大好きアニメ

2009年11月 4日 (水)

タツノコの遺伝子

先日NHKのBSハイビジョン特集で「アニメ青春時代 夢に挑んだ男たち」という番組が放送された。日本のTVアニメ黎明期から独自の路線でひときわ大きな輝きを放ったタツノコプロの物語である。

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文字通り「遺伝子」を受け継いだ吉田竜夫氏の長女・吉田すずか版の、現代風にアレンジされたアクビちゃんを参考に描いてみた。

1963年(昭和38年)に始まった鉄腕アトムに刺激を受けた吉田竜夫が自分もアニメを作ろうと、マンガ工房だったタツノコプロをアニメ制作会社に変貌させた。漫画家で挿し絵画家でもあった吉田だがアニメに関してはまったく素人、そこへ新聞広告によって集まった人々もまた素人ばかりであった。唯一、吉田が声をかけた笹川ひろしだけが手塚治虫の元でアニメ制作を経験していたのみであった。
そんな素人集団ゆえか、既成概念に縛られない自由な作風がタツノコの持ち味となり、そこからは個性溢れるクリエーターが数多く輩出されたのである。
番組で紹介される主な“タツノコ出身者”は、後にガンダムやナウシカの美術を担当し、あの傑作・マッハ号のデザインを生み出した中村光毅、同じくガンダムのメカデザインなどででいまや知らぬ人のいない大河原邦男、大河原はガッチャマンの敵メカなどを始めとするメカデザインやタイムボカンシリーズを担当しており、アニメ界で「メカニック・デザイン」という肩書きを初めて持った。そして劇場版「地球へ・・・」などで知られる実力派アニメーターの須田正己、画家の天野嘉孝。大河原がメカデザイナーなら天野は「キャラデザイン」の専門家だ。アニメーターを経験せずにキャラデザイン専門の役職というのは極めて異例だった。そしていまや世界的映画監督の押井守らである。
そしてこうした人々の才能を信じ、開花させたのが吉田竜夫であった。吉田は多くの人間を育て、僕らに夢を与えてくれた。そしてその「タツノコの遺伝子」は今も脈々と受け継がれている。

番組で紹介されたわけではないが「イデオン」などのキャラデザインで知られ、この年末公開の「宇宙戦艦ヤマト 復活編」では総作画監督を務める湖川友謙もタツノコの遺伝子を受け継ぐ一人だろう。タツノコに所属していた訳ではないが、若いころに数多くのタツノコ作品に参加しており、その作画の随所に吉田竜夫の影響が見てとれる。番組中で紹介された吉田のキャラデザインの絵柄は後の湖川の絵と共通点が多く、絵柄的には今でも最も「タツノコ色」を残す一人だと思う。OVA版ガッチャマンなどを手がけた梅津泰臣もタツノコ出身ではないながらも、その絵はタツノコの遺伝子を受け継いでいると言えるだろう。

初期のタツノコ作品は、そのほとんどが吉田竜夫のキャラデザインによるものだ。それが独特のタツノコカラーと呼ばれる作風につながったのは言うまでもない。僕は子供ながらにタツノコの作風が独特のものであることを感じ取っていた。東映動画や虫プロと同じくらい、あるいはそれ以上に「タツノコ」は特別な存在だったのだ。
そのタツノコプロはかつて、僕が通っていた大学のすぐ近くにあった。
番組中でも、そのタツノコのスタジオがあった場所を笹川が訪ねるシーンがあった。懐かしい駅も映っていた。僕は大学時代にその駅前で何度か笹川氏をみかけたことがあった。声をかけることも出来ず、ただ後ろ姿を見送っただけだったが。
雑木林の中に「←タツノコプロ」と書かれた看板が立っていたことを今も憶えている。なぜ、あんなにも近くにいながら僕は一度もタツノコを訪問しなかったのだろうか。そのことは今でも後悔している。
そのころ、吉田竜夫はすでにこの世にはいなかった。吉田竜夫は1977年に45歳という若さでこの世を去っていたのだ。僕がそのことを知ったのは、このブログで何度か紹介している雑誌「マンガ少年臨時増刊 TVアニメの世界」(1977年刊)に掲載された記事によってであった。ちょうどアニメにのめり込み始めた頃であり、僕にとっての「アニメの入門書」とも言えるこの本で僕は、小さい頃から何度も目にしていた「吉田竜夫」の顔を初めて知ったのだ。しかしそれが「訃報」であるというのは皮肉な感じがしたものだ。

僕は今日、45歳になった。吉田竜夫が亡くなったのと同じ年齢だ。
だけど僕は何も生み出すこともなく、誰かに影響を与えることもなく、ただひたすら人生の時間を浪費してきただけだ。その人生の密度の差に情けない思いを抱きつつ、今日からもまた楽な方、楽な方へと流されて生きて行くんだろうと思う。こんな僕でも少しは誰かの役に立ったり、誰かに影響を与えたり出来てたらいいのに、なんてムシのいいことを考えながら・・・。

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2009年10月25日 (日)

愛・おぼえていますか

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1984年に公開された映画「超時空要塞マクロス」の劇中歌(主題歌)「愛・おぼえていますか」は太古の文明で流行ったありふれたラブソングという設定で、この歌が物語のカギを握っており、ラストはアイドル歌手・ミンメイが歌うこの歌をバックに戦闘シーンが展開される。激しい戦闘にラブソングというミスマッチが歴史的な名シーンを作り出した。
この曲は先頃(10月16日)亡くなった加藤和彦氏が作曲を手がけた作品だ。作詞は夫人(当時)で作詞家の安井かずみ氏。数々のヒット曲を生んだゴールデンコンビの手による名曲だ。単なるタイアップによる主題歌ではなく物語の根幹に関わる重要なアイテムとしてのラブソングを見事に作り上げている。この作品の成功はこの歌なくしてはあり得なかった。

加藤和彦氏は、今さら僕などが言うまでもなく日本の歌謡史において欠かすことの出来ない重要な存在でもあった。「帰ってきたヨッパライ」が流行っていたのは憶えているし、「あの素晴らしい愛をもう一度」は中学の音楽の教科書にも載っていて授業で唄い、憶えた。今でもこの曲や「イムジン河」「悲しくてやりきれない」「青年は荒野をめざす」などはしょっちゅう聞いている。
なにより、僕にとって加藤和彦氏は「カッコイイおじさん」だった。才能に溢れ、背が高くスマートでオシャレ、そしていつも柔和な笑顔を絶やさない。僕が憧れる「おじさんの理想像」だった。だから加藤氏の自殺は少なからずショックだった。才能溢れる人ゆえの苦悩だったのだろうか。

僕たちアニメファンにも素晴らしい曲を残してくれた加藤和彦氏の冥福を心から祈りたいと思う。


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2009年10月 3日 (土)

動き出した実写版「ヤマト」

やっぱ、本当だった「実写版ヤマト」。
地球側主要キャストが今朝のスポーツ紙にでかでかと出ていたのでご覧になった方も多いと思う。

本当にやるんだ・・・というのはアニメ版「復活編」と同じ思い。
どこかで期待しつつもウソならいいのにという思いだ。

タイトルは「SPACE BATTLESHIP ヤマト」。
なんで中途半端に英語なの??
「宇宙戦艦ヤマト」でいいじゃんよ。日本語だからこそ意味があるのに。

その主要キャストは以下の通り。

古代進(ヤマト戦闘班リーダー)=木村拓哉

森 雪(ヤマト戦闘班ブラックタイガー隊)=黒木メイサ

真田志郎(ヤマト技術班班長)=柳葉敏郎

島大介(ヤマト航海班班長)=緒形直人

斉藤始(ヤマト乗組員、空間騎兵隊隊長)=池内博之

相原(ヤマト乗組員、通信班)=マイコ

古代守(進の兄。駆逐艦ゆきかぜ艦長)=堤真一

佐渡先生(ヤマト艦内の医師)=高島礼子

藤堂平九郎(地球防衛軍司令長官)=橋爪功

徳川彦左衛門(ヤマト機関班班長)=西田敏行

沖田十三(ヤマト艦長)=山崎努

・・・なんてコメントしていいものやら・・・・というのが本音だ。
で、あえてコメントを。

▽古代進=木村拓哉は・・・好きではないのだが年齢を除けば実はそう悪くない気がしているのだ、実は。こういう非現実的な世界には合っているかも。
▽ユキ=ん?ユキがブラックタイガー隊??「生活班長」じゃないの??・・・なんでも実写版では「戦う女性」のイメージを強調するのだそうだ。そういう意味では黒木メイサもありなんだろうけど。ん〜、ヒロインが看護婦(師)で「生活班」なんてのは古いのかも知れないけど、血気盛んで前線に飛び出す古代との対比上あまりよろしくない気がする。
▽真田さん=ギバちゃんかぁ。う〜ん・・・キャラの立ち位置的にはいいか・・・。東北弁の真田さん・・・(爆)
▽島=好きな俳優だけど年齢的にちょっと厳しい。まじめな感じはイイ。
▽斉藤=ん??「さらば」のキャラじゃんか。監督が好きなのかな、斉藤が。やっぱもう少しガタイのいい俳優のが向いてそうだけど。
▽古代守=あ、これはイイかも。
▽佐渡先生=コレが驚き。敢えて女性にするのかぁ。クールな女医になっちゃいそうなんですけど。
▽相原=マイコ?マイコー?(←ちがう)。知らない。女性を入れたかったのね。写真を見た限りではむしろ彼女がユキのイメージに近い
▽防衛軍長官=ああ、悪くないかも。ちょっと迫力に欠ける気もするが。
▽徳川さん=ちょっと軽そう。むしろ西田さんが佐渡先生って感じ。
▽沖田艦長=んんんんんん〜。むしろ悪人顔なんですけど。肉体的な迫力に欠ける感じ。

これ書きながら「じゃあ誰がいいんだろう」と考えてみたけど。意外と俳優の名前が思いつかない。佐渡先生は中村梅雀さんあたり良さそうな気が。沖田艦長は江守徹さんかなぁ。あと20年若ければ絶対に三國連太郎さんなんだけどな(ホントは三船敏郎さんがいれば文句なし)。徳川さんは大滝秀治さんあたりが最高なんだけど・・・。アナライザーは出るのだろうか??だとしたらやっぱCGなんだろうか。せめて声は緒形さんに!ほかにも加藤三郎や、太田、南部、藪らはサブキャラなので出るのかどうか分からないけど出て欲しいな。

ガミラス側は後日発表とのことだが、こちらはより衝撃的なことになりそうな予感がする。デスラーなんて伊武さん自身がやってなんら問題がないように思うんだけど、もう少し若い俳優なら阿部寛なんかは顔が濃いし、怪しい役もこなせるのでいけそうな感じがする。ドメルは藤岡弘、でどうだろう。
そもそも、ガミラス側って日本人にできるのかという疑問はあるけど。
そしてスターシャは・・・出るのか?これこそ日本人じゃどうしようもないだろうし。出ないとストーリーが成り立たないし・・・。スターシャかぁ・・・これが成否のカギかも。
まあ、アニメやマンガを実写にする際はビジュアル的なものを含め全てがイメージ通りだなんてことはまずあり得ない。問題はフィルムの中でそのキャラが成立しているかどうかである。それは完成したものを見てみないと分からないので、しばらくはあれこれ思いをめぐらせながら無い物ねだりをするのもまたいいかもしれない。

アニメと実写は全く別物だと割り切りたいけど、そんなのは絶対ムリだ、「ヤマト」と名が付いているのだから。本当は「復活編」も「実写」も実現などして欲しくなかった。だけどやっぱり「ヤマト」から目を背けるのことなど出来ない。あの熱い想いをもう一度取り戻せるかも知れないという期待をしてしまうのだ。
もう動き出してしまったからには、僕らは待つしかない。それがどんなものになろうとも間違いなく観に行くだろう。

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2009年9月27日 (日)

富山敬さんのこと

前回富山さんの命日の記事を書いたので、特に「何回忌」とかではないのだが
もう少し富山さんのことを書きたくなった。

僕が「TVまんが」ではなく「アニメ」に興味を持ち始めたのは中学生の頃からだ。何度もこのブログで書いているようにきっかけは「宇宙戦艦ヤマト」だった。そのヤマトブームはアニメブームを呼び、アニメキャラの人気はその声を当てている声優さんたちの人気にも火をつけた。アニメブームは声優ブームでもなった。その中で人気、実力、実績などどれをとってもトップにいたのが富山敬氏であった。
1978年当時のTVアニメでは「グランプリの鷹」で主役を、「スタージンガー(サー・ジョーゴ)」「キャンディ・キャンディ(テリー役)」「ヤッターマン(ナレーション)」でレギュラーを務めていたが、なにより前年に公開された「宇宙戦艦ヤマト」と、この年の「さらば宇宙戦艦ヤマト」の古代進役でその人気は頂点に達していた。当然、雑誌に登場するケースも多く各誌でインタビューなどが掲載されている。僕が富山さんの名前をいち早く覚え、「声優」という仕事を知ったのもこうした記事でだった。
と、いうわけで今回は富山さん自身がメディアに登場した時の画像をいくつか紹介しよう。

はっきりした記憶ではないが、僕が「富山敬」をちゃんと認識したのは、このブログでも取り上げたことのある1977年発行の雑誌「マンガ少年臨時増刊 TVアニメの世界」の寄稿「僕は声有」という一文だったと思う。写真は掲載されていない。
Tv
「マンガ少年臨時増刊 TVアニメの世界」

 富山さんの姿を初めて拝見したのは1978年6月28日発売の「OUT」8月号だった。OUTではファンが声優さんにインタビューするという企画があって、富山さんの前には森功至さん、神谷明さん、山田康雄さんなども登場していた。僕はこの企画で顔を知った声優さんも多い。

