設定には驚いたが、この1979年中に15歳になる僕は鉄郎は「同級生」だと思い、15歳という設定に対して共感を持った。たったそれだけのことが漫画版やTVアニメ版とは違う特別な思い入れを映画版999に持つきっかけになったのだ。
その後「銀鉄NEWS」は4号まで発行され、アニメージュ誌上では公開まで毎号詳細な情報が掲載された。徐々に明らかになるストーリーや各種設定、そして掲載されたフィルムの抑えた色使いと緻密な背景、キャラの表情などからは対象年齢の髙い大人向けの作品であることが伺えた。その写真は動くことはなくとも、一目でビジュアル的な完成度の高さが分かるものであり期待しないではいられなかった。ハーロックやエメラルダス(アニメに登場するのはこれが最初)が“出演する”ことも話題であり、より渋く格好良くリニューアルされたアルカディア号のデザインにも興奮した。
面白いことにこれだけ注目の作品にも関わらず、アニメージュでは最初の記事が出た5月号から映画公開の8月発売の9月号までの間、一度も999は表紙にはなっていない(ちなみに5月号からの表紙は順に「花形満」「島村ジョー」「トリトン」が2号連続、そして「アムロ・レイ」である)。

999の予告編を僕は少なくとも一度は劇場で観ているはずなのだが、いつ何の映画を観た時かは思い出せない(少なくともアニメ映画ではなかったと思う。何かのイベントだったかも知れない)。
この予告編ではまだキャストの一部は固まっておらず、ハーロックもエメラルダスもおなじみのお二人ではなかった。特にハーロックが井上さんじゃなかったので「おや?」と思った憶えがある。そうは思ったが、個人的にはこの予告編の声も悪くない印象だった(やや渋すぎる声だったが)。裏付けはないが、おそらくハーロックが徳丸完さん(ハーロックのTVシリーズで井上さんの代役を務めたことがある)でエメラルダスが北浜晴子さん(同じくハーロックのTVシリーズで女王ラフレシア役)ではないだろうか(北浜さんについてはかなり自信あり)。ナレーションは本編と同じ城達也氏で、これは予告編の時からぴったりハマっていた。

999が公開された1979年の夏休み。
僕は受験勉強の前にやるべきことがあった。野球である。
中学最後の大会に僕はレギュラーとして臨むことになっていた。
だけどチームそのものには大きな不安があり、自信満々で臨む大会というわけではなかった。それには、自分たちではどうしようもない理由があり、結果的に僕らは1回戦であえなく敗退することになるのだがそれは今回の本筋ではないので省く。
気分的にはすごく不完全燃焼で悔いが残る試合だった。

そして僕は高校受験のための夏期講習に通う夏休みを過ごすことになる。

映画版「銀河鉄道999」の公開はもうすぐそこに迫っていた。
あの夏の僕の楽しみは999だけだった。


News
「銀鉄NEWS」全4号分の表紙


Photo
1979年6月1日の新聞広告

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2009年7月22日 (水)

金田伊功氏急逝・・・

個性溢れる作画で一時代を築いた名アニメーターの金田伊功(かなだ・よしのり)氏が7月21日に逝去された。享年57歳、心筋梗塞だったようである。

・・・絶句した。
僕らの世代のアニメファンで作画マニアなら知らない人は絶対にいないはずだ。
人体構造を無視したかのような極端なパースと独特のポージング、大胆な構図にタメとメリハリの利いたスピード感溢れる動き、そして爆発や閃光などのエフェクト作画などにおいても一目でそれと分かるほどの個性を発揮した唯一無二の名アニメーターである。特に1970年代後半から80年代に至るアニメブームの中では、当時の作画マニアの間で絶大な人気を集め、その後多くの亜流(マネ)を生みだすほどであった。アニメの作画において唯一「流行」を生んだアニメーターと言えるのではないだろうか。

「サイボーグ009(新)」「銀河旋風ブライガー」「機甲創世記モスピーダ」などのOP、「ザンボット3」「ダイターン3」などロボットアニメ、「映画版銀河鉄道999(1、2作とも)」や「幻魔大戦」「風の谷のナウシカ」「天空の城ラピュタ」といった劇場大作アニメの原画など印象深い作品はたくさんある。その金田氏の仕事のほとんどは「いちアニメーター」としてであり(作画監督や演出もてがけてはいるが、少なくとも僕にとっての氏は)作品によって語るよりはある特定のシーンやカットによって(あるいはTVシリーズの1エピソードによって)語るべき存在である。それほどにどの作品においても金田氏の作画は飛び抜けた輝きを放っていたのだ。

僕が金田氏のことを知ったのは、おそらくは「アニメージュ」誌上だったと思う。今、手元にはないので確認はできないのだが、ある号の特集で「アニメ第三世代の旗手」というコピーがつけられていたと記憶している。ひょっとしたらこの特集以前にすでに名前を意識して見ていたかも知れない。
アニメージュ誌上で紹介された代表作のいくつかはすでに見ていたもので、後から思い出してみるとすごく「引っかかる」作画ばかりで、なるほどあれもこれも金田氏だったのかと納得したものだった。そして、ある時期から金田氏は参加する作品が常に注目されるアニメーターとなり、参加作品は必ずと言っていいほど話題になっていた。僕自身は、例えばTV作品であれば普段は見ていなくとも金田氏が原画を描く回だけを観るなんてことをしていたし劇場作品では描いているカット見逃すまいと集中して観ていた。
僕自身の絵は、安彦良和氏と杉野昭夫氏の影響を最も受けて(と勝手に思っている)いて今でもこの2人のような絵を描きたいと思っているが、そんな僕でも当時は金田氏の絵を真似て描かずにはいられないほどだったのだ。

金田氏のイラスト集、というかイラストやアニメの原画、プライベートなスケッチなどを集めた本「金田伊功スペシャル」が出版されたのが1982年のこと。
そこに掲載された宮崎駿氏の寄稿から一文を最後に紹介しよう。「本物のアニメーターとは何だろう」という宮崎自身の問いかけに続く一文である。

「定義は難しいし、しても意味がないだろう。(中略)絵と動き(タイミングもこの中に含まれる)に生理的快感ともいうべき要素を持つ人となると話は違う。彼は、その数少ない本物の一人である。」

本質はアニメーターである宮崎らしい表現であり、しかも金田氏を「本物」と認めている。この文を寄せた次点で、宮崎駿はまだ金田氏と仕事をしたことがなく面識もほとんどなかった。金田氏が「ナウシカ」に参加するのはこの翌年のことだ。この後、金田氏は宮崎作品に数多く参加することになる。宮崎が本当に認めたアニメーターの一人だったのだ。

アニメ史において演出家やキャラデザイン、作画監督や美術監督といった役職はメインスタッフとして語られることが多いと思う。しかし「アニメーター」というのはいちスタッフ扱いで、さほど重要な扱いはされないだろう。だけど、金田伊功は間違いなくアニメ史で語るべき存在の一人だろうと思う。

僕たちに「作画の快感」を教えてくれた名アニメーター・金田伊功。その早すぎる死を心から悼むとともに冥福を祈りたいと思う。

Photo
「金田伊功スペシャル」描き下ろしイラストも多く氏のシャープな線が堪能できる一冊

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島本和彦「アオイホノオ」より。当時の作画マニアはこういう話ばっかりしてた


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2009年7月12日 (日)

連邦侮りがたし

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かねてより偵察中の連邦のモビルスーツ、コードネーム「ガンダム」が一般公開されるという情報を得たためさっそく出向いた。

先日のレポートを読んだキシリア様が興味を示され、直々に偵察されるということで私が案内役をつとめることになった。やれやれ・・・上層部のお守りなどドレンにでもやらせればよいものを。しかもあのキシリア様とカップルを装っての偵察などというのは悪い冗談だとしか思えぬのだが・・・ま、しかしここで見かけだけでも忠誠を示しておかねば私の野望は果たせぬ。仕方あるまい、キシリア閣下の酔狂に付き合ってやるか。。

前回は人出も少ない中、偵察であることを気取られることを恐れ早々に立ち去ったのだが今回は人出が多くゆっくり見ることが出来た。それにしても連邦め、平和目的という大義名分を掲げてるにせよこうも堂々と新兵器を人目にさらすとはよほどの自信があるのか、それともバカなのか。
どこからかいいにおいも漂ってくる。どうやら露店がでているようだ。モビルスーツの下で焼きそばとは、シュールな感覚だ。私には理解できない。まったく・・・とんだお祭り騒ぎだ。これも連邦の収入なのか?
しかし、腹が減るのも事実。いい仕事をするには腹ごしらえも必要。特に私のように頭脳を使う者は糖分が要る。少々抵抗はあるがソフトクリームを食べて補給する。
ふむ、悪くない。

肝心のモビルスーツだが、正直なところ敵ながら素晴らしい出来である。細部まで行き届いた作りはニッポン人の末裔にあたる職人によるものだと聞く。ずんぐりむっくりのザクに比べスマートだし脚も長い。あの細さで重量を支えられるということを考えれば、かなりの軽量化に成功しているのだろう。そういえば中世期の第2次大戦で、ニッポンは軽量の零戦で空を征した。と、なるとこのモビルスーツに乗るのは私こそがふさわしいのではないかとすら思える。
夜のうちに忍び込んで赤く塗ってやろうかという気にさえなる。
おっといかんいかん、敵のモビルスーツに見とれているようでは・・・。

キシリア様もどことなく目を輝かせているように思えるが、一体どうしたことか。
ああ、そうだったキシリア様はイケメン好きだった。我が軍のザクをお嫌いであったな・・・。こういうところだけは不思議と気が合う。美意識ってやつなんだろうか。

毎正時に、ちょっとした演出で「ガンダム」の「目(カメラなのだろう)」が点灯し、ボディーからは蒸気が噴き出す。観客どもは歓声を上げているが、私は騙されない。ぐるっと会場を見回すように頭部が動くのは、不審な動きをする者を監視しているのに違いない。映像はおそらく、あの安っぽいプレハブの事務所でモニターしているはずだ。私も目をつけられぬよう、もう少しキシリア様と親しげにせねば(相変わらず気がのらぬが)。

夕暮れ時になり、土曜日ということもあってか人出が増えた。
ある程度のな情報は得ることが出来たし、そろそろ引き上げ時のようだ。夜の公園は本物のカップルの時間だ。長居してキシリア様にその気になられても困るので夕食に行くことにした。
サイド7は何でもある豊かなサイドだ。そのせいか市民たちも平和ボケしているようだ。しかし、食べ物はいい。回転寿司ならぬ「回転中華」などジオンではお目にかかれんシロモノだろう。

あのおぼっちゃんも来たがるかも知れんが、地球からではそうそう来られんだろう。フフン。

※この記事は「老後の楽しみ亭」管理人・かめお様のブログとのコラボ記事です。どうぞそちらもお楽しみください。

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ガンダムお台場に立つ!

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今日(日付上は昨日)、正式お披露目となった実物大ガンダム。

完成間近の状態で一度見ているとはいえ、改めて完成した状態で見るのはまた格別。残念ながら曇っていたので、青空がバックならまた違って見えると思う。
トップの写真は夕暮れの中でのもの。毎正時にBGMと共に写真のように目を始め各部が光り胸や背中のバーニアなどから蒸気を噴き出す。顔も左右に動き、最後には天を見上げて終わる。
公園にいた人たちはみな歓声をあげては感動していたのが印象的だった。どこかの子供が「カッコイイ〜」と言ってたのを聴いて、僕は心の中で「そうやろ、そうやろ」とつぶやいていた。

こんな日が来るなんてことは30年前にリアルタイムでガンダムを見ていたころには想像すらしなかった。いや、こんなことを想像出来ようはずもなかったのだ。
いつかこのガンダムが本当に歩く日が来るといいなと思う。
だけどそれは兵器としてではなく今日のように平和な空気の中、みんなが笑顔で見上げることの出来るものであって欲しいと心から願わずにはいられない。


G2_2愛のない駅の案内。まあ、ええんですけど。


G_8麗しきふくらはぎ


G_6
足に触れる人々。霊験あらたか?

G3_2群れ集う人々はさしずめ聖地を訪れた巡礼者か

G_7
夕暮れにたたずむ勇姿.
カッコいいなぁ〜オイッ!

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2009年7月 5日 (日)

「アニメの殿堂」

また「殿堂」の話である。

今回は「アニメの殿堂」だ。
最近話題になっているのでご存じの方も多いと思う。先頃成立した2009年度補正予算の中に盛り込まれた、日本が誇るアニメやマンガの資料などを収集し展示する施設「国立メディア芸術総合センター」のことである。117億円という予算は建物の建設費であり、肝心の施設の概要は後から考えるということから「またハコモノ行政か」とか「無駄遣い」などという批判が飛び出している。民主党の鳩山代表が「国営マンガ喫茶」と揶揄し、与野党問わず批判的な意見も多い。アニメやマンガ関係者でも賛否は分かれており、マンガ家の石坂啓氏は「絶対につまらないものになる。私の原画は展示して欲しくない」と手厳しい。
 僕は、基本的に賛成だ。「国営マンガ喫茶」大いに結構。アニメやマンガを日本の代表的文化であり重要な産業だと本気で考えているのであれば、これらを体系的に研究し展示することができれば、広く世界に広めてゆくための拠点になるのではないだろうか。そして、散逸しがちで保存が難しいアニメやマンガの貴重な資料類を保存できるとなれば一体何を反対することがあるのだろうか。

そもそも僕は、この計画を反対する人たちは、それが「アニメ」や「マンガ」だから反対するのではないかと思えて仕方がない(アニメ制作者やマンガ家など、業界関係者は別として)。要は文化的に程度の低いジャンルだと考えているのだろうということだ。「たかがアニメやマンガのためにそれだけの予算をつぎ込むなんてバカらしい」という見下した目線を感じるのだ。そもそもマンガやアニメがどれだけ素晴らしい表現手段であるかを、そしてなぜ海外でも評価されるのかを理解している政治家やお役人などいるとは思えない。でなければ未だに手塚治虫に国民栄誉賞が贈られないことの理由が説明できない。手塚が亡くなったときに(授与するかどうかという)議論すらされなかったのではなかったか(余談になるが、どう考えても長谷川町子の前に手塚治虫だろう。同じマンガでも風刺漫画や新聞4コマなどの方がなぜか上等で、雑誌マンガの方が低俗扱いされている。それが長谷川町子と手塚治虫の扱いの差にも表れている気がするし、「文化人」扱いされるのも「そっち」系の人が多いはずだ)。

確かに、ほかにももっとお金が必要なところはたくさんあるだろう。だけど、無駄遣いというならば国の無駄遣いはもっとほかのところに、しかも莫大な金額で存在しているはずだ。この「アニメの殿堂」がそれほど攻撃されるようなものではないと思う。だからこそ、余計に「見下した目線」を感じずにはいられないのである。
問題は施設の内容が魅力あるものにできるかどうかで、それを「誰が決定するのか」だ。こういうところで「お上ならでは」のバカな人選(権威のありそうな肩書きを持つ人)ではなく、心からアニメやマンガを愛し、知識があって、その研究に情熱を注いでいる人たちをきちんと選べるかが重要だ。アニメやマンガを研究している人は多くいる。個人的に資料を収集し整理している人も大勢いる。また、地方には有名マンガ家個人の名を冠した博物館なども多くあるので、それらとの連携もはかることでお互いを補完できるような関係を築けるはずだ。その上でちゃんと集客も見込めるだけの内容と採算の見通しも考えて作れるのであればいいのではないだろうか。

アニメの原画の迫力や背景の美しさを知らない人は多いはずだ。アニメーターが描いた手描きの原画とそのシーンのフィルムを合わせて展示すれば、アニメーターがいかにすごいか理解できるし、たちまち尊敬を集めるだろう。漫画家が描いた生原稿は印刷されたものとはまったく違う迫力と魅力に満ちている。それを見れば、毎週膨大な数の漫画誌が当たり前のように世に出ていることがいかに奇跡的か知ることになるだろう。一方でアニメ制作現場が悲惨な状況におかれているという事実があり、もしこの「アニメの殿堂」でアニメ制作に興味を持った子供が「そんなに辛いならアニメーターなんかにならない」と思うのでは意味がない。だからこの計画が業界の産業構造も変えてゆく(変えさせる)契機になるかも知れないという期待も僕は持っている。紹介する施設は立派なのに、肝心の現場がお粗末なままでは格好がつかないからだ。でも、所詮は「お上」が作るものだから・・・という危惧は大いに持っている。過度な期待は禁物なのだろう・・・。

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2009年6月24日 (水)

ずっとアニメが好きだった(17)

赤毛のアン(3)〜アンの声優たち〜

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前回のアンの記事から随分と間が空いてしまったが、今回は締めくくりとしてアンに出演された素晴らしき声優陣について簡単に触れておきたい。

アンは日常的な会話を主体として物語が進む。ロボットアニメのような叫びもなければ魔女っ子もののように呪文をとなえたりもしない。その分当然、声優さんたちの芝居についても、より自然で高度なことが要求される。それは作画上も難しいものだったと思うが、同じように声だけで日常的な芝居をするというのはかなり大変だったに違いない。アンのムック本を読むと、アフレコ時にはほとんど絵がなく自分のセリフの間は線を見てしゃべっていたという(役柄によって線の色が分かれており、例えば「赤の線=アン」であれば、赤い線が画面に見えている間はアンの声優さんがセリフをしゃべる。絵の完成が間に合わない場合はよく行われていた方法。最近のアニメがどうなのかは知らない)。声優さんたちは絵コンテで事前に画面のイメージを説明されていたというが、それでいてあれほどに見事な芝居がよくできたものだと感心する。

アンの主なキャストをざっと紹介しておくと・・・
アン=山田栄子、マリラ=北原文枝、マシュウ=槐柳二、ダイアナ=高島雅羅といった面々がほぼレギュラーといえる人たちだ。マリラの親友、リンド夫人には大ベテランの麻生美代子、そしてアンの友人たちに、高木早苗、高坂真琴、堀絢子、青木和代、塩屋翼、井上和彦といった面々。アンの人生に大きく関わるステイシー先生に鈴木弘子、現代的な若い牧師に曽我部和行、ダイアナの母に武藤礼子、妹に小山まみ(現:茉美)、そしてナレーションに羽佐間道夫といった実力のある人たちが配されている。

僕にとってアンの声優陣で最も印象深いのがナレーションの羽佐間道夫とマリラ役の北原文枝である。
子供番組に男性ナレーションを起用するのは異例だったが、子供に読み聞かせるような「ですます調」ではないナレーションは、作品の対象年齢を上げ大人の鑑賞にも耐えうる格調高いものにしていた。アンのナレーションは極めて第三者的であり、アンやほかのキャラに寄ったものではなかった。つまり羽佐間のナレーションは高畑監督の分身であったのだと思う。高畑の演出姿勢が羽佐間のナレーションとして作品世界を表していたのだと僕は思っている。コメディー映画の吹き替えのイメージが強い羽佐間だが、落ち着いた品の良い淡々とした語り口はさすがであった。

アンのキャストはその誰もがほかに考えられないくらい見事にぴったりな人ばかりだったが、中でもマリラ役の北原文枝はもう絶対どんなことがあってもほかの人ではダメ!というくらいに素晴らしかった。
マリラというキャラは作中では最も複雑なキャラだ。保守的で頑固だが、責任感がありしっかり者で家事全般に長けている。オシャレとは縁遠いが清潔であることを大事にしている。アンに対して深い愛情を抱いていても、それを簡単に表すことはない。厳格にしつけをするが、融通が利かないほどでもない。そんなマリラの心情を場面場面に応じて演じ分ける北原さんの演技力はまさに「圧巻」のひと言である。そしてアンが成長するにつれて丸くやさしくなり、そして老いてゆくマリラの変化を実に自然に巧みに演じていた。小さくつぶやくようなセリフも、アンをどやしつける声も、諭すような話し方も、マリラという女性が実在したならきっとこんな風に話すのだろうと思えた。いや、マリラが実際に話していると思えるほどだった。
北原さんはアニメの出演経験がほとんどなかったらしい。そして、アンの録音現場では絵がほとんど完成していなかったことが良い方に作用したのではないかと思う。絵によるキャラへの先入観を持たず、また絵に合わせるというテクニックを考えずに芝居に集中できたことが、北原さんの良さを遺憾なく発揮する結果に繋がったのではないだろうか。

もちろん、この2人だけでなく全ての出演者が素晴らしかったことは言うまでもない。
アン役の山田栄子は初のアニメ作品にして主役という大役だった。僕は「なんて変わった声なんだろう」と思った憶えがある。決して美声ではなく、少し鼻にかかったような声で、しかし妙に印象に残る声でもあった。それまでに聴いてたどんな声優の声とも違っていて、それがまた個性的なアンののキャラデザインに妙にマッチしていて、あまり適切な言葉は浮かばないが、なんていうか「初めて観るタイプのアニメに出会った」ような不思議な感じだった。山田は決してこなれた感じではなかったが、その硬さが逆に物語当初のアンの不安な心境にマッチし、アンの成長と山田の声優としての成長がシンクロしていたように思う。
マシュウ役の槐(さいかち)柳二は、当時すでに50代ではあったがしわがれ声のため若いころから老人役が多かったという。おなじみとなったマシュウの「そうさのう・・・」という口癖にはその場面場面で微妙なニュアンスの違いがあり、槐はそれを実に見事に演じ分けていた。口数が少なく照れやのマシュウはセリフにならないセリフというか、息をのんだり言葉に詰まったりということも多く、その息遣い一つ一つが見事しか言いようがなかった。優しさと慈愛に満ち、しかし頑固な一面を持ったマシュウという人物を見事に演じきった槐さんが、あの「レレレのおじさん」だったというのを知ったときはビックリしたものだ。

アンの放送終了後1年も経たないころ、ショッキングなニュースがあった。それはマリラ役の北原文枝が急死したというニュースだった。自宅の窓をふさぐ木の枝を折ろうとして窓から落ちたという。「アン」での芝居が記憶に新しい時期だったので、本当にショックだった。
「アン」が始まったころ、僕は北原文枝という名前は知らなかった。だが、どこかで聴いた声だとは思っていたら、キャスティングを見た母が「奥様は魔女」でサマンサの母親である魔女の役をやっていたということを教えてくれた。ああ、なるほどあの声かと納得した。小さいころに親しんだ声の主が、今こうして大好きな作品に出演しているという、そのことだけで僕は北原さんに対して一気に親近感を持つようになっていたのだ。
亡くなられた当時、まだ60歳。「アン」の後にも、もっと多くの作品に出演されたであろう事を考えると本当に残念でならない。

Photo_2
北原の急死は当時、新聞でも大きく取り上げられた(1980年10月5日付の読売新聞)。女優としての知名度が高かった証だろう。


「アン」について3回に渡って触れた。ちょっと書きすぎだとは思う。たまたま最近再見する機会があったためさらに印象が強かったためだろう。だけど、改めて観てやはり後世に残る名作であるという思いはますます強くなった。そこでちょっと当時のアニメージュを見返してみた。
「アン」が放送された1979年のアニメは名作揃いだということは再三書いているが、当時のアニメージュでは始めて「アニメ・グランプリ」として読者投票を行っている。1980年2月号で結果が発表されているのだが、「アン」は20位にも入っていないことに驚いた。1位の「ガンダム」と2位の「999(映画)」は当然としても、この名作が20位にも入っていないとは・・・当時のアニメージュの読者層の好みがいかに偏っていたかということになるのだろうか?
アニメージュも放映開始前後は、割と頻繁にアンを扱っていたが後半になると特集記事はほとんどなくなっていった。当時のアニメファンが飛びつきそうな話題が中心になっていたようだ。
ブームに乗っかるような作品ではなかったが、観た人の心に何かを残した作品だったことは確かだろう。

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2009年6月17日 (水)

連邦のV作戦をキャッチ

G1G_5連邦軍の新型モビルスーツがほぼ完成した模様である。これがかねてから噂される「V作戦」の一部であることはほぼ間違いないと思われる。詳細なスペックは不明だが、全長は我が軍のザクに匹敵するサイズはあるようだ。武器らしきものは見当たらない。衆人の目にさらされる場所に堂々と置いてあるところから、連邦は一般市民に対し、あくまでも平和利用のモビルスーツであると説明しているようである。目立つカラーリングであるのもそうした説明に説得力を持たせるためのカムフラージュであろう。来月中にも何らかのイベントが連邦主催で行われるとの情報もあるが、これがこのモビルスーツに関係したものであるかは不明。自分は引き続きサイド7にとどまり、可能な限り監視を続ける。

