
「宇宙戦艦ヤマト 復活編」初日の初回上映に行ってきた。
僕が観た映画館はシネコンだったのでロビーには当然ほかの映画の客も大勢いたのだが、予想通りヤマトの観客はあきらかにそれと分かる匂いをプンプンさせていた(なんでオタクってのは雰囲気でわかるんだろうなぁ・・・かく言う僕も他人から見れば、そうなんだろうか・・・)。中にはその筆頭とも言える存在である評論家の氷川竜介氏の姿もあった。
まず最初にお断りしたいのは、映画評ではないということ。ヤマトファンの僕の「感想」であるということだ。いや、映画についての感想というよりは、今日のこの日をどんな気分で迎え、そして過ごしたかというだけの話だ。映画の内容や出来・不出来についても今回は触れるつもりはない。
だからネタバレも含まないのでご安心を。
で、感想をひと言でいうならば「ヤマトはやはりヤマトだった」に尽きる。
これは間違いなくヤマトの映画だった。最初のTVシリーズから早や35年が過ぎ(映画の設定上は完結編の17年後)世の中がこれだけ大きく変化し、アニメを取り巻く環境もファン気質も何もかもが変わった中で、ヤマトは相変わらずヤマトとして僕らの前に再び(映画としては五たび、か)姿を現したのだ。僕のような“リアルタイムヤマト世代”は、それだけである意味充分だったりするわけだが。
「地球を守る」
ただその一点においてのみ存在理由を持つ宇宙戦艦ヤマト。それは最初の航海から変わることがない。そしてその使命と信念になんら疑問を抱くことのない熱くまっすぐな古代と部下たち。ストレートで熱いセリフはヤマトならではであり、普通なら気恥ずかしいような言い回しもヤマトならすんなりと心に入ってくる。外連味があるようなのにそう感じないのは作り手がヤマトを信じているからなのだろう。作り手の世代というのもあるのかも知れない。人生の目的や信念、そして自信を持ちにくい世の中にあってはアナクロと笑われるかもしれないが、これがヤマトなのだ。逆にこんな時代だからこそ、ブレることのないヤマトの世界観は大きな意味を持つのかも知れない。「地球を守る」という点に於いて今回のヤマト復活編は、最初のTVシリーズにその精神が最も近い作品だったように思う。
物語が、僕が認めたくない「完結編」の続編だというところに正直わだかまりは残るのだが、そのわだかまりも長い年月を経て随分薄れたと思う。最初のTVシリーズを観たときのようなドキドキ感、「さらば」を観たときのような強い思い入れや切なさもなく、落ち着いて淡々と、だけど決して冷めていたりひねくれてもいない目で僕はスクリーンを観ていた。この感覚をどう表現すればいいのだろう・・・感慨深いというのとも違う、懐かしさでもない、何かこの復活編を今日この場所で観ることになるのがずっとずっと昔から決まっていたようなとても不思議な気分だった。あんなに「新しいヤマトはもう観たくもない・・・」と思っていたのがウソのように。
「さらば」の後、続編が次々と作られていたころ、僕(やファンの多く)は西崎氏が金儲けに走っていたと感じていた。そしてヤマトの新作が作られるたび、ヤマトと僕の心が汚されていくような気がしていた。だけど、物事はそんな単純なものではないと今では分かる。西崎氏を一方的に批難していた気持ちも今はすっかりなくなった。彼ほどヤマトを愛し、ヤマトに全てをかけたきた人物はいない。その情熱には心から敬意を表することができるし、うらやましくもあるくらいだ。
このブログにたびたびコメントを寄せてくださるまりあさんと今日の上映後にお会いすることができ1時間ほどお話をした。まりあさんも僕同様にヤマトに複雑な思いを抱き続けていた方だ。自分はヤマトファンであることを公言しづらかったこと、ヤマトを茶化されたりしたくないためアニメ好きの友人とですらヤマトの話をできなかったことなどヤマトに関しては常に孤独だったといったような話をした。そしてヤマトが僕にとってもまりあさんにとっても同じように特別な存在であることを感じることができた。同じような人たちが日本全国にいるのだろう。こんな話ができたのも復活編あってのことだ。だから、今またこうしてヤマトを復活させてくれた西崎氏には心から感謝している。
ヤマトが観られるというだけでテンションが上がりっぱなしだったのは30年以上も前のことだ。あの頃はヤマトそのものが時代の象徴であり、時代の特別な存在だったが、多様化がここまで進んだ現代に至ってはヤマトも数ある映像コンテンツのひとつでしかない。マスコミでの取り上げられ方からもそれは分かる(寂しいことではあるが)。アニメ映画で万人向けと呼べるのは今やジブリ作品くらいになってしまった。かつて多くの人が熱狂したヤマトも、今回の復活編は僕ら「ヤマト世代」をコアターゲットにした作品であるのは間違いない。
今再び、あの頃の再現を願うのは無理な話だろう。初日の初回に行くことで、ほんの少しそんなことも期待してはみたけれど・・・。
だけどそれでいい。あの夏の輝きはあの夏だけのものなのだから。
わだかまりも複雑な思いも小さくなりはしたが永遠に消えることはないだろう。けれども、僕は今回の復活編を心から歓迎できるようになった。そんな思いもヤマトを好きであるがゆえであり、それも含めてヤマトが好きなんだということを復活編公開までの数ヶ月間に改めて思えるようになったからである。
ヤマトのロケットアンカーは僕の心の奥底に深く突き刺さったまま抜けない。だから、ヤマトの行く先には僕の心もくっついて行かざるを得ない。その先に何があっても、僕はヤマトの航海を追い続けることになるのだ。
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