Out
これがその中の一枚。ダンディーだ・・・。
だけど、思ったより年配だったことに少なからずショックを受けた。それもそのはず富山さんのアニメデビューはあの「鉄人28号」であり、この時すでに40歳前後なのだ。だけど、ショックの一方でそんな人たちが何の違和感もなく少年の声をやってたりするということに声優という仕事の奥深さを感じたのも確かだ。

「アニメージュ」では「声優24時」と言うコーナーで創刊第3号に登場している。
タイトルは「苦労も淡々と語る都会派の美学 富山敬」。アニメブームを一歩引いたところから見ているクールな姿勢が印象的な記事になっている。富山さんに限らず、当時のベテラン声優の多くは同じようなところがあった。今改めて読み返すと、記事の文体がすごくオトナっぽくてカッコイイ。さすがに週刊誌の記者が集まってできたアニメージュ編集部だけのことはある。
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その中の1枚。タバコ好きだった。

Photo_2 これはアニメブームの真っ最中、1979年に発行された「声優の世界」。巻頭には井上真樹夫氏、麻上洋子氏、水島裕氏ら人気声優のカラーグラビアが掲載されている。これはその中の1ページ。うーん、コメントしづらいな。

1988年(だったはず)に、大阪のよみうりテレビで開局30周年を記念して「よみうりテレビ アニメ30年史」という番組が放送された。パーソナリティーは神谷明。よみうりテレビ制作のアニメ番組のOP,ED全てを放送するというアニメファンにはうれしい番組だった。ゲストも多数登場し、富山さんも「宇宙戦艦ヤマト」のコーナーで麻上洋子氏とともに登場。ヤマトのクルー・古代進、森雪、加藤三郎が並ぶ豪華な3ショットが見られた。富山さんはよみうりテレビ制作のアニメでは「タイガーマスク」「侍ジャイアンツ」「宇宙戦艦ヤマト」で主役を務めた。
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豪華3ショット

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富山さん。当時50歳くらい。

富山さんが亡くなったのはこ番組の7年後、1995年のことである。まだ56歳であった。人気アニメ「ちびまる子ちゃん」の友蔵じいさん役もすっかり定着していた中での急逝だった。友蔵役を引き継いだのが「ヤマト」で真田志郎を演じた青野武氏。ヤマトのピンチを何度も救った真田さんが、この時も古代のピンチを救ったんだ、と涙したファンは多かったはずだ。

富山さんはもういない。だけども残された作品は永遠だ。
いつでもどんな時でも僕たちは富山さんに会うことが出来る。
数々のアニメを観ている間だけ、僕は少年に戻れる。
そしてそこに「富山敬」は生きている。

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2009年9月25日 (金)

「名優」富山敬氏の命日

本日2本目の記事である。

今日、9月25日は14年前に亡くなった「名優」富山敬さんの命日だ。
富山氏と言えば1970年代後半の「声優ブーム」を牽引し、全てのアニメファンから愛されたと言っても過言ではないほどの人気者だった。声優という職業の地位向上に果たした役割も小さくないはずだ。
出演した作品も挙げればきりがない。ヒーローも三枚目もシリアスもコメディーもなんでもこなし、その芝居の幅広さにおいて右に出る者はいなかった。
古くは「タイガーマスク」の伊達直人、「佐武と市」の佐武、「侍ジャイアンツ」の番場蛮、「グレンダイザー」のデューク・フリード、「タイムボカンシリーズ」のナレーター、「銀河鉄道999」のトチロー、「マルコ・ポーロの冒険」のマルコなど・・・。そしてなんといっても「宇宙戦艦ヤマト」の古代進。どれもみな大好きなのだが、僕が一番好きなのは「ガンバの冒険」のガクシャである。作品の素晴らしさ以上にガクシャというキャラが大好きだった。そしてそのキャラクターは富山氏の名演なくしてはあり得なかったはずだ。

僕が初めて憶えた声優の名が「富山敬」である。
それはもちろん、ヤマトにのめり込み、そこからアニメへのめり込んでいったからである(余談だが、ヤマトのエンディングで一番最初に名前が出るのは沖田十三の納谷悟郎氏である。ヤマトの主役は沖田艦長なのだ)。
だから僕にとっての「富山敬」は「声優」の代名詞のような存在だった。

今年、その富山氏の代表作だった「ヤマト」が復活しようとしている。
富山氏のいないヤマトを観るのは初めてになる。
いったいどんな思いが湧いてくるのだろうか・・・。

本当なら大好きなガクシャを描きたいところなのだが、ちょっと時間がないので過去に描いた富山キャラ「番場蛮」で穴埋め。
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2009年9月21日 (月)

ヤマト復活展

東京は丸善書店で【宇宙戦艦ヤマト完全復活展】なるものが開催中ということで出向いてきた。入場無料ということで期待はしていなかったが、そういう意味では期待通り(?)だった。

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丸善が入ってるビルのロビーに、どーん!とこんなのが。足を止めて見ている人が少ないのが寂しい。やっぱ実物大じゃなきゃ(←むりですから!)。

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会場入り口

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会場内。けっこう狭い・・・上の模型はかっこ良かった。かなり古いものらしいが。

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映画版パンフ3種。全部もってるし。下の見開きは「ロードショー責任編集 さらば宇宙戦艦ヤマト」。なのに「新たなる旅立ち」という説明が・・・まん中のは彗星帝国だろがっ!!

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ムックなど。上の段の右側3冊は知らないや・・・。
下の段の奥にも本があるのだが上の棚が邪魔してほとんど見えない。愛のない展示だ・・・。

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8mmフィルム。ビデオが普及していない時代ならではの商品。当時も映写機なかったから買わなかったけど、思いあまって買いそうになった。なぜならフィルムなら絵が見られるから・・・マジで相当悩んだ想い出がある。

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LPレコード2枚と・・・右は下敷きだな。「交響組曲宇宙戦艦ヤマト」は何度聞いたことか・・・。下敷きも全く同じモノをずっと使ってた(まだ持っている)。

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「復活編」原画(コピー)。おっ、この眉なし顔は・・・。左は・・・島?・・・の弟、次郎でした。髪の毛のくりくり感がそっくし。

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最後にキャラ表から折原真帆と古代の娘美雪。もちろん、雪との間にもうけた子供である。ん〜、やっぱタツノコっぽいんですけど

ほかにもセル画や市販されたプラモの完成品などが展示されていたのだが、「レア度」とか「涙度」の高いものはあまりなかったように思う。ていうか愛が足りない、ヤマト愛が。もうちっと展示の仕方に工夫もあったろうになぁ・・・。

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2009年9月 9日 (水)

2009.9.9

・・・と、いうわけで今日は9並び、999の日です。
そうです、また999です。

今日は9がみっつ並ぶ日ということで、劇場版999のブルーレイディスクが発売される。
・・・なんだけど、ブルーレイプレーヤー持ってないし。どうしたもんかな。
そうこうしてるうちにすぐに次世代ディスクとかいうことになっちまうんだろうしなぁ・・・。

ま、それはそれとして記念に(?)メーテル描きました。
線はガタガタで、かなり手抜きです・・・すみません。090909_2

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2009年9月 3日 (木)

宇宙戦艦ヤマト 復活編

超しんどかった仕事を終え、一段落。復活しました。
う〜、それでもまだしんどい・・・。

そんでもって「宇宙戦艦ヤマト 復活編」。
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沖田艦長は出ないだろうけどね、さすがに・・・。

ネットでもいきなり予告編が公開され始めた。
ホントにやるのね・・・ついこないだまでまだまだ半信半疑で、結局お流れじゃないかと思っていた。しかし、東宝のHPで予告編まで流れ始めたとなるとこれはもうホントなんだと実感。心のどこかでウソであってほしいという思いはずっと持っていた。それは、世間の「またやるの?」という嘲笑を聞きたくないという思いであり、僕たちのヤマトをこれ以上さらし者にして欲しくないという思いだ。だけどその反面「ひょっとして今度こそは素晴らしいヤマトが観られるかも」と、期待してしまう気持ちが同居するのはヤマトファン共通の心理ではないだろうか。
・・・それもこれもあのトラウマによるものである。

で、その予告編である。

あかん・・・あのBGM聞くだけで鳥肌が立ってしまう。
けっこうグッときてしまう。この宮川さんのオリジナルBGMは本編でも使うのだろうか。アレじゃなきゃヤマトじゃないし。
作画監督が「さらば」の湖川氏だけあって絵は美しい。だけど少々リアルさがアップしたせいか「タツノコ版宇宙戦艦ヤマト」みたいで(湖川氏だからしょうがないんだけど)違和感もある。佐渡先生とアナライザーが出たときは無条件で泣けた。声もそのままだし。
古代の声はたぶん山寺宏一氏だろう。これはOKだ。雪は予告篇には出てこない。
沖田艦長のレリーフにも泣けた・・・。
CGのヤマトにはやはり馴染めない。あの錨マークもやめて欲しい。CGの戦闘シーンはスピーディーなんだろうけど、手描きのが観たい。ヤマトの戦闘シーンはスピーディー過ぎないところに魅力があったんだけどな。ああ、金田さんが参加してたらどうなってたろう・・・。

・・・などなどとりとめなく感想を書いてみたが、なんだかんだで間違いなく観に行くだろう。
僕はやっぱりヤマトが大好きだ。
ヤマトの旅の終わりまで付き合うしかない。

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2009年8月11日 (火)

恥さらしの時間(3)

穴埋め企画「恥さらしの時間」。
第3回目はこのところずっとネタにしている劇場版「銀河鉄道999」である。
すべて30年前の1979年、中3の時に受験勉強そっちのけでせっせと描いたものだ。
そりゃ受験失敗するわな・・・。

それじゃ、いってみよー。

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まずは鉄郎。ま、普通に模写ですな。詩はOPナレーションだが本編とは一部が違っている。アニメージュの公開前の特集に載っていたのをそのまま書き写した。

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機械伯爵。ネーミングとデザインが秀逸な悪役。これも単なる模写


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リューズ。これも模写。映画のカットではなく設定書の模写。リューズの名は、時を操る女ということで時計の「竜頭」から来てるらしい。

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トチロー。模写。ハーモニカの音が印象的なシーン

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最後はハーロック。これだけは模写ではなく、クライマックスの戦闘シーンを思い浮かべて描いた。ハーロックは割と早い時期から模写ではなく自分なりの描き方を模索していた

・・・以上。
え?メーテルがない??・・・なぜかこの頃はあまり描いていなかった。
難しいからか・・・?

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2009年8月 7日 (金)

銀河鉄道999映画祭

3回連続999ですんません。ひさしぶりに999燃えです。

去る8月4日、新宿のバルト9で行われた「銀河鉄道999映画祭」のイベントへ行ってきた。999の劇場版公開から30年記念、そして9月9日に発売されるブルーレイの発売記念の企画だ。劇場版999のHDリマスター版の上映とゲストによるトークなどが行われるだけのイベントだが、30年経ってなおこうしたイベントが成り立つということこそが999という作品が持つ力なのだろう。

ゲストは、もちろん松本零士先生。そして野沢雅子さん、池田昌子さん、肝付兼太さん、麻上洋子さんらの声優陣、さらにゴダイゴのタケカワユキヒデさん。そしてりんたろう監督、東映の高見義雄プロデューサー、作曲家の青木望さんという豪華なメンバーだ。現在発売中の雑誌「ダ・ヴィンチ」でメーテルのイメージグラビアを披露しているモデルの杏さんが、そのメーテルの服装(コスプレ)で登場するというのシーンがあったのだが(遠目にはすごく似合ってた)、客層が客層だけにそれほど盛り上がりもせず(イベントのあった映画館の入ってるビル、つまりマルイの客層なら大興奮だったのだろうけど)杏さんがちょっと可哀相な気もしたのだった・・・。ただ杏さんと並んだ松本先生がちょうど鉄郎ぐらいの背の高さだったことを司会者に突っ込まれて、笑いを誘っていたがまんざらでもない様子だった。
当然、我々オタク的には杏さんよりも声優さん達の登場こそが大興奮であって、僕なんかは野沢さんや池田さんの姿を見ただけで涙ぐむ始末だった。池田さんの声なんて本当に全くお変わりなく目をつむって聞いていたらすぐそこでメーテルがしゃべっているかのようでホントに感激しどおし。もちろん池田さんご自身がお美しく、ふだんのしゃべり方そのものがメーテルのような方だった。
声優陣は一旦退場の後、タケカワユキヒデ氏が生で主題歌を熱唱。カラオケで歌うのは初めてだと言って場内を笑わせてたが、そのオケはタケカワ氏自作とのことでプロらしいこだわりを見せてた。そしてりんたろう監督、高見義雄プロデューサー、作曲家の青木望さんらが登場し、タケカワ氏をくわえて当時のエピソードを披露。なんでもタケカワ氏は主題歌を一晩で仕上げたとのこと。しかも資料はキャラ表となぜか機関車の車輪だけ渡され「この車輪が空へ上がってゆくんだって言われて、さあゆくんだ・・・って下から上に上がって行くようにした」という話で場内大爆笑。トークの上手さもさすがで一番ウケてた。ただ、時間が少なくみなさんの話をちょっぴりしか聞けなくて残念ではあった。個人的には青木望さんの話をもう少し聞きたかったのだけど、おとなしい紳士の青木さんは口の達者な人たちに囲まれてしゃべりにくかったのかな・・・。

僕は一人で参加したのだけど、おそらく会場にいたほとんどの人が同じ時代を生きてきた人たちだったはずだ。昔と変わらぬ鉄郎やメーテルの声を聞き、あの主題歌を生で聴き、スタッフの思い出話に目を細める。それはある種同窓会とでも言えるような柔らかく暖かい空気だった。だからこそ、僕はすでにこの世にはいない999のスタッフや声優さん達のことを考えないではいられなかった。
この名作のビジュアル面を担った、キャラデザイン・作画監督の小松原一男さんと美術監督の椋尾篁さん、そして先頃急逝されたアニメーターの金田伊功(メーテル星崩壊シーンなど名シーンを作画)さん。声優陣ではトチロー役の名優・富山敬さんやアンタレスの久松保夫さんらもすでにこの世にはない。監修をした映画監督の市川崑さんも昨年亡くなられた。そこには30年という月日が厳然と横たわっているが、高見プロデューサーが語ったように、彼らもまたこのイベントを喜んでいるはずだ。こうして作品が残っているということが、彼らの生きた証でもあるのだから。

最後に劇場版999を観た。観客席にはゲストの方々もいた。
30年ぶりにスクリーンで観る999はやはり格別だった。
ビデオやDVDで何度も観てはいるが、考えてみれば映画館のスクリーンで観るのはちょうど30年前の公開時に観て以来だ。
セリフ、音楽のタイミング、効果音などほとんど憶えているが、それでもやっぱり感動してしまうし泣くシーンもほとんど同じだ。
涙の量は歳取った分だけ増えていたかもしれないけど。

この作品を生んだスタッフやキャストの方々と、30年という時を経て同じ空間で999を観られたなんて、長年999のファンでいつづけて本当に良かったと思う。
本当に幸せな経験だった。

※やはり写真はNGだった。残念!!