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・・・てなわけで完成に近づきつつある実物大ガンダムを見てきた。カッコイイっす!思ってた以上にカッコイイ。今にも動きだしそうである。立ち姿も美しい。ガンプラのデザインノウハウが生かされ、細部まで作り込まれていてアニメのデザインを損なわずにリアル感が出ている。
周辺はまだ工事用の柵で覆われているので足元は見えないのだが、それでもかなり間近で見られる。今日は平日だったが、それなりに人は集まっていてみなうれしそうに、そして楽しそうにガンダムを見上げていた 。 正式公開は7月11日だが、その日はどんな騒ぎになG_7るのやら・・・。混乱を承知でG_9見に行こうかと思っている。 G_11

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2009年5月23日 (土)

ずっとアニメが好きだった(16)

〜赤毛のアン(2)〜

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今年、放送から30年を迎えたアニメ「赤毛のアン」。タイミング良くアニマックスで3月から放送が始まったので、久しぶりに通しで観てみようと決め平日の週5回の放送を録画しながら見始めた。飛び飛びで再放送を観たりしてはいたが、完全に通しで観るのは本放送以来だ。
で、改めてその面白さにハマった。
本当に面白い。30年前と同じか、それ以上に面白いと感じた。
面白い・・・?それとも「素晴らしい」・・・か?。
あまりにも面白かったので終盤近くになってDVDボックスを買ってしまったほどだ。そして終盤はDVDで観た。
面白く、そして本当に素晴らしかった。

アンの魅力とは一体なんだろう。
世界中で読まれ続けているという原作が素晴らしいことは言うまでもないのだろう(読んだことはないが)。アンという(小さい頃はちょっとイタい)少女の成長を描くだけでなく、愛する養父・マシュウとの死別や養母・マリラの老いなど現実的な事ともちゃんと向き合っているところは素晴らしいと思う。アニメは原作にかなり忠実に作られていると聞いたことはある。しかし、アニメとしてのアンが原作の魅力に頼り切っている作品でないことは原作を読んだことのない僕でも分かる。
会話が中心のこの物語を、淡々と、しかし視聴者を飽きさせることなく描くことが出来たのは紛れもなく高畑勲の手腕だろう。アニメ的にことさら大げさな芝居をすることもなく、「ハイジ」「三千里」で行ったような日常描写の積み重ねと風景描写をさらに突き詰めたような演出にはため息が出る。おそらく同じセリフ、同じ出来事であってもこれだけ見事な見せ方は高畑監督以外にはなしえないだろう。登場人物の表情や仕草、エピソードとエピソードの間をつなぐちょっとした風景や小道具の見せ方、そして絶妙なカットの間合いなど全てに隙がない。隙がないことがいやらしくないから心地いい。

この物語は不幸な生い立ちの孤児であるアンが、ちょっとした手違いから男の子を養子にしようとしていた老兄妹に引き取られることになり、この老兄妹の愛情を受け成長し幸せを手にしてゆく物語だ。そして、アンが幸せになることでアンの周りの人々、とりわけアンを引き取った老兄妹・マリラとマシュウが幸せを手にする物語だ。
アンの幸せ。
それは、自分を愛してくれる人(=自分が愛する人)がそばにいて、毎日が取り立てて不安もなく当たり前のように過ごせることだったはずだ。なんてことはないごく普通の日々の生活が輝いて見えること。それこそがアンの幸せであり、そのことを説明的なセリフとしてではなく描くことが出来なければこの作品は「凡庸な名作アニメ(=原作が面白いからそこそこ面白いだけのアニメ)」でしかなかったろう。
朝日が差し込む窓を開けて朝の空気を胸一杯に吸い込む幸せ、朝ご飯を家族と食べる幸せ、毎日学校に通える幸せ、友達とふざけあう幸せ、日々変化を見せる豊かな自然に囲まれている幸せ、帰る家があり待っている人のいる幸せ、暖炉の前で一日の出来事を語る幸せ、そして暖かいベッドで眠る幸せ・・・そんな日々のちょっとした出来事がアンにとっていかに美しく素晴らしいものであるか、そしてそんな思いを糧に日々成長してゆく少女を見守ることがどれだけ幸せなのか、ということを高畑演出は淡々と日常の描写を積み重ねることで、我々視聴者の心にじんわりと染み込ませてくれるのである。
この物語の根幹を成すものは「人の心」だ。それをことさら劇的におしつけがましく、また説教臭くも見せないのが高畑氏の演出姿勢であり、主人公寄りでもなければ視聴者寄りでもなく、つねに第三者の立場から客観的に物語を紡いでゆく。それはハイジや三千里でも、そしてアンでももちろん貫かれていた。だから観る人の年齢や立場、性別にによらず自分なりの物語への接し方が出きるわけだし、何年経とうが色褪せない作品として観ることが出来るのだ。

プリンスエドワード島の四季を見事に描いた美術の井岡雅弘氏、シーンによって色指定を変えるなど小山明子、保田道世両氏の細やかな色彩設計、落ち着いた格調高いBGMを作曲した毛利蔵人氏なども本当に素晴らしい仕事をされていたし、さらっと見ただけでは見落としがちだが、撮影もまた見事だった。が、しかし、作画が一番気になる僕としては、やはり故・近藤喜文氏について触れておきたい。

当時まだ29歳の近藤氏はアンで始めてキャラデザインと作画監督を担当した。前回の記事で書いたようにアンのデザインに関して、当初の僕の印象はあまり良いものではなかったし、番組当初は絵に硬さが見られたのも確かだ。しかし中盤にさしかかるあたりからは芝居にも柔らかさが出てきてキャラが生き生きと動いていた。何と言っても放送の1年間を通じ、主人公の年齢が徐々に上がってゆくというアニメーションではあまり例のない難しい作業を実に見事にこなしていた。容姿にコンプレックスを抱いているアンの姿がその幸せの度合いと比例するように、徐々に変化してゆく。身体と、そして何よりも心に十分な栄養が行き渡っているかのようにアンはかわいく、美しく成長する。その様子が自然で、いつの間にか気がつけば変わっていたという感じだった。そしてキツく融通の利かないおばさんだったマリラの目はやさしくなり、体つきもどこかふっくらとした暖かみを増し、そして同時に年老いてもゆく。アンの成長はかなり意図的なものだったろうと思うが、物語当初から初老のマリラの変化は自然なものだったように思える。それほどに最初のキャラ設定書を見ると別人としか思えないほどの変化なのだ。アンを育てることで自らの母性を目覚めさせ、アンを愛しやさしくなってゆくマリラに対し、近藤氏が感情移入した結果ではないかと僕には思えてならないのだ。
少々残念なのは、全編を通してぎくしゃくした(いわゆる枚数を使っていない)動きも散見されたことだった。おそらくはスケジュール的にかなり厳しかったのだろう。しかしながら、アニメーション的な作画の飛躍(非現実的なアクションや表情などといったもの)は皆無であり、ほとんどが細かい日常的な芝居を丁寧に丁寧に描いていた。アニメとしては最も難しい作業だ。しかもキャラデザイン的に見てもそれまでの名作劇場と比較してみると割とリアルな路線だったから相当難しかったはずだ。このアンでの経験が後の名作「火垂るの墓」に通じるのは間違いないだろう。この近藤氏が47歳という若さでこの世を去ったことは日本のアニメ界にとって本当に大きな損失だった。

そして、さらにこの作品で特筆すべきは声優陣の見事な演技だ。会話が主体の物語だけに演技の良し悪しは如実に表れるところだが、アンの出演者は実に見事であった。アンの話題をあと1回、この素晴らしき声優陣について触れておきたいと思う。
(続く)

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2009年5月 4日 (月)

アニメソングは永遠に '09

先日(5月2日)ゴールデンウィーク恒例となったNHKの「BS永遠の音楽 アニメ主題歌大全集」が放送された。僕は毎年、2時間をほとんど涙ぐみながら見ている。そして今回も(一部思い入れのない歌やコーナーを除き)ほとんど涙を流しっぱなしで見るはめになった。

この番組ではレギュラーとも言える歌手の方々と歌があり、そしてTVでは滅多にお目にかかれない歌手も必ず出演することがひとつの売りにもなっている。今年、僕が最も期待していたのが“天才”山本正之だ。タイムボカンシリーズの歌に限らず、数多くの名曲を歌唱・提供されている山本さんは僕の大好きな歌手のひとりだ。その実績の割にあまりメディアに出ることはなく、今回はライブで唄う姿を観ることが出来て本当に興奮した。
今回は山本さんを特集したコーナーが設けられ「タイムボカン」「オタスケマン」「おじゃまんが山田君」(こおろぎ73のメンバーの方と共に)、そして「銀河旋風ブライガー」(たいらいさおさんと)、「ヤッターマン」の5曲も聴くことが出来た。全ての曲を全身を使いパワフルに、そして本当に楽しそうに唄われたその姿を見ていて僕は心から感動した。そして山本さんはアニメソングを心から愛し、作り、歌われていたんだいうことが伝わってきてうれしくてしょうがなかった。山本さんの生み出された楽曲がなぜあんなにも楽しく素晴らしいのかがこの山本さんの姿を見ていて分かったような気がした。
ほかには「ジャングル大帝」のOPを唄ったバリトン歌手・平野忠彦さん、そして同じくEDの弘田三枝子さんがフルオーケストラで熱唱されたり、タイガーマスクのEDの名曲「みなしごのバラード」をもちろんオリジナル歌手の森本英世さんが唄ったり、「みなしごハッチ」のしまざき由里さん、「オバQ」の石川進さんらも元気な姿を見せてくれた。しかし、なんといてっも終盤に熊倉一雄さんが「ゲゲゲの鬼太郎」を唄われたのが最高だった。軽快なステップでまだまだ元気なところを見せていたが、御年なんと82歳!肌のつやも良く、ご本人がすでに妖怪の域に達しているかのよう(笑)であった。

そして、昨年も書いたのだが“レギュラー”のささきいさお、水木一郎、堀江美都子、前川陽子の各氏はみなさん本当にお若い(いや、ほかの出演者のみなさんもお若いのだが)!この方々はメジャーな曲がハンパなく多い。だからいつでも乗れるし安心して聴ける。やはりこの番組に、・・・いや日本のアニソンには絶対欠かせない存在である。番組中で紹介があったのだが、ささきさんは来年デビュー50周年、水木さんは昨年40周年、ミッチは今年40周年だそうだ。ちなみに前川さんは今年で46年めだ。
ささきさんは相変わらずパワフルでスマート(足長い!)。かつて“和製プレスリー”と呼ばれた姿を今でも維持している。少々太られたものの水木さんは相変わらず赤ジャケと革パンが良く似合う。ミッチは声に全く衰えがない。それどころかこの数年で見た目も若返ったんじゃないかと思えるくらいで「日本で一番ミニスカ&ブーツの似合う50代」だろう。前川さんの声の艶っぽさにはますます磨きがかかっていて倖田來未がいくらセクシーにキューティーハニーを歌おうが、前川さんの年季の入り方には敵わない。
ささき、水木、ミッチの3人は今回TVではあまり唄わない曲をそれぞれ2曲づつ唄った(と、言っても僕にとってはすべておなじみの曲ではあったが)。けどそれはそれでiPodで聴くのとは違う良さがまたあるのだ。特にミッチの「魔女っ子チックル」を振り付きで歌う姿のキュートなこと!!それだけでも昔からのミッチファンの僕にとっては観た価値大アリだった。

アニソンを聴くと本当に元気になれる。子供のころから聞き慣れた歌のなんと素晴らしいことか!そしてその頃と変わらぬ歌声を今も聞くことが出来るという、この奇跡!!iPodでいつも聴いている曲であっても、映像とは言えライブで聴くとまた違う味わいがあり何度聞いてもやはり感動してしまう。もちろん、引退をされたり亡くなられてしまって今はもうCDでしか聴くことができない方も多くいらっしゃるが、こうして生の歌声を楽しめる方々がまだまだたくさんいるということに今は心から感謝したいと思う。
いつかその歌声が聴けなくなる日が来ることは分かっている。だけど、それでもアニソンは永遠だ。いつまでも僕の大切な大切な「こころのうた」でありつづけるのだ。

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30年前に発行された「アニメソング・ヒット全集」の第2集。表紙の歌手はささきいさお、堀江美都子、水木一郎、大杉久美子、こおろぎ'73の面々

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2009年4月26日 (日)

Gキャラ×Post It vol.3 〜哀・戦士/男と女〜

ネタがないので「ポストイット」に描いたガンダムキャラ第3段。
今回は名編続きのシリーズ中盤、映画で言えば「哀・戦士編」に当たるところでそれぞれのエピソードの主役を担った悲運のカップルたち。


Photo_4
“本当の大人”を感じさせてくれた2人。会話のやりとりがいちいちカッコ良かった。
「あんな子が欲しいのか?」「フフ、まさか・・・」


Photo_2
劇中では一緒に登場することはなかった2人。アムロの想像の中で幸せそうに微笑む姿を除いては・・・。


Photo_3
生活のためにジオンの手先となった女スパイと、軟弱者。わずかの間に心通わせ一瞬にして引き裂かれた、恋人とも呼べない2人。

・・・そんなわけでネタなしで苦しい時の穴埋めでした。

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2009年4月15日 (水)

深キョンドロンジョ様

・・・のつもりなのだが。
2_2

前々回の記事の時に描いた映画版ドロンジョ様は色鉛筆で少しだけ色を着けたのだが、フォトショップを使って、も少しちゃんと色を着けてみた。
もうちょっと色気とかかわいらしさとか欲しいところだが・・・ま、しょーがない。これが実力だ・・・。

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2009年4月13日 (月)

ずっとアニメが好きだった(15)

〜東映アニメーションファンクラブ〜

Photo
「45871」
「東映アニメーションファンクラブ」での僕の会員番号だ。
1979年の3月だったと思う。僕は「東映アニメーションファンクラブ」に入会した。

当時の僕にとって「東映動画」は特別な響きのある制作会社だったが、東映動画(現東映アニメーション)作品の特別なファンというわけではなかった。では、なぜ「東映動画のファンクラブ」に入ろうと思ったか。そのあたりの記憶はかなりおぼろげだ。おそらくは「何かしたかった」のだろうと思う。アニメの魅力にとりつかれアニメの周辺には色々な世界が広がっていることを知り、自分も観るだけではなく何かをしたくなったのだと思う。そこでアニメ制作では最大手の東映動画の主催するファンクラブならその「何か」のきっかけになると思ったのだろう。
本当に何かしたいのなら、同人誌サークルに入会したり自分でサークルを立ち上げたり、イベントに出かけて友人を作るなりやりようがあったろうと今なら思うのだが、それが出来ないヘタレなところが僕という人間であり、今より100倍はヘタレだった中学生の僕にはこれが精一杯だったのだろう。それでも僕は一歩前へ進んだような気がして嬉しかったのだ。
入会費、年会費はなし(これは大きかったと思う)。東映直営映画館の入場割引、ファンクラブ主催イベントへの入場割引、販売商品(キャラクターグッズやアニメ用画材)の割引、東映アニメーションスタジオニュース(これは本来、ファンクラブ向けというわけではなかったようだ)の配布などが主な特典で、サークル(同人や学校のクラブなど)への支援や作品の貸し出しなども行っていた。僕は主に映画館の入場割引やグッズ購入での割引などで恩恵を受けていたが、後は毎月届くニュースを楽しみにしていた程度だった。
東映アニメーションファンクラブに入って良かったと思っていた一番のことは「銀鉄NEWS」だ。「銀鉄」とは言うまでもなく「銀河鉄道999」のことだが、ここでいう「銀鉄」は1979年に公開された映画版1作目のことだ。その情報が「銀鉄NEWS」という形でファンクラブ会員にはいち早く届いたのだ。映画版の情報が最初にアニメージュに掲載されたのが1979年5月号(4月10日発売)だが、僕はこの
「銀鉄NEWS」の創刊号でTVとは違うキャラデザインの鉄郎を3月に目にしていた。そして大人びた鉄郎の姿やハーロックも登場することに興奮し、ただならぬ期待をこの映画版999に抱くことになったのだ。この「銀鉄NEWS」は映画公開までに都合4号が発行されただけだが、僕にとっては大好きな999の情報をアニメ雑誌より早く手に入れられたという思い出深いものだ。その映画版999は期待に違わず素晴らしい作品で、僕にとって最も大切なアニメ作品のひとつとなったのだが、その話はまた別の機会に譲ろうと思う。

News01←「銀鉄NEWS」創刊号。りん監督や小松原作画監督らの談話、冒頭シーンの絵コンテなどが掲載されている。

Photo_2←こんな封筒で届いた

Photo_4←「Toei Animation Studio News」1980年1月1日号。この年公開される「地球へ・・・」が表紙


さて、この「東映アニメーションファンクラブ」、僕は脱会した憶えもなければ「閉会(っていうのか?)」しますという案内をもらった憶えもない。その後もカラー印刷の「ファンクラブニュース」は何号か届いているし「東映アニメーションスタジオニュース」は少なくとも1981年の2月1日号までは手元に残っている。だけども、それ以後のファンクラブと僕自身のつながりについて記憶が全くないのだ。
ただ、僕自身は1981年頃にはこのファンクラブへの興味はすでにかなり薄れていたことだけは確かだ。このころになるとアニメ好きの友人は増え、休日には誰かしらと会ったりアニメのイベントに出かけることが多くなっていた。それにアニメの世界について知識もついてくると、こういった大手よりも個性的な制作スタジオに魅力を感じ、「東映動画」がそれほど特別な存在ではなくなってしまっていた。更に、数々のアニメ雑誌でかなりの情報を得ることが可能になっており、いち制作会社のファンクラブ会員である意味もメリットもほとんど無くなっていた。
そんなだから「東映アニメーションファンクラブ」とのその後の関わりについて記憶がないのも当然と言えば当然なのだ。とは言っても、届いた会報などは捨てないのが僕の性格なので、それが残っていないということはどこかの時点で自ら脱会をしたか、会員が増えすぎて東映側が活動を停止したかのどちらかという気もする。
まあ、記憶などというモノはある部分は異様に鮮明かと思えばその反面いいかげんなものなんだとつくづく思い知るばかりだが・・・。

1979年頃のアニメファンは皆、情報に飢え、仲間に飢えていた。この「東映アニメーションファンクラブ」はそんな時代だったからこそ存在し得たものだったのだろうと思う。アニメとファンの関係がまだまだ牧歌的な時代だったのだ、あの頃は。

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2009年4月 9日 (木)

映画「ヤッターマン」

春休みも終わって映画館も静かになったろうと思い、ずっと観たかった「ヤッターマン」を昨日観てきた。映画化の企画を知ってから、かなり期待していたのだが、これがけっこう楽しめた。
以下は映画評ではなく「感想」である。このヤッターマンに関して、僕個人としては映画の出来不出来はどうでもいい。これは「スピードレーサー」の時と同じ感覚だ。子供の頃大好きだったアニメが実写映画化され、それがオリジナルへの愛とリスペクトに溢れた作品であればそれで満足なのだ(以下、ネタバレ含むので未見の方はご注意のほど)。

アニメを原作として、しかもその世界観やキャラデザインもほぼ変えないで実写化するという挑戦はかなり成功していたと僕は思った。その意味においてはスピードレーサーより徹底している。このテの作品では制作者がオリジナル作品をどれだけリスペクトしているかが重要だが、このヤッターマンは全く問題ない。そして間違いなく本気だったことが嬉しい。
ストーリーは映画のオリジナルだが、見せ方は徹底的にオリジナルを踏襲している。おなじみの「説明しよう!」(天国の富山敬さん、喜んでるだろうなぁ・・・)に始まり、ドロンボー達の3人乗り自転車、そして「おしおきだべぇ〜」(もちろん滝口順平さん)、オダテブタ、「ポチッとな」・・・・などなどアニメをそのまま、まじめに実写へと転化しているのだ。
ヤッターワン出動シーンではオリジナルの主題歌の2009年バージョンが流れる。歌うはもちろん我らが山本正之!まったく衰えのない歌声に胸躍った。後半にはヤッターキングも登場するのだが、ここではオリジナル版後半のOPを飾った「ヤッターキング」の歌が流れる。これをあの甲本ヒロトのザ・クロマニヨンズが歌っているのだ。これがかなりイイ。そしてEDテーマだった「天才ドロンボー」は映画のドロンボー一味が歌い、踊る。
そして、もうひとつオリジナル版ファンへのプレゼントがあるのだが・・・これだけは実際に観て驚いてもらいたいので伏せておこう。

この企画が発表された時点からドロンボー一味を誰が演じるのかが最大の話題だった。そのドロンボー一味はある意味本当の主役だ。この映画の正否はそこにかかっていたが、演じる3人ともなかなかハマっていた。
深田恭子演じるドロンジョは想像通り、オリジナルよりかなりカワイイ。彼女の場合はあのテンションの低さが逆にイイ味を出していた。無理にオリジナルのドロンジョを意識しなかったところがかえって成功したようだ。高飛車なセリフが「らしく」ないところが良かった。ま、僕は深キョンファンなのでかなりひいき目に見ているのを自覚しているため採点は甘くなる。だけど、彼女は元々どこか現実離れしたキャラなので、アニメキャラとは相性がいいのだろう。
ケンドーコバヤシのトンズラーは、過不足なし。ビジュアル的には実は一番オリジナルからは遠いキャラだった。しかしこれは仕方ない。アニメのキャラは最も現実にはあり得ないプロポーションなのだから。
特筆すべきは生瀬勝久のボヤッキー。彼には一番期待していたのだが、期待以上の出来だった。やはり上手い。いかにもアニメ的なギャグキャラをあのテンションで演じられるのは彼くらいのものだろう。しかもそれが愛らしく、ボヤッキー以外の何者でもなかった。あの付け鼻は、最初どんなもんだろうと思っていたが何の違和感もなく受け入れることが出来た。下手に特殊メイクなんかするよりいいかもしれない。
惜しむらくは肝心のヤッターマンを演じる2人の芝居のテンションがイマイチ(実力の問題?)で、アニメキャラを演じるということに照れがあったのかアクションも含め物足りなさが残った。櫻井翔くんも福田沙樹ちゃんも嫌いではないんだけど・・・。あと、全体にギャグがやや滑り気味ではあった。

この映画版ヤッターマンは今まで観たアニメの実写映画化の中では最も成功した例だと僕は思った。徹底的にアニメの世界を踏襲することにこだわり、監督が下手な自己主張もテーマも掲げずエンターテインメントに徹したことが成功の主な要因だろう。元々リアリティーとは無縁のギャグアニメでありCGとの相性も良かった。だけどもやはりオリジナルへの愛とリスペクト、これがなければ表面のスタイルだけをなぞった薄っぺらいものにしかならなかっただろう。
映画はやはり愛だ。


で、映画版ドロンジョ様。
深キョンに似てるかどうかはこの際ナシで(似てないんだけどさ)
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2009年4月 7日 (火)

ずっとアニメが好きだった(14)

〜ガンダム30年〜

1979年4月7日、つまりちょうど30年前の今日、日本のアニメ史のみならず文化史においても重要かつ記念碑的作品である「機動戦士ガンダム」の放送が開始された。当時、ガンダムがこれほど長く支持され続け影響を与え続ける作品になることを想像できた人は唯の一人もいなかったろう。この作品は間違いなく日本のアニメのターニングポイントとなる作品だった。アニメブームのただ中にあって、そのブームをピークに押し上げ、アニメをブームではなくひとつの文化として定着させた作品だった。

実を言うと僕は第1話を1日早い4月6日に観ている。ちょっとコネがあり早く観る機会に恵まれた・・・わけではない。僕が住んでいた関西地方でガンダムは、「ザンボット3」以来の金曜夕方5時という枠で放送されていた。だから関西地方のアニメファンは全国にさきがけて1日早くガンダムを観ていたわけで、関西のファンにとって30周年の記念日は4月6日なのだ。しかし、公式的には4月7日が放送開始日なのでこの記事では今日が放送開始から30周年ということで書いている。

