僕の祖母が他界してから今日でちょうど20年になる・・・もう20年、いつの間にかおばあちゃんと家で過ごした時間を超してしまっていたわけだ。
僕はおばあちゃん子だった。
どこへ行くにも何をするにもおばあちゃんと一緒だった。幼稚園へ通うようになっても、幼稚園まで送ってくれたおばあちゃんから離れようとせず泣きまくっていたことをはっきり憶えている。お風呂も母よりおばあちゃんと入っていた記憶しかない。おばあちゃんが街へ買い物に行くときにもついて行った。バスに30分ほど揺られて「イズミヤ」や「三越」によく行った。三越に行ったときはいつも近くの洋食レストランでチキンライスを食べた。
小1のころのこと。
イズミヤだったか、スーパー屋上での「ミラーマンショー」に兄と二人(だったと思う)で連れて行ってもらった。おそらく折り込みチラシで知ったのだろう、僕はミラーマンにもらって欲しくてあらかじめミラーマンの絵を描いて持って行った。余談だが、「ミラーマンショー」なのになぜかエレキングがやられ役怪獣で出ていたのだけは良く憶えている(子供心に「ええかげんやなぁ」と思っていた)。
ショーが終わるとサイン会が行われた。ミラーマンは一生懸命にサインをしていた。子供たちひとりひとりの名前を聞いてちゃんと書いてくれていた。僕の順番が終わると係の人はさっさと列の外に押しやろうとし、僕はミラーマンに絵を渡し損ないそうになった。おばあちゃんは僕の肩をつかみ「この子が描いた絵をもらってやってください」とミラーマンに言った。そして僕の絵は無事にミラーマンの手に渡った。
このときのサインは僕の宝物になり、しばらく居間に飾ってあった。
小学校のころのおそらく夏休みだったろう、三越では「世界の爬虫類展」という催しをやっていておばあちゃんと僕は見に出かけた。熱帯の植物で彩られたオリやケースの中に色鮮やかなヘビやトカゲ、カエルなどが所狭しと展示されていた。ヘビやトカゲが大好きなおばあちゃんはとても楽しそうにしわだらけの笑顔で「面白かったな〜、また行こな」と言っていた。
「また」行ったのかどうか思い出せない。何度か行ったような気もするが憶えていない。
そもそも何度も開催されたのか・・・。
おばあちゃんが何度も何度も楽しそうに話すから、何度も行った気になっていたのかもしれない。
あの頃あんなににぎわっていた三越も、今はもうない。
18歳の僕は、大学進学のため東京へ行くことになった。
東京で新しい生活を送るため、おばあちゃんと過ごした家を離れることになった。
出発の日、まだ春浅く薄暗い朝の駅におばあちゃんは父母と共に見送りに来た。
おばあちゃんはどことなく寂しげな笑顔で僕を見ていた。このときは4年経てばまた家に帰ってくるつもりでいたけれども、僕は結局東京で就職しおばあちゃんと共に暮らす日々はもう2度と来ることはなかった。
おばあちゃんと暮らした家は年に2、3度帰るだけの場所になった。
僕が帰省する日、おばあちゃんはいつもバス停まで迎えに来ていた。帰る時間も決めず、何時に着くか分からない僕をいつも待っていた。
僕が乗っているかどうか確かめるために到着したバスを見上げるおばあちゃん。僕は軽く手を振る。おばあちゃんはバスから降りる僕に微笑みかける。
おばあちゃんは僕の乗っていないバスをいったい何本見送ったのだろう。
おばあちゃんと僕はゆっくりゆっくりと家までの坂道を登る。
僕はおばあちゃんの背中を押している。
いつの頃からか僕は家までの坂道をおばあちゃんの背中を押してあげるのが決まりになっていた。おばあちゃんはいつも「ああ、楽ちんやわあ」と言う。