999
入場者に配られたパス。ラミネート加工されている。名前書けないじゃん!!

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2009年8月 4日 (火)

映画「銀河鉄道999」公開30周年!

今日8月4日は映画「銀河鉄道999」の公開からちょうど30年目の記念日である。
今なお色褪せない名作であり、アニメブームを代表する作品だ。
そして僕が最も大切にする作品のひとつでもある。
999について書きたいことはいくらでもある。
だけど今日は、このイラストにすべての思いを込めよう・・・

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2009年8月 1日 (土)

ずっとアニメが好きだった(18)

〜映画「銀河鉄道999」公開前夜〜

映画版「銀河鉄道999」は1979年8月4日に公開された。
その30年目の記念日を前に「999」公開前のことを少し書こうと思う。

当時の僕は中学3年生で、アニメの世界にどっぷり浸り始めていた。
過去にこのブログで何度も触れたので、今回は詳しく書かないが「宇宙戦艦ヤマト」を起爆剤としたアニメブームはこの1979年に最初のピークを迎えたと言っていいだろうと思う。そのヤマトのTVシリーズ監督であり、ビジュアルイメージを担ったのが漫画家・松本零士だ。ヤマトのヒットにより当時最も注目されるクリエーターの一人になっていた。僕もヤマトを通じて松本零士に興味を持ち、アニメ化される前から「キャプテン・ハーロック」や「銀河鉄道999」を読み始めていた。
そのハーロックと999は1978年の春と秋に立て続けにTVアニメの放映が開始され、同じ78年の夏には「さらば宇宙戦艦ヤマト」が劇場公開されていて、ちょっとした「松本アニメブーム」と呼べる状況にあった。
そんな中で映画版999が製作されたことはある種必然と言えることだったのかもしれない。ただし(これは後で知ったことだが)映画版999の企画はTVのヒットを受けたものではなくTVシリーズが始まったのとほぼ時を同じくして企画がスタートしていたらしい。その時からりんたろう監督や小松原一男作画監督などハーロックのスタッフでの製作もほぼ決まっていたとのことだ。

僕が映画版999の情報を知ったのは1979年3月のこと。当時入会したばかりの「東映アニメーションファンクラブ」の会員に届けられた「銀鉄NEWS」でだった。ただ、ここの記憶は少し曖昧だ。999の映画化情報自体は先にどこかで知っていて、その情報を得るために東映アニメのファンクラブに入ったような気もする。
いずれにせよ、映画版999のビジュアルイメージを初めて見たのは「銀鉄NEWS」で間違いない。アニメージュに映画版999の記事が掲載されたのは79年4月10日発売の号においてだったからだ。
その「銀鉄NEWS」に掲載された15歳の鉄郎は等身が伸びて、キリッとした表情をしていた。その予想外の設定には驚いたが、この1979年中に15歳になる僕は鉄郎は「同級生」だと思い、15歳という設定に対して共感を持った。たったそれだけのことが漫画版やTVアニメ版とは違う特別な思い入れを映画版999に持つきっかけになったのだ。
その後「銀鉄NEWS」は4号まで発行され、アニメージュ誌上では公開まで毎号詳細な情報が掲載された。徐々に明らかになるストーリーや各種設定、そして掲載されたフィルムの抑えた色使いと緻密な背景、キャラの表情などからは対象年齢の髙い大人向けの作品であることが伺えた。その写真は動くことはなくとも、一目でビジュアル的な完成度の高さが分かるものであり期待しないではいられなかった。ハーロックやエメラルダス(アニメに登場するのはこれが最初)が“出演する”ことも話題であり、より渋く格好良くリニューアルされたアルカディア号のデザインにも興奮した。
面白いことにこれだけ注目の作品にも関わらず、アニメージュでは最初の記事が出た5月号から映画公開の8月発売の9月号までの間、一度も999は表紙にはなっていない(ちなみに5月号からの表紙は順に「花形満」「島村ジョー」「トリトン」が2号連続、そして「アムロ・レイ」である)。

999の予告編を僕は少なくとも一度は劇場で観ているはずなのだが、いつ何の映画を観た時かは思い出せない(少なくともアニメ映画ではなかったと思う。何かのイベントだったかも知れない)。
この予告編ではまだキャストの一部は固まっておらず、ハーロックもエメラルダスもおなじみのお二人ではなかった。特にハーロックが井上さんじゃなかったので「おや?」と思った憶えがある。そうは思ったが、個人的にはこの予告編の声も悪くない印象だった(やや渋すぎる声だったが)。裏付けはないが、おそらくハーロックが徳丸完さん(ハーロックのTVシリーズで井上さんの代役を務めたことがある)でエメラルダスが北浜晴子さん(同じくハーロックのTVシリーズで女王ラフレシア役)ではないだろうか(北浜さんについてはかなり自信あり)。ナレーションは本編と同じ城達也氏で、これは予告編の時からぴったりハマっていた。

999が公開された1979年の夏休み。
僕は受験勉強の前にやるべきことがあった。野球である。
中学最後の大会に僕はレギュラーとして臨むことになっていた。
だけどチームそのものには大きな不安があり、自信満々で臨む大会というわけではなかった。それには、自分たちではどうしようもない理由があり、結果的に僕らは1回戦であえなく敗退することになるのだがそれは今回の本筋ではないので省く。
気分的にはすごく不完全燃焼で悔いが残る試合だった。

そして僕は高校受験のための夏期講習に通う夏休みを過ごすことになる。

映画版「銀河鉄道999」の公開はもうすぐそこに迫っていた。
あの夏の僕の楽しみは999だけだった。


News
「銀鉄NEWS」全4号分の表紙


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1979年6月1日の新聞広告

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2009年7月22日 (水)

金田伊功氏急逝・・・

個性溢れる作画で一時代を築いた名アニメーターの金田伊功(かなだ・よしのり)氏が7月21日に逝去された。享年57歳、心筋梗塞だったようである。

・・・絶句した。
僕らの世代のアニメファンで作画マニアなら知らない人は絶対にいないはずだ。
人体構造を無視したかのような極端なパースと独特のポージング、大胆な構図にタメとメリハリの利いたスピード感溢れる動き、そして爆発や閃光などのエフェクト作画などにおいても一目でそれと分かるほどの個性を発揮した唯一無二の名アニメーターである。特に1970年代後半から80年代に至るアニメブームの中では、当時の作画マニアの間で絶大な人気を集め、その後多くの亜流(マネ)を生みだすほどであった。アニメの作画において唯一「流行」を生んだアニメーターと言えるのではないだろうか。

「サイボーグ009(新)」「銀河旋風ブライガー」「機甲創世記モスピーダ」などのOP、「ザンボット3」「ダイターン3」などロボットアニメ、「映画版銀河鉄道999(1、2作とも)」や「幻魔大戦」「風の谷のナウシカ」「天空の城ラピュタ」といった劇場大作アニメの原画など印象深い作品はたくさんある。その金田氏の仕事のほとんどは「いちアニメーター」としてであり(作画監督や演出もてがけてはいるが、少なくとも僕にとっての氏は)作品によって語るよりはある特定のシーンやカットによって(あるいはTVシリーズの1エピソードによって)語るべき存在である。それほどにどの作品においても金田氏の作画は飛び抜けた輝きを放っていたのだ。

僕が金田氏のことを知ったのは、おそらくは「アニメージュ」誌上だったと思う。今、手元にはないので確認はできないのだが、ある号の特集で「アニメ第三世代の旗手」というコピーがつけられていたと記憶している。ひょっとしたらこの特集以前にすでに名前を意識して見ていたかも知れない。
アニメージュ誌上で紹介された代表作のいくつかはすでに見ていたもので、後から思い出してみるとすごく「引っかかる」作画ばかりで、なるほどあれもこれも金田氏だったのかと納得したものだった。そして、ある時期から金田氏は参加する作品が常に注目されるアニメーターとなり、参加作品は必ずと言っていいほど話題になっていた。僕自身は、例えばTV作品であれば普段は見ていなくとも金田氏が原画を描く回だけを観るなんてことをしていたし劇場作品では描いているカット見逃すまいと集中して観ていた。
僕自身の絵は、安彦良和氏と杉野昭夫氏の影響を最も受けて(と勝手に思っている)いて今でもこの2人のような絵を描きたいと思っているが、そんな僕でも当時は金田氏の絵を真似て描かずにはいられないほどだったのだ。

金田氏のイラスト集、というかイラストやアニメの原画、プライベートなスケッチなどを集めた本「金田伊功スペシャル」が出版されたのが1982年のこと。
そこに掲載された宮崎駿氏の寄稿から一文を最後に紹介しよう。「本物のアニメーターとは何だろう」という宮崎自身の問いかけに続く一文である。

「定義は難しいし、しても意味がないだろう。(中略)絵と動き(タイミングもこの中に含まれる)に生理的快感ともいうべき要素を持つ人となると話は違う。彼は、その数少ない本物の一人である。」

本質はアニメーターである宮崎らしい表現であり、しかも金田氏を「本物」と認めている。この文を寄せた次点で、宮崎駿はまだ金田氏と仕事をしたことがなく面識もほとんどなかった。金田氏が「ナウシカ」に参加するのはこの翌年のことだ。この後、金田氏は宮崎作品に数多く参加することになる。宮崎が本当に認めたアニメーターの一人だったのだ。

アニメ史において演出家やキャラデザイン、作画監督や美術監督といった役職はメインスタッフとして語られることが多いと思う。しかし「アニメーター」というのはいちスタッフ扱いで、さほど重要な扱いはされないだろう。だけど、金田伊功は間違いなくアニメ史で語るべき存在の一人だろうと思う。

僕たちに「作画の快感」を教えてくれた名アニメーター・金田伊功。その早すぎる死を心から悼むとともに冥福を祈りたいと思う。

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「金田伊功スペシャル」描き下ろしイラストも多く氏のシャープな線が堪能できる一冊

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島本和彦「アオイホノオ」より。当時の作画マニアはこういう話ばっかりしてた


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2009年7月12日 (日)

ガンダムお台場に立つ!

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今日(日付上は昨日)、正式お披露目となった実物大ガンダム。

完成間近の状態で一度見ているとはいえ、改めて完成した状態で見るのはまた格別。残念ながら曇っていたので、青空がバックならまた違って見えると思う。
トップの写真は夕暮れの中でのもの。毎正時にBGMと共に写真のように目を始め各部が光り胸や背中のバーニアなどから蒸気を噴き出す。顔も左右に動き、最後には天を見上げて終わる。
公園にいた人たちはみな歓声をあげては感動していたのが印象的だった。どこかの子供が「カッコイイ〜」と言ってたのを聴いて、僕は心の中で「そうやろ、そうやろ」とつぶやいていた。

こんな日が来るなんてことは30年前にリアルタイムでガンダムを見ていたころには想像すらしなかった。いや、こんなことを想像出来ようはずもなかったのだ。
いつかこのガンダムが本当に歩く日が来るといいなと思う。
だけどそれは兵器としてではなく今日のように平和な空気の中、みんなが笑顔で見上げることの出来るものであって欲しいと心から願わずにはいられない。


G2_2愛のない駅の案内。まあ、ええんですけど。


G_8麗しきふくらはぎ


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足に触れる人々。霊験あらたか?

G3_2群れ集う人々はさしずめ聖地を訪れた巡礼者か

G_7
夕暮れにたたずむ勇姿.
カッコいいなぁ〜オイッ!