僕は本放送では全話を観ていない。
観たかったけれど観られなかった。当時の僕は中3で、野球部に所属していたため平日の放課後は必ず練習があり5時からの放送にはどうがんばっても間に合うわけはなかった。雨が降っても室内で練習があったのでガンダムを観られるのはテスト期間中で練習がないときだけだったのだ。家庭用ビデオはまだまだ高価であり、当然我が家にはなかった。
だが、幸いにして第1話を観ることは出来た。まだぎりぎり春休み中だったからだ。
この時の僕は後のハマり方からは想像がつかないほどガンダムに期待していたわけではなかったと思う。というのも、第1話の印象をあまりよく憶えていないのだ。後になってあちらこちらで、あの1話がいかに衝撃的だったか語られるのに僕はなぜか強い印象を持っていなかった。おそらく、あの第1話の凄さを認識できてなかったのだろうと思う。ハイレベルな内容についていけてなかったのだ。しかしながら「もう観ない」とも思わなかった。少なくとも面白そうだという印象は持っていたはずだ。
僕が次にガンダムを観ることができたのは第9話「翔べ!ガンダム」だった。舞台はいつの間にか地球に移っていた。ただでさえ難解なストーリーをすっ飛ばしていたにも関わらず、この第9話を僕は「録音」している。つまり久々に観るガンダムを楽しみにし、「記憶」に留めるための準備をし「記録」していたのだ。だからついていけてなくても「観たい」と思わせる作品であったことは確かだったのだ。
この第9話が2度目に観たガンダムだったことは幸運だった。なんせ、あの名台詞「オヤジにもぶたれたことないのに!」で知られるシリーズ前半屈指の名編である。アクション的な見せ場もあり、アムロの最初の転機となる重要なエピソードだ。何より作画が良い。特に、ふさぎ込むアムロとそれをなだめるフラウ、そしてアムロを殴りつけるブライトなどなど、安彦氏ならではの細やかな芝居が存分に発揮されている。録音していた僕は繰り返し繰り返しこの第9話を聴いた。ほとんどのセリフを憶えてしまうほどに。そしてこの9話によって僕は完全にガンダムの虜になってしまった。
その後も飛び飛びで観ることが多く、ほぼ続けて観ることができるようになったのは、中学最後の夏の大会が終わり野球部を退部した後で、アムロが脱走する辺りからだったと思う。それでも受験勉強や学校行事の関係でところどころ抜けてはいたが、その頃になるとガンダムはアニメ雑誌に欠かせないほどの話題を集め始めていたおかげで十分な情報によって足りない部分を補完しながら観ることが出来た。

放送開始からおよそ10ヶ月後の1980年1月26日(関西では25日)放送の第43話「脱出」でガンダムは最終回を迎えた。アニメファンの人気とは裏腹にガンダムは突然打ち切りという憂き目に遭ったのだ。
けれど、ガンダムは僕や当時のアニメファンに大きなものを残した。ガンダムの本当のブームは放送終了後にこそあったのだ。放送が終わってもガンダム人気は衰えることを知らず、再放送が行われ関連出版物が次々と刊行された。アニメ誌上で作品の分析が行われ、こぞって同人誌も作られた。そして、いつしか「映画化」という機運が盛り上がった。ファンの熱意と制作者の熱意、そしてそこに商機を見いだしたメディアや企業がそれを現実のものとした。それこそが今のアニメを取り巻くカルチャーの原点となっているものであり、ガンダムがアニメとファン、そして社会や経済との関係を決定づけたと言っても過言ではないだろう。
何より心地よかったのは、そのブームを自分たちが作っている、支えているという実感があったということだ。そのことはあの時代を体験した世代だけが共有できる大きな大きな財産だ。

僕にとってのガンダムは大好きな作品であるということ以上に、その後の僕自身の生活、いや、もっと言えば人生そのものに大きく影響を及ぼした作品だった。間違いなく。

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2009年3月21日 (土)

ずっとアニメが好きだった(13)

赤毛のアン(1)

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数々の名作アニメが誕生した1979年。そのトップを切った作品が「赤毛のアン」である。同年1月7日〜12月30日まで、日曜午後7時半のフジテレビ系列の看板だった「世界名作劇場」の枠で放送された文字通りの「名作」アニメだ(調べてみて、年の瀬の30日までレギュラー番組の放送があったことに軽く驚いた)。
放送は全50話。シリーズ演出は高畑勲でレイアウト(クレジットは「場面設定・画面構成」)に宮崎駿という「ハイジ」「三千里」の名コンビ、美術監督に井岡雅弘、キャラデザイン・作画監督に近藤喜文、脚本は高畑自身のほか映画監督でもある神山征二郎ら数人が手がけている。音楽は毛利蔵人。レイアウトは、宮崎駿が「ルパン三世 カリオストロの城」制作のため降板し、18話以降桜井美知代に交代した。
「ガンダム」開始直前の富野喜幸(当時)も絵コンテで数話に参加している。余談になるが、富野氏は「ハイジ」「三千里」でも絵コンテで参加、日常的な芝居に重きを置く高畑演出を間近で見ている。そのことが「ガンダム」という作品に与えた影響は決して小さくないはずだと、僕は思う。

僕は放送当時、全話を観た。なぜこの番組を観ようと思ったのかは憶えていない。原作を読んだこともなかった。演出が高畑勲だからでもレイアウトが宮崎駿だから、でもない。この当時の僕はまだアニメ初心者で、この両氏についての知識(「レイアウト」という仕事がなんであるかすら知らなかった)はほとんどなかったはずだ。なぜなら僕が最も頼りにしていた「アニメージュ」では、この両氏をフィーチャーした記事は少なくともアンの開始以前にはなかったのだから。世界名作劇場のファンというわけでもなかった。むしろこの枠の番組は「よい子」が観るものと避けていたくらいだ。だから余計に、なぜなのかがまったく想像すらできないのだ。
「アニメージュ」で「アン」の記事が出たのは1979年1月号(78年12月10日発売)だから、放送開始のおよそ1ヶ月前だ。この段階ではスタッフ名は単なる「情報」として記載してあるのみで「あのハイジのスタッフが」などというあおり文句すらない。キャラ紹介に至ってはアンの養母となるマリラとその友人のリンド婦人を逆に書いてある始末だ。掲載されたアンのキャラもお世辞にもかわいいとは言えない、暗い目をした痩せてそばかすだらけの女の子だったからキャラに惹かれたとも思えない。続く79年2月号で、ようやく高畑勲のインタビューが掲載されているが、この段階でも高畑氏は“いち演出家”扱いでしかない。そのインタビューの脇に、キャラデザインの近藤氏が描いたアンの初期設定ラフ画が掲載されている。こちらは表情は暗いものの、美少女だ。僕は当時「こっちの方が可愛くていいのに・・・」などと思っていた。そのことだけは憶えている。この2月号は第1話放送後に発売されている。だから第1話を観たあとにそういう感想を抱いたことになるわけだから、第1話を観ただけではまだ僕は「アン」の魅力に気づいてはいなかったのだろう(面白い、とは思った)。「なんや、このデコッパチは・・・」そう思いながら、淡々と進む初回を観ていたのだ。

しかし、すぐに僕はこの作品の虜になってしまうことになる。
アンと、アンを取り巻く人々との日常が美しく輝いて見えるまでそう時間はかからなかった。

(続く)

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2009年3月 3日 (火)

「段平おっちゃん」バトン

Photo_2

きなこ様より「段平おっちゃんバトン」を託されました。
スラスラとあらゆる場面、セリフが浮かぶほどに原作を読み込んでいるわけでもなければアニメ版を繰り返し繰り返し観たというわけでもないので、自分にとって印象的なシーン、憶えているシーンのみでお答えしました。

1 おっちゃんのジョーに対する愛情を強く感じたのはどの場面ですか? 

少年院で青山君のコーチになったこと。誰よりも愛するジョーに嫌われることを承知で、あえてあのような行動によりジョーを鍛えようとする姿に心打たれました。逆に言えばジョーのためなら他人をも利用してしまうという鬼のようなことでもやってのけるほど深い愛情なのだと。

2 おっちゃんの優しさが滲み出ている行動、セリフがありましたら挙げて下さい。

優しさ、とは少しニュアンスが違いますが、アニメ版「2」第1話より「ジョー、元気でいるか・・・」ですね。「元気かどうか」を心配するところに愛情を感じます。
グローブに顔を埋めて叫ぶおっちゃんが切ない。

3 「いくらおっちゃんとはいえ、ひど過ぎる!」と感じた場面があれば挙げて下さい。

ありません。
おっちゃんの行動はすべて「ジョーありき」なので、一見ひどいと思えてもそれはすべてジョーのことを思ってのことだからです。子は親の気持ちを理解できないことがあるようにそれがジョーに伝わらなくても、おっちゃんの行動はすべてジョーのためなのですから。

4 おっちゃんの手料理で何が一番食べてみたいですか?

・・・正直、あの毛むくじゃらのゴツい手で作ったものはあまり・・・。紀ちゃんの手料理ならなんでも食べます。

5 おっちゃんが可愛い!と感じた場面があれば挙げて下さい。

男の目から見てあまり可愛いという感じ方はしないので、可愛いというのとは違うニュアンスになりますが、アニメ版「2」で新丹下ジムの落成記念パーティーのスピーチ中に感極まって泣く場面がおっちゃんの心情が出ていて好きです。あの時のおっちゃんの思いは私たちファンの思いでもあったような気がしています。

6 ガラスのような心臓のおっちゃんに度々ジョーからキツい言葉が投げ掛けられますが、一番こたえたジョーからの一言を挙げて下さい。

これはやはり白木ジムでの「能なし」発言ですね。あそこのシーンは、原作よりもアニメ版の方が強烈に心が痛みました。

7 あなたが後楽園ホールへ向かっている途中、なんと前方に段平おっちゃんが一人で歩いている姿が見えます。あなたはどんな行動に出ますか?

私がお酒を飲めれば、その辺の居酒屋に誘いたいところですが・・・。ただただその後ろ姿を見送るだけだと思います。

8 おっちゃんは葉子のことをどんな風に思っていましたか?また紀ちゃんについてはどうですか?

葉子に対して特別な思いはなかったと思います。強いて言えばおっちゃんの理解が及ばないタイプの女性だったのでは?
紀子のことはとても好きだったと思います。下町に育ち、気さくで、何かというとジョーのことを気にかけてくれる彼女はおっちゃんにとっても心休まる存在だったのではないでしょうか。

9 ズバリ、おっちゃんは何歳だと思いますか?

55歳!
今の自分の年齢を考えるに、このくらいであってもらわないと困る(何が?)。

10 最後にあなたからおっちゃんへ熱いメッセージをどうぞ!

おっちゃん、人生において大切なモノってなんだ?
夢を見ること?
それとも夢を叶えること?
聞くまでもないよな、おっちゃん。
アンタの夢は叶わなかったもんな。
けれど、一度は失意のどん底に沈みながら
もう一度アンタは夢を見ることが出来た。
夢を見ることの出来る日々がどれだけ輝いてるのか、
アンタを見ていてよく分かったよ。
おっちゃん、オレはさ「信じれば夢は叶う」って言葉が大っキライなんだ。
夢が叶うヤツなんてこの世にどれだけいるってんだ。
叶わなかったヤツらに価値はねぇってのか??
だけどさ夢を見ることはだれでもできるんだよな。
やっぱ、夢は見るもんだよ。
アンタも言ってたよな。
誰だって夢とか希望ってやつは持っていたいもんだ、って。
けど今の世の中、夢見ることを忘れちまったヤツが多すぎるし
夢を見ることすら許されない連中もいる。
なあおっちゃんよ、夢の見方を教えてやってくれよ。
おっちゃん、アンタは今どこで何してんだ?
オレたちはアンタを必要としているんだ。
早くオレたちの前に出てきてくれよ。
みんな、待ってんだぜ。

11 次にバトンを回される方のお名前を教えて下さい。

思い当たる方がおりませんので、きなこ様にお返しいたします。
ほかに引き継いでくださる方がいらっしゃれば、お願いいたします。

**************************
以上です。

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2009年2月27日 (金)

水平線の終わりには・・・

・・・虹の橋は、夢の世界はあったのだろうか?

Photo_5
今回はあえて勇ましいトリトンを描いてみたが・・・。

先日(2月25日)BSアニメ夜話で「海のトリトン」が取り上げられた。
その前の週まで僕はカートゥーンネットワークで何十年かぶりに通しで観たばかりだったのであまりにいいタイミングでの放送にちょっと驚いた。子供のころに観たきり再放送などは飛び飛びで観たのみで断片的な記憶しかなかったが、今回改めて見直す機会を得たことは幸運だった。
「海のトリトン」は放送は1972年に放送された。手塚治虫の同名漫画を原作としているがアニメ版は完全なオリジナルストーリーと言ってよい。総監督は富野喜幸(由悠季)。その後数々のヒット作品を生み出す彼のこれが初のシリーズ監督作品である。
主人公が戦うべき理由を見いだせないまま否応なしに平和な暮らしから投げ出されてしまうことや、ゲストキャラ(恐竜やヘプタボーダら)とのつかの間の心の交流と悲劇的な別れ、そして善と悪の定義にくさびを打ち込んだかのような救いのないラストなど、後の富野作品との関連性も見受けられる作品である。1978年発行の「ファンタジー・アニメアルバム 海のトリトン(少年画報社)」で富野監督はこの作品について実に興味深いことを語っている(アニメ夜話で紹介されたアノくだりではなく)。長くなるので引用は避けるが、それは後の問題作「伝説巨神イデオン」のテーマとも関わる話だったので、今回読み返して驚いた。
僕は本放送で見ていたと思うのだが、オープニングの歌と映像の印象が鮮烈であったことははっきりしているが、内容について当時の記憶が実はあまりない。手塚作品だと信じ込んでいたことやシリアスな作品であったこと、ラストが唐突でなんだかよく分からなかったことがぼんやりと思い出されるくらいである。今回通しで観てもあの最終回はすぐには理解できなかったくらいだから当時小2で、しかも頭の悪い僕に理解出来ようはずもなかったのは至極当然である。
だからこそ、なのだろう。僕よりも上の世代である当時の女子中高生を中心に人気が広がり日本初と言われるテレビアニメのファンクラブが作られた。トリトンと言えばファンクラブ。そんなイメージが僕の中には今でもある。
それは上にも書いた、アニメブームが盛り上がってきた頃に発行された「ファンタジー・アニメアルバム 海のトリトン」や翌年の「ロマンアルバム」にトリトンファンクラブのことが紹介されていたからだ。会員が描いたすごく上手なイラスト(今見返しても本当に上手だ)も掲載されていて、「こういう会誌を作る人たちって絵も上手いんやな〜」って感心していたのだ。

そして、このトリトンのプロデューサーはあの西崎義展氏である。彼は後に宇宙戦艦ヤマトを大ヒットさせるのだが、その背景にはこのトリトンでの手応えがあったに違いない。トリトンもまた視聴率では苦戦し打ち切りの憂き目にあったのだが、本来のターゲットよりも上の世代が注目し作品を蘇らせたという点ではヤマトと同じである。ヤマトが放送終了後に中高大学生を中心に人気を得、大ブームを巻き起こしたことはいまさら説明するまでもないことだが、トリトンの時にアニメファンという存在を認識していた西崎氏はヤマトの時もまた同じ手応えを感じていたはずだ。そしてそのファンの力を信じ、ヤマトを成功させたのだと僕は思う。
トリトンは後につながるアニメファンの活動の基礎を築き、アニメとファンの関係を変えて行くきっかけになった作品としても重要な位置にあるのだ。


↓トリトンのムック2冊

Photo_3「ファンタジー・アニメアルバム 海のトリトン(少年画報社)」
カラーページもたっぷり、スタッフインタビューあり設定資料ありの充実の内容。複製セル画、羽根さん描き下ろしヘプタポーダのピンナップもありで完全にアニメファン狙いの編集である。

Photo_4「ロマンアルバム 海のトリトン(徳間書店)」
1979年、ブームに乗って制作された劇場版を扱っている。こちらには主要キャストのインタビューがある。まだ少年の面影を残す塩屋さんの初々しいお姿も。


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2009年2月22日 (日)

恥さらしの時間(2)

ネタ貧である。
ネタがないときは自らの身を切って恥を晒すしかない。
前回ネタに少し絡めて、1978〜79年に描いた絵の一部を晒そう。

「宇宙戦艦ヤマト」のロマンアルバムに触発され、そこに掲載された設定資料などを模写しまくったのが1977年のこと。その恥の絵を晒したのが昨年。1978年に映画「さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち」が公開され、僕はすっかりヤマト熱に浮かされた。そして今度は「さらば」のストーリーをなぞってコクヨの計算用紙に絵を描き始めた。ロマンアルバムなど当時出版されたムック本からカットをチョイスして描いている。
その中から比較的ちゃんと描けてるのを選んではみたが・・・。

Yamato02
冒頭近く、古代が帰還し雪とデートするシーンと英雄の丘に立つ沖田の銅像。

Yamato01
こちらは防衛軍の命令を無視し発進したヤマトに潜り込んでいた雪と古代が再会するシーン。


このヤマトの絵は1ページに収めるカットが多く、文字もかなり小さく(汚く)細かい。読んでみると文章はきちんとしているが、ところどころ映画本編とは違うセリフもあるので、おそらくはノベライズ本か何かを写しているのだろう。描き進むうちに絵も文字も密度も上がってゆくのだが、段々飽きてきたのかそれとも疲れたのかデスラーが登場したあたりでこのノートはぷっつり終わっている。何事もやりとげられない性格っていうのもあるのだけど。


Kodai続いても「ヤマト」から古代進。1979年作。この頃になるとカットの模写では飽きたらず、自分でポーズや表情を考えて描くことも多くなっている。ヤマトのキャラはだいぶこなれてきてたようではある。

009_2
当時、アニメの新作が放映中だった009。表情暗すぎ。

Syoujo01_2最後はオリジナル絵。おんなのこ。・・・こういう絵が実は一番恥ずかしい。とにかくおんなのこをかわいく描きたいという欲求はこの頃から出始めたようで、あちらこちらの影響を受けたと見られる絵がたくさんある。これは「マカロニほうれん荘」の鴨川つばめの影響か?


この頃は若さゆえか短期間でもそれなりに絵が変わっている、というか少しは上達しているようである。線の強弱の付け方や、タッチの入れ方とかに工夫をしている絵が増えてきている。と同時に絵を描くことに対してそれなりの「いやらしさ」みたいなものが見えている。上手く描いてやろう、、、ていうか「オレって上手いだろ」という傲りが見える。・・・おそらくは、自分の周りにはあまりこのテの絵を描く人がいなかったので上手い気になっていたのだろう。まったくもって恥ずかしい。
だから、この頃に描いた絵は今見ても実はあまり好きにはなれないのである。

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2009年2月19日 (木)

ずっとアニメが好きだった(12)

〜アニメブームという熱・・・その2〜

“アニメブーム”とは一体何だったのか?

それは、“TVマンガ(マンガ映画)”が“アニメ”になったことだと僕は思う。それまで“TVマンガ”あるいは“マンガ映画”と呼ばれていたモノが“アニメ”というカタカナ言葉として世に認識され、映像のいちジャンル、あるいは若者文化として認知されたこと、それが“アニメブーム”だったのだと思う。
ただそれだけ??・・・のことではない。それはとても大きな出来事だったのだ。あの時代のあのブームがなければ、あるいはただのブームで終わったのではなかったからこそ今の日本のアニメの隆盛があるのは間違いない。ただの一過性ブームで終わらずに文化として定着したということは元々それだけの潜在的パワーを持ったジャンルであったということだ。それは決して恵まれているとは言えない環境の中にあっても、良い作品を生み出そうとするクリエーターたちの真摯な姿勢があったからである。アニメファンもまた「いい歳をしてアニメなんて・・・」という視線に対する反発みたいなものがあり自分たちの好きなアニメの力を信じ応援し続けていたからこそブームにもなったはずだ。ブームの引き金となたった「ヤマト」、あるいはブームをさらに一段高いところへ押し上げた「ガンダム」が、元はと言えばいずれも営業的に成功したモノではなかったということは象徴的な気がする。仕掛けられたものではなく「いつの間にかスゴいことになっていた」ということ、それは実はすごく重要なことだったのではないか。
70年代終盤の3年間を中学生として過ごした僕はアニメブームの洗礼をまともに浴びた。アニメブームは、当時の僕よりも少し年長の世代が中心になって引っ張っていた。だから大人の世界に足を踏み入れようとしていた僕にとって、その扉を開けてくれたのがこのアニメという新しい文化だったのだ。
小さい頃から大好きだった“TVマンガ”はとてもとても深い魅力のあるモノであることを知り、“アニメ”を観るのは発見の連続だった。あの頃の作品には本当に面白いものが多く飽きることがなかった。その当時観ていたアニメの面白さだけではなく子供の頃夢中だった作品の魅力も改めて知ることが出来た。

この70年代終盤はブームの名に恥じないほど僕らアニメファンの欲求に応える作品が次々と登場していたアニメの黄金期でもあった。特に78、79年は今もなお色褪せることのない数々の名作が生まれている。
有名な演出家の作品だけをざっと挙げてみても、宮崎駿は1978年に「未来少年コナン」79年に「ルパン三世 カリオストロの城」を、りん・たろうは1977年に「ジェッターマルス」「グランプリの鷹」78年には「キャプテンハーロック」79年には「銀河鉄道999(劇場版)」を、出﨑統は77年「家なき子」78年に「宝島」79年に「エースをねらえ(劇場版)」「ベルサイユのばら(19話以降)」を、富野喜幸(由悠季)は77年「ザンボット3」78年に「ダイターン3」79年には「ガンダム」を、長浜忠夫は77年「ボルテスV」78年「ダイモス」79年「ダルタニアス」「ベルばら(18話まで)」を、高畑勲は79年に「赤毛のアン」をそれぞれ制作・・・というように名だたる演出家が毎年のように新作を手がけている。今では考えられないくらい贅沢なラインナップだ。そしてこれらの作品には言うまでもなく大塚康夫や杉野昭夫、荒木伸吾、安彦良和などの作画監督、そして美術、撮影、音響などにも当然のごとく一流のスタッフが参加している。
彼らの多くはTVアニメの初期から活躍してきた。その才能が成熟しつつある時期とアニメブームとが重なった。この時期に名作が多く生まれた背景には制作現場での才能の開花とブームを支えたファンの相乗効果があったからだと僕は思う。良い作品を作ろうという作り手側の才能と情熱、そしてそれを受け止める事の出来る目の肥えたファンがいるという幸運がこの時期にはあったのだ。その目の肥えたアニメファンこそ、彼らの作品を物心ついた頃からそれとは意識せずに見続けてきた世代だ。TVアニメの歴史と共に育ってきたと言える世代がブームを支え、そのブームの高まりがより質の高い作品を求め、それが作り手にも伝わり次々と名作を生み出したと言えるのではないか。良い作品はさらに新しいファンを生み、ブームはどんどん高まっていく・・・言葉にするととても陳腐だが、とても熱い時代だったと思う。

僕はその熱に浮かされていた。とても心地よい熱だった。新しい何かが始まっているという思いとその渦の中に身を置き、存分にそれを楽しめた。
僕は、言わば“アニメブームど真ん中世代”だ(ずっと後に「オタク」という言葉が出来てからは「オタク第一世代」などとも呼ばれる)。多感な時期にこのブームを体験できたことは今でも本当に幸運だったと思う。時代の流れが大きくうねり、変わっていく瞬間を僕は間違いなく体験していた。そのことはいつまでも忘れることのない、大切な想い出だ。同じ体験をした人たちとは死ぬまであの頃の思い出話をするに違いない。
あんな時代はもう2度と来ないだろう。

以下追記。
上の記事は、前回の記事「009トークイベント」を書く前に準備していたものだ。
だから、そこでの芦田豊雄氏の話を聞いた後に読むと、自分の想い出だけを「イイもの」として書いているのがけっこうこっぱずかしい。あの頃のアニメブームの「負の遺産」のようなものがやはりある(「同人誌を作るようにアニメを作ってる」などの話)のだなと改めて思ったからだ。気づいていなかったわけではないが、現場の第一線で長年やってきた人の話だけに重みがあった。

・・・画像もなしでつまらん内容でした。すんません。

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2009年2月14日 (土)

009トークイベント at 杉並アニメーションミュージアム

杉並アニメーションミュージアムのトークイベント「009に魅せられて」に参加してきた。ゲストはアニメ「サイボーグ009(1979年版)」の監督・高橋良輔氏と同じくキャラデザイン・総作画監督の芦田豊雄氏。参加者は50人で私の同世代と思しき方々も多く見られた。

79年版の009について簡単に触れておくと、制作は東映。「東映動画」ではなく東映「本社」だ。東映の発注を受けるという形で日本サンライズ(現「サンライズ」)がアニメ制作の母体となった。高橋氏は実質的にこれが2作目の監督作品だった。物語は原作「エッダ編」ベースにした「宇宙樹編」、中盤には各キャラのエピソードを中心にした通称「バラエティ編」があり、後半が「ネオブラックゴースト編」と全体的にはアニメオリジナルといった感の強い作品だった。僕は10年ぶりとなる009のアニメ化にものすごく興奮し、期待を膨らませていた。放映時にはおそらく全話見たはずなのだが、なぜか熱狂的に支持するには至らなかった。何かが違う・何か物足りないと思っていたのだろう。けれど芦田氏の描く009達は僕はとても気に入っていた。原作のテイストを生かし、なおかつ芦田氏の個性が出ていて今でも僕の中で芦田氏が描くの009はお手本だ。

さてお二人のトークは石森プロのスタッフの司会進行で、出会いから009に関わるきっかけ、当時の想い出、現在のアニメ界の状況などバラエティに富んでとても面白かった。司会の男性(おそらく20代だろうか)がこなれていなくてもう少し話を膨らませたりしてくれれば良かったのに(おおまかなプログラムに沿っていたのだろうけど)というのがちょっと残念。当時のアニメを良く知る人に司会をしてもらいたかった(心の中では「オレに司会やらせろ〜!」なんて不遜な事を叫んでいた・・・爆!)。
面白く興味深い話はたくさんあった・・・あったが、すべて憶えられるほど記憶力もなく、録音は禁止の上、メモも取っていなかったので以下に書くことはそのごくごく一部、僕が印象的だった話だけだ。実際のトークでの発言とはかなり違うかも知れないので悪しからず了承の上、読んで頂きたい。


2人ともが異口同音におっしゃってたのが、石森先生の絵の事。高橋氏は「手塚さんの絵は上手なんだけどどこかクールで外国的。石森さんの絵には日本的な湿り気というか情緒がある」と言い、芦田氏は「線に思想がある。マンガの絵というのは記号なんだけど、石森さんは記号で絵を描くのではなく思想を線に込めている」と話していた。そしてその情緒や湿り気、線の思想みたいなものをアニメ化にあたっても意識していたという。その流れで芦田氏は「東映のはそれがなかったよね」とおっしゃっていたのだが、「東映の」とは翌80年に劇場公開された映画版009「超銀河伝説」のことだ。こちらは東映動画の制作。「要するに自分たちは単なる下請けだったんだよね。映画の話は一切来なかった。自分たちに頼めよ!って思っていた」とは芦田氏。「超銀」はまさしく「記号」の009でしかなかったし情緒も湿り気もないというのがお二人共通の評価だ。なるほど、僕も「超銀」は評価していないのだが、そういう風に言われるとあの映画に一番欠けていたのがなんだったのか少し分かったような気がする。
手塚治虫の絵が「外国的」に感じられるのはディズニーの影響があるからだろう。石森氏には東北の土着の、大地に根付いた何かが絵や作品にあるということなのだろうか。それが「情緒や湿り気」に通じるのかも知れない。だとすれば「超銀」で宇宙に飛び出したサイボーグ達にそれらがないのは当然と言えば言える・・・と考えるのはこじつけに過ぎるだろうか?