坂道の最後の方、家まであと少しという辺りには昔、両側から木が覆い被さりトンネルのようになっていた。夏などはそこで一休みして「ここの日陰は気持ちええなぁ」とおばあちゃんは必ず言っていた。今はもうその木のトンネルもなくなったが、木の葉の間から差すキラキラした光を僕は今もよく憶えている。
就職して2年目の5月のこと。連休を利用して僕は帰省していた。
おばあちゃんは胃の調子が良くないと言っていた。けれど、家族で外にご飯を食べに行くと久しぶりにおいしく食べられたと笑っていた。
僕は安心していた。いや、安心したかったのだ。心の底は不安で一杯だった。なのに僕はおばあちゃんを気遣うような言葉は何一つかけてあげられなかった。
東京へ戻る前日、畑仕事を手伝っている時、不意におばあちゃんは言った。
「なあアキラ、頼むさかい帰ってきてや」
なんで急にそんなことを言うのだろうかと、僕はびっくりし少し困ってあいまいな笑みを返してうなずくことしか出来なかった。
けれど、本当は言いたいことがあった。
『帰ってくるがな。僕の帰る家はここだけやで』
なのに言えなかった。
明くる日、母とおばあちゃんと玄関先で分かれた僕はバス停へ向かい坂道を下っていた。いつもはただひたすら歩くのに、その時は坂の途中でなんとなく振り返った。
坂の上におばあちゃんが立っていた。
ドキッとした僕は手を振ることもせず、すぐに向き直りそのままバス停に向かった。そして、後ろめたい気持ちを抱えたままバスに乗り駅に向かった。
おばあちゃんは僕が振り返ったのに気づいていただろうか。
なんで、あんなところまで出てきていたんだろう・・・。
モヤモヤしたもので気持ちがいっぱいになってゆく気がした。
あの坂の上が昔のまま木で覆われていたらおばあちゃんの姿は見えなかったのに・・・
おばあちゃんが立っている姿を見たのはそれが最後になった。
それからひと月ほどでおばあちゃんは逝った。
80歳の誕生日の3日前のことだ。
僕は入院したおばあちゃんを見舞うため帰省していたが、とりあえず容態に大きな変化はなく一旦東京へ戻ろうとしていた朝だった。父と兄は仕事へ、僕は東京へ向かおうと家を出ようとしたまさにその時病院から連絡が入った。
携帯電話などなかった時代、あと10分でも病院からの連絡が遅かったら僕はもう引き返せなかったはずだ。
「おばあちゃんが僕を引き留めたんや」と思った。
けれども死に目には会えなかった。
病院へ駆けつけたときおばあちゃんはすでに息を引き取っていた。
結局僕はおばあちゃんになにひとつ優しい言葉もかけられないままになってしまった。あんなに優しく、いつも僕の心配ばかりしていたおばあちゃんになにひとつ返せないままになってしまった。
あの時坂の上のおばあちゃんに向かって手を振れば良かった。
あの日の夕方「いつでも帰ってくるで」と言ってあげれば良かった。
なんでそんなことができなかったのだろう。
おばあちゃん、ごめんやで。
今でもたぶんあの世で僕の心配ばっかりしてるんやろな。
そんな不安そうな顔せんといて。僕は大丈夫や。
あの家はいつまでも僕の帰るたった一つの家やで。
おばあちゃんにもっと「ただいま」って言いたかったわ。
ごめんな。
ほんで、ありがとうな。
僕は今でも家へ帰る坂道を登るたび、おばあちゃんのことを思う。
おばあちゃんの大好きだった木陰はとっくの昔になくなって、新しい家がたくさん建ったけれど坂道だけは昔のままだ。
そして坂道を下る時、途中で振り返る。
そこにはあの日寂しそうに僕を見送ってくれたおばあちゃんが立っている。
僕は心の中で手を振る。
おばあちゃん、ばいばい。
けどまた帰ってくるで、せやからちょっとだけばいばいや。

←ミラーマンのサイン。今も宝物だ。
最近のコメント