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2009年6月24日 (水)

ずっとアニメが好きだった(17)

赤毛のアン(3)〜アンの声優たち〜

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前回のアンの記事から随分と間が空いてしまったが、今回は締めくくりとしてアンに出演された素晴らしき声優陣について簡単に触れておきたい。

アンは日常的な会話を主体として物語が進む。ロボットアニメのような叫びもなければ魔女っ子もののように呪文をとなえたりもしない。その分当然、声優さんたちの芝居についても、より自然で高度なことが要求される。それは作画上も難しいものだったと思うが、同じように声だけで日常的な芝居をするというのはかなり大変だったに違いない。アンのムック本を読むと、アフレコ時にはほとんど絵がなく自分のセリフの間は線を見てしゃべっていたという(役柄によって線の色が分かれており、例えば「赤の線=アン」であれば、赤い線が画面に見えている間はアンの声優さんがセリフをしゃべる。絵の完成が間に合わない場合はよく行われていた方法。最近のアニメがどうなのかは知らない)。声優さんたちは絵コンテで事前に画面のイメージを説明されていたというが、それでいてあれほどに見事な芝居がよくできたものだと感心する。

アンの主なキャストをざっと紹介しておくと・・・
アン=山田栄子、マリラ=北原文枝、マシュウ=槐柳二、ダイアナ=高島雅羅といった面々がほぼレギュラーといえる人たちだ。マリラの親友、リンド夫人には大ベテランの麻生美代子、そしてアンの友人たちに、高木早苗、高坂真琴、堀絢子、青木和代、塩屋翼、井上和彦といった面々。アンの人生に大きく関わるステイシー先生に鈴木弘子、現代的な若い牧師に曽我部和行、ダイアナの母に武藤礼子、妹に小山まみ(現:茉美)、そしてナレーションに羽佐間道夫といった実力のある人たちが配されている。

僕にとってアンの声優陣で最も印象深いのがナレーションの羽佐間道夫とマリラ役の北原文枝である。
子供番組に男性ナレーションを起用するのは異例だったが、子供に読み聞かせるような「ですます調」ではないナレーションは、作品の対象年齢を上げ大人の鑑賞にも耐えうる格調高いものにしていた。アンのナレーションは極めて第三者的であり、アンやほかのキャラに寄ったものではなかった。つまり羽佐間のナレーションは高畑監督の分身であったのだと思う。高畑の演出姿勢が羽佐間のナレーションとして作品世界を表していたのだと僕は思っている。コメディー映画の吹き替えのイメージが強い羽佐間だが、落ち着いた品の良い淡々とした語り口はさすがであった。

アンのキャストはその誰もがほかに考えられないくらい見事にぴったりな人ばかりだったが、中でもマリラ役の北原文枝はもう絶対どんなことがあってもほかの人ではダメ!というくらいに素晴らしかった。
マリラというキャラは作中では最も複雑なキャラだ。保守的で頑固だが、責任感がありしっかり者で家事全般に長けている。オシャレとは縁遠いが清潔であることを大事にしている。アンに対して深い愛情を抱いていても、それを簡単に表すことはない。厳格にしつけをするが、融通が利かないほどでもない。そんなマリラの心情を場面場面に応じて演じ分ける北原さんの演技力はまさに「圧巻」のひと言である。そしてアンが成長するにつれて丸くやさしくなり、そして老いてゆくマリラの変化を実に自然に巧みに演じていた。小さくつぶやくようなセリフも、アンをどやしつける声も、諭すような話し方も、マリラという女性が実在したならきっとこんな風に話すのだろうと思えた。いや、マリラが実際に話していると思えるほどだった。
北原さんはアニメの出演経験がほとんどなかったらしい。そして、アンの録音現場では絵がほとんど完成していなかったことが良い方に作用したのではないかと思う。絵によるキャラへの先入観を持たず、また絵に合わせるというテクニックを考えずに芝居に集中できたことが、北原さんの良さを遺憾なく発揮する結果に繋がったのではないだろうか。

もちろん、この2人だけでなく全ての出演者が素晴らしかったことは言うまでもない。
アン役の山田栄子は初のアニメ作品にして主役という大役だった。僕は「なんて変わった声なんだろう」と思った憶えがある。決して美声ではなく、少し鼻にかかったような声で、しかし妙に印象に残る声でもあった。それまでに聴いてたどんな声優の声とも違っていて、それがまた個性的なアンののキャラデザインに妙にマッチしていて、あまり適切な言葉は浮かばないが、なんていうか「初めて観るタイプのアニメに出会った」ような不思議な感じだった。山田は決してこなれた感じではなかったが、その硬さが逆に物語当初のアンの不安な心境にマッチし、アンの成長と山田の声優としての成長がシンクロしていたように思う。
マシュウ役の槐(さいかち)柳二は、当時すでに50代ではあったがしわがれ声のため若いころから老人役が多かったという。おなじみとなったマシュウの「そうさのう・・・」という口癖にはその場面場面で微妙なニュアンスの違いがあり、槐はそれを実に見事に演じ分けていた。口数が少なく照れやのマシュウはセリフにならないセリフというか、息をのんだり言葉に詰まったりということも多く、その息遣い一つ一つが見事しか言いようがなかった。優しさと慈愛に満ち、しかし頑固な一面を持ったマシュウという人物を見事に演じきった槐さんが、あの「レレレのおじさん」だったというのを知ったときはビックリしたものだ。

アンの放送終了後1年も経たないころ、ショッキングなニュースがあった。それはマリラ役の北原文枝が急死したというニュースだった。自宅の窓をふさぐ木の枝を折ろうとして窓から落ちたという。「アン」での芝居が記憶に新しい時期だったので、本当にショックだった。
「アン」が始まったころ、僕は北原文枝という名前は知らなかった。だが、どこかで聴いた声だとは思っていたら、キャスティングを見た母が「奥様は魔女」でサマンサの母親である魔女の役をやっていたということを教えてくれた。ああ、なるほどあの声かと納得した。小さいころに親しんだ声の主が、今こうして大好きな作品に出演しているという、そのことだけで僕は北原さんに対して一気に親近感を持つようになっていたのだ。
亡くなられた当時、まだ60歳。「アン」の後にも、もっと多くの作品に出演されたであろう事を考えると本当に残念でならない。

Photo_2
北原の急死は当時、新聞でも大きく取り上げられた(1980年10月5日付の読売新聞)。女優としての知名度が高かった証だろう。


「アン」について3回に渡って触れた。ちょっと書きすぎだとは思う。たまたま最近再見する機会があったためさらに印象が強かったためだろう。だけど、改めて観てやはり後世に残る名作であるという思いはますます強くなった。そこでちょっと当時のアニメージュを見返してみた。
「アン」が放送された1979年のアニメは名作揃いだということは再三書いているが、当時のアニメージュでは始めて「アニメ・グランプリ」として読者投票を行っている。1980年2月号で結果が発表されているのだが、「アン」は20位にも入っていないことに驚いた。1位の「ガンダム」と2位の「999(映画)」は当然としても、この名作が20位にも入っていないとは・・・当時のアニメージュの読者層の好みがいかに偏っていたかということになるのだろうか?
アニメージュも放映開始前後は、割と頻繁にアンを扱っていたが後半になると特集記事はほとんどなくなっていった。当時のアニメファンが飛びつきそうな話題が中心になっていたようだ。
ブームに乗っかるような作品ではなかったが、観た人の心に何かを残した作品だったことは確かだろう。

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2009年6月17日 (水)

連邦のV作戦をキャッチ

G1G_5連邦軍の新型モビルスーツがほぼ完成した模様である。これがかねてから噂される「V作戦」の一部であることはほぼ間違いないと思われる。詳細なスペックは不明だが、全長は我が軍のザクに匹敵するサイズはあるようだ。武器らしきものは見当たらない。衆人の目にさらされる場所に堂々と置いてあるところから、連邦は一般市民に対し、あくまでも平和利用のモビルスーツであると説明しているようである。目立つカラーリングであるのもそうした説明に説得力を持たせるためのカムフラージュであろう。来月中にも何らかのイベントが連邦主催で行われるとの情報もあるが、これがこのモビルスーツに関係したものであるかは不明。自分は引き続きサイド7にとどまり、可能な限り監視を続ける。

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・・・てなわけで完成に近づきつつある実物大ガンダムを見てきた。カッコイイっす!思ってた以上にカッコイイ。今にも動きだしそうである。立ち姿も美しい。ガンプラのデザインノウハウが生かされ、細部まで作り込まれていてアニメのデザインを損なわずにリアル感が出ている。
周辺はまだ工事用の柵で覆われているので足元は見えないのだが、それでもかなり間近で見られる。今日は平日だったが、それなりに人は集まっていてみなうれしそうに、そして楽しそうにガンダムを見上げていた 。 正式公開は7月11日だが、その日はどんな騒ぎになG_7るのやら・・・。混乱を承知でG_9見に行こうかと思っている。 G_11

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2009年5月23日 (土)

ずっとアニメが好きだった(16)

〜赤毛のアン(2)〜

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今年、放送から30年を迎えたアニメ「赤毛のアン」。タイミング良くアニマックスで3月から放送が始まったので、久しぶりに通しで観てみようと決め平日の週5回の放送を録画しながら見始めた。飛び飛びで再放送を観たりしてはいたが、完全に通しで観るのは本放送以来だ。
で、改めてその面白さにハマった。
本当に面白い。30年前と同じか、それ以上に面白いと感じた。
面白い・・・?それとも「素晴らしい」・・・か?。
あまりにも面白かったので終盤近くになってDVDボックスを買ってしまったほどだ。そして終盤はDVDで観た。
面白く、そして本当に素晴らしかった。

アンの魅力とは一体なんだろう。
世界中で読まれ続けているという原作が素晴らしいことは言うまでもないのだろう(読んだことはないが)。アンという(小さい頃はちょっとイタい)少女の成長を描くだけでなく、愛する養父・マシュウとの死別や養母・マリラの老いなど現実的な事ともちゃんと向き合っているところは素晴らしいと思う。アニメは原作にかなり忠実に作られていると聞いたことはある。しかし、アニメとしてのアンが原作の魅力に頼り切っている作品でないことは原作を読んだことのない僕でも分かる。
会話が中心のこの物語を、淡々と、しかし視聴者を飽きさせることなく描くことが出来たのは紛れもなく高畑勲の手腕だろう。アニメ的にことさら大げさな芝居をすることもなく、「ハイジ」「三千里」で行ったような日常描写の積み重ねと風景描写をさらに突き詰めたような演出にはため息が出る。おそらく同じセリフ、同じ出来事であってもこれだけ見事な見せ方は高畑監督以外にはなしえないだろう。登場人物の表情や仕草、エピソードとエピソードの間をつなぐちょっとした風景や小道具の見せ方、そして絶妙なカットの間合いなど全てに隙がない。隙がないことがいやらしくないから心地いい。

この物語は不幸な生い立ちの孤児であるアンが、ちょっとした手違いから男の子を養子にしようとしていた老兄妹に引き取られることになり、この老兄妹の愛情を受け成長し幸せを手にしてゆく物語だ。そして、アンが幸せになることでアンの周りの人々、とりわけアンを引き取った老兄妹・マリラとマシュウが幸せを手にする物語だ。
アンの幸せ。
それは、自分を愛してくれる人(=自分が愛する人)がそばにいて、毎日が取り立てて不安もなく当たり前のように過ごせることだったはずだ。なんてことはないごく普通の日々の生活が輝いて見えること。それこそがアンの幸せであり、そのことを説明的なセリフとしてではなく描くことが出来なければこの作品は「凡庸な名作アニメ(=原作が面白いからそこそこ面白いだけのアニメ)」でしかなかったろう。
朝日が差し込む窓を開けて朝の空気を胸一杯に吸い込む幸せ、朝ご飯を家族と食べる幸せ、毎日学校に通える幸せ、友達とふざけあう幸せ、日々変化を見せる豊かな自然に囲まれている幸せ、帰る家があり待っている人のいる幸せ、暖炉の前で一日の出来事を語る幸せ、そして暖かいベッドで眠る幸せ・・・そんな日々のちょっとした出来事がアンにとっていかに美しく素晴らしいものであるか、そしてそんな思いを糧に日々成長してゆく少女を見守ることがどれだけ幸せなのか、ということを高畑演出は淡々と日常の描写を積み重ねることで、我々視聴者の心にじんわりと染み込ませてくれるのである。
この物語の根幹を成すものは「人の心」だ。それをことさら劇的におしつけがましく、また説教臭くも見せないのが高畑氏の演出姿勢であり、主人公寄りでもなければ視聴者寄りでもなく、つねに第三者の立場から客観的に物語を紡いでゆく。それはハイジや三千里でも、そしてアンでももちろん貫かれていた。だから観る人の年齢や立場、性別にによらず自分なりの物語への接し方が出きるわけだし、何年経とうが色褪せない作品として観ることが出来るのだ。

プリンスエドワード島の四季を見事に描いた美術の井岡雅弘氏、シーンによって色指定を変えるなど小山明子、保田道世両氏の細やかな色彩設計、落ち着いた格調高いBGMを作曲した毛利蔵人氏なども本当に素晴らしい仕事をされていたし、さらっと見ただけでは見落としがちだが、撮影もまた見事だった。が、しかし、作画が一番気になる僕としては、やはり故・近藤喜文氏について触れておきたい。

当時まだ29歳の近藤氏はアンで始めてキャラデザインと作画監督を担当した。前回の記事で書いたようにアンのデザインに関して、当初の僕の印象はあまり良いものではなかったし、番組当初は絵に硬さが見られたのも確かだ。しかし中盤にさしかかるあたりからは芝居にも柔らかさが出てきてキャラが生き生きと動いていた。何と言っても放送の1年間を通じ、主人公の年齢が徐々に上がってゆくというアニメーションではあまり例のない難しい作業を実に見事にこなしていた。容姿にコンプレックスを抱いているアンの姿がその幸せの度合いと比例するように、徐々に変化してゆく。身体と、そして何よりも心に十分な栄養が行き渡っているかのようにアンはかわいく、美しく成長する。その様子が自然で、いつの間にか気がつけば変わっていたという感じだった。そしてキツく融通の利かないおばさんだったマリラの目はやさしくなり、体つきもどこかふっくらとした暖かみを増し、そして同時に年老いてもゆく。アンの成長はかなり意図的なものだったろうと思うが、物語当初から初老のマリラの変化は自然なものだったように思える。それほどに最初のキャラ設定書を見ると別人としか思えないほどの変化なのだ。アンを育てることで自らの母性を目覚めさせ、アンを愛しやさしくなってゆくマリラに対し、近藤氏が感情移入した結果ではないかと僕には思えてならないのだ。
少々残念なのは、全編を通してぎくしゃくした(いわゆる枚数を使っていない)動きも散見されたことだった。おそらくはスケジュール的にかなり厳しかったのだろう。しかしながら、アニメーション的な作画の飛躍(非現実的なアクションや表情などといったもの)は皆無であり、ほとんどが細かい日常的な芝居を丁寧に丁寧に描いていた。アニメとしては最も難しい作業だ。しかもキャラデザイン的に見てもそれまでの名作劇場と比較してみると割とリアルな路線だったから相当難しかったはずだ。このアンでの経験が後の名作「火垂るの墓」に通じるのは間違いないだろう。この近藤氏が47歳という若さでこの世を去ったことは日本のアニメ界にとって本当に大きな損失だった。