009のキャスティングについて初めて知ったエピソードがあった。当時主役のジョーの声を誰にするかということで悩んでいた高橋氏は、あるファンから井上和彦さんが適役だという推薦を受けたらしい。当時の井上さんはまだ若手であり、高橋氏はよく知らなかったらしい。さっそく井上氏に逢い、声を聞いた高橋氏はジョーにぴったりだと思った。そして、ファンの人というのは本当にめざとく見ているものだなぁと感心したという。

また、両氏は現在のアニメを取り巻く状況をとても憂えておられた。僕が009放映当時のアニメブームが現在のアニメにどういう影響を与えたと思うか、という主旨の質問をした。「テーマが大きすぎるよ」と芦田氏にチクリと言われたが、芦田氏は「ヤマトのブームがオタクを生み出し、そのオタクたちがアニメの制作現場に(スタッフとして)入ってきた。今ではプロデューサーも監督も作画監督もスタッフすべてがみんなオタク、そして観客もオタク。だからどこかで観たようなストーリーを、どこかで見たようなキャラで、どこかで聞いたような声と芝居でアニメが作られてしまってる。今はオタクってどこにでもいるでしょう?そしてみんなすごく(考えや行動が)よく似ている。そんな人たちばかりが寄り集まって、仕事だという意識ではなく、作りたいものを作ってるだけ。それはとても恐ろしい」というようなことを口にされた。今のアニメの多くは縮小再生産であり、個々の作品の対象マーケットは狭い。言わばオタクな人たちがオタクな人たちに向けた作品を同人誌のように作っている。つまりプロとアマチュアの差が無くなってきたとも言え、プロがプロの仕事をしなくなってきている(できなくなっている)と言うのだ。“オタク第一世代”としては耳の痛い話ではあったが、非常に説得力のある話であった。。高橋氏は「009の頃は確かにアニメブームではあったけど、『赤毛のアン』のような作品もあり作品自体が多様だった。あの頃は黄金期だったと思う。今のアニメ界の状況はあまり良くないと思う。日本映画が一度ダメになったが、最近はまた良くなってきた。アニメもいつまでも隆盛が続くとはいえない。盛り上がりがあればいつか下火になり、また良くなる時が来るのではないか」と言うようなことをおっしゃっていた。
お二人は日本アニメーター・演出協会(JAniCA)の発起人でもあり、アニメ界の現在、そして未来について誰よりも深く考えているのだと改めて思う発言だった。

上記の質問は、きっと質問コーナーが設けられると思いトークを聴きながら考えていたのだが、いざ質問する段になってアガりまくってしまい声も手も震え情けない話し方になってしまいかなり凹んでいる・・・。今さらながら小心者の自分が悲しい。質問内容が009と石森章太郎に直接関わりないものになってしまったことは申し訳なかったのだが、お二人の話は本当に面白く興味深いものだった。

今、僕は杉並アニメーションミュージアムの近所に偶然住んでいるのだが、ここはサンライズのスタジオも近い。そんなことを考えて今の住まいに越してきた訳ではないのだが、30年前に観ていた009やガンダムの制作スタジオの近くに今住んでいるということがなんだかとても不思議な気がするのだ。やっぱり僕の人生はアニメとともにあるのだなと思う。これも都合の良いこじつけなのだろうけど。

19796
←今回、もし可能ならサインをしてもらおうと思い1979年のアニメージュ6月号の表紙をスキャンしプリントしたものを持っていったのだが、サインや握手は最初から「ダメ」だということだった。残念。このふわっとした髪の感じが好きだった。

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2009年2月11日 (水)

手塚治虫のこと

先日の日曜、2月9日は手塚治虫没後20年の命日だった。
NHKBSで過去にNHKが放送した手塚治虫関連の番組をまとめて放送していて、僕は途中(「トキワ荘」のあたり)から観ていた。そして今週は手塚の特集を連日放送している。こちらの番組は録画しているがまだ観られないでいる。

手塚治虫。
これほど多くの切り口で語ることの出来る作家はいないだろう。最も知られた形容詞は「マンガの神様」。これについては説明不要だろう。そして裏の形容詞が「アニメの貧乏神」である。これは昨年の記事「手塚治虫ばかりがすごいのか」で書いたことが主な理由だ。現在のアニメ界の過酷な労働環境の元を図らずも手塚が作ってしまったという皮肉だ。
僕はご多分に漏れず手塚マンガの洗礼を浴びている。しかし、マンガ以上にアニメ好きになってしまったために手塚治虫に対してはある種複雑な心境を抱かざるを得なくなってしまった。それは「アニメの貧乏神」という以上に、手塚のアニメ作品が彼の描く漫画ほどには面白くなかったということが大きい。あれほど多岐に渡るジャンル、テーマでしかもエンターテインメント性を失わないマンガを描く人なのに、手塚のアニメはなぜかあまり面白くなかった。少なくともボクにとっては。「ジャンピング」「おんぼろフィルム」などの自主制作作品などに面白い作品はたくさんある。しかし、手塚マンガのように心をまるごと持っていかれてしまうような作品はなかった。
手塚治虫は生前から「僕はアニメーションを作るためにマンガ家になった」と公言してはばからなかった。そしてマンガと同じように、あるいはそれ以上にアニメにも情熱を傾け続けてきた。しかし、彼は自身がアニメに傾ける情熱に反して、皮肉にもアニメから愛されることはなかったと言えるかも知れない。
しかし、それはそれでいいのだと僕は思う。
これで手塚がアニメにおいてまで「神様」扱いされたのでは出来すぎだろう。日本を代表するこの2つの文化の何もかもが「手塚のおかげ」では、あの世で彼も苦笑するに違いない。「アニメの神様」にはなれなかったが、アニメ界にも(功罪両面あるものの)多大なる影響を残したことは間違いない。

「マンガの神様・手塚治虫」
その遺伝子は脈々と受け継がれて消えることはない。
もう二度と決して現れることのないとてつもない巨人、手塚治虫。
いくら語っても語り尽くせないものをこの世に残したことは疑いようもない事だ。
それで十分ではないか。

なんだかんだ言って、僕もまた「アトムのこども」なんだと思っている。

Bj2で、僕が一番好きな手塚作品「ブラックジャック」。久しぶりにペンと筆で描いてみたらへろへろの線になっちまいました。
アナログ絵がすっかりダメになってます(泣)

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2009年2月 8日 (日)

ずっとアニメが好きだった(11)

〜アニメブームという熱・・・その1〜

昨年のブログ開設以来、僕がアニメに興味を持ち始めたころの話を幾度となく書いている。その頃、1970年代終盤はアニメブームと言われ始めた頃だった。「アニメ」という言葉が普通に使え、通じ、そして市民権を得ている今の若い人たちには「アニメがブーム?」って訳が分からないだろう。そもそも「アニメ」という言葉が一般的になったのはこのアニメブームの頃からだ。

1977年に映画「宇宙戦艦ヤマト」が大ヒットした。映画公開前には「OUT」がヤマトを特集し大反響を呼んでいた。映画公開後に徳間書店からはロマンアルバム第1号「宇宙戦艦ヤマト」が発売され、同じ年の秋に朝日ソノラマからティーン以上のアニメファンをターゲットにした「マンガ少年別冊 TVアニメの世界」が出ている。ヤマトのヒットをきっかけに、世間では“アニメ”という言葉が飛び交い始めるようになる。そのヤマトを熱狂的に支持し、世に知らしめたのはティーンから大学生のアニメファンたちだ。若い高校生や大学生が、“子供の観るモノ”というのが常識の“TVマンガ”を支持していることが話題になり、それまで“TVマンガ”あるいは“マンガ映画”と呼ばれていたものは若者文化としての“アニメ”と呼ばれるようになった。そしてオトナになると“卒業”するものだったはずの“TVマンガ”はずっと見続けてもいいモノへと変貌を遂げた。ヤマト以前も、あるいはヤマトと同時期にもティーンを中心にアニメ作品に注目しファン活動をしていた人も多くいたが、ヤマトという作品の大ヒットが社会現象となり、それをきっかけとしてほかの作品やそれを取り巻くファンの存在が知られ始めていくことになる。そのことで僕のように「面白い作品はヤマトだけじゃないんだ」と知り他の作品にも興味を持ち、引いてはアニメそのものへの興味となっていった人も多かったハズだ。そうしてブームはより熱く高まっていったのだ。
1978年に公開された映画「さらば宇宙戦艦ヤマト」はアニメブームの熱をさらに高め、アニメの地位を一気に押し上げることとなる。そんな中、同年「アニメージュ」が創刊。ロマンアルバムを始め数々のアニメムックも発売され、アニメージュに追随するアニメ雑誌も次々に創刊された。キャラクターグッズ(子どものおもちゃなどではない)がアニメショップで人気を呼び、各地で声優やアニソン歌手のイベントやアニメの上映会などが開催された。ケータイもパソコンもインターネットもなかった時代だから、書籍は重要な情報源でありイベントは唯一の交流の場であった。そしてDVDどころか家庭用ビデオデッキすらあまり普及しておらず、上映会は大好きな作品を観る貴重な機会だった。だからこそ、集まるファンの熱気は凄かった。今では考えられないほどの不便さ故にファンの熱は逆に高かったのだろうと思う。だからこそ熱いブームに成り得たのだ。
このころはTVでもアニメを取り上げる番組が増え、声優やアニメ歌手が生出演することも珍しくなかった。朝の名物ワイドショーだった「小川宏ショー」に声優や歌手が大挙して出演した事もあったし、「サイボーグ009」の新作が79年に作られるときなどは2週に渡り「前夜祭」と称した番組が放送され9人の声を担当する声優さんが全員出演されていた。
こうしたブームが頂点に達したのは1979年、「機動戦士ガンダム」によってである。視聴率こそ伸びなかったもののガンダムはアニメファンのツボに見事にハマった作品だった。ガンダムはアニメファン人気の高まりとは裏腹に当初予定より10話分ほど短縮され打ち切りの憂き目に遭う。そのことが逆に熱を高める結果になり、後の映画3部作につながっていった。
グッズやイベントの展開、出版、ファン活動など、この1970年代終盤に起こった事のほとんどは今のアニメをめぐる状況の基礎になっている。同人誌即売会でコスプレが注目されたり、コミケが肥大化してゆくのもこの頃からだったろう。

(つづく)

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2009年1月30日 (金)

龍神沼の少女

前々回の記事でちょこっと描いた龍神の少女に色を着けてみた。
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元々色数の少ないキャラなので少し地味な感じになったか。ま、それ以前に石森キャラ独特の色気がまったく出ていないのだが・・・。独特の「ほとんど黒目」とか鼻やアゴのラインなど、ほんの少しのバランスの崩れで全然イメージが変わってしまう。特に目。ほとんど黒目でなんで目線がちゃんと決まるのだろう・・・?
そんなわけで、龍神の少女の神秘性も何もない俗っぽい絵になってしまいました・・・すみません。

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2009年1月27日 (火)

「ガッチャマン」監督の鳥海永行さん死去

昨日の新聞訃報欄などでご存じの方もいらっしゃるかと思いますが、傑作アニメ「科学忍者隊ガッチャマン」の総監督などで知られる鳥海永行(とりうみ・ひさゆき)さんが1月23日、お亡くなりになりました。まだ67歳という若さでした。

鳥海さんは、今なお絶大な人気を誇り日本のアニメ史に偉大なる足跡を残したアニメ「科学忍者隊ガッチャマン」の総監督として活躍、その先鋭的な演出は当時のアニメ界に衝撃をもたらした。ガッチャマンの第1話「ガッチャマン対タートルキング」は今観ても輝きを失わないTVアニメの金字塔的名作だ。
氏は後に「スタジオぴえろ」に参加、NHKのアニメ「ニルスのふしぎな旅」(名作!)の監督を務めている。押井守が師と仰ぎ、押井は鳥海氏とともにタツノコからぴえろに移籍、ニルスの各話演出などを手がけた後「うる星やつら」の監督を務めていることはあまりにも有名だ。

一般的な知名度は高くない鳥海氏だが、アニメ界に残した功績は計り知れない。
心からご冥福をお祈りします。

以下余談。
「鳥海永行」という名前。どこの誰で、何をしている人なのか何も知らない頃から読み方も何も知らずにアタマの中に残っていた。それは「タツノコプロ」というプロダクションの持つ希有で強烈なビジュアルイメージと無関係ではないと思う。吉田竜夫はじめ笹川ひろし、久里一平、鳥海尽三・・・「タツノコ」のスタッフの名は、なぜか他のアニメよりも幼い頃からアタマに刻みつけられていたのだ。その名前がアニメのスタッフであることを知ったのはいつ頃のことだったのだろう・・・。
1983年の冬、大学受験で上京した僕は入試から合格発表までの間お世話になる高校の先輩のところへ向かうため中央線に乗っていた。武蔵境駅(武蔵小金井だったか?)を出てすぐの線路脇にある3階建ての小さなビルの窓に目が釘付けになった。そこには「スタジオぴえろ」と書かれてあった。当時は「うる星」の人気絶頂期。僕は「ああ、こんなとこ(本当にみすぼらしいビルだったのだ)でうる星を作ってるんやな・・・」と思ったが、鳥海氏の存在などまったく頭にはなかった。その当時、鳥海氏は同じぴえろのビルでアニメを作っていたのだと思うと何かとても不思議な気がする。しかもその当時の鳥海氏は今の僕よりも若かったのだから。
結局僕は、その年の春から東京の大学に通うことになる。しかもそこはタツノコプロのすぐ近くだった。これもまた今考えるととても不思議な感じがするのだが、そういうところに意味を求めようとするなんてのは歳とった証拠なんだろうな、きっと。
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多くの人に愛され続ける作品を残す・・・素晴らしい人生だと思う。
鳥海さん安らかに。あなたの作品はこれからも愛され続けていくでしょう

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2009年1月26日 (月)

アニメ「龍神沼」

杉並アニメーションミュージアムで開催中の「石ノ森章太郎展」の特別プログラムで上映されたアニメ「龍神沼」を観てきた。これは本来、宮城県石巻市にある「石ノ森萬画館」のみで観ることが出来る作品だ。昨年から行われているアニメミュージアムの特別プログラムとして、同じく「萬画館」でのみ上映されている「消えた赤ずきんちゃん」と、同県登米市にある「石ノ森章太郎ふるさと記念館」で観ることが出来る「小川のメダカ」と併せて上映された。いずれも15分の短編だ。制作はすべて杉並区荻窪にあるスタジオ「マッドハウス」。クオリティーの高さについては折り紙付きのスタジオで、かつては出﨑統や杉野昭夫が在籍していたことでも知られる。

さて「龍神沼」は1961年、少女クラブに掲載された石ノ森章太郎の短編マンガであり初期の代表作だ。読んだことのある人は多いと思う。かく言う僕は、実を言えば読んだことがなかった。昨年放送された「とことん!石ノ森章太郎」で興味を持ち、初めてちゃんと読んでみた。映画的な構図や演出(というのか?)、心理描写など、リアルタイムで読んだ人にはきっと衝撃的であったろうことは想像に難くない。けれど僕にとってはすでにその後の数々の石森作品を読んでいるため、そういう意味での衝撃はなかった。ストーリー的にも、龍神がなぜ少年の前に少女の姿で現れたのか、そもそも少女が本当に龍神の化身だったのかなどは一切語られないため少々消化不良気味な気はする。けれどもそうした説明を一切省くことで読者の想像を膨らませ、より神秘的なファンタジーとしての側面を強く印象づけているとも言える。
アニメ版はほとんど原作通りのストーリーだが、15分という時間故に物足りなさは否めない。原作は確かに短編ではあるが、話を膨らますことのできる可能性をもった作品だけにもったいないと思った。作画のレベルは高いのでなおさらそういう思いが残る。
あとの2本のうち「小川のメダカ」は石ノ森自身の物語である。少年時代の石ノ森とその分身とも言えるジュン、そして現代に生きる(おそらくは漫画家として成熟期にあったころの)石ノ森の、ふるさとをテーマにしたアニメである。前半は少年石ノ森と氏のふるさとのイメージをつないだイメージフィルムのようであり、後半は漫画家石ノ森が2人の息子と懐かしいふるさとを訪れる物語になっている。作中には009や仮面ライダー、ロボコンなど、氏の人気キャラが登場しファンには嬉しい作りだ。監督は「佐武と市捕物控」で石ノ森作品とも関わりの深い村野守美。作画にはこれまた「佐武市」にも参加していた実力派の川尻善昭氏が参加しており、映像のクオリティーが非常に高い作品だ。少年時代の憧れや、ふるさとへの思いにちょっとホロリときてしまう。
「消えた赤ずきんちゃん」は、内容は子ども向けで登場キャラはチョビン、エッちゃん、ロボコンらが活躍(?)するオールドファン向けに作られたギャグアニメだ。内容はまあ・・・ベタなスラップッスティックアニメだが、こちらも作画の質はかなり高い。欲を言えば、チョビンら懐かしいキャラはオリジナルキャストでお願いしたかったところだ。

今回、アニメミュージアムでこの3本を見られたのは非常にラッキーであった。「龍神沼」がアニメになっていたことすら実はまったく知らなかったのだ。本来なら宮城県まで出向かなければ観ることの出来ない作品を近所で観ることが出来たのは「アニメのまち」杉並区にいたおかげだ。今にして思えば、アニメと関わりの深いこの地域に住むようになったことは偶然ではなく必然であったのかな、なんて都合良く考えたくなってしまうのであった。

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←え〜っと、とりあえず描いてみた龍神の少女。後日着色して改めて披露します

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2009年1月18日 (日)

009年

今年は2009年、つまり千年に一度の“009”年である。

石森(あえてこう書く)章太郎の代表作サイボーグ009が世に出てはや45年。世界はあの頃とずいぶん変わったけれど、サイボーグ戦士たちに休息の時はまだ訪れていないようである。彼らは戦いを忘れた僕たちに代わって今日も死の荒野を駆けるのか・・・明日の休息を夢見ながら。

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今年動き出した新たな009プロジェクトのトップ絵を真似て描いてみた。数え切れないほどたくさん彼らの絵は描いてきたけれど、考えてみれば全員を一枚のイラストに収めたのは初めてである。彼らと一緒に年齢を重ねてきた僕にとって、図らずも記念すべき年の記念すべき一枚になった。

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2009年1月15日 (木)

正月休みのハナシ その②

前回書いたように、今年の正月休みには「京都国際マンガミュージアム」へ初めて足を運んだ。このミュージアムは京都市と京都精華大学が共同運営していて、マンガの収集・保管・展示などを行い、マンガ文化の調査・研究を行っている施設である・・・などという詳しいことは公式ホームページに譲るとして、この施設の目玉は「マンガの壁」だ。簡単に言えばマンガ図書館で、通路のあちこちが本棚になっていてそこに収められているマンガの単行本は全て、館内であればどこでも自由に読める。廃業した貸本屋から寄贈されたものということで、全巻揃っていないものもあったりするが5万冊というマンガの中から自由に選んで読めるというのはすごい。近所にいたら間違いなく入り浸るに違いない。
僕はひととおり展示を見た後、高橋亮子の「坂道のぼれ!」全4巻を約2時間かけて読んだ。高橋先生の作品は「つらいぜ!ボクちゃん」や「がんばれ!転校生」など読みたい作品がほかにもあったのだが、いかんせん時間がなく、この1作品のみを読むことしか叶わなかった。高橋亮子先生の絵は昔から好きだったが今回改めて読んでみて本当に上手いし、かわいくて、やっぱイイなぁ・・・とため息をついたのだった。
このミュージアムは龍池小学校という古い小学校の建物を再利用していて、外観や内部も往事を偲ばせるものを可能な限り残している。昭和初期のモダンなデザインの建物を見るだけでも価値があるだろう。

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外観。庭は人工芝で、ここに寝転がって漫画を読んでる子どもも多かった。

Photo_2内部の階段。美しい。こういう建物で学ぶことって大事だと思うんだけどなぁ

このミュージアムにはカフェが併設されている。最初は何も知らないでただ一服するためにと入ったのだが、入って驚いた。店内の壁には、このミュージアムを訪れた漫画家や漫画関係者の直筆イラストとサインが書かれていたのだ。

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カフェの入り口から見て左の壁


Photo_3
説明不要。
下の「丸山昭」氏はかつてのちば先生担当の編集者。「トモガキ」にも登場。


Photo_4精華大で教鞭もとる竹宮恵子氏とモンキーパンチ氏


Photo_5これが壁に直接描かれたとは!
かつての少女(笑)の友、高橋真琴氏と北島洋子氏


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同じく今村洋子氏。右は奇才みなもとたろう氏(切れててすみません)


Photo_6ガンダムの3巨匠。シャアの右側が富野監督。

このほかにもさいとうたかを氏、村上もとか氏、里中満智子氏、やなせたかし氏、牧美也子氏など数多くのイラストが壁を飾っている。イラストはなかったものの(例の裁判のせいか?)いがらしゆみこ氏のサインもあった。新旧・・・というより比較的ベテランから超ベテラン(つまり大御所だ)といった面々のイラストが多く、個人的には興奮しまくりだった。

ミュージアムは、当日中であれば再入場自由なので、京都を訪れることがあれば観光がてら是非足を運んでみて欲しい。


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2009年1月12日 (月)

正月休みのハナシ その①

正月休みに大阪の実家へ約8ヶ月ぶりへ帰り、そのついでにまんだらけ2店舗と京都にある国際マンガミュージアムというところへ足を運んできた。今回はそのまんだらけで購入した本についてである。
まんだらけは昨年5月に行って以来である。大阪には梅田となんばの2店舗があり、どちらもアニメ関係のムック本が充実していて楽しい。楽しいのと同時に買いたいものが多すぎて迷う。

で、今回の戦利品はコチラ(戦ってないけど)。
Ra

「アニメージュ」の徳間書店から1988年に発行された「TVアニメ25年史」と「劇場アニメ70年史」、そしておなじみロマンアルバムシリーズから「マジンガーZ」「宇宙戦艦ヤマト パーフェクトマニュアル2」「サイボーグ009」である。
TVと劇場、二つのアニメ史本は文字通り1988年時点でのアニメを網羅してある。ブログの記事を書く際、参考資料にうってつけだと思い購入。特にTVアニメ史は夢中で観ていた時代の作品全てがこの本に掲載されている。どちらも1作当たりの紹介スペースは少ないが、あらすじとスタッフ、作品の評価と解説がコンパクトにまとめられていて楽しい。解説は作品にまつわるちょっとしたエピソードも盛り込まれていて意外に読み応えがある。
それにしてもこの本の発行からすでに21年。TVアニメも46年めに入ったと考えると本当にすごいなと思う。僕が生まれたのが45年前なので本当にアニメと共に育ってきたんだと実感する。また、1988年の時点で劇場アニメが70年というのに少し驚いた。しかし、考えてみればTV登場以前の映像メディアと言えば映画しかないのだからそのくらいの歴史があっても不思議ではない。それでもそんな昔(大正中期)にアニメを作ろうと気鋭のクリエーターたちが奮闘していたことを考えるとその情熱には頭が下がる。そうした人たちがいて、今の日本のアニメがあることを忘れるべきではないだろう。

「マジンガーZ」については今さら説明するまでもないだろう。発行当時に購入しなかったので商品があるうちにと思い購入した。「バビル2世」とどちらにしようか迷ったのだが・・・。「マジンガー」のロマンアルバムを発行当時に購入しなかったのは単にお金がなかったからなのかも知れないが、当時の僕にとってマジンガーはすでに「こどもっぽい」ものだという意識があったのかも知れない。それであえて買わなかったのかも。
「宇宙戦艦ヤマト パーフェクトマニュアル2」はヤマト10周年と「完結編」公開を控えてそれまでのヤマト全作品を総括するという企画で出版されたうちの2冊目。僕は「パーフェクトマニュアル1」は購入していたが、「2」は「新たなる旅立ち」以降のあまり思い入れのない作品を掲載しているので中身すら見ずに購入しなかった。けれど、最近あるヤマトファンのサイトでこの本について触れているのを見て、買わなかったことを後悔していた。だから、どこかで見つけたら絶対購入しなければと思っていた。
この2冊は作品こそ分けて掲載してはいるが、「2」の方には1作目からのスタッフや声優インタビュー、そして1作目の貴重な企画書をカラー図版も含め再録されている。つまり本来であればロマンアルバムの記念すべき第1号である「ヤマト」に掲載されてしかるべき内容だ。初期のロマンアルバムは、まだ手探りな編集だったこともあって、その後のロマンアルバムほどには資料面で充実していなかった。そこをこの2冊で補完する形をとったのだった。今回見つけたモノは少々傷んでいたのが残念ではあるが・・・。
「サイボーグ009」は発行当時に購入しているが、今回はかなり綺麗なものを見つけたので買ってしまった。今年は009誕生45周年(僕と同い年だ)だし記念にということで。

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2009年1月 8日 (木)

市川治さん死去

スーパージェッターやロボットアニメの「美形キャラ」の声でおなじみの声優、市川治さんが2日お亡くなりになりました。

小さい頃大好きだったSFアニメスーパー・ジェッターで、そして大きくなってアニメに興味を持つようになってからは、数々のロボットアニメで聞いたあの高く美しい声・・・。

また懐かしい声がこの世を去ってしまわれました。

心より哀悼の意を表し、ご冥福を祈りたいと思います。

ジェッター、シャーキン、ガルーダ、ハイネル、リヒテル、そして市川さんの声によって命を吹き込まれた数多くのキャラたちよ永遠に・・・。

Photo ↑敵方美形キャラの“元祖”シャーキンと、美形キャラ路線を確立したガルーダ。一度記事をアップした後、急いで追加。デッサンの狂いはご容赦を。

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2009年1月 1日 (木)

明けましておめでとうございます

旧年中はたいへんお世話になりました。
本年もどうぞよろしくお願いいたします。

↓30年前のアニメたち
1979_3

ついこの間21世紀になったばかりのような気がしていたのに、もう2009年。平成も21年めに入った。“2001年”も、鉄腕アトムの誕生した2003年もとっくに過ぎ、ジェッターマルスの生まれる2015年もあとわずか6年である。僕が子どもの頃と比べて世の中は大きく変わったけれど、あの頃思い描いた未来とはずいぶん違っている。エアカーは走っていないし、メトロン星人が狙いたくなるほど人々は信頼しあってもいない。テクノロジーの進化は人を幸せにするはずなのに、便利になればなるほどがんじがらめにされているような気がするのはなぜなんだろう。
ヤマトがイスカンダルへ旅立つのは190年後だけれど、それまで人類は生きているのだろうか・・・。「人類の滅亡まであと・・・」というカウントダウンはもう始まっているのかも知れない。

・・・なんて新年早々暗い話ですみません。

今年は、その「ヤマト」放送開始から35年(←そこに持っていきたかったのかよ)、そして「機動戦士ガンダム」、いわゆる“ファースト・ガンダム”の放送開始から30年、そして宮崎駿初のオリジナル劇場作品「風の谷のナウシカ」公開から25年という節目の年である。
30年前の1979年に限って言えば、ほかにも劇場版「銀河鉄道999」、同じく「エースをねらえ」「ルパン三世 カリオストロの城」、TVでは「ベルサイユのばら」「赤毛のアン」などの名作が数多く生まれた年である。
僕にとっては高校受験を目前に控えた1年であり、上記のほかにも色々な作品に触れ、ますますアニメの魅力にとりつかれてゆくことになる年でもあった。
今年のこのブログでは、ことあるごとにこの「1979年(のアニメ)」を取り上げることになることと思う。当時の記憶を掘り起こしながら、また可能な限りの資料を紐解きながら懐かしい作品たちのことを語るつもりである。

と、いうことでトップのイラストを描いてみたわけだが、さすがにこれだけ描くと疲れる・・・やっぱアニメーターって偉大だわ。


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2008年12月26日 (金)

アニメ「トキワ荘物語」

前回のブログに書いた、23日に杉並アニメーションミュージアムへ行ったもうひとつの目的。それは石ノ森章太郎の企画展に合わせた特別プログラムで上映されるアニメ「ぼくらマンガ家 トキワ荘物語」を観るためであった。
これは1981年に「日生ファミリースペシャル」の枠で放送されたもので、その後に映像ソフト化も再放送もされていない幻のアニメだ。僕は当時TVで見たのでそれ以来ということになる。
ストーリーは、マンガ好きには説明するまでもないほど有名なトキワ荘の物語だ。
そんな人たちにとってはおなじみのエピソードばかりが出てくるのだが、以前にこのブログで取り上げた映画「トキワ荘の青春」しかり、基本的にトキワ荘大好き人間なので同じエピソードを何度見ようが楽しくてしょうがなかった。
脚本は辻真先、キャラデザインが石森(当時)章太郎、監督は本編の登場人物でもあり杉並アニメミュージアム館長もつとめる鈴木伸一。
このアニメで主人公と言えるのは石森と赤塚不二夫の2人であり、この2人のエピソードを中心に物語は進行する。2人を演じるのはそれぞれ富山敬と森功至という当時大人気の声優だった。ほかにも寺田ヒロオをはせさん治、藤子不二夫の2人を田中秀幸(F氏)と井上真樹夫(A氏)、鈴木伸一を塩屋翼、長谷邦夫を古谷徹、水野英子を杉山佳寿子、つのだじろうを塩沢兼人が演ずるなど超豪華キャストであった。面白いのは石森の姉を麻上洋子が演じていたことだ。「ヤマト」のカップルがここでは姉弟を演じていたことになる。
また、この作品にはドラえもんやバカボン、アッコちゃん、サイボーグ009、といったトキワ荘ゆかりの漫画家原作のキャラがあちらこちらに登場するという、アニメならではのお遊びというかファンサービスが盛り込まれていて、それもまた楽しかった。特に赤塚キャラの登場頻度は高く主役キャラに限らずケムンパスやベシ、ウナギイヌ、ココロのボスなどが画面を賑わせている。また、僕の記憶に間違いがなければ、藤子不二夫のエスパー魔美がアニメとして登場したのはこの作中が最初だったはずだ。アニメ制作は東映なのだが、東映以外のアニメ作品も登場していた。特にドラえもんは当時2度目のアニメ化であるシンエイ動画版が放送中だったにも関わらず、作中にも登場していたのは驚きだ(さすがに声は大山のぶ代というわけにはいかなかったようで、バカボンの山本圭子がアテていた)。そして、ロビンがちらりと登場したのはオールドファンにはうれしいプレゼントだった。これは監督である鈴木のアイデアだろう。なぜなら「レインボー戦隊ロビン」は漫画が原作のアニメではなく、鈴木伸一や石森章太郎、藤子不二夫らがアニメ製作のために設立した「スタジオ・ゼロ」が「原作」だったからだ。鈴木はスタジオ・ゼロへのオマージュとしてロビンを登場させたのだと僕は思う。「アニメのトキワ荘」を目指したと言われるスタジオ・ゼロ。その夢は叶わなかったが、「ロビン」もまたトキワ荘から生まれた作品と言えるだろう。
こうして27年ぶりにアニメ「ぼくらマンガ家 トキワ荘物語」を観たわけだが、さすがに1度観たきりだったので憶えていないことが本当に多かった。特にキャストについてはほとんど憶えていなかった。アニメ的にみると作画の質は残念ながらそれほど高いとは言えないと思う。けれどトキワ荘が取り壊される直前の時期に放送されたということ、トキワ荘に暮らした人が直接制作に関わっているということからも貴重な作品であることは間違いない。是非ともソフト化を望みたいものである。

PhotoDVDの東映アニメタイトル集にはOPとエンディングのみ収録されている。こっちはOPタイトル


2こっちはエンディングの一部。トキワ荘ゆかりのキャラが勢揃い。

以下余談:
「日生ファミリースペシャル」は1970年代終盤から80年代半ばにかけてフジテレビ系で放送されていたスペシャルアニメの枠である。不定期の放送、時間帯も放映時間もまちまちであったが僕は楽しみにしていた。名作文学や人気漫画を原作にしていて秀作も多い。なかでもあだち充原作の「ナイン」3部作は好評で、後の超人気アニメ「タッチ」の制作へとつながった。メインスタッフはそのままタッチの制作に携わっている。
僕自身は「ナイン」と上の「トキワ荘」以外の作品は一度観たきりだ。今現在どれほどの作品がソフト化されているのかは知らないが、観られない作品も多いのではないだろうか。この「日生ファミリースペシャル」については資料などを調べた上で、また改めてふれるつもりだ。

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2008年12月23日 (火)

杉並アニメーションミュージアム

自宅から徒歩5分のところにある「杉並アニメーションミュージアム」へ石ノ森章太郎生誕70周年記念展を見に行ってきた。近所にありながら、訪れるのは今回がまだ2度目である。
ここは「ミュージアム」とは言っても大きな博物館を期待すると、かなりガッカリする。「杉並会館」という結婚式やパーティーを行う杉並区の施設の一角に間借りしているのでスペースはあまり大きくはない。入場も無料だ(運営は区が行っていると思うのだが・・・)。展示の主な目的はアニメへの理解を深め、興味を持ってもらうことにあり、貴重な資料の展示などはほとんどない。ディープなファンや年季の入ったファンには正直物足りないと思う。むしろアニメ文化への入り口のような場所と思った方がよいが、このようなミュージアムが存在するようになったこと自体、僕のような古いファンにとってはスゴイことだと思っている。
以上は僕個人の感想に過ぎないので、興味のある方はお近くへお越しの際に立ち寄ってみて是非ご自分の目で見て頂きたい。
詳しいことはHPもあるのでそちらでご確認を。

ちなみに館長はかつてのトキワ荘住人にしてアニメ演出家、“ラーメン大好き小池さん”こと鈴木伸一氏である。

さて、石ノ森章太郎の企画展であるが、氏の原作によるアニメを中心に漫画家としての業績を紹介している。漫画原稿の展示は複製のみだったが、「佐武と市」のアニメ化記念というサラシに描かれたイラストは現物が展示されていた。ほかには1979年版009のオープニング「誰がために」の歌詞の肉筆原稿などもあった。ただ展示スペースは狭く、上にも書いたように過度な期待を持って行かない方が良いだろう。石ノ森章太郎をあまり知らない人が見る方が面白いかも知れない。
今日僕が足を運んだ目的はもうひとつあっのだが、その話はまた次回に。

01_2玄関の左右の壁にあるレリーフ


Photo_5エントランス。ガンダムの後ろの丸い壁にはアニメ関係者の直筆サインや絵が!

Photo_6その壁。中央には館長の鈴木伸一氏。上は川本利浩氏? 下は金山明博氏、さすが! 鈴木氏の右手の先には神谷明氏。「毛利小五郎」とある・・・そうだよな、今はこれが代表作だもんな。

このエントランスの壁は、他にも本当に色々な方がサインや絵を描いているのでそれを見るだけでもけっこう楽しい。

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2008年12月19日 (金)

エリカ様

「別に・・・」のアノ人ではなく。

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1978年を代表する作品のひとつ、「闘将ダイモス」のヒロインである。
キャラ原案は前作「ボルテスV」に続き漫画家の聖悠紀が担当、アニメ用キャラも同じく金山明博だった。聖氏のデザインは全体にやや幼く、かわいい。アニメ用のキャラは少し年齢も等身も上がった感じだ。
個人的には聖氏の少女漫画テイストの入ったキャラ原案は好きである。ただ、アニメとして動かしやすいかどうかは別問題。ベテランアニメーターの金山氏のデザインはアニメキャラとして、とても良く出来ている。それはそれでシリアスな作品世界にマッチしていたと思う。

ダイモスと言えばエンディングの、一矢とエリカが抱き合う最後のカットがすごく印象深い。中2の僕には少々刺激が強く毎回ドキドキしながら見ていた。
ビデオデッキがまだなかったので、画面に映るほんの数秒間にスケッチしようと無謀な挑戦をしたこともあるくらい好きなカットだ。幸せ一杯で、というよりは苦しみの果てにたどり着いた愛というのを感じさせる表情が素晴らしい。

とりあえずエリカの絵は描いてみたが、エリカというキャラそのものに実はあまり思い入れはない。そのせいかなんとなく中途半端な感じになってしまった・・・っていうか暗い。記憶喪失とか敵の男に惚れちゃったとか、障害だらけの恋愛で辛そうな顔ばかりしていた印象が強いせいだろうか。
演じたのは「コンV」「ボルテス」につづいての長浜作品の出演になる上田みゆきさん。この翌年(またかよ)長浜監督がてがける(途中で出﨑統氏に交代)「ベルサイユのばら」でもマリー・アントワネットを演じることになる。
ま、キャラに思い入れはなくとも上田さんの声だけで充分だな、僕にとっては。


Ra
←ダイモスのロマンアルバム。これってロボットアニメ??という感じの表紙である

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2008年12月 5日 (金)

ベルク・カッツェ死す

「科学忍者隊 ガッチャマン」でベルク・カッツェを演じられた寺島幹夫さんがお亡くなりになったそうです。
あの甲高い独特の声は当時子どもだった僕たちに強烈な印象を残しました。また、「あしたのジョー2」では韓国のボクサー金竜飛のコーチである玄大佐の声もおやりになっていました。

自分の年齢を考えれば当然のことなのだが、この数年子どもの頃親しんだアニメの声優さんが次々にお亡くなりになっている・・・仕方がないのは分かっていてもやはり寂しいかぎりだ。

寺島さんのご冥福を心よりお祈りいたします。

Photo

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2008年11月30日 (日)

ずっとアニメが好きだった(9)

〜宝島〜

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僕が今もなお愛してやまない作品「宝島」。放送開始は「さらば宇宙戦艦ヤマト」が公開されたのと同じ年、1978年の10月から。説明するまでもない、出﨑統・杉野昭夫の名コンビの手による名作中の名作だ。当時中2だった僕は夏に観た「さらばヤマト」の興奮冷めやらぬ状態で、この秋放送開始のアニメでもやはり「ヤマト2」と「999」ばかりに目がいき宝島はノーマークに等しかった(出﨑統も杉野昭夫もまだ知らなかったのである)。しかしある日の番宣スポットCMを目にしたことで興味を持ち、途中から観始めてあっという間にのめり込んでいった。わずか15秒のスポットCMですらその魅力は伝わってくるほどであったのだ。

そして、宝島はおそらく僕が最も大量の涙を流した作品でもある。途中から観たのにも関わらず、である。今も観る度に必ず同じシーンで、30年前と同じかあるいはそれ以上の涙を流してしまう。ほとんどが25話と最終回のシーンなのだが、今の方が少しはオトナで(当たり前か)、あの頃よりも少しは人生を知ったからこそ余計に泣けるのだろう。
僕はシルバーやグレーに憧れ、いつかはあんなカッコイイ男になりたいと思ったものだった。だけど、なりたいと思うだけでなろうとしたわけではなかった。いつもいつも楽な方に流され、戦うことを避け続けてきた。そしてつまらないオトナになった。

*************************

「シルバーにとって一番大切なものはなに?」

宝島からの帰途、海賊の親玉シルバーは囚われの身となり船倉に閉じこめられていた。シルバーに憧れ、信頼し、裏切られ、なのに憎みきれないでいるジム。彼はおとなしく捕まったままでいるシルバーに失望していた。
そんなシルバーにジムはコーヒーを差し入れ、シルバーにどうしても答えて欲しいことがあると、上のような質問をしたのだ。
シルバーは答えた。

「今はこの一杯のコーヒーさ」

「まじめに答えてよ」と怒るジム。
そのジムに対しシルバーは「まじめさジム・・・今日という日のこの瞬間はお前の入れてくれた一杯のコーヒーだよ・・・しかし明日になりゃ変わっちまうだろうな」と言い、そして続ける。

「俺にとって一番大切なものってのが俺自身まだわかんねぇんだ。それを探すためにこうして毎日を過ごしてる。フリントの宝探しに血道を上げたこの10年は楽しかった宝を見つけりゃ、その『何か』が分かるような気がしていた。けど、宝は宝以外のなにものでもなかった。俺の『何か』ではなかった」

そして遠くを見つめるようにつぶやく。

「あるよなぁ、ジム。どっかで俺が、俺の一番大切なものってやつに出会える時があるよなぁ・・・そうでなけりゃ、あんまりさみしすぎらぁ」

(第25話 「潮風よ、縁があったらまた逢おう」)
*************************

僕はもういい歳をしたオヤジだ。宝の地図だの海賊の財宝だのを信じるには歳を取りすぎたし、オートロックのマンションじゃビリー・ボーンズ(主人公ジムに宝島の地図を与えた男)も尋ねて来やしない。ポストに入っているのは宝の地図どころか、クレジットの請求かゴミ箱へ直行するチラシくらいのもの。そして明日もまた同じ道をたどり仕事に行き、疲れて帰ってくるだけだ。

「お前の大切なものは見つかったのか?」
シルバーの大きな瞳が僕に問いかける。

「ムリだよシルバー、あんたですら簡単には見つからなかったんだろ?」
僕は答える。

けれど僕もきっといつか自分の、自分にとっての一番大切なものに出会える日が来るんだと信じて生きている。ちっぽけな冒険すらない狭い国に閉じこもったままの人生だけれど、シルバーやグレーのようなカッコイイ男には程遠いけれど・・・。

「そうでなけりゃぁ、あんまりさみしずぎらぁ」

眠れぬ夜に僕はふとつぶやいてみた。
やっぱ僕じゃカッコつかないよ、シルバー・・・。


Ra

←ロマンアルバム。杉野氏の絵を同じ記事に掲載するとはイイ度胸だな、俺。

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2008年11月22日 (土)

ずっとアニメが好きだった(8)

〜さらば宇宙戦艦ヤマト公開〜

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↑当時の新聞広告

アニメージュ創刊と同じ1978年の夏、8月5日に全アニメファン待望の、宇宙戦艦ヤマトの続編にして完結編(になるはずだった)「さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち」が公開される。
“全アニメファン待望の”という表現は決して大げさではない。テレビ第1シリーズとその再編集による映画版の人気がアニメブームを巻き起こしていた。テレビではすでにアニメファンを意識した作品も多く放送されるようになっていた。けれども、アニメの面白さを(オタク的に)知ったばかりの僕や当時のアニメファンは「もっと多くの作品を観たい、もっとレベルの高い作品を観たい」という欲求がものすごく強かったのだと思う。ブームの熱に浮かされていたとも言えるのだろうけれど、それはとても心地いい熱だったのだ。
そんな時代だからこそ、ヤマトの続編は本当に誰もが待ちこがれた本命中の本命と言えた。それもオリジナルの劇場版新作となれば燃えないはずがなかった。

宇宙戦艦ヤマトのロマンアルバムに掲載された、映画第1作が公開されたときのファンが徹夜する様子に憧れたことは以前に書いた(ずっとアニメが好きだった(3)参照)。今度こそは徹夜行列に加わりたいと思ったものの、中学生の僕に親がそんなことを許すはずもなかった。涙をのんで公開初日の朝、始発のバスで僕は友人と2人映画館へ向かったのだった。当時、僕の実家から大阪の都心まではバスと電車を乗り継ぎ1時間半近くかかっていた。「もう映画館は一杯ちゃうやろか・・・」気ばかり焦るも、自分たちではどうしようもなく京阪淀屋橋駅を降りるやいなや御堂筋を北へ猛ダッシュで(野球部にいた僕らは体力だけはあったのだ)今は無き梅田の東映会館へ向かった。
映画館の前はすでに大行列だった。とにかく一刻も早く並ぼうと最後尾を目指すが、映画館の前の歩道から始まった列は角を曲がり映画館の裏手まで続いていた。ようやく列に並んだ僕らは立ち見を覚悟していたが、ヤマトの続編を見たいという気持ちが強く立ち見くらいのことはどうでもいいと思えたほどだった。
ようやく館内に入ったものの案の定劇場内はごった返しだった。とても座れそうにないと思いつつも2人で手分けして空いている席を探し回った。するとなんと奇跡的にぽっかりと2席並んで空いているではないか。しかも中段まん中から少し奥に入っただけの良い席だ。僕は持っていた鞄を放り投げて席を確保した(野球部なのでコントロールには自信があったのだ)。こんなに大勢の人が席を探しているのにそこだけ誰も気づかなかったなんてスゴイ。ヤマト愛の強い僕へのご褒美ではないかと思ったくらいだ。

並んで席を確保した僕らの気分が上々なのは言うまでもなく、あとは映画がはじまるのを待つばかりだった。
そしてついに待望の、本当に心から待ちこがれた「さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち」が始まった。もう気分はMAXハイ状態だった。前作で古代守を演じた故広川太一郎氏のナレーションで始まり、荘厳なパイプオルガンの曲をバックに繰り広げられる彗星帝国の脅威・・・そしてタイトルが出た瞬間、すでに僕の目は潤んでいた。そこにあのスキャットがかぶる。「ああ、ヤマトだ・・・これは間違いなくヤマトなんだ・・・」そんな思いで一杯になり涙が溢れそうだった。

それから後の事を書き始めると全ストーリーを紹介するハメになるのでやめておこう。
ヤマトの発進シーンで息をのんだり、デスラー登場シーンでどよめいたり、真田が死ぬ場面ですすり泣いたりしながら、皆がヤマトの世界にどっぷり浸りきっていた。クライマックスでは全ての人が泣いていたのではと思えるほどだった。
映画が終わるまでの2時間半はそれまでに感じたことのない幸福な時間だった。いや、それ以後もこれほどの幸福感はなかったように思う。それほどに劇場全体が一体感を持っていた。
それは公開初日の第1回目の上映だったからだと今でも思う。そこへ駆けつけるような人は間違いなく全てがヤマトファンであり、アニメファンだったはずだからだ。皆が皆、この瞬間を待ち望んでいた。誰よりも早く、少しでも早くヤマトに逢いたい。そんな多くの思いがもたらした時間だったのだと思う。
エンディングのジュリーの歌が終わった後、劇場は拍手に包まれた。誰からともなく自然と拍手がわき起こった。皆がこの映画に満足していた。
そしてヤマトとの別れを惜しんでいるかのようだった。

・・・そう、これが本当にヤマトとの別れであった方がどれほど良かったか。そうであればその後の僕らがヤマトに対してこれほど複雑な思いを抱かなくて済んだのにと今でも悔しい。
けれども、やはり「さらばヤマト」は永遠だ。30年前の夏、あの日あの時の胸の熱さは今でもはっきりと思い出せる。1978年8月5日「さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち」公開初日の第1回上映。その瞬間にしか味わえない感動を僕らは味わえた。そのことだけは真実だ。

そして僕の大好きなヤマトはあの時宇宙に散ったのだ。

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映画パンフと前売り入場券

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2008年11月16日 (日)

Gキャラ×Post It vol.2  〜ザビ家の人々〜

Post It に描いたGキャラシリーズ。
今回はジオン公国を牛耳るザビ家の人々。

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まずはパパ。
美形揃い(ドズル除く)の子どもたちの父には見えない・・・。

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長男。別名「ヒトラーの尻尾」。確かに演説上手。


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長女。兄が大嫌い。一番似てるんだけどね(同族嫌悪ってやつ)。


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三男。顔はこんなだけど、一番まとも。弟大好き。

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最後は四男。坊や、良くも悪くも、ね。


おや、ドズルは次男でガルマが三男では?とお思いになった方もいらっしゃるかと思う。
アニメのガンダムしか見ていない方はご存じないだろう。ドズルの上に、実は「サスロ」という兄がいて1年戦争より以前に暗殺されている。これは「機動戦士ガンダム公式百科事典」にも記述があるし、「THE ORIGIN」の「シャア&セイラ編」に登場し、車が爆破され暗殺されるシーンも描かれている。THE ORIGINを見る限り、見た目は父デギンの血を一番引いているようである。ドズルを少し賢くしたイメージか。ちなみにドズルの顔の傷は、兄サスロが暗殺されたときの車に同乗していたときに負ったものである。

「THE ORIGIN」の、アニメでは描かれなかったオリジナルストーリー「シャア&セイラ編」「開戦編」は本当にお勧め。もちろん「THE ORIGIN」自体超お勧めなのだが、アニメ世界を補完する意味でもこのオリジナル部分は本当に素晴らしいと思う。ガンダムの世界を知り尽くした安彦氏だから描ける、そしてコミック作家として築き上げてきた手腕が存分に発揮されているのだ。神話世界も含めた歴史ものを数多く題材にしてきた安彦氏らしく、ガンダムの世界を一種の歴史ものとして描いている。各キャラの性格もより深く掘り下げられており、アニメでのキャラたちの行動に対してもこのオリジナル部分によってしっかり裏付けがなされているのがスゴイ。ガンダムファンで未読の方は是非一読を勧めたい。

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2008年11月 9日 (日)

赤いキャンディー、青いキャンディー

♪しっ・てる・かい?