そして、さらにこの作品で特筆すべきは声優陣の見事な演技だ。会話が主体の物語だけに演技の良し悪しは如実に表れるところだが、アンの出演者は実に見事であった。アンの話題をあと1回、この素晴らしき声優陣について触れておきたいと思う。
(続く)

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2009年4月26日 (日)

Gキャラ×Post It vol.3 〜哀・戦士/男と女〜

ネタがないので「ポストイット」に描いたガンダムキャラ第3段。
今回は名編続きのシリーズ中盤、映画で言えば「哀・戦士編」に当たるところでそれぞれのエピソードの主役を担った悲運のカップルたち。


Photo_4
“本当の大人”を感じさせてくれた2人。会話のやりとりがいちいちカッコ良かった。
「あんな子が欲しいのか?」「フフ、まさか・・・」


Photo_2
劇中では一緒に登場することはなかった2人。アムロの想像の中で幸せそうに微笑む姿を除いては・・・。


Photo_3
生活のためにジオンの手先となった女スパイと、軟弱者。わずかの間に心通わせ一瞬にして引き裂かれた、恋人とも呼べない2人。

・・・そんなわけでネタなしで苦しい時の穴埋めでした。

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2009年4月15日 (水)

深キョンドロンジョ様

・・・のつもりなのだが。
2_2

前々回の記事の時に描いた映画版ドロンジョ様は色鉛筆で少しだけ色を着けたのだが、フォトショップを使って、も少しちゃんと色を着けてみた。
もうちょっと色気とかかわいらしさとか欲しいところだが・・・ま、しょーがない。これが実力だ・・・。

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2009年4月 9日 (木)

映画「ヤッターマン」

春休みも終わって映画館も静かになったろうと思い、ずっと観たかった「ヤッターマン」を昨日観てきた。映画化の企画を知ってから、かなり期待していたのだが、これがけっこう楽しめた。
以下は映画評ではなく「感想」である。このヤッターマンに関して、僕個人としては映画の出来不出来はどうでもいい。これは「スピードレーサー」の時と同じ感覚だ。子供の頃大好きだったアニメが実写映画化され、それがオリジナルへの愛とリスペクトに溢れた作品であればそれで満足なのだ(以下、ネタバレ含むので未見の方はご注意のほど)。

アニメを原作として、しかもその世界観やキャラデザインもほぼ変えないで実写化するという挑戦はかなり成功していたと僕は思った。その意味においてはスピードレーサーより徹底している。このテの作品では制作者がオリジナル作品をどれだけリスペクトしているかが重要だが、このヤッターマンは全く問題ない。そして間違いなく本気だったことが嬉しい。
ストーリーは映画のオリジナルだが、見せ方は徹底的にオリジナルを踏襲している。おなじみの「説明しよう!」(天国の富山敬さん、喜んでるだろうなぁ・・・)に始まり、ドロンボー達の3人乗り自転車、そして「おしおきだべぇ〜」(もちろん滝口順平さん)、オダテブタ、「ポチッとな」・・・・などなどアニメをそのまま、まじめに実写へと転化しているのだ。
ヤッターワン出動シーンではオリジナルの主題歌の2009年バージョンが流れる。歌うはもちろん我らが山本正之!まったく衰えのない歌声に胸躍った。後半にはヤッターキングも登場するのだが、ここではオリジナル版後半のOPを飾った「ヤッターキング」の歌が流れる。これをあの甲本ヒロトのザ・クロマニヨンズが歌っているのだ。これがかなりイイ。そしてEDテーマだった「天才ドロンボー」は映画のドロンボー一味が歌い、踊る。
そして、もうひとつオリジナル版ファンへのプレゼントがあるのだが・・・これだけは実際に観て驚いてもらいたいので伏せておこう。

この企画が発表された時点からドロンボー一味を誰が演じるのかが最大の話題だった。そのドロンボー一味はある意味本当の主役だ。この映画の正否はそこにかかっていたが、演じる3人ともなかなかハマっていた。
深田恭子演じるドロンジョは想像通り、オリジナルよりかなりカワイイ。彼女の場合はあのテンションの低さが逆にイイ味を出していた。無理にオリジナルのドロンジョを意識しなかったところがかえって成功したようだ。高飛車なセリフが「らしく」ないところが良かった。ま、僕は深キョンファンなのでかなりひいき目に見ているのを自覚しているため採点は甘くなる。だけど、彼女は元々どこか現実離れしたキャラなので、アニメキャラとは相性がいいのだろう。
ケンドーコバヤシのトンズラーは、過不足なし。ビジュアル的には実は一番オリジナルからは遠いキャラだった。しかしこれは仕方ない。アニメのキャラは最も現実にはあり得ないプロポーションなのだから。
特筆すべきは生瀬勝久のボヤッキー。彼には一番期待していたのだが、期待以上の出来だった。やはり上手い。いかにもアニメ的なギャグキャラをあのテンションで演じられるのは彼くらいのものだろう。しかもそれが愛らしく、ボヤッキー以外の何者でもなかった。あの付け鼻は、最初どんなもんだろうと思っていたが何の違和感もなく受け入れることが出来た。下手に特殊メイクなんかするよりいいかもしれない。
惜しむらくは肝心のヤッターマンを演じる2人の芝居のテンションがイマイチ(実力の問題?)で、アニメキャラを演じるということに照れがあったのかアクションも含め物足りなさが残った。櫻井翔くんも福田沙樹ちゃんも嫌いではないんだけど・・・。あと、全体にギャグがやや滑り気味ではあった。

この映画版ヤッターマンは今まで観たアニメの実写映画化の中では最も成功した例だと僕は思った。徹底的にアニメの世界を踏襲することにこだわり、監督が下手な自己主張もテーマも掲げずエンターテインメントに徹したことが成功の主な要因だろう。元々リアリティーとは無縁のギャグアニメでありCGとの相性も良かった。だけどもやはりオリジナルへの愛とリスペクト、これがなければ表面のスタイルだけをなぞった薄っぺらいものにしかならなかっただろう。
映画はやはり愛だ。


で、映画版ドロンジョ様。
深キョンに似てるかどうかはこの際ナシで(似てないんだけどさ)
Photo_8


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2009年4月 7日 (火)

ずっとアニメが好きだった(14)

〜ガンダム30年〜

1979年4月7日、つまりちょうど30年前の今日、日本のアニメ史のみならず文化史においても重要かつ記念碑的作品である「機動戦士ガンダム」の放送が開始された。当時、ガンダムがこれほど長く支持され続け影響を与え続ける作品になることを想像できた人は唯の一人もいなかったろう。この作品は間違いなく日本のアニメのターニングポイントとなる作品だった。アニメブームのただ中にあって、そのブームをピークに押し上げ、アニメをブームではなくひとつの文化として定着させた作品だった。

実を言うと僕は第1話を1日早い4月6日に観ている。ちょっとコネがあり早く観る機会に恵まれた・・・わけではない。僕が住んでいた関西地方でガンダムは、「ザンボット3」以来の金曜夕方5時という枠で放送されていた。だから関西地方のアニメファンは全国にさきがけて1日早くガンダムを観ていたわけで、関西のファンにとって30周年の記念日は4月6日なのだ。しかし、公式的には4月7日が放送開始日なのでこの記事では今日が放送開始から30周年ということで書いている。

僕は本放送では全話を観ていない。
観たかったけれど観られなかった。当時の僕は中3で、野球部に所属していたため平日の放課後は必ず練習があり5時からの放送にはどうがんばっても間に合うわけはなかった。雨が降っても室内で練習があったのでガンダムを観られるのはテスト期間中で練習がないときだけだったのだ。家庭用ビデオはまだまだ高価であり、当然我が家にはなかった。
だが、幸いにして第1話を観ることは出来た。まだぎりぎり春休み中だったからだ。
この時の僕は後のハマり方からは想像がつかないほどガンダムに期待していたわけではなかったと思う。というのも、第1話の印象をあまりよく憶えていないのだ。後になってあちらこちらで、あの1話がいかに衝撃的だったか語られるのに僕はなぜか強い印象を持っていなかった。おそらく、あの第1話の凄さを認識できてなかったのだろうと思う。ハイレベルな内容についていけてなかったのだ。しかしながら「もう観ない」とも思わなかった。少なくとも面白そうだという印象は持っていたはずだ。
僕が次にガンダムを観ることができたのは第9話「翔べ!ガンダム」だった。舞台はいつの間にか地球に移っていた。ただでさえ難解なストーリーをすっ飛ばしていたにも関わらず、この第9話を僕は「録音」している。つまり久々に観るガンダムを楽しみにし、「記憶」に留めるための準備をし「記録」していたのだ。だからついていけてなくても「観たい」と思わせる作品であったことは確かだったのだ。
この第9話が2度目に観たガンダムだったことは幸運だった。なんせ、あの名台詞「オヤジにもぶたれたことないのに!」で知られるシリーズ前半屈指の名編である。アクション的な見せ場もあり、アムロの最初の転機となる重要なエピソードだ。何より作画が良い。特に、ふさぎ込むアムロとそれをなだめるフラウ、そしてアムロを殴りつけるブライトなどなど、安彦氏ならではの細やかな芝居が存分に発揮されている。録音していた僕は繰り返し繰り返しこの第9話を聴いた。ほとんどのセリフを憶えてしまうほどに。そしてこの9話によって僕は完全にガンダムの虜になってしまった。
その後も飛び飛びで観ることが多く、ほぼ続けて観ることができるようになったのは、中学最後の夏の大会が終わり野球部を退部した後で、アムロが脱走する辺りからだったと思う。それでも受験勉強や学校行事の関係でところどころ抜けてはいたが、その頃になるとガンダムはアニメ雑誌に欠かせないほどの話題を集め始めていたおかげで十分な情報によって足りない部分を補完しながら観ることが出来た。

放送開始からおよそ10ヶ月後の1980年1月26日(関西では25日)放送の第43話「脱出」でガンダムは最終回を迎えた。アニメファンの人気とは裏腹にガンダムは突然打ち切りという憂き目に遭ったのだ。
けれど、ガンダムは僕や当時のアニメファンに大きなものを残した。ガンダムの本当のブームは放送終了後にこそあったのだ。放送が終わってもガンダム人気は衰えることを知らず、再放送が行われ関連出版物が次々と刊行された。アニメ誌上で作品の分析が行われ、こぞって同人誌も作られた。そして、いつしか「映画化」という機運が盛り上がった。ファンの熱意と制作者の熱意、そしてそこに商機を見いだしたメディアや企業がそれを現実のものとした。それこそが今のアニメを取り巻くカルチャーの原点となっているものであり、ガンダムがアニメとファン、そして社会や経済との関係を決定づけたと言っても過言ではないだろう。
何より心地よかったのは、そのブームを自分たちが作っている、支えているという実感があったということだ。そのことはあの時代を体験した世代だけが共有できる大きな大きな財産だ。

僕にとってのガンダムは大好きな作品であるということ以上に、その後の僕自身の生活、いや、もっと言えば人生そのものに大きく影響を及ぼした作品だった。間違いなく。

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2009年3月21日 (土)

ずっとアニメが好きだった(13)

赤毛のアン(1)

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数々の名作アニメが誕生した1979年。そのトップを切った作品が「赤毛のアン」である。同年1月7日〜12月30日まで、日曜午後7時半のフジテレビ系列の看板だった「世界名作劇場」の枠で放送された文字通りの「名作」アニメだ(調べてみて、年の瀬の30日までレギュラー番組の放送があったことに軽く驚いた)。
放送は全50話。シリーズ演出は高畑勲でレイアウト(クレジットは「場面設定・画面構成」)に宮崎駿という「ハイジ」「三千里」の名コンビ、美術監督に井岡雅弘、キャラデザイン・作画監督に近藤喜文、脚本は高畑自身のほか映画監督でもある神山征二郎ら数人が手がけている。音楽は毛利蔵人。レイアウトは、宮崎駿が「ルパン三世 カリオストロの城」制作のため降板し、18話以降桜井美知代に交代した。
「ガンダム」開始直前の富野喜幸(当時)も絵コンテで数話に参加している。余談になるが、富野氏は「ハイジ」「三千里」でも絵コンテで参加、日常的な芝居に重きを置く高畑演出を間近で見ている。そのことが「ガンダム」という作品に与えた影響は決して小さくないはずだと、僕は思う。

僕は放送当時、全話を観た。なぜこの番組を観ようと思ったのかは憶えていない。原作を読んだこともなかった。演出が高畑勲だからでもレイアウトが宮崎駿だから、でもない。この当時の僕はまだアニメ初心者で、この両氏についての知識(「レイアウト」という仕事がなんであるかすら知らなかった)はほとんどなかったはずだ。なぜなら僕が最も頼りにしていた「アニメージュ」では、この両氏をフィーチャーした記事は少なくともアンの開始以前にはなかったのだから。世界名作劇場のファンというわけでもなかった。むしろこの枠の番組は「よい子」が観るものと避けていたくらいだ。だから余計に、なぜなのかがまったく想像すらできないのだ。
「アニメージュ」で「アン」の記事が出たのは1979年1月号(78年12月10日発売)だから、放送開始のおよそ1ヶ月前だ。この段階ではスタッフ名は単なる「情報」として記載してあるのみで「あのハイジのスタッフが」などというあおり文句すらない。キャラ紹介に至ってはアンの養母となるマリラとその友人のリンド婦人を逆に書いてある始末だ。掲載されたアンのキャラもお世辞にもかわいいとは言えない、暗い目をした痩せてそばかすだらけの女の子だったからキャラに惹かれたとも思えない。続く79年2月号で、ようやく高畑勲のインタビューが掲載されているが、この段階でも高畑氏は“いち演出家”扱いでしかない。そのインタビューの脇に、キャラデザインの近藤氏が描いたアンの初期設定ラフ画が掲載されている。こちらは表情は暗いものの、美少女だ。僕は当時「こっちの方が可愛くていいのに・・・」などと思っていた。そのことだけは憶えている。この2月号は第1話放送後に発売されている。だから第1話を観たあとにそういう感想を抱いたことになるわけだから、第1話を観ただけではまだ僕は「アン」の魅力に気づいてはいなかったのだろう(面白い、とは思った)。「なんや、このデコッパチは・・・」そう思いながら、淡々と進む初回を観ていたのだ。

しかし、すぐに僕はこの作品の虜になってしまうことになる。
アンと、アンを取り巻く人々との日常が美しく輝いて見えるまでそう時間はかからなかった。

(続く)

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2009年3月 3日 (火)

「段平おっちゃん」バトン

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きなこ様より「段平おっちゃんバトン」を託されました。
スラスラとあらゆる場面、セリフが浮かぶほどに原作を読み込んでいるわけでもなければアニメ版を繰り返し繰り返し観たというわけでもないので、自分にとって印象的なシーン、憶えているシーンのみでお答えしました。

1 おっちゃんのジョーに対する愛情を強く感じたのはどの場面ですか? 