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というわけでメルモを描いてみました。初トライ。
ちょっと年齢上がってしまったかな。もう少し幼い感じだったはずだが、年齢設定は10歳なのでまあこれでも良いか(なぜか投げやり)。なんにせよ手塚キャラは難しい・・・特に女性キャラの独特の色気を出すのはどう頑張ってみてもムリだ。

メルモといえば、メルモの声優、武藤礼子さんが亡くなったのはちょうど1年ほど前だったっけ・・・。

今年は手塚治虫生誕80年に当たる。
今月の3日がその80年めの誕生日だった。
僕は4日に東京・渋谷で「手塚治虫の遺伝子 闇の中の光展」というのを見てきた。気鋭のアーティストが手塚作品をモチーフにした作品を作るというもので、作品は画集になって一般書店でも発売されているので興味がある人は手にとってみると良い。展示そのものはこぢんまりとしていて、正直物足りない気がした。ただ、手塚作品というのは色々なアプローチが可能な懐の深さを持っているということを改めて感じることが出来た。
ま、そんなわけで軽く触発されてメルモを描いてみたわけだ。
コンセプトもなんもないただのイラストでしかないところが気鋭のアーティストたちと凡人の僕との違いだけど(爆)。

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2008年10月29日 (水)

手塚治虫ばかりがすごいのか

27日のNHKスペシャル「日本とアメリカ 日本アニメvsハリウッド」を興味深く観た。アイデアが枯渇しつつあるハリウッドが日本のアニメやマンガに目を付けているという話はすでに珍しくもないのだが、番組によると現在日本のアニメを原作とする映画(実写、CGアニメなどによる)の制作が7本進行中だという。番組の中では日本人なら誰でも知っている「鉄腕アトム」のフルCGアニメの製作現場を初めて紹介していた。版権を持つ手塚プロとハリウッドの製作会社との間の考え方の違いに焦点を絞り、徹底的にマーケット調査をしたうえでそれをキャラデザインやストーリーにまで反映させ「売れる」作品を作ろうとするハリウッド側と、対して作り手の思いを大事にする日本との違いを見せるという内容だった。また独自の企画で初めからハリウッドのマーケットを狙った「アフロ侍」のGONZOのレポートもありなかなかに面白いモノであった。

ただ、やっぱり「またそこに話を持ってくの?」というのがあった。

日本のアニメが独自の発展を遂げた理由のひとつに作画枚数の制限がある。フルアニメであるディズニーに較べ日本の一般的なTVアニメは1秒当たりの作画枚数が3分の1であるということは良く知られている。そんな「動かない絵」でも面白く見せるための工夫として、止め絵を効果的に使うなどの演出上の工夫や脚本(ストーリー)を重視する日本独特のスタイルを「手塚治虫が考え出した」という説明だ。そして、その手塚のアイデアのおかげで独自の発展をした日本のアニメに今ハリウッドが注目している、かつてアメリカのディズニーに憧れた手塚の思いが遂げられたと言わんばかりだ。これには首をかしげざるを得なかった。ここでも「手塚の神格化」が行われていた。なんでもかんでも「手塚のおかげ」という考え方にはそろそろうんざりする。まあ、そうした方が解りやすいだけなのだろうけれど。

そもそも作画枚数を極端に減らすというのは、手塚が週に1回の30分番組(本編は22分程度)を成功させるために、徹底的な低コスト化を図る必要があったからだ。前例のないことを成功させるために手塚はTV局に対して普通では考えられない制作費でアトムを売り込んだ。そのためコストを抑え、制作効率を上げるためには「動かない絵」にせざるを得なくなった。「ストーリー重視」「演出上の工夫」などは全て、それらを補うための“苦肉の策”だったのだ。そして、それを行ったのは現場スタッフたちである、手塚の指示ではない。
こうした制限が引いては日本のアニメが現在のような進化を遂げた一因になったことは間違いではないだろう。けれども、そのことまでも“手塚の功績”であるという番組の作り方には納得がいかなかった。手塚が安い制作費で作品を売り込んだことが、後にアニメ界の過酷な製作現場を生むことに繋がったというマイナス面を無視して「手塚はスゴい」というイメージだけを植え付けているところはいかにもNHK的ではある。
大体、ディズニー信奉者である手塚が動かない絵を良しととする訳がない。実際、動きの少ないアトムについては相当のジレンマもあったようだ。しかし、この時の手塚にとって大事なことは前人未踏のことを為すことであった。だから絵は犠牲にしても、まず全国のお茶の間に毎週アトムを届けることを優先したのだ。
だから大きな意味において日本のアニメの発展のいくらかは「手塚治虫の功績」である、やはり手塚治虫という存在なしに現在の日本アニメ界を語ることも難しい。ただし「罪」も含まれるが。誰もやろうとしなかったことを成し遂げることで世の中を動かしたことは間違いない。それをもやはり手塚治虫だったから出来たことなのだ。

それにしても、あのCG版アトムのデザインは・・・あれで本当にOKなのだろうか手塚プロは。まるでアトムとコバルトの中間のようなあの中途半端さは・・・オリジナルのアトムの幼さは、アメリカ人には好まれないという市場調査による判断らしいのだ。手塚の作品をハリウッドで映画化すると言うだけでも感慨深いモノはあるし、新しいマーケットを開拓したいという手塚プロの思惑も分かる。けれど、アトムらしさを失ったアトムがアメリカや世界で人気を博したとして、それはアトムの人気と言えるのだろうか。そして天国の手塚治虫は果たして喜ぶのだろうか・・・。

完成作品を観てもいないのにこんなことを書くのもなんなんだけどね。

Atom


念のため言っておくが、僕は手塚作品のファンだしアトムも大好きだ

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2008年10月26日 (日)

リアル鉄五郎

「鉄五郎」とは水島新司の傑作野球漫画「野球狂の詩」に登場する、50歳を過ぎてもなお現役を続けるプロ野球の投手岩田鉄五郎のことだ。

今日、アメリカ大リーグのワールドシリーズ第3戦に先発登板したフィリーズのジェイミー・モイヤーは今年の誕生日(11月18日)が来れば46歳になる超ベテランの左腕投手で「リアル鉄五郎」に最も近い選手だ。今日の試合が自身初のワールドシリーズ登板であり、もし勝ち投手になっていれば史上最年長のワールドシリーズ勝ち投手になるところだった。リードして降板したもののチームは同点に追いつかれ勝ち星はつかなかったが、絶妙のコントロールとテンポの良い投球で岩村を初めとする若いレイズ打線をほんろうした。
今季は16勝7敗でチームの勝ち頭。投球回数196回1/3は28歳の松坂より34イニングも多い。クレメンスやジョンソンなど速球派の華やかな選手ではないため、日本ではあまり知られていはいないが、38歳で初の20勝、40歳で自己最多の21勝を挙げ、通算でも246勝185敗という名投手である。2005年までマリナーズに在籍していたのでもしかしたら憶えている人もいるかもしれない。

日本で岩田鉄五郎に最も近い投手といえば、現役最年長投手の工藤公康(45歳)だが、この数年は成績が芳しくなく来年の成績しだいでは現役続行が危うい。そういう意味で楽しみなのは43歳にして今年11勝を挙げ、通算200勝も達成した山本昌だろうか。身体が頑丈で、もともと速球派でないだけにまだまだ長く活躍出来そうな予感がある。
ちなみに日本球界の最年長登板記録は元阪急ブレーブスの浜崎真二で48歳10ヶ月。
大リーグはというと「史上最高の投手」と言われたサッチェル・ペイジの「59歳」とされている。ただし、これはあくまでも「公称」。実際はもっと年をとっており60歳を過ぎていたという説もある。というのもペイジは戦前生まれ(1906年とされている)の黒人であり、生年月日が正確かどうか分からなかったのだ。そして彼の全盛期、大リーグは白人だけの世界でありペイジが活躍したのは黒人だけのリーグ「ニグロ・リーグ」だったのだ。そのため大リーグ入りしたのは1948年、42歳の時でありすでに全盛期を過ぎていた。それでも、当時ペイジが契約したインディアンスのエース「火の玉投手」と呼ばれた速球投手のボブ・フェラーは「サッチェルのボールに比べたら私のボールなどスローボールみたいだよ」と言ったそうだ。

淡々と、しかしきっとその心の奥には熱いモノを秘めながら投げていたモイヤー投手。ワールドシリーズとは縁のない環境(マリナーズで地区優勝は2度経験した)で投げ続けてきた彼のピッチングと、年齢よりも老けて見える顔(そういえばどことなく鉄五郎に似ている)を見ていると、なんとなく弱小メッツで孤軍奮闘していた岩田鉄五郎を思い出したのであった。

Photo←こうして改めて描いてみると随分年寄りくさい。今時の50歳ってもっと若々しいよな〜。ていうか30数年前だとしてもちょっと老けすぎかも。まあ孫もいる「おじいちゃん」なんだけど。

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2008年10月22日 (水)

♪どこから来た〜のっ?マコ、ねえマコ♪

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と、いうわけでポニョから人魚姫つながりってことで「魔法のマコちゃん」です。
生まれて初めて描いてみたけど難しい・・・。

サリーちゃん、アッコちゃんに続く魔法もの第3弾として製作された。放映は1970年から71年にかけて。調べてみてちょっと驚いた。もう少し古いと思っていたからだ。1971年と言えばルパン三世の放送が開始開始された年でもある。正直この2作品がほぼ同時期のものという気がまったくしていなかった。
前2作と違い、東映動画のオリジナル企画である。
恋愛が話の主軸になることもあり、主人公マコの年齢設定を高めに上げてストーリーに社会問題を取り入れるなどした意欲作だ。
女の子向けではあるが、僕はわりと良く観ていた憶えがある。さすがに細かいエピソードやシーンはあまり憶えてはいないが、マコのかわいさとは裏腹に、恋した少年になかなか会えないもどかしさなど話がやや重かった印象だけは残っている。
余談だが、マコが恋する少年の名は「アキラ」・・・。

OPテロップには「原作:浦川しのぶ」とあるので、少女漫画が原作のようにも思うがこれは脚本家であり、企画に参加した辻真先氏のペンネームである(東映アニメーションのHPにあるので間違いないと思われるが、Wikiにはプロデューサーである横山賢二氏のペンネーム、とある)。
可憐でいてどこかはかなげな少女・マコのデザインは高橋信也氏。実力の割にあまり知られていない方だと思うが、女性のデザインに独特の色気があり僕はけっこう好きだ。「ヤマトよ永遠に」でサーシャや主要女性キャラのデザインをした人といえば分かるだろうか。愛らしい口元と目の表情にマコの面影が見える。その後のヤマトTV第三シリーズでも雪以外の主要な女性キャラをデザインしている。
また、本作は後に「美形キャラ」で人気を博す荒木伸吾氏も作画監督として参加している。「ジョー」と時期がダブるため男性キャラがなんとなくジョーっぽい。
マコの声は美少女から太ったニワトリ(?)までなんでもこなす名優・杉山佳寿子氏。少し鼻にかかった独特の声が素敵だったなぁ。
主題歌は言わずと知れた堀江美都子氏。「どこから来た〜のォっ」と「のォっ」の部分で声を意図的に裏返し語尾を上げるあの歌い方がイイ。あれは少女期のミッチに独特のもので「アクビ娘」でも「素敵なコォっ」の部分でも見事に発揮している。曲はこれまたミッチとは名コンビの渡辺岳夫氏だ。この曲では珍しく作詞も手がけている。

マコちゃんの画期的なところは少女ものでは初めて「胸」のある主人公としてデザインされたことだと、勝手に思っている。しかも人魚なものだから、のっけから上半身ヌードだ(隠れてたけど)。これにはかなりドキドキした。思えばアニメキャラで初めて異性として意識したのがマコだったのかも。

そんなわけで、ただ元ネタつながりというだけでポニョのあとはマコについて書いてみました。
ただの作品紹介になっちゃったけどね。

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2008年10月19日 (日)

ポ〜ニョ、ポニョ、ポニョ、半魚人♪

今頃になったが、やっと観た「ポニョ」。

いや〜、ずっと混んでる気がしてたのでついつい行きそびれてたが、さすがにもう空いてた、土曜にも関わらず。

で、どうだったか。
悪くはなかった、が、なんだろう、もうひとつ面白いとは思えなかった。
最近の宮崎駿作品を観ていて思うのは、その世界観やストーリーがすんなりと入ってこないということ。凄まじいばかりのイマジネーションの洪水に圧倒されるのは相変わらずなのだが、その世界観とストーリーの構築に乖離が見られるという感じがしてしょうがない。やりたいことや伝えたいことは「なんとなく」分かるものの、「これはどういう意味なのか」「あれはなんだったんだろう」なんてことばかり気になってしまって、もひとつ楽しくないのだ。
これは自分の感性が鈍ってしまっただけなのだろうか?
ポニョに関して言えば、リアルな舞台(日本の港町)と不思議な世界(海と魔法)とのつながり方がしっくりこない。リアルに描写された現代社会の人たちが「ポニョ」や「魔法」「不思議なこと」をああもあっさり受け入れてしまっていいものかと思う。ポニョとポニョの「父親(元人間)」やポニョの母との関係も全くもってわからない。

宮崎駿は「すべて察しなさい」と観客に言っているように、僕には思える。
穿った見方をすればついてこられないならいい、ついてこられる人だけついてきなさい、と言ってるように思う。
それができないならどうでもいいよ、みたいな突き放した感じ。
けれども、敢えて偉そうに評論家ぶって書くならば、宮崎駿はあふれ出るイメージをまとめ切れていないと思う。宮崎駿という人間の中ではそれぞれに裏付けがあり意味のあるものばかりだと思うのだが、それを映画としてまとめきることが出来ていないのではないかと思う。クライマックスもはっきり言って「え、ここがクライマックスなの?」と数々の宮崎アニメを観てきた身には拍子抜けだった。
ひとつひとつのシーンは実に魅力的で、よくもまあこれだけのことを思いつくもんだと感心してしまう。やはり並の人ではない。けれども、映画の中で引っかかってくるシーンに対して「ああ、あれはこういうことだったのか」と思えるようなことがほとんどない。だからなにかがずっとひっかかり通しでカタルシスがない。
もしそれを承知で、というか計算しているのだとすればすごいことだとは思う。
ただ、観終わったあとに爽快感がないのであれば、映画としてはどうかなと言わざるを得ないのだが。
ナウシカやラピュタ、トトロなどにはそれらがあった、と僕は思っている。

ただ、観る価値は十分にある。
公開当時からさかんに喧伝されているように、作画の力はすごい。どうすごいかは・・・観るのが一番だろう。
表現そのものに好みは分かれるだろうけど。
別の意味ですごいと思ったのは、ポニョの変身には段階があって、その途中の姿がけっこうグロなことだ。お世辞にもカワイイとは言えない。あの姿を描くのは勇気がいったと思うが、そこはさすがに宮崎駿だと思った。あと、あるおばあさんの「人面魚じゃないか〜」というセリフ。身も蓋もないことを敢えて言わせるところは、これまた宮崎駿だ。これは彼の「良心」の部分だと僕は思う。
一方、これは最近の宮崎アニメの最も嫌いな部分だが、声の出演者についてだ。
このところ有名な俳優を使うことが定着しているが、彼は本当にあれでいいと思っているのだろうか?おそらくは「アニメ的な芝居」を嫌ってのことだろう。しかし、ヘタではどうしようもない。ポニョでは子どもたちとおばあさん役の人たちが一番上手だった。だが、肝心の宗介の母親と、ポニョのお父さんがどうしようもなくヘタだった。ヘタでも味わいがあり、妙に合っていたトトロのお父さん役・糸井重里とはかなり違う。ただヘタなだけで、役を消化しているとは、とても思えなかった。この辺りは昔からアニメが好きだった人ほど気になるところであろう。やっぱ声はプロの声優の方が安心して観られる。

繰り返しになるが、それでも観る価値は十分にあると思う。
圧倒的なイマジネーションは脳が刺激される感じがする。
辛口なのは宮崎駿作品だから余計にそうなるのだ。
なんだかんだでこれだけヒット作を生み続けるなんてのは並大抵ではない。
ただし、ヒットの背景にあるものが決して作品の力だけでないことはオトナのみなさんなら充分承知のハズ。
今や「ジブリ」は一大ブランドなのだ。ディズニーを嫌う宮崎駿が、その「ディズニーブランド」を無条件で受け入れている人たちに、「ジブリブランド」を同じように受け入れられているというのは皮肉な話だ。そういう人たちがいて初めてジブリも宮崎駿も作品を作り続けられるのだから。
けれど、宮崎駿という人はもっと毒を持っている人だ。いつか、ジブリ信奉者を裏切るようなとんでもない傑作を作って欲しいな、と僕は思う。

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2008年10月 6日 (月)

緑の髪の少年

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トリトン。
以前からずっと描いてみようと思ってたのだが、なんかうまくいかないので先延ばしにしてた。
うまく描けないという意識があると、結局どうにも上手くいかないものだ。

トリトンについては色々語ることはあるのだが、今回はこの絵だけで・・・。
あれこれ書こうとしたけれど、絵の方ともども調子が出ない。

・・・トリトンファンの方々すみませんです。

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2008年9月30日 (火)

へへっ、なんつーか・・・ありがとうな

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二つ前の記事にも書きましたが、先日累積アクセスが1万を超えました。
思えばブログを開設しようと思ったのも、ジョーファンの皆様との交流がきっかけでした。
そんなわけで、感謝の意を込めてジョーを描いてみました。
相変わらず粗く、色も着けてなくてすみません。
時間を見つけてあらためて色を着けるつもりです。
取り急ぎ、お礼かたがた・・・ということでご容赦くださいませ。

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2008年9月 8日 (月)

タツノコの世界

東京・八王子で開催中の「タツノコプロの世界展」へ行ってきた。

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で、これは以前描いた三船剛に色を着けたもの。八王子には展示されていません(←当たり前や)
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←鉛筆のタッチを省いたらこんな感じデス。

僕ぐらいの世代でタツノコアニメになんら影響を受けないで育った人などいるのだろうか?そう思えるくらい「タツノコ」は特別な存在だった。
「東映動画」や「虫プロ」といった名は小さい頃はほとんど意識することはなかったのに、「タツノコ」だけはいつしか頭の中に刷り込まれていたのだ。それは子供心にも「何か違うぞ」と思える独特の絵がそうさせたのだと僕は思う。東映動画や虫プロ、東京ムービーと言った会社は作品と絵が直結しないのに対し、タツノコだけは会社名とビジュアルイメージが常に一致していた。
それは言うまでもなく、タツノコの創設者である吉田竜夫氏の絵柄が初期の作品のほとんどに反映されていたからであり、後に続く数々の作品も氏の影響を大きく受けていたからであろう。そして元々アニメの専門家でない吉田氏の元に集まったスタッフもまたアニメの専門家ではなかったことが、自由な発想を生みオリジナリティー溢れる作風につながったのだ。

そんなタツノコプロが、その後のアニメ界に多彩な人材を送り出しているのも当然かも知れない。
今や世界的な映画監督として知られる押井守、ガンダムやナウシカの美術監督・中村光毅(実はメカデザナーの草分けでもある)、ガンダムやタイムボカンシリーズメカデザインの大河原邦男、実力派アニメーターであり演出家のなかむらたかし、イデオンなどのキャラデザイン・作画監督の湖川友謙、メルヘンタッチの作風で「みんなのうた」など短編アニメで活躍している南家こうじなどなど・・・。イラストレーターの天野嘉孝もタツノコ出身だ(アニメーターではなくキャラデザイン専門であった)。もちろんまだまだたくさんいるのだが、その個性や実力において傑出したものを持った人物を多く排出している辺りがタツノコらしいという気がしてならない。
今回の展示の中には「マッハGOGOGO」など代表作のキャラ設定書(コピー)もあった。そこで驚いたのは、主人公三船剛の顔があらゆる角度から極めて立体的に描かれていることである。どの角度からでも無理なく描けるよう設定されたリアルな絵はとても40年も前のものとは思えない。そして、この設定画を見ていてさらに気づいたのが前出の湖川友謙氏の絵にとてもよく似ていることである。いや、正しくは湖川友謙氏の絵がこのタツノコの遺伝子を明らかに受け継いでいるということだ。湖川氏独特のアオリの絵や人物を骨格から捉える描き方のベースは、タツノコで学んだものだったのだ。

今回の展覧会、十分に面白かったのだが不満もある。
ひとつはアニメの「原画」がほとんどなかったこと。背景画やキャラ設定、イラストなどは豊富であったが「動く絵」としての原画をもっと見たかった。それと、イラストの作者名がなかったこと。久里一平氏の絵は一目瞭然なのだが、久里氏も含めイラストの作者名(吉田竜夫氏のご令嬢である吉田すずか氏の名はあった)がないのは展覧会としては不備であり、不親切でははなかったかと思った。さらに言えばアニメブーム真っ盛りに作られ、アニメファンに支持された「ゴールドライタン」や「ウラシマン」などの作品や80年代中盤以降の作品にはほとんど触れていなかったことも残念だった。
それでも、吉田竜夫氏の直筆スケッチなどは本当に素晴らしかった。あの華麗な線は今なお輝きを失っていない。それだけでも観に行った価値は十分にあったと思う。
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子供の頃から愛聴したタツノコ作品のレコード盤2枚。

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2008年9月 4日 (木)

至高の線

1素晴らしい本を買った。
「小田部羊一アニメーション画集」である。

小田部羊一。
言うまでもなく日本のアニメ界に燦然たる足跡を残す名アニメーターである。
キャラデザインと作画監督をつとめた「アルプスの少女ハイジ」や「母をたずねて三千里」はあまりにも有名だが、「ホルスの大冒険」や「長靴をはいた猫」など東映動画の数々の長編アニメでも原画や作画監督として参加、数々の名場面を手がけている。僕の大好きな映画「空飛ぶゆうれい船」は初の作画監督作品でもあり、「アニメーター」などという職業を知らない頃から、僕はその素晴らしい絵に親しんでいたことになる。
300ページにもおよぶこの本は「アニメーション画集」という名の通り、小田部氏がアニメのために描いたストーリーボードやキャラ設定書、原画などを集めた画集であり、いわゆる「イラスト集」ではない(イラストも、もちろん掲載されてはいるし、素晴らしいのは言うまでもないが)。けれども「アニメ制作の裏側を知る」といった類のものでもない。
間違いなく小田部羊一の「画集」なのだ。
僕はページを繰るごとに現れる数々の絵を見る度、ただただ感嘆をもらす。
シンプルな線でありながらキャラは立体的に表現されている。デッサンにゆるぎはなくその存在感は圧倒的だ。

この本見ていてかなり興奮したことがある。
「ホルス」や「長靴をはいた猫」の中で、さりげないながらもその美しい動きが忘れられないカットがいくつかあった。それは「アニメ」というものに特別な興味を抱く以前から何故か心に残っていたカットなのだが、それらを描いたのが小田部氏であるということがこの本で分かったのだ。
これはかなり嬉しい発見だった。
手前味噌を承知で言えば、そういうカットを目に留めるくらいのセンスは持ち合わせていたのだと。

僕は以前、小田部氏の絵を「動いてこそ」の絵だと誤解していた。
単純すぎる線は止まった絵としてはつまらないもので、動いてナンボだと。
しかし今、その不明を心から恥じる。
小田部氏の絵は「止まっていても動いて見える」のだ。
僕自身がある種の理想とする絵がここにある。
そして、それは僕の描くゴテゴテとした絵とは全く対極にある絵だ。
だからこそ憧れる。
迷いのないシンプルな線、それでいて誰にも真似できない美しい線。

僕は思う。これこそが「至高の線」だと。

今の日本のアニメに最も失われつつあるものがこの画集の中にあるように思える。
そして、それらがまだたくさんあった時代に、そんなことを意識せず触れられたことの幸運に心から感謝したいとも思う。

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2008年9月 1日 (月)

線のニュアンス

今回は、久しぶりに絵の話題を。
ま、ネタがないので自分の絵をネタに記事を一丁でっちあげようということなんだけど。

デジタルで絵を描くようになってどれだけ経つのだろうか。デジ絵と言ってもその手法は様々だが、最近ではペンタブとドローイングソフトの発達で手で描くのと変わらない感覚で描くことができるようになっている。
けれど僕はペンタブを持っていない。
そんな僕が一番慣れ親しんだデジ絵の手法は、ベジェ曲線を利用したパスで描く方法だ。当然、全てマウスで描く。
使用するソフトはドロー系ソフトの代表格「イラストレーター」だ。これはかなり初期のバージョンから使用しており最も扱いになれている。
いまではずいぶんと色々な機能が追加されたが、描き方の手順は基本的に変わらない。

鉛筆で下絵を描く→スキャナーで取り込む→イラストレーターを立ち上げ、下絵を貼る→パスでトレースし、着色する
これだけだ。
昨年描いた絵を例に取ると、以下のようになる。

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これが下絵。

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下絵をパスでトレース。分かりにくいが下絵を半透明にしてトレースしている。

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強弱のある輪郭線は、実際は閉じられたパスを黒く塗っている。

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パスだけでみるとこんな感じ。
輪郭線は、フォトショップで仕上げる際に少し太らせるので意識的に細く描いている。

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着色。輪郭線と同じようにパスを描いて色を着けた。

5
パスだけでみるとこんな感じ。

Adobe_illustrator_cs3screensnapz001
輪郭線を隠すとこんな感じ。

イラストレーターで描くのはここまで。
このあと、画像加工ソフトのフォトショップでエフェクトをつけるなどして完成。
009071030

・・・と、まあこんな感じである。
完成したモノだけ見ると、まあこんなもんなのだが
実は少し納得していない部分がある(いや、もちろん全体としての出来も、なんだが)。
それは、「線のニュアンス」だ。

最初のところに貼った下絵は清書したもので、その前に下絵の下絵(ラフ)がある。
↓これがそうなのだが、実はこの下絵の感じを自分では気に入っていた。
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この009は最初のTVアニメ版をモチーフに、原作とアニメの中間のようなキャラを描きたかった。アタマの中のお手本は、以前に紹介したロマンアルバムの描き下ろしイラストだ。この最初のラフはその感じを上手く描けたと思っていたが、スキャン用の下絵として清書した時点で、その線のニュアンスはかなり失われ、トレースした段階ではかなり違ってしまった。

009_2
こうして3枚並べると、違いがお分かりいただけるだろうか(クリックして拡大してみてください)。
最初のラフの目と口の感じが自分では気に入っていたが、完成品ではそのニュアンスが再現できていない。
もちろん制作途中で、色々試行錯誤を繰り返したがどうしても上手くいかずあきらめてしまったのだ。
まあ、それでもこのイラストは悪くない方だとは思う。実はこれ、1年近く前に009の脚本を書かれた辻真先先生にお会いする機会に恵まれ、その時のために描いたものである。辻先生にお見せするという緊張感を持って描いたので、それなりに気合いが入っていたとは思う。

と、まあこれが僕の絵の描き方の一例である。
イラストレーターというソフトを使う場合、その手順に大きな差はないと思われるし、同じソフトを使う以上その機能の範囲内の話でしかない。結局は描く人の絵柄やセンスが機能の使い方の差になり、絵の個性となって現れるだけだ。
僕の場合、色々な機能を覚えるのが面倒なので限定的な機能で描けるような絵しか描いてないのだけど(←ダメじゃん・・・爆)。

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2008年8月17日 (日)

落描き特集〜

・・・って、何が特集なんだか・・・。
ここんとこあまり新しい記事を書く時間がないので、仕事の合間に廃紙に落描きした絵を恥さらししてお茶を濁します。すんません。

Photoまずはメグちゃん。
職場で「メグちゃんってどんなだったっけ?」って話題が出たときに描いた。
ホントはこの前にもっとラフなのがあり、これはちょっと清書(とも言えないか)したモノ。これを元にちゃんと仕上げるつもりが途中まで描いたデータを消してしまい気が萎えてそれっきり・・・。

Hiromi続いては岡ひろみ。
もっと元気な顔を描くつもりが、なんか寂しげに。
画像調整したけど、裏の文字がびみょ〜に透けてます。

Photo_2お次は、キッチ・キッチン。
登場した当初の気の強い感じを描いてみました。
もうちょっとカワイイキャラなんですがねぇ・・・。


Photo_3キカイダーのジローくん、のつもり。「とことん!石ノ森」を見た頃に描いてみた。
言われなきゃ分かんないな、こりゃ。だって資料ないんだも〜ん(開き直り)。

Photo_5「空飛ぶゆうれい船」のヒロイン、ルリ子。
こちらも「とことん!」の後、記憶を頼りに描いてみたが・・・なんか違う気が。

・・・てなわけで、本来なら人目に晒すようなものではないのだが、ブログ更新のために恥を晒しました〜。お目汚し御免!!

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2008年8月 9日 (土)

里中智50歳

Photo
高校野球たけなわだが・・・
今年はちょっと事情があって全くと言っていほど見ることができない。
そんなわけでリアルタイムな甲子園の話題が書けないので「小さな巨人」こと明訓高校の里中クンを描いてみました。
「50歳」の意味は・・・読んでください。

明訓高校が神奈川代表として甲子園に初出場したのが1974年・第56回の選手権大会だった。大阪代表が坂田三吉率いる通天閣高校、高知代表が犬飼小次郎・武蔵兄弟の土佐丸高校、そして明訓と決勝を戦ったのがフォークボールの緒方投手と俊足・足利選手の福島県のいわき東高校だ。
・・・って完全に現実にあったかのように書いているが、それほどにのめり込んで読んでいたのだ。僕と同世代には似たような人がたくさんいたはずだ。

実際の1974年・第56回大会でも記憶に残る選手が数多くいた。
大会でもっとも人気を集めたのが鹿児島実業の定岡正二投手。準々決勝で東海大相模を相手にした延長15回の熱投が有名だが、この時の相手、東海大相模には後に巨人でチームメイトとなる原辰徳がいた(1年生)。ほかにも土浦日大の工藤(のち阪神)、優勝した銚子商の土屋(のちロッテ)、篠塚(のち巨人・当時2年生)らが注目を集めた大会だった。この大会から金属バットが解禁。原が「金属バットの申し子」と呼ばれる一方で、篠塚は木製バットで巧みなバッティングを見せプロの注目を集めた。漫画・ドカベンの中では、この56回大会で金属バットは登場していなかった気がする。山田がバットを折られるシーンをいくつか憶えてもいる。漫画の方が現実の時間より先を行っていて金属バット解禁の話を盛り込めなかったのだろうか。

1974年に高校1年ということは山田太郎、里中らと原辰徳は同期生だ。つまり彼らは今、50歳。しかし、山田太郎らは後の「プロ野球編」では1994年のドラフトに指名されプロ入りしており、今も現役だ。そっちの年齢なら32歳か。まあ、このあたりは漫画の世界での話であるからして別に大した問題ではないのだが。
けれども、僕にとって彼らは「先輩」だ。
だから、里中クンももう50歳。

この絵を描くため、久しぶりにグローブを手にしてみた。
皮の匂い、使い慣れたグローブの手に馴染む感触・・・やっぱいい。
キャッチボールしたくなってきた。


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2008年8月 3日 (日)

ギャグマンガの巨匠、逝く

1

赤塚不二夫さんが亡くなった。
あのトキワ荘で育った漫画家がまた一人いなくなった。

あまり多くは語るまい。
ただ、彼のような人生はとても素晴らしいと思う。
多くの人に愛され、影響を与え続けた人生。
心底素晴らしいと思う。

お疲れ様でした。
そして、ありがとうございました。

Photo_6
←「もーれつア太郎」のドラマ入りソノシート。繰り返し繰り返しすり減るほど聞いたなぁ・・・。


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2008年8月 1日 (金)

ルパン三世〜

Photo_2
↑初期のルパンを意識したものの・・・。

今週、NHKBS2で「とことんルパン三世が放送された。
全部観ることはとても叶わなかったが、ところどころ観たり「アニメ夜話」は全部観られた。
う〜む、やっぱカッコイイ。
僕はファーストシリーズを本放送から見てた、と思う。
小学校1年のときだからかなりアヤシイのだが、新番組予告を見た覚えが鮮明にあるのだ。
一度聞いたら忘れられない山田康雄さんのアノ声だった。そして子供ごころにも洒落た絵だと思ったことも(洒落たという言葉など知らなかったが、オトナの言葉で言えばそういうことだ)。
どこが洒落ていると思ったか。
ルパンがフォーミュラマシンに飛び乗ってヘルメットをかぶったときの「腕の形」だ。

Rupin
←このカット

これがやたらオシャレな感じに見えてハートを鷲づかみにされたのだ。
もちろん、絵の感じといい明らかに何かが違うと思った。

そして子供心をつかんだのが「ルパン」という名。
少年向けの小説シリーズで「アルセーヌ・ルパン」はおなじみだった。
それと関係があると思ったのだ。
それで期待に胸膨らませ見始めたら・・・。
第1話でいきなりあの(こちょこちょマシーンの)不二子ちゃんである。
これはイケナイものを見ていると、後ろめたい気持ちにもなった。
しかし、夢中になった。
それはお色気も含めた「オトナのアニメ」だったからだ。
絵といいストーリーといい、それまで見ていたアニメとは何もかもが違っていた。
少し、というかかなり背伸びをした気分で見ていたのだろう、きっと。

・・・いや、しかし本当に小1で、「帰ってきたウルトラマン」に夢中だった僕がルパン三世を見ていたのだろうか・・・。自分の記憶に極めて自信は持てない。
しかし、新番組予告の記憶はあまりに鮮明だ。再放送ではあり得ない。
やっぱり見ていたとしか思えないのだ。

好きな話、シーンは山ほどある。
それらについてはまた別の機会に書こうと思う。
今は熱の冷めないウチにこの記事とイラスト(いつもにも増して粗いのだが)をとにかくアップしたかったのだ。

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2008年7月 7日 (月)

三船 剛

Go_2

笹の葉サラサラ・・・東京はあいにくの曇り空です。
そして七夕とは何ら関係のない絵ですみませんです。
さらに、色も付けないで申し訳ありません。
あまり更新が出来そうにないので、落描きでお茶を濁そうと急ぎ描きました。
やはりあのバタ臭い独特の絵は難しいっす。
時間が出来たらせめて着色しようと思います。
そして、先週末公開された映画「スピードレーサー」。早く観て、感想を書きたいのですが・・・公開中に行けるのだろうか?

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2008年6月30日 (月)

劇場版「エースをねらえ!」

先日アニマックスで劇場版「エースをねらえ!」を観た。
7月1日から出﨑統監督の新作「ウルトラヴァイオレット コード044」がアニマックスで放送される。それを記念して同局で出﨑作品を特集しているその一環だ。

劇場公開は1979年。今から29年も前のことだ。
同じ年に「銀河鉄道999」も公開されている。この「エース」も999と同じく夏休みの公開予定だったが、なぜか9月に公開がずれ込んでいる。そのためかいつの間にか公開されていつの間にか終わってたという印象だ。僕も劇場では観ておらず、その後テレビ放映されたときに観たのが最初だ。アニメージュでも何度も取り上げられていて注目の作品だったはずなのだが・・・。
しかし、当時から評価は高かった。
出﨑&杉野コンビにとっては「宝島」と「ジョー2」の間の作品であり初の劇場用作品だ。演出、作画ともまさしく「脂ののりきった」という表現がぴったり来る出来映えで、わずか90分という短い時間を実に見事な構成でまとめてある。
原作ファンの人からみると異論もあろうし、物足りなさもあろうがこの時間にこれだけ濃密なドラマを描ける演出家はそうはいないだろうと思う。無駄なことは一切そぎ落としながら決して薄っぺらではないドラマ、時間の短さとは裏腹にめまぐるしさを感じさせないゆったりした叙情的な演出は神業にすら思える。
藤川桂介氏の脚本、杉野氏の作画、小林七郎の美術なども僕の貧困な言葉ではとうてい表現しきれないほど素晴らしい。
個人的にとても好きなのが、ひろみとマキの会話。
台詞回しがいちいち面白い。あの頃の少女漫画的な、とでも言おうか、そういう言い回ししないよな〜っていうのがかえってイイのだ。これは脚本の藤川氏のセンスよるものだろう。初めて観たときからとても印象に残っていた。ここに再現してもいいのだが、やはりこれは高坂さんと菅谷さんお二人の好演なくして良さは伝わらないと思うので気になる方は是非観てみて欲しい。余談だが「エース」はこの劇場版を含めOVAシリーズなど5作がアニメとして制作されている。その中で唯一キャスティングが変更されていないのがこの愛川マキ役の菅谷政子さんだ。

劇場版「エースをねらえ!」が」公開された1979年は、先に書いた999を初め、ガンダム、カリオストロの城など劇場、TVを問わず名作に恵まれた年だった。その中でもブームを牽引するような位置にはなかったものの、この「エース」もまた紛れもない名作として今に語り継がれる作品であった。


Photo←この劇場版においてそのセリフの多さではおそらくひろみの次ぐらいに多いであろうマキ。彼女はストーリーの根幹には関わらないが、ひろみという主人公の支えであることがセリフの多さからもすごく良く分かる。
この映画を観てマキ大好きになった僕であった。もっと元気な顔の方が良かったかな〜。

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2008年6月27日 (金)

トキワ荘の青春

先日、たまには早く寝ようと夜11時頃に横になるも結局寝付くことが出来ず12時すぎに起きてTVを付けた。すると日本映画専門チャンネルで「トキワ荘の青春」という映画をやっていた。1996年に公開された時にも観ているので眠くなるまで観ていようと思ってたら結局最後まで観てしまっていた。

Photo←チケット半券

「トキワ荘」
ある年代以上のマンガ好きなら説明するまでもないかもしれない。そして人によっては特別な響きを持って聞こえるかも知れない。
手塚治虫、藤子不二雄、石森章太郎、赤塚不二夫、水野英子ら後にビッグネームとなる漫画家たちが若い頃住んでいたことから「漫画家の梁山泊」とも言われた東京のアパート(今はもうない)である。そのトキワ荘に住む若き漫画家たちの日常を描いたのがこの「トキワ荘の青春」である。
主人公は寺田ヒロオという「背番号0」や「スポーツマン金太郎」などで知られた漫画家だ。先に書いた他のビッグネームに比べると知名度では劣るが少年漫画誌全盛となる少し前の時代を代表する漫画家の一人だ。彼は石森や藤子、赤塚らよりも以前からトキワ荘に住み、後から入居してきた彼らのよき兄貴分でもあった。
寺田は後輩達の相談相手になったりお金を貸してあげたりと実に面倒見がいい。映画の寺田は、ひたすら優しくいつも柔和な笑顔を絶やさず、静かに語る青年だ。そして自分の作風が「古い」という悩みも持っている。実際はもっと快活だったというがこの映画のキャラとしてはとてもいい。
面倒を観ていた後輩達が売れっ子になってゆく一方、寺田は皮肉にも時代の波に取り残されて行く。編集者も作風を変えろと言うが「子供達に嘘はつけない」とそれを拒む。寺田は自分が時代遅れの作家になっていることを知りつつも作風を変えない。そして彼はトキワ荘を出る。
ネタバレになるのであまり詳しくは書かないが、そんな風に時代に乗り遅れた漫画家である寺田に「あなたが描いてきたことに意味はあるんだよ」と言ってるような素敵なラストシーンが用意されている。そしてそれは漫画家と漫画を愛する人すべてに福音をもたらすラストシーンだと思う。

この映画は実に淡々と、しかし丁寧に若き漫画家たちの日常を描く。大きな事件も説明的なセリフも説教臭いセリフも、大げさな演技もなにもない。積み重ねられていく彼らの日常がとてもいい。悩みは悩みとして喜びは喜びとして素直に受け止めることが出来るからじわ〜っと心に染みこんでくる。
僕が小さい頃から親しんできた漫画家たちの若き日の姿。映画で描かれるそれは史実を元にしたとはいえあくまでもフィクションだ。けれどそこは大きな問題ではない。僕は彼らの過ごした時代とトキワ荘の空気、そして彼らが漫画に燃やした情熱をとてもうらやましく思った。トキワ荘の物語もまたかけがえのない青春の物語なのだ。何かに夢中になり一生懸命に日々を過ごすこと、それこそが人生に輝きを与えてくれるということ、そして当たり前のようでいてそんな奇跡のような日々を過ごせる人は少ないのだということをこの映画は教えてくれる。
僕がトキワ荘というものを知ったのはいつ頃だったろうか。いつか自分が大人になったとき志を同じくする仲間と出会いこんな時代を過ごせるんじゃないかと夢見ていたような気もする。しかし、一生懸命に日々を過ごさなかった僕にそんな輝ける時代はなかったのだ。僕のようなダメ人間にとっては、人生の後悔を強く意識させられる苦さを持った映画でもあるのだ。

追記;この映画に登場する主な漫画家は先に書いた6人のほか鈴木伸一(後のアニメ演出家。オバQの“ラーメン大好き”小池さんのモデル)、森安直哉、そしてトキワ荘の住人以外で、つのだじろう、つげ義春、棚下照生などである(恥ずかしながら森安直哉、棚下照生などは名前を知っているだけで絵すらも浮かばない)。
漫画家達を演じる俳優にそれほど有名な人はいない(劇団でお芝居をやっている人が多く詳しい人にとっては有名かも)が、中には「えっ、こんな人が」という人もいる。観ていない方のために詳しくは書かないが鈴木伸一役、藤本弘(藤子F不二雄)役、森安直哉役の俳優さんは一般的にも最近かなり有名になっている。
またトキワ荘物語には欠かせない石森のお姉さんもちゃんと登場する。

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2008年6月21日 (土)

ハチクロ

「ハチミツとクローバー」通称「ハチクロ」。僕がこの数年の間で最もハマった作品である。アニメ、映画、ドラマ化もされた。先日のBSマンガ夜話でも取り上げられたので少しこの作品について書いてみたくなった。

キャッチコピーでは「《全員片思い》逆送ラブストーリー」などと表現されるこの作品だが、ラブストーリーが話の軸にはなっているが、そもそも“ラブストーリー”と言っていいものかどうかも難しいと僕は思う。ラブストーリーというモノを定義できるのかどうかは別として、簡単に言えばそれは「恋の顛末」を描くものだと思う。そう考えればこの作品の主題はもっと別の所にあるように思う。

舞台は東京の架空の美術大「浜田山美術大学(通称:浜美)」。そこに通う5人の学生(物語の進行に合わせて何人かは卒業する)と彼らをとりまく人々の群像劇だ。全体を通しての主人公といえるのは男子学生の竹本祐太。彼と彼が恋する“はぐちゃん”こと花本はぐみを中心に物語は展開するのだが、エピソードによって主人公が入れ替わるなど物語は重層的である。可愛い絵柄と現代的で切れのいいギャグを織り交ぜながらもストーリーの根幹を成すものはあくまでシリアスだ。しかも物語の当初からかなり多くの伏線が張られていて、改めて読み返すと全ての展開が最初から作者の頭の中にきっちりと完成していたとすら思える。登場人物たちがなぜそういう行動をするのかという背景も含め説得力のある展開なので余計にそう思えるのだ。
報われない恋を生きることの切なさと、それとは背中合わせの幸せ(報われないと分かっていることに“安住”するとでも言おうか・・・)、報われないかもしれないけれどそれを承知で相手に尽くそうとする意志、才能を持つ者と持たざる者の絶対的な壁、才能を与えられたが故の苦しみと才能を持つ者への献身的な愛、そして人生に二度と訪れることのない輝かしい日々・・・僕の貧困な表現力ではとても書ききれないほどの要素がぎっしり詰まっているのだ。そしてこれらの要素を内包しつつ、甘酸っぱい青春ドラマとしても極めて上質な内容になっている。
学生時代はよく「モラトリアム」などと言われる。辛い現実社会の荒波にさらされる前のほんのわずかな猶予期間。だからこそみんな目一杯我が世の春を謳歌しようとする。この物語もともすればその「モラトリアム」を描くだけになったかもしれないが、そうはならなかった。「いつまでも気の合う仲間と過ごしたい」「今が永遠に続けばいいのに」という想いは誰しもが一度は持ったことがあるだろう。けれどもそんなことはあり得ない。誰もが皆それぞれの道を選び、歩んで行く。
昨今流行のJ-POPよろしく「いつまでも一緒だよ」とか「君は君のままでいい」などという甘ったるい言葉が、一見この作品には合いそうだが実は全く違う。登場人物たちはいずれ自分たちがバラバラ(心が、ではない)になることを覚悟しているし、自分が変わって行くことや変わらなければならないことを決して恐れていない。だからこそ「今という時間の輝き」が際立つのである。
物語中、主人公の竹本が何度も「今、この瞬間」を噛みしめるような場面とモノローグが出てくる。けれど、そうした時間はもう2度と来ないであろうことを竹本の言葉を通して読者は共感する。彼ら登場人物と同世代の人たちならば今の時間をより大切に思うであろう、そしてもうとっくの昔にそんな時代を過ぎてしまった僕のような世代にとっては懐かしくも胸が締め付けられるような気持ちになる。
最後はみんなそれぞれの道に向かって歩き出す。ラストに向かっての展開は途中までの物語からは想像できないほどシビアで重い。けれどもとても希望のある素晴らしいラストを迎える。
誰と誰がくっついてめでたしめでたしといったいわゆる「大団円」的ではなく登場人物たちの未来を想像し、どうかみんなが幸せになって欲しいと願うことのできるそんなラストである。
彼らはまたいつかみんなで集まる日はあるのだろうか。
けれど、そんなことはどうでもいいことなのだ。
輝きのある時間を過ごせたという、そのことだけできっと彼らのその後の人生の支えになるに違いないのだから。

余談。
この作品にのめり込んだ理由がもうひとつ別にある。
作品の主な舞台「浜田山美術大学」のモデルになった学校に僕は4年間通っていた。
作品の中には懐かしい学内の風景がそのままの姿で何度も登場する。
だから、僕は自分が彼らと共に学ぶ学生であるかのような気持ちでずっと作品を読んでいた。
彼らのようにドラマチックで密度の濃い学生生活ではなかったけれど、悔いもたくさんあるけれど、まぎれもなく「輝ける時間」を過ごしたと思う。あの頃毎日のように顔を合わすのが当たり前だった連中の、何人かは今でも友達だがほとんどのヤツらのその後を僕は知らない。そしてその逆もまた然り、なのだ。
この作品を読んでそういった連中のことをふいに思い出したように、どこかでこの作品を読んで僕のことを思い出してくれたヤツもいたのだろうか・・・。
そしてみんなが幸せに過ごしていてくれればいいと、心からそう思う。
ほとんどの連中ともう2度と会わないのだとしても。