少年院で青山君のコーチになったこと。誰よりも愛するジョーに嫌われることを承知で、あえてあのような行動によりジョーを鍛えようとする姿に心打たれました。逆に言えばジョーのためなら他人をも利用してしまうという鬼のようなことでもやってのけるほど深い愛情なのだと。

2 おっちゃんの優しさが滲み出ている行動、セリフがありましたら挙げて下さい。

優しさ、とは少しニュアンスが違いますが、アニメ版「2」第1話より「ジョー、元気でいるか・・・」ですね。「元気かどうか」を心配するところに愛情を感じます。
グローブに顔を埋めて叫ぶおっちゃんが切ない。

3 「いくらおっちゃんとはいえ、ひど過ぎる!」と感じた場面があれば挙げて下さい。

ありません。
おっちゃんの行動はすべて「ジョーありき」なので、一見ひどいと思えてもそれはすべてジョーのことを思ってのことだからです。子は親の気持ちを理解できないことがあるようにそれがジョーに伝わらなくても、おっちゃんの行動はすべてジョーのためなのですから。

4 おっちゃんの手料理で何が一番食べてみたいですか?

・・・正直、あの毛むくじゃらのゴツい手で作ったものはあまり・・・。紀ちゃんの手料理ならなんでも食べます。

5 おっちゃんが可愛い!と感じた場面があれば挙げて下さい。

男の目から見てあまり可愛いという感じ方はしないので、可愛いというのとは違うニュアンスになりますが、アニメ版「2」で新丹下ジムの落成記念パーティーのスピーチ中に感極まって泣く場面がおっちゃんの心情が出ていて好きです。あの時のおっちゃんの思いは私たちファンの思いでもあったような気がしています。

6 ガラスのような心臓のおっちゃんに度々ジョーからキツい言葉が投げ掛けられますが、一番こたえたジョーからの一言を挙げて下さい。

これはやはり白木ジムでの「能なし」発言ですね。あそこのシーンは、原作よりもアニメ版の方が強烈に心が痛みました。

7 あなたが後楽園ホールへ向かっている途中、なんと前方に段平おっちゃんが一人で歩いている姿が見えます。あなたはどんな行動に出ますか?

私がお酒を飲めれば、その辺の居酒屋に誘いたいところですが・・・。ただただその後ろ姿を見送るだけだと思います。

8 おっちゃんは葉子のことをどんな風に思っていましたか?また紀ちゃんについてはどうですか?

葉子に対して特別な思いはなかったと思います。強いて言えばおっちゃんの理解が及ばないタイプの女性だったのでは?
紀子のことはとても好きだったと思います。下町に育ち、気さくで、何かというとジョーのことを気にかけてくれる彼女はおっちゃんにとっても心休まる存在だったのではないでしょうか。

9 ズバリ、おっちゃんは何歳だと思いますか?

55歳!
今の自分の年齢を考えるに、このくらいであってもらわないと困る(何が?)。

10 最後にあなたからおっちゃんへ熱いメッセージをどうぞ!

おっちゃん、人生において大切なモノってなんだ?
夢を見ること?
それとも夢を叶えること?
聞くまでもないよな、おっちゃん。
アンタの夢は叶わなかったもんな。
けれど、一度は失意のどん底に沈みながら
もう一度アンタは夢を見ることが出来た。
夢を見ることの出来る日々がどれだけ輝いてるのか、
アンタを見ていてよく分かったよ。
おっちゃん、オレはさ「信じれば夢は叶う」って言葉が大っキライなんだ。
夢が叶うヤツなんてこの世にどれだけいるってんだ。
叶わなかったヤツらに価値はねぇってのか??
だけどさ夢を見ることはだれでもできるんだよな。
やっぱ、夢は見るもんだよ。
アンタも言ってたよな。
誰だって夢とか希望ってやつは持っていたいもんだ、って。
けど今の世の中、夢見ることを忘れちまったヤツが多すぎるし
夢を見ることすら許されない連中もいる。
なあおっちゃんよ、夢の見方を教えてやってくれよ。
おっちゃん、アンタは今どこで何してんだ?
オレたちはアンタを必要としているんだ。
早くオレたちの前に出てきてくれよ。
みんな、待ってんだぜ。

11 次にバトンを回される方のお名前を教えて下さい。

思い当たる方がおりませんので、きなこ様にお返しいたします。
ほかに引き継いでくださる方がいらっしゃれば、お願いいたします。

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以上です。

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2009年2月27日 (金)

水平線の終わりには・・・

・・・虹の橋は、夢の世界はあったのだろうか?

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今回はあえて勇ましいトリトンを描いてみたが・・・。

先日(2月25日)BSアニメ夜話で「海のトリトン」が取り上げられた。
その前の週まで僕はカートゥーンネットワークで何十年かぶりに通しで観たばかりだったのであまりにいいタイミングでの放送にちょっと驚いた。子供のころに観たきり再放送などは飛び飛びで観たのみで断片的な記憶しかなかったが、今回改めて見直す機会を得たことは幸運だった。
「海のトリトン」は放送は1972年に放送された。手塚治虫の同名漫画を原作としているがアニメ版は完全なオリジナルストーリーと言ってよい。総監督は富野喜幸(由悠季)。その後数々のヒット作品を生み出す彼のこれが初のシリーズ監督作品である。
主人公が戦うべき理由を見いだせないまま否応なしに平和な暮らしから投げ出されてしまうことや、ゲストキャラ(恐竜やヘプタボーダら)とのつかの間の心の交流と悲劇的な別れ、そして善と悪の定義にくさびを打ち込んだかのような救いのないラストなど、後の富野作品との関連性も見受けられる作品である。1978年発行の「ファンタジー・アニメアルバム 海のトリトン(少年画報社)」で富野監督はこの作品について実に興味深いことを語っている(アニメ夜話で紹介されたアノくだりではなく)。長くなるので引用は避けるが、それは後の問題作「伝説巨神イデオン」のテーマとも関わる話だったので、今回読み返して驚いた。
僕は本放送で見ていたと思うのだが、オープニングの歌と映像の印象が鮮烈であったことははっきりしているが、内容について当時の記憶が実はあまりない。手塚作品だと信じ込んでいたことやシリアスな作品であったこと、ラストが唐突でなんだかよく分からなかったことがぼんやりと思い出されるくらいである。今回通しで観てもあの最終回はすぐには理解できなかったくらいだから当時小2で、しかも頭の悪い僕に理解出来ようはずもなかったのは至極当然である。
だからこそ、なのだろう。僕よりも上の世代である当時の女子中高生を中心に人気が広がり日本初と言われるテレビアニメのファンクラブが作られた。トリトンと言えばファンクラブ。そんなイメージが僕の中には今でもある。
それは上にも書いた、アニメブームが盛り上がってきた頃に発行された「ファンタジー・アニメアルバム 海のトリトン」や翌年の「ロマンアルバム」にトリトンファンクラブのことが紹介されていたからだ。会員が描いたすごく上手なイラスト(今見返しても本当に上手だ)も掲載されていて、「こういう会誌を作る人たちって絵も上手いんやな〜」って感心していたのだ。

そして、このトリトンのプロデューサーはあの西崎義展氏である。彼は後に宇宙戦艦ヤマトを大ヒットさせるのだが、その背景にはこのトリトンでの手応えがあったに違いない。トリトンもまた視聴率では苦戦し打ち切りの憂き目にあったのだが、本来のターゲットよりも上の世代が注目し作品を蘇らせたという点ではヤマトと同じである。ヤマトが放送終了後に中高大学生を中心に人気を得、大ブームを巻き起こしたことはいまさら説明するまでもないことだが、トリトンの時にアニメファンという存在を認識していた西崎氏はヤマトの時もまた同じ手応えを感じていたはずだ。そしてそのファンの力を信じ、ヤマトを成功させたのだと僕は思う。
トリトンは後につながるアニメファンの活動の基礎を築き、アニメとファンの関係を変えて行くきっかけになった作品としても重要な位置にあるのだ。


↓トリトンのムック2冊

Photo_3「ファンタジー・アニメアルバム 海のトリトン(少年画報社)」
カラーページもたっぷり、スタッフインタビューあり設定資料ありの充実の内容。複製セル画、羽根さん描き下ろしヘプタポーダのピンナップもありで完全にアニメファン狙いの編集である。

Photo_4「ロマンアルバム 海のトリトン(徳間書店)」
1979年、ブームに乗って制作された劇場版を扱っている。こちらには主要キャストのインタビューがある。まだ少年の面影を残す塩屋さんの初々しいお姿も。


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2009年2月22日 (日)

恥さらしの時間(2)

ネタ貧である。
ネタがないときは自らの身を切って恥を晒すしかない。
前回ネタに少し絡めて、1978〜79年に描いた絵の一部を晒そう。

「宇宙戦艦ヤマト」のロマンアルバムに触発され、そこに掲載された設定資料などを模写しまくったのが1977年のこと。その恥の絵を晒したのが昨年。1978年に映画「さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち」が公開され、僕はすっかりヤマト熱に浮かされた。そして今度は「さらば」のストーリーをなぞってコクヨの計算用紙に絵を描き始めた。ロマンアルバムなど当時出版されたムック本からカットをチョイスして描いている。
その中から比較的ちゃんと描けてるのを選んではみたが・・・。

Yamato02
冒頭近く、古代が帰還し雪とデートするシーンと英雄の丘に立つ沖田の銅像。

Yamato01
こちらは防衛軍の命令を無視し発進したヤマトに潜り込んでいた雪と古代が再会するシーン。


このヤマトの絵は1ページに収めるカットが多く、文字もかなり小さく(汚く)細かい。読んでみると文章はきちんとしているが、ところどころ映画本編とは違うセリフもあるので、おそらくはノベライズ本か何かを写しているのだろう。描き進むうちに絵も文字も密度も上がってゆくのだが、段々飽きてきたのかそれとも疲れたのかデスラーが登場したあたりでこのノートはぷっつり終わっている。何事もやりとげられない性格っていうのもあるのだけど。


Kodai続いても「ヤマト」から古代進。1979年作。この頃になるとカットの模写では飽きたらず、自分でポーズや表情を考えて描くことも多くなっている。ヤマトのキャラはだいぶこなれてきてたようではある。

009_2
当時、アニメの新作が放映中だった009。表情暗すぎ。

Syoujo01_2最後はオリジナル絵。おんなのこ。・・・こういう絵が実は一番恥ずかしい。とにかくおんなのこをかわいく描きたいという欲求はこの頃から出始めたようで、あちらこちらの影響を受けたと見られる絵がたくさんある。これは「マカロニほうれん荘」の鴨川つばめの影響か?


この頃は若さゆえか短期間でもそれなりに絵が変わっている、というか少しは上達しているようである。線の強弱の付け方や、タッチの入れ方とかに工夫をしている絵が増えてきている。と同時に絵を描くことに対してそれなりの「いやらしさ」みたいなものが見えている。上手く描いてやろう、、、ていうか「オレって上手いだろ」という傲りが見える。・・・おそらくは、自分の周りにはあまりこのテの絵を描く人がいなかったので上手い気になっていたのだろう。まったくもって恥ずかしい。
だから、この頃に描いた絵は今見ても実はあまり好きにはなれないのである。

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2009年2月14日 (土)

009トークイベント at 杉並アニメーションミュージアム

杉並アニメーションミュージアムのトークイベント「009に魅せられて」に参加してきた。ゲストはアニメ「サイボーグ009(1979年版)」の監督・高橋良輔氏と同じくキャラデザイン・総作画監督の芦田豊雄氏。参加者は50人で私の同世代と思しき方々も多く見られた。

79年版の009について簡単に触れておくと、制作は東映。「東映動画」ではなく東映「本社」だ。東映の発注を受けるという形で日本サンライズ(現「サンライズ」)がアニメ制作の母体となった。高橋氏は実質的にこれが2作目の監督作品だった。物語は原作「エッダ編」ベースにした「宇宙樹編」、中盤には各キャラのエピソードを中心にした通称「バラエティ編」があり、後半が「ネオブラックゴースト編」と全体的にはアニメオリジナルといった感の強い作品だった。僕は10年ぶりとなる009のアニメ化にものすごく興奮し、期待を膨らませていた。放映時にはおそらく全話見たはずなのだが、なぜか熱狂的に支持するには至らなかった。何かが違う・何か物足りないと思っていたのだろう。けれど芦田氏の描く009達は僕はとても気に入っていた。原作のテイストを生かし、なおかつ芦田氏の個性が出ていて今でも僕の中で芦田氏が描くの009はお手本だ。

さてお二人のトークは石森プロのスタッフの司会進行で、出会いから009に関わるきっかけ、当時の想い出、現在のアニメ界の状況などバラエティに富んでとても面白かった。司会の男性(おそらく20代だろうか)がこなれていなくてもう少し話を膨らませたりしてくれれば良かったのに(おおまかなプログラムに沿っていたのだろうけど)というのがちょっと残念。当時のアニメを良く知る人に司会をしてもらいたかった(心の中では「オレに司会やらせろ〜!」なんて不遜な事を叫んでいた・・・爆!)。
面白く興味深い話はたくさんあった・・・あったが、すべて憶えられるほど記憶力もなく、録音は禁止の上、メモも取っていなかったので以下に書くことはそのごくごく一部、僕が印象的だった話だけだ。実際のトークでの発言とはかなり違うかも知れないので悪しからず了承の上、読んで頂きたい。


2人ともが異口同音におっしゃってたのが、石森先生の絵の事。高橋氏は「手塚さんの絵は上手なんだけどどこかクールで外国的。石森さんの絵には日本的な湿り気というか情緒がある」と言い、芦田氏は「線に思想がある。マンガの絵というのは記号なんだけど、石森さんは記号で絵を描くのではなく思想を線に込めている」と話していた。そしてその情緒や湿り気、線の思想みたいなものをアニメ化にあたっても意識していたという。その流れで芦田氏は「東映のはそれがなかったよね」とおっしゃっていたのだが、「東映の」とは翌80年に劇場公開された映画版009「超銀河伝説」のことだ。こちらは東映動画の制作。「要するに自分たちは単なる下請けだったんだよね。映画の話は一切来なかった。自分たちに頼めよ!って思っていた」とは芦田氏。「超銀」はまさしく「記号」の009でしかなかったし情緒も湿り気もないというのがお二人共通の評価だ。なるほど、僕も「超銀」は評価していないのだが、そういう風に言われるとあの映画に一番欠けていたのがなんだったのか少し分かったような気がする。
手塚治虫の絵が「外国的」に感じられるのはディズニーの影響があるからだろう。石森氏には東北の土着の、大地に根付いた何かが絵や作品にあるということなのだろうか。それが「情緒や湿り気」に通じるのかも知れない。だとすれば「超銀」で宇宙に飛び出したサイボーグ達にそれらがないのは当然と言えば言える・・・と考えるのはこじつけに過ぎるだろうか?

009のキャスティングについて初めて知ったエピソードがあった。当時主役のジョーの声を誰にするかということで悩んでいた高橋氏は、あるファンから井上和彦さんが適役だという推薦を受けたらしい。当時の井上さんはまだ若手であり、高橋氏はよく知らなかったらしい。さっそく井上氏に逢い、声を聞いた高橋氏はジョーにぴったりだと思った。そして、ファンの人というのは本当にめざとく見ているものだなぁと感心したという。

また、両氏は現在のアニメを取り巻く状況をとても憂えておられた。僕が009放映当時のアニメブームが現在のアニメにどういう影響を与えたと思うか、という主旨の質問をした。「テーマが大きすぎるよ」と芦田氏にチクリと言われたが、芦田氏は「ヤマトのブームがオタクを生み出し、そのオタクたちがアニメの制作現場に(スタッフとして)入ってきた。今ではプロデューサーも監督も作画監督もスタッフすべてがみんなオタク、そして観客もオタク。だからどこかで観たようなストーリーを、どこかで見たようなキャラで、どこかで聞いたような声と芝居でアニメが作られてしまってる。今はオタクってどこにでもいるでしょう?そしてみんなすごく(考えや行動が)よく似ている。そんな人たちばかりが寄り集まって、仕事だという意識ではなく、作りたいものを作ってるだけ。それはとても恐ろしい」というようなことを口にされた。今のアニメの多くは縮小再生産であり、個々の作品の対象マーケットは狭い。言わばオタクな人たちがオタクな人たちに向けた作品を同人誌のように作っている。つまりプロとアマチュアの差が無くなってきたとも言え、プロがプロの仕事をしなくなってきている(できなくなっている)と言うのだ。“オタク第一世代”としては耳の痛い話ではあったが、非常に説得力のある話であった。。高橋氏は「009の頃は確かにアニメブームではあったけど、『赤毛のアン』のような作品もあり作品自体が多様だった。あの頃は黄金期だったと思う。今のアニメ界の状況はあまり良くないと思う。日本映画が一度ダメになったが、最近はまた良くなってきた。アニメもいつまでも隆盛が続くとはいえない。盛り上がりがあればいつか下火になり、また良くなる時が来るのではないか」と言うようなことをおっしゃっていた。
お二人は日本アニメーター・演出協会(JAniCA)の発起人でもあり、アニメ界の現在、そして未来について誰よりも深く考えているのだと改めて思う発言だった。

上記の質問は、きっと質問コーナーが設けられると思いトークを聴きながら考えていたのだが、いざ質問する段になってアガりまくってしまい声も手も震え情けない話し方になってしまいかなり凹んでいる・・・。今さらながら小心者の自分が悲しい。質問内容が009と石森章太郎に直接関わりないものになってしまったことは申し訳なかったのだが、お二人の話は本当に面白く興味深いものだった。

今、僕は杉並アニメーションミュージアムの近所に偶然住んでいるのだが、ここはサンライズのスタジオも近い。そんなことを考えて今の住まいに越してきた訳ではないのだが、30年前に観ていた009やガンダムの制作スタジオの近くに今住んでいるということがなんだかとても不思議な気がするのだ。やっぱり僕の人生はアニメとともにあるのだなと思う。これも都合の良いこじつけなのだろうけど。

19796
←今回、もし可能ならサインをしてもらおうと思い1979年のアニメージュ6月号の表紙をスキャンしプリントしたものを持っていったのだが、サインや握手は最初から「ダメ」だということだった。残念。このふわっとした髪の感じが好きだった。

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2009年1月18日 (日)

009年

今年は2009年、つまり千年に一度の“009”年である。

石森(あえてこう書く)章太郎の代表作サイボーグ009が世に出てはや45年。世界はあの頃とずいぶん変わったけれど、サイボーグ戦士たちに休息の時はまだ訪れていないようである。彼らは戦いを忘れた僕たちに代わって今日も死の荒野を駆けるのか・・・明日の休息を夢見ながら。

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今年動き出した新たな009プロジェクトのトップ絵を真似て描いてみた。数え切れないほどたくさん彼らの絵は描いてきたけれど、考えてみれば全員を一枚のイラストに収めたのは初めてである。彼らと一緒に年齢を重ねてきた僕にとって、図らずも記念すべき年の記念すべき一枚になった。

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2009年1月12日 (月)

正月休みのハナシ その①

正月休みに大阪の実家へ約8ヶ月ぶりへ帰り、そのついでにまんだらけ2店舗と京都にある国際マンガミュージアムというところへ足を運んできた。今回はそのまんだらけで購入した本についてである。
まんだらけは昨年5月に行って以来である。大阪には梅田となんばの2店舗があり、どちらもアニメ関係のムック本が充実していて楽しい。楽しいのと同時に買いたいものが多すぎて迷う。

で、今回の戦利品はコチラ(戦ってないけど)。
Ra

「アニメージュ」の徳間書店から1988年に発行された「TVアニメ25年史」と「劇場アニメ70年史」、そしておなじみロマンアルバムシリーズから「マジンガーZ」「宇宙戦艦ヤマト パーフェクトマニュアル2」「サイボーグ009」である。
TVと劇場、二つのアニメ史本は文字通り1988年時点でのアニメを網羅してある。ブログの記事を書く際、参考資料にうってつけだと思い購入。特にTVアニメ史は夢中で観ていた時代の作品全てがこの本に掲載されている。どちらも1作当たりの紹介スペースは少ないが、あらすじとスタッフ、作品の評価と解説がコンパクトにまとめられていて楽しい。解説は作品にまつわるちょっとしたエピソードも盛り込まれていて意外に読み応えがある。
それにしてもこの本の発行からすでに21年。TVアニメも46年めに入ったと考えると本当にすごいなと思う。僕が生まれたのが45年前なので本当にアニメと共に育ってきたんだと実感する。また、1988年の時点で劇場アニメが70年というのに少し驚いた。しかし、考えてみればTV登場以前の映像メディアと言えば映画しかないのだからそのくらいの歴史があっても不思議ではない。それでもそんな昔(大正中期)にアニメを作ろうと気鋭のクリエーターたちが奮闘していたことを考えるとその情熱には頭が下がる。そうした人たちがいて、今の日本のアニメがあることを忘れるべきではないだろう。

「マジンガーZ」については今さら説明するまでもないだろう。発行当時に購入しなかったので商品があるうちにと思い購入した。「バビル2世」とどちらにしようか迷ったのだが・・・。「マジンガー」のロマンアルバムを発行当時に購入しなかったのは単にお金がなかったからなのかも知れないが、当時の僕にとってマジンガーはすでに「こどもっぽい」ものだという意識があったのかも知れない。それであえて買わなかったのかも。
「宇宙戦艦ヤマト パーフェクトマニュアル2」はヤマト10周年と「完結編」公開を控えてそれまでのヤマト全作品を総括するという企画で出版されたうちの2冊目。僕は「パーフェクトマニュアル1」は購入していたが、「2」は「新たなる旅立ち」以降のあまり思い入れのない作品を掲載しているので中身すら見ずに購入しなかった。けれど、最近あるヤマトファンのサイトでこの本について触れているのを見て、買わなかったことを後悔していた。だから、どこかで見つけたら絶対購入しなければと思っていた。
この2冊は作品こそ分けて掲載してはいるが、「2」の方には1作目からのスタッフや声優インタビュー、そして1作目の貴重な企画書をカラー図版も含め再録されている。つまり本来であればロマンアルバムの記念すべき第1号である「ヤマト」に掲載されてしかるべき内容だ。初期のロマンアルバムは、まだ手探りな編集だったこともあって、その後のロマンアルバムほどには資料面で充実していなかった。そこをこの2冊で補完する形をとったのだった。今回見つけたモノは少々傷んでいたのが残念ではあるが・・・。
「サイボーグ009」は発行当時に購入しているが、今回はかなり綺麗なものを見つけたので買ってしまった。今年は009誕生45周年(僕と同い年だ)だし記念にということで。

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2009年1月 1日 (木)

明けましておめでとうございます

旧年中はたいへんお世話になりました。
本年もどうぞよろしくお願いいたします。

↓30年前のアニメたち
1979_3

ついこの間21世紀になったばかりのような気がしていたのに、もう2009年。平成も21年めに入った。“2001年”も、鉄腕アトムの誕生した2003年もとっくに過ぎ、ジェッターマルスの生まれる2015年もあとわずか6年である。僕が子どもの頃と比べて世の中は大きく変わったけれど、あの頃思い描いた未来とはずいぶん違っている。エアカーは走っていないし、メトロン星人が狙いたくなるほど人々は信頼しあってもいない。テクノロジーの進化は人を幸せにするはずなのに、便利になればなるほどがんじがらめにされているような気がするのはなぜなんだろう。
ヤマトがイスカンダルへ旅立つのは190年後だけれど、それまで人類は生きているのだろうか・・・。「人類の滅亡まであと・・・」というカウントダウンはもう始まっているのかも知れない。

・・・なんて新年早々暗い話ですみません。

今年は、その「ヤマト」放送開始から35年(←そこに持っていきたかったのかよ)、そして「機動戦士ガンダム」、いわゆる“ファースト・ガンダム”の放送開始から30年、そして宮崎駿初のオリジナル劇場作品「風の谷のナウシカ」公開から25年という節目の年である。
30年前の1979年に限って言えば、ほかにも劇場版「銀河鉄道999」、同じく「エースをねらえ」「ルパン三世 カリオストロの城」、TVでは「ベルサイユのばら」「赤毛のアン」などの名作が数多く生まれた年である。
僕にとっては高校受験を目前に控えた1年であり、上記のほかにも色々な作品に触れ、ますますアニメの魅力にとりつかれてゆくことになる年でもあった。
今年のこのブログでは、ことあるごとにこの「1979年(のアニメ)」を取り上げることになることと思う。当時の記憶を掘り起こしながら、また可能な限りの資料を紐解きながら懐かしい作品たちのことを語るつもりである。

と、いうことでトップのイラストを描いてみたわけだが、さすがにこれだけ描くと疲れる・・・やっぱアニメーターって偉大だわ。


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2008年12月30日 (火)

さよなら2008年

Jpg
干支を描くのって普通は年初だろうに・・・

2008年も今日を含めて残すところあと2日。皆様お忙しくしていらっしゃることと思います。

今年はジョー祭りを通じて知り合うことが出来た多くの方々に刺激され、ブログを始めてみることになりました。・・・あまり面白い記事も書けなかったと思いますが、人に読んでもらうことを前提に文章を書くことは難しくも楽しい作業でした。また、拙いながらも自分の好きなアニメや漫画のイラストを、これまた皆様の目に触れるということで緊張しつつも楽しんで描くことができました。そして、少しでもヒマがあればブログに何か書けないかと毎日考えることで、元来ものぐさな私も少しは行動的になった気がします(ほんの少しですが)。それもこれも訪問してくださる方々の暖かいコメントがあったればこそです。
今後も細々とではありますがガンバっていこうと思いますので、引き続きよろしくお願いいたします。
1年間どうもありがとうございました。

皆様、お体に気をつけてどうぞ良い新年をお迎えください。

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2008年12月19日 (金)

エリカ様

「別に・・・」のアノ人ではなく。

Photo

1978年を代表する作品のひとつ、「闘将ダイモス」のヒロインである。
キャラ原案は前作「ボルテスV」に続き漫画家の聖悠紀が担当、アニメ用キャラも同じく金山明博だった。聖氏のデザインは全体にやや幼く、かわいい。アニメ用のキャラは少し年齢も等身も上がった感じだ。
個人的には聖氏の少女漫画テイストの入ったキャラ原案は好きである。ただ、アニメとして動かしやすいかどうかは別問題。ベテランアニメーターの金山氏のデザインはアニメキャラとして、とても良く出来ている。それはそれでシリアスな作品世界にマッチしていたと思う。

ダイモスと言えばエンディングの、一矢とエリカが抱き合う最後のカットがすごく印象深い。中2の僕には少々刺激が強く毎回ドキドキしながら見ていた。
ビデオデッキがまだなかったので、画面に映るほんの数秒間にスケッチしようと無謀な挑戦をしたこともあるくらい好きなカットだ。幸せ一杯で、というよりは苦しみの果てにたどり着いた愛というのを感じさせる表情が素晴らしい。

とりあえずエリカの絵は描いてみたが、エリカというキャラそのものに実はあまり思い入れはない。そのせいかなんとなく中途半端な感じになってしまった・・・っていうか暗い。記憶喪失とか敵の男に惚れちゃったとか、障害だらけの恋愛で辛そうな顔ばかりしていた印象が強いせいだろうか。
演じたのは「コンV」「ボルテス」につづいての長浜作品の出演になる上田みゆきさん。この翌年(またかよ)長浜監督がてがける(途中で出﨑統氏に交代)「ベルサイユのばら」でもマリー・アントワネットを演じることになる。
ま、キャラに思い入れはなくとも上田さんの声だけで充分だな、僕にとっては。


Ra
←ダイモスのロマンアルバム。これってロボットアニメ??という感じの表紙である

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2008年11月30日 (日)

ずっとアニメが好きだった(9)

〜宝島〜

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僕が今もなお愛してやまない作品「宝島」。放送開始は「さらば宇宙戦艦ヤマト」が公開されたのと同じ年、1978年の10月から。説明するまでもない、出﨑統・杉野昭夫の名コンビの手による名作中の名作だ。当時中2だった僕は夏に観た「さらばヤマト」の興奮冷めやらぬ状態で、この秋放送開始のアニメでもやはり「ヤマト2」と「999」ばかりに目がいき宝島はノーマークに等しかった(出﨑統も杉野昭夫もまだ知らなかったのである)。しかしある日の番宣スポットCMを目にしたことで興味を持ち、途中から観始めてあっという間にのめり込んでいった。わずか15秒のスポットCMですらその魅力は伝わってくるほどであったのだ。

そして、宝島はおそらく僕が最も大量の涙を流した作品でもある。途中から観たのにも関わらず、である。今も観る度に必ず同じシーンで、30年前と同じかあるいはそれ以上の涙を流してしまう。ほとんどが25話と最終回のシーンなのだが、今の方が少しはオトナで(当たり前か)、あの頃よりも少しは人生を知ったからこそ余計に泣けるのだろう。
僕はシルバーやグレーに憧れ、いつかはあんなカッコイイ男になりたいと思ったものだった。だけど、なりたいと思うだけでなろうとしたわけではなかった。いつもいつも楽な方に流され、戦うことを避け続けてきた。そしてつまらないオトナになった。

*************************

「シルバーにとって一番大切なものはなに?」

宝島からの帰途、海賊の親玉シルバーは囚われの身となり船倉に閉じこめられていた。シルバーに憧れ、信頼し、裏切られ、なのに憎みきれないでいるジム。彼はおとなしく捕まったままでいるシルバーに失望していた。
そんなシルバーにジムはコーヒーを差し入れ、シルバーにどうしても答えて欲しいことがあると、上のような質問をしたのだ。
シルバーは答えた。

「今はこの一杯のコーヒーさ」

「まじめに答えてよ」と怒るジム。
そのジムに対しシルバーは「まじめさジム・・・今日という日のこの瞬間はお前の入れてくれた一杯のコーヒーだよ・・・しかし明日になりゃ変わっちまうだろうな」と言い、そして続ける。

「俺にとって一番大切なものってのが俺自身まだわかんねぇんだ。それを探すためにこうして毎日を過ごしてる。フリントの宝探しに血道を上げたこの10年は楽しかった宝を見つけりゃ、その『何か』が分かるような気がしていた。けど、宝は宝以外のなにものでもなかった。俺の『何か』ではなかった」

そして遠くを見つめるようにつぶやく。

「あるよなぁ、ジム。どっかで俺が、俺の一番大切なものってやつに出会える時があるよなぁ・・・そうでなけりゃ、あんまりさみしすぎらぁ」

(第25話 「潮風よ、縁があったらまた逢おう」)
*************************

僕はもういい歳をしたオヤジだ。宝の地図だの海賊の財宝だのを信じるには歳を取りすぎたし、オートロックのマンションじゃビリー・ボーンズ(主人公ジムに宝島の地図を与えた男)も尋ねて来やしない。ポストに入っているのは宝の地図どころか、クレジットの請求かゴミ箱へ直行するチラシくらいのもの。そして明日もまた同じ道をたどり仕事に行き、疲れて帰ってくるだけだ。

「お前の大切なものは見つかったのか?」
シルバーの大きな瞳が僕に問いかける。

「ムリだよシルバー、あんたですら簡単には見つからなかったんだろ?」
僕は答える。

けれど僕もきっといつか自分の、自分にとっての一番大切なものに出会える日が来るんだと信じて生きている。ちっぽけな冒険すらない狭い国に閉じこもったままの人生だけれど、シルバーやグレーのようなカッコイイ男には程遠いけれど・・・。

「そうでなけりゃぁ、あんまりさみしずぎらぁ」

眠れぬ夜に僕はふとつぶやいてみた。
やっぱ僕じゃカッコつかないよ、シルバー・・・。


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←ロマンアルバム。杉野氏の絵を同じ記事に掲載するとはイイ度胸だな、俺。

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2008年11月22日 (土)

ずっとアニメが好きだった(8)

〜さらば宇宙戦艦ヤマト公開〜

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↑当時の新聞広告

アニメージュ創刊と同じ1978年の夏、8月5日に全アニメファン待望の、宇宙戦艦ヤマトの続編にして完結編(になるはずだった)「さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち」が公開される。
“全アニメファン待望の”という表現は決して大げさではない。テレビ第1シリーズとその再編集による映画版の人気がアニメブームを巻き起こしていた。テレビではすでにアニメファンを意識した作品も多く放送されるようになっていた。けれども、アニメの面白さを(オタク的に)知ったばかりの僕や当時のアニメファンは「もっと多くの作品を観たい、もっとレベルの高い作品を観たい」という欲求がものすごく強かったのだと思う。ブームの熱に浮かされていたとも言えるのだろうけれど、それはとても心地いい熱だったのだ。
そんな時代だからこそ、ヤマトの続編は本当に誰もが待ちこがれた本命中の本命と言えた。それもオリジナルの劇場版新作となれば燃えないはずがなかった。

宇宙戦艦ヤマトのロマンアルバムに掲載された、映画第1作が公開されたときのファンが徹夜する様子に憧れたことは以前に書いた(ずっとアニメが好きだった(3)参照)。今度こそは徹夜行列に加わりたいと思ったものの、中学生の僕に親がそんなことを許すはずもなかった。涙をのんで公開初日の朝、始発のバスで僕は友人と2人映画館へ向かったのだった。当時、僕の実家から大阪の都心まではバスと電車を乗り継ぎ1時間半近くかかっていた。「もう映画館は一杯ちゃうやろか・・・」気ばかり焦るも、自分たちではどうしようもなく京阪淀屋橋駅を降りるやいなや御堂筋を北へ猛ダッシュで(野球部にいた僕らは体力だけはあったのだ)今は無き梅田の東映会館へ向かった。
映画館の前はすでに大行列だった。とにかく一刻も早く並ぼうと最後尾を目指すが、映画館の前の歩道から始まった列は角を曲がり映画館の裏手まで続いていた。ようやく列に並んだ僕らは立ち見を覚悟していたが、ヤマトの続編を見たいという気持ちが強く立ち見くらいのことはどうでもいいと思えたほどだった。
ようやく館内に入ったものの案の定劇場内はごった返しだった。とても座れそうにないと思いつつも2人で手分けして空いている席を探し回った。するとなんと奇跡的にぽっかりと2席並んで空いているではないか。しかも中段まん中から少し奥に入っただけの良い席だ。僕は持っていた鞄を放り投げて席を確保した(野球部なのでコントロールには自信があったのだ)。こんなに大勢の人が席を探しているのにそこだけ誰も気づかなかったなんてスゴイ。ヤマト愛の強い僕へのご褒美ではないかと思ったくらいだ。

並んで席を確保した僕らの気分が上々なのは言うまでもなく、あとは映画がはじまるのを待つばかりだった。
そしてついに待望の、本当に心から待ちこがれた「さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち」が始まった。もう気分はMAXハイ状態だった。前作で古代守を演じた故広川太一郎氏のナレーションで始まり、荘厳なパイプオルガンの曲をバックに繰り広げられる彗星帝国の脅威・・・そしてタイトルが出た瞬間、すでに僕の目は潤んでいた。そこにあのスキャットがかぶる。「ああ、ヤマトだ・・・これは間違いなくヤマトなんだ・・・」そんな思いで一杯になり涙が溢れそうだった。

それから後の事を書き始めると全ストーリーを紹介するハメになるのでやめておこう。
ヤマトの発進シーンで息をのんだり、デスラー登場シーンでどよめいたり、真田が死ぬ場面ですすり泣いたりしながら、皆がヤマトの世界にどっぷり浸りきっていた。クライマックスでは全ての人が泣いていたのではと思えるほどだった。
映画が終わるまでの2時間半はそれまでに感じたことのない幸福な時間だった。いや、それ以後もこれほどの幸福感はなかったように思う。それほどに劇場全体が一体感を持っていた。
それは公開初日の第1回目の上映だったからだと今でも思う。そこへ駆けつけるような人は間違いなく全てがヤマトファンであり、アニメファンだったはずだからだ。皆が皆、この瞬間を待ち望んでいた。誰よりも早く、少しでも早くヤマトに逢いたい。そんな多くの思いがもたらした時間だったのだと思う。
エンディングのジュリーの歌が終わった後、劇場は拍手に包まれた。誰からともなく自然と拍手がわき起こった。皆がこの映画に満足していた。
そしてヤマトとの別れを惜しんでいるかのようだった。

・・・そう、これが本当にヤマトとの別れであった方がどれほど良かったか。そうであればその後の僕らがヤマトに対してこれほど複雑な思いを抱かなくて済んだのにと今でも悔しい。
けれども、やはり「さらばヤマト」は永遠だ。30年前の夏、あの日あの時の胸の熱さは今でもはっきりと思い出せる。1978年8月5日「さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち」公開初日の第1回上映。その瞬間にしか味わえない感動を僕らは味わえた。そのことだけは真実だ。

そして僕の大好きなヤマトはあの時宇宙に散ったのだ。

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映画パンフと前売り入場券

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2008年11月16日 (日)

Gキャラ×Post It vol.2  〜ザビ家の人々〜

Post It に描いたGキャラシリーズ。
今回はジオン公国を牛耳るザビ家の人々。

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まずはパパ。
美形揃い(ドズル除く)の子どもたちの父には見えない・・・。

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長男。別名「ヒトラーの尻尾」。確かに演説上手。


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長女。兄が大嫌い。一番似てるんだけどね(同族嫌悪ってやつ)。


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三男。顔はこんなだけど、一番まとも。弟大好き。

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最後は四男。坊や、良くも悪くも、ね。


おや、ドズルは次男でガルマが三男では?とお思いになった方もいらっしゃるかと思う。
アニメのガンダムしか見ていない方はご存じないだろう。ドズルの上に、実は「サスロ」という兄がいて1年戦争より以前に暗殺されている。これは「機動戦士ガンダム公式百科事典」にも記述があるし、「THE ORIGIN」の「シャア&セイラ編」に登場し、車が爆破され暗殺されるシーンも描かれている。THE ORIGINを見る限り、見た目は父デギンの血を一番引いているようである。ドズルを少し賢くしたイメージか。ちなみにドズルの顔の傷は、兄サスロが暗殺されたときの車に同乗していたときに負ったものである。

「THE ORIGIN」の、アニメでは描かれなかったオリジナルストーリー「シャア&セイラ編」「開戦編」は本当にお勧め。もちろん「THE ORIGIN」自体超お勧めなのだが、アニメ世界を補完する意味でもこのオリジナル部分は本当に素晴らしいと思う。ガンダムの世界を知り尽くした安彦氏だから描ける、そしてコミック作家として築き上げてきた手腕が存分に発揮されているのだ。神話世界も含めた歴史ものを数多く題材にしてきた安彦氏らしく、ガンダムの世界を一種の歴史ものとして描いている。各キャラの性格もより深く掘り下げられており、アニメでのキャラたちの行動に対してもこのオリジナル部分によってしっかり裏付けがなされているのがスゴイ。ガンダムファンで未読の方は是非一読を勧めたい。

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2008年10月28日 (火)

Gキャラ×Post It vol.1

G(ガンダム)キャラを7.5cm正方形のPost Itに描いてみた。
描いてみた、といっても