Photo
←この絵はハチクロの「はぐちゃん」をイメージして描いたもので実際の作品の絵柄は全然違う。2年前に同じくハチクロにハマっていた友人の誕生日にプレゼントした。

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2008年6月15日 (日)

少女漫画絵

Photo_4
「カリフォルニア物語」の主人公ヒース・スワンソン。
何十年ぶりかに描きました。

そんなわけで(どんなわけだ)今回は、昔模写した少女漫画の絵を恥さらしします。

Photo_7まずは「キャンディ・キャンディ」のアニー。中2のころ描いたもの。
いがらし先生の絵は特にこの横顔の鼻の線が大好きだった。「キャンディ」は7巻まではいとこのおねえちゃんちで読んでいて続きがどうしても読みたくて8・9巻を自分で買って読んだ。
パティのファンだったくせに、なぜかパティの絵がない。

Photo_602_2続いては川原由美子作「KNOCK!」のヒロイン舞ちゃんを2枚。高1のころ。薄くて細い線で描いたので、ちょっと見づらい。川原先生の絵はとにかくカワイくて好きだった。
この「KNOCK!」のほか「前略・ミルクハウス」「すくらんぶるゲーム」のほか短編集など単行本もけっこう持っている。

01_2最後は太刀掛秀子作「まりの きみの声が」のヒロインまりの。これは高2のころ。
太刀掛作品は「花ぶらんこゆれて...」が有名だが、つい最近まで僕はこれしか読んだことがなかった。この作品にはどこでどう出会ったか全く記憶にないが、かなり入れ込んでいたようでまりのの模写の数は相当多い。

以上のように基本的にはカワイイ絵が好きだが、今回久々に描いた「カリフォルニア物語」の吉田秋生は別だ。いや、もちろんカワイイ絵も描く人ではあるのだがいわゆる「少女漫画的」な絵ではなく、目は小さいし足も短い。人物のデッサンが実にしっかりしていて骨格や筋肉を感じる絵だった。それでもやはり女性独特の感性による線は繊細でとても美しい。今も好きな作家の一人だ。

僕は少女漫画の女の子が大好きだ。
・・・なんて言うと2次元フェチのようだが、その通りだ。いや、ウソです。
少女漫画の、というより女性作家の描く女の子が好きと言った方が正しい。
男性作家の描く女の子とは何かが違う。それは絵的にもキャラ的にもなのだが、何がどう違うかは上手く言えない。だがいつもあんな絵が描きたいと憧れていた。
だから少しでも近づこうと模写をしていたのかも知れない。
最近は模写というのはまったくやらないが、それでも気に入ったタイプの絵があると真似したくなる。最近では谷川史子や志村貴子の絵がとても好きだ。「群青学舎」の入江亜希の絵もいい。
この頃はあまり少女漫画を読む機会はない。本屋ではよく今時の少女漫画の表紙絵をざっと見るのだが、どうも手にとって見たくなる絵はあまりない。時代の流行というのはあるのだろうけれど、あまり好みではない絵が多いように思う。
そんなわけで昔好きで模写した絵をさらしてみたわけです。

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2008年6月 5日 (木)

北の狼

Photo_2

某所で野球狂の詩が話題になったので描いてみました、北の狼こと火浦健。
鉛筆で急いで書いたせいで汚くてナンですが(言い訳)・・・。

野球狂の詩は水島新司作品の中でも根強い人気を誇る作品だが、中でも「北の狼 南の虎」シリーズは屈指の人気作だ。原作3部作、アニメは前後編に分けて放映され劇場公開もされた。アニメ版ではこのエピソードだけの主題歌も作られるなど最初から原作人気を意識して作られている。
アニメ版「野球狂の詩」は原作とは逆に水原勇気編が先に放映され、その後各エピソードが放映されたのだが、ロマンアルバムはこの「北の狼 南の虎」のみが発売された。それほどこのエピソードの人気は高かった。
水島新司は元々、はみ出し者やアウトロー、境遇に恵まれない人を描くのがとてもうまい。「北の狼 南の虎」は親に捨てられた双子が主人公だ。しかし水島漫画のセオリーで言えば“北の狼”こと火浦健の方が主人公だといえる。もちろん「東京メッツ」が物語の中心であるからそのチームに入った火浦が中心になるのは必然だが、捨て子とはいえ愛情たっぷりの夫婦に育てられ天真爛漫な“南の虎”こと王島大介との対比によって火浦の境遇の悲劇性が引き立ち、読者はどうしても火浦に肩入れする構図になっている。「北と南」という地域による対比もさせているのは間違いない。

健はあることをきっかけに大介と自分が双子であることを知る。そして密かに慕っていた食堂で働く女性が母であるということも。
健は母との再会を果たすが、暖かい家庭がある大介には敢えて真実を明かさないまま物語は終わる。もっとも、大介のエピソードでは大介が両親の実の子でないことを知っていることも明かされてはいる。けれど、彼も両親もそれを敢えて話さない。
皆が皆お互いのことを思いやるという優しさがこの「北の狼 南の虎」の根底に流れているのだ。いや、野球狂の詩という作品全体がそうかも知れない。時には不器用なまでに相手を思いやる登場人物たちがこの作品の温かさにつながっているのだろう。健の場合は思いやりが悲劇につながったというところがあまりに悲しかったのだが・・・。

未読、未見のかたには是非おすすめしたい名作である。

Ra←ロマンアルバム「北の狼 南の虎」

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2008年6月 2日 (月)

ずっとアニメが好きだった(その6)

〜アニメージュ創刊〜

ロマンアルバム「鉄腕アトム」に創刊の告知が掲載されてからおよそ1ヶ月半後の1978年5月26日、徳間書店から待望のアニメ情報誌「アニメージュ」が発売された。それまでもアニメ専門誌というものは存在していたが、コアなマニア向けであった。アニメージュはごく普通に書店の雑誌コーナーに並ぶようなものとしては初の専門誌であった。表紙は「宇宙戦艦ヤマト」。その夏に続編が公開予定であり前年からのヤマトブームはまだまだ続いており、この時代を象徴するものの代表格であった。

01
←黒の背景にシルバーのヤマトがクールでカッコイイ!


巻頭の特集はそのヤマトの新作映画「さらば宇宙戦艦ヤマト」。映画の情報自体は少なく、海底ドックに眠るヤマトのイラストと彗星帝国のキャラとメカデザイン、そして新鋭艦「アンドロメダ(この号ではまだ名前は付いていない)」の設定ぐらいだ。ほかは1作目のおさらいと西崎Pのインタビューだった。インタビューの中で西崎Pはハワイでのスタッフたちの取材旅行中に観た、当時話題の「スター・ウォーズ」と「未知との遭遇」について「スター・ウォーズは単なる娯楽映画、恐るるに足らず。未知との遭遇はショックを受けた。ヤマトと同じ“宇宙愛”をテーマにしていたから」などと発言していた。それでも「ヤマト」への自信を覗かせるなどやはり西崎Pらしい内容だった。
続いて20ページに渡り「6月のテレビアニメガイド」がカラーとモノクロで構成されている。6月に放送予定の各エピソード紹介にスタッフや声優のインタビューなどもある。ちなみに当時放映中の主なアニメを挙げてみると・・・「ルパン三世(新)」「闘将ダイモス」「スタージンガー」「ハーロック」「新・巨人の星」「グランプリの鷹」「未来少年コナン」「ヤッターマン」「一休さん」「キャンディ・キャンディ」・・・などなど。ほかに「ドカベン」「一球さん」「野球狂の詩」と3本もの水島野球漫画が放映されていた。
巻中に「超人ロック」や「ダイモス」などのキャラ原案でも知られる聖悠紀氏のオリジナルコミック「黄金の戦士」を挟み、後半は「アンコールアニメ(1)=ホルスの大冒険」「声優24時=神谷明」「プロダクション訪問=東京ムービー」「スポットライト=水木一郎」「アニメ人物マップ=笹川ひろし」などの記事があり、その他にも「アニメ塾」や「アニメの歴史」「サークル紹介」などといった記事が続く。「アニメ塾」は“ラーメン大好き小池さん”こと鈴木伸一氏(現:杉並アニメーションミュージアム館長)とアニメ評論の第一人者おかだえみこ氏による文字通り「アニメの作り方講座」である。アニメの基礎から応用まで、丁寧なイラストと文章で解説している。
このように、アニメージュの柱はあくまでもテレビや映画など商業アニメの情報であるが、アートアニメや海外のアニメの情報もありかなり幅広いものであった。最新のアニメ情報のみならず、過去の作品やアニメ制作の現場・スタッフにもスポットを当てるなど、アニメそのものへの理解を深めるような企画を多く掲載していた。

ついに世に出たアニメージュは硬軟織り交ぜバラエティーに富んだ誌面でアニメファンの支持を得る。アニメージュはアニメファンの裾野を広げその後のアニメ界発展に大きな影響を与えたことは間違いないと思う。
個人的には「アニメーター」という職業がクローズアップされ、ある種のアイドル扱いされるようになったことはとても印象深い。
次回はその辺りのことに触れてみようと思う。

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2008年5月31日 (土)

リン・ミンメイ

Photo寝付けなかったので・・・なにかネタを考えるも思いつかず、また過去絵で恥さらしをします。
一世を風靡したアニメ「超時空要塞マクロス」のヒロイン、リン・ミンメイです。高3の時に描いたもの。

キャラデザインは美樹本晴彦氏。当時は安彦先生の影響がバリバリに見てとれてた。美樹本氏はこのマクロスで一気にメジャーになったわけだが、「マクロス」以前の美樹本氏のアニメ界における実績はほとんどないという中での大抜擢で、まさしく「彗星のごとく」という形容がピッタリだった。
しかし、これより前から美樹本晴彦は知る人ぞ知る存在だった・・・といっても僕もそれほど詳しいわけではないのだが。たまたま手に入れた同人誌に、木によりかかるフラウ・ボウのめちゃくちゃ上手いイラストが載っていた。文章とともに「HAL」という名前が書いてあった。それが美樹本晴彦(当時:良春)だった。それからしばらくして「OUT」のみのり書房から画期的なガンダムムック「GUNDAM CENTURY」が1981年に発売され、その中に「美樹本良春」の名を見つけた。その本の中で彼は、ホワイトベースのある日常を描いたオリジナルの読み物のイラストを安彦タッチ描いていたのだ。安彦先生と見まごうほどの・・・というほどではさすがになかったが、やはり上手だった。
そして、その翌年「マクロス」で彼は本格的にアニメ界にデビューすることになるのだ。アニメ誌に掲載されたマクロスのキャラデザイナーの名前は「美樹本晴彦」となっており、僕は最初「おや?」と思ったのだがこれは「美樹本良春」だと確信していた。そして彼の存在を知らなかったアニメファンの間では「安彦タッチのこのデザイナーは誰だ」とちょっとした騒ぎになったのだった。
かくして「マクロス」が当時のアニメを代表する人気を得たことは周知の通り。ミンメイはバーチャルアイドルの走りのような存在になるものの、女の子たちにはすこぶる評判の悪いキャラでもあった。対照的に早瀬中尉は好意的に受け取られていたようだ。かく言う僕も当初はその可愛い外見にだまされた(?)クチだ。一時期はミンメイの絵を描きまくっていた。これは、少しこなれてきた頃に描いた一枚だと思う。まだまだ思い入れたっぷりな感がある・・・恥ずかしい。
その後の映画版でもミンメイはかなりイヤな女だったが、そこはすべて計算し尽くされた演出であり最後の歌唱への布石としての必要悪だったのである。ミンメイの歌が流れる中繰り広げられるクライマックスの戦闘シーンは、CG全盛の今見るとなんと重厚で迫力に満ちたものであることか。今、あんな作画が出来るアニメーターがいるのだろうか?
この映画版マクロスは時代を象徴する傑作になったと個人的には思っている。

2
←映画版マクロスのころにも僕はけっこうミンメイを描いた。
・・・結局好きなんじゃん(爆)。

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2008年5月21日 (水)

COBRA

コブラの新作アニメが制作されるそうである。
監督は原作者の寺沢氏が自ら勤められるそうで、出﨑さんや杉野さんはノータッチらしくちょっと残念(美術は旧作と同じく小林七郎さん)。うれしいニュースとしては野沢那智さんと榊原良子さんが声をおやりになることだ。ちなみにクリスタルボーイは小林さんではないので、これも残念。
コブラのアニメといえば1982年に公開された映画が最初だった。出﨑さんと杉野さんのコンビがSFをやるというので驚いた覚えがある。その制作過程をネタにしたエッセイのようなものを出﨑さんがアニメージュで連載し、挿絵を杉野さんが描くという贅沢な企画もあった。
声が松崎しげるというのも驚いた。いや、抵抗があったというのが本音だ。そのほかにも風吹ジュンや中村晃子などの有名女優らが出演しているが、当時の劇場アニメでは話題作りのためにこうしてメディアに取り上げられやすい有名人を使うことが多かった。僕はこういうのが大嫌いで、プロの声優さんを冒涜しているとすら思っていた。そして大概は下手だったのだ(本作でいえば久米明や田島令子など非常に上手な俳優さんも出演されている)。コブラもそうした先入観を持ってしまっていたのと、松崎しげるのあのダミ声(歌ってるときは素晴らしいけれど)をドルビーステレオで聞かされたせい(なのか?)で劇場で観た印象はイマイチだった。
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←当時の新聞広告


しかし近年、見直す機会があったがこれが意外と面白かったのだ(風吹ジュンはやはり下手だったが)。それが自分がオトナになってようやく本来の面白さに気づいたからなのかどうかはよく分からない。なぜなら公開当時の評判は決していいものではなかったからだ。しかし、オトナの鑑賞に充分堪えうる演出と劇場版らしい丁寧な作画はさすがだと思ったし、公開当時に感じたマイナス部分もさほど気になることはなかったのだ。
細かい評論は避けるが、一見の観る価値は十分にあると思う。
その後TVシリーズの「スペースコブラ」が同じスタッフで制作される。コブラ役はもちろん野沢那智。これもかなり驚きだったが、果たしてこんなにピッタリな声優さんがいるのかと思うくらい素晴らしかった。映画版の松崎しげるは「悪くなかった」が、野沢さんの芝居はレベルが違っていた。軽さの裏にシリアスなものを秘めたコブラの性格を表現する演技はまさしくプロのそれだった。そして野沢さんの声には品があった。そこが決定的な差であったと僕は思う。
余談だが、コブラがアニメ化されるずっと以前から僕はコブラの声は山田康夫さんが演ずるものだと決めつけていた。それはコブラのモデルがジャン・ポール・ベルモンドでありその吹き替えといえば山田さんだったからだ。そしてコブラのキャライメージがルパン三世ともダブること(ルパンがベルモンドで実写化されるといいな、とも思っていた)もそういう思いに拍車をかけた。野沢さんというのはかけらも頭になかったのだが、野沢さんはかつてパイロット版でルパンを演じているわけで、共通項のあるキャラと声優さんが不思議なところでつながっていたことになるのだ。
話を元に戻そう。
TV版のコブラ、第1話は素晴らしかった。演出、作画ともジョー2の第1話に匹敵するできばえだった。その後もしばらくは夢中で観ていたが、シリーズ途中で出﨑さんと杉野さんは次回作「ゴルゴ13」のためスタッフから外れると僕の興味も急に失せてしまい後半はあまり観なくなった。結局のところ「コブラ」そのものの大ファンでもなかったこととやっぱり出﨑&杉野コンビだから観ていたということだったのだろう。
新作も興味はあるが実際に観るかどうかは分からない。けれど野沢さんの声は聞きたいし、かつての傑作である第1話との比較もしてみたいとは思う。

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←TVシリーズ開始後間もなく、高校3年の頃に描いたもの。
 この頃は完全に「杉野タッチ」に傾倒していた。

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2008年5月18日 (日)

ずっとアニメが好きだった(その5)

〜アニメージュ創刊前夜(2)〜

Tv
1977年11月、ロマンアルバム(以下RA)第2弾「009」発行とほぼ時を同じくして1冊の本が朝日ソノラマから発行された。タイトルは「月刊マンガ少年臨時増刊 TVアニメの世界」。「マンガ少年」といえば大ヒット作「地球へ・・・」や「火の鳥」「サイボーグ009」などのメジャー作品のほか、みなもと太郎、永島慎二、高橋葉介らも描いておりマンガ誌としてはかなり玄人向けというかマニア向けの雑誌であった。その「増刊」というからにはこの「TVアニメの世界」のターゲットが自ずと分かろうというものだ。
ヤマトによって僕のアニメへの興味は観ることだけでなく作品作りの裏側やファン活動などの周辺へと広がった。この本と出会ったのはそんな頃だ。RAのような作品のムック本ではなくアニメ全般を扱ったこの「TVアニメの世界」は僕にとって「アニメの入門書」であった。
214ページにも及ぶこの本、主な内容は、巻頭カラーとセンターカラーで「ヤマト」とガッチャマン」のそれぞれ25話、81話のストーリーを合計28ページに渡り再現しているほか「読者が選んだテレビアニメベストテン」「テレビアニメ14年のあゆみ」「アニメスタジオ訪問記」「アフレコスタジオ訪問記」「ダンガードA」の声優らによる座談会・・・などである。「特集:サイボーグ009」として「Xの挑戦」のシナリオと009全話のストーリー紹介もある。さらにアニメーターを目指す少年が主人公の「鳥よ飛び立て」という描き下ろしマンガ、そして幻のアニメ専門誌「ファントーシュ」の復刊準備号なるものが巻末の12ページを占拠しているのだ。
中でも動画スタジオやアフレコスタジオの紹介は興味深いもので、「こういう世界に入れたらいいなぁ・・・」などという思いが漠然とだが芽ばえた。まだ将来のことなんてなにひとつ具体的に考えていない僕だったが、絵を描くということが大好きなアニメの世界へとつながるような気がしていたのだ。
僕の知的好奇心(?)はさらに勢いを増し、当時はまだアニメ専門ではなかった月刊「OUT」にも手を出し始める。この「OUT」についてはまた別の機会に書くつもりだが、何かに興味を持つことは知らず知らずのうちに自分の世界を広げていってくれるものなんだと今にして思う。最初は少しでもアニメの情報が欲しくて買った(最初に買ったのがスタジオぬえの特集号だった)のだが、自分の全く知らない世界であったサブカルを中心とした内容は、それはそれでかえってオトナの世界のように思えて魅力的だった。

RAはその後も順調に版を重ねる。
1977年末の「ロビン」の後、明けて1978年には「デビルマン」「タイガーマスク」「スーパージェッター」とほぼ月に1冊のペースで発売され、第7弾となる「鉄腕アトム」の巻末にいよいよそれは掲載される。
「アニメージュ」の発刊告知である。キャッチコピーは「ほとばしる青春のエネルギー いま、熱いまなざしをうけて5月26日発売!」とある。RA「アトム」の発売が4月13日であるから、そこからおよそ1ヶ月半がどれだけ待ち遠しかったことか。続く5月13日発売のRA「ライディーン」の表紙裏にカラーで発売広告が掲載された。
いよいよアニメージュの発売が迫ってきていた。
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←RA「鉄腕アトム」巻末のアニメージュ広告

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←RA「勇者ライディーン」表紙裏のアニメージュ広告

(追記)
同じ頃、僕が買った一冊のイラスト集がある。
ヤマトで興味を持った(実はそれまで知らなかったのだ)松本先生の画集「松本零士の世界」だ。その表紙には「イラストアルバム《アニメージュ》」とある。これがおそらく「アニメージュ」という言葉が世に出た最初だろう。巻末には「アニメージュ」(Animation-Image)と造語である旨説明があるが、なぜこのイラスト集にいきなりこうした名前が付けられたかは不明だ。その後徳間書店から刊行された「石森章太朗の世界」「永井豪の世界」なども同じように「イラストアルバム《アニメージュ》」と付けられてはいるのだが・・・。
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←松本零士の「士」の下に「アニメージュ」の文字が読める

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2008年5月14日 (水)

さて問題です

0091_2_2 この人は誰でしょう?(ヒント:胸元をよーっく見てください)。答えをすぐに知りたい方は今日発売の少年マガジンを見てください。宣伝してるわけではありませんです

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2008年5月12日 (月)

ずっとアニメが好きだった(その4)

〜アニメージュ創刊前夜(1)〜

ロマンアルバム(以下RA)「宇宙戦艦ヤマト」によって、それまで以上にアニメへの興味を膨らませた僕は「TVまんが」から卒業する機会を完全に失った。いや、そもそも「TVまんがもそろそろ卒業やな」なんて考えたことはただの一度もなかったのだが。
ヤマトのRAが発行された数ヶ月後には第2弾「サイボーグ009」が発行された(昭和52年11月30日発行とあるが雑誌の常として実際の発売はもっと早かったはず)。RA「ヤマト」には続刊の予告も何もなかったことを思えば、第2弾の発行はヤマトの成功があって初めてGOサインが出たのだと思われる。おそらく相当の手応えがあったのだろう、RA「009」の巻末にはヤマトの時とは打って変わって第3弾「レインボー戦隊ロビン」や「イラストアルバム 松本零士の世界」「イラストアルバム 石森章太郎の世界」などの告知がずらっと並び、さらに「アニメーション人気コンテスト」なる企画の告知まである。これは好きな作品とキャラを5人まで書いて応募するというものだ。結果発表がどういう形で行われたかは知らないが、おそらくマーケティング調査も兼ねていたのだと思う。その結果や反響が「アニメージュ」創刊への大きなステップであったことは想像に難くない。

009ra1
さてこのRA「009」もヤマトと同様、巻頭には描き下ろしのカラーグラビアがある。しかし、ヤマトと違い出来はかなりイイ。シンプルだがデッサンがしっかりしていて間違いなくプロのアニメーター、それもかなり実力のある人が描いたに違いない。原画が誰であるかの記述はないが、初代009の本編でも作画監督をやった木村圭一郎氏だと聞いたことがある(未確認)。今では考えられないことだが、この頃はまだアニメーターにスポットが当たることは少なかったのだ。とにもかくにもこのカラーグラビアは、009大好きな僕にも満足できる出来であり、またしても僕は模写をしまくった。

このRAでは原作者である石森章太郎先生へのインタビューや脚本の辻真崎先生の寄稿文、声優さんとプロデューサーの座談会なども掲載されてていてヤマトに比べるとかなりマニア向けの内容になっている。RA「ヤマト」の成功が早くも編集方針に反映された形だ。巻末近くには「アニメファンよ手をつなごう」と題した記事がある。記事といっても実はほとんど広告だ。それは「東映アニメーションファンクラブ」の会員募集の記事であった。なぜ東映動画のファンクラブの記事がロマンアルバムに掲載されているのかという疑問はさておき(理由はちゃんとあるのだが)、こういった記事が掲載されることからもターゲットが絞られていたことが伺える。この「東映アニメーションファンクラブ」には僕もその後入会することになるのだが、それはまた別の機会に触れることにしよう。
このRA「009」発行とほぼ時を同じくして1冊の本が朝日ソノラマから発行される。「月刊マンガ少年臨時増刊 TVアニメの世界」である。この本は完全にマニアにターゲットを絞った1冊であり、この本によって僕はまたさらに深くアニメに傾倒していくことになる。
(続く)

Ra009


この表紙の絵と同じポーズのジョーを音楽室の机に落描きしたことがあった。ある日音楽のセンセイに「009の絵を描いたのAKIRAくんでしょ?他のクラスの女の子がカッコイイ絵が描いてあるって教えてくれたの。残念だけど消しといてね」と言われたことがあった。わざわざ僕に言わずとも消そうと思えば消せるものを本人に消させるなんてかなり優しい人だ。この先生はリクエストするとヤマトの主題歌を弾いてくれたりするおちゃめでカワイイ人で僕はけっこう好きだった。

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2008年5月11日 (日)

大阪まんだらけ

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大阪のまんだらけでロマンアルバム5冊購入。
これまで訪れたことがなかったのだが、なかなか楽しい場所である。
かなり珍しいコミックや漫画家の直筆色紙、原画、アニメムックやセル画、関連資料集などなど売り物を見ているだけで飽きない。
今回は昔買い損ねたこの5冊を購入するも、他にもかなり心動かされる本がたくさんあった。そのうちのいくつかは昔は高くて手を出せなかったものであり、かなり迷ったが今回はロマンアルバムを探すことが第一の目的だったので購入を見送った。次回訪れるまで果たして残っているのだろうか・・・。
いや、しかし買うのはいいが収納場所がない。モノを捨てないというのも限界か・・・。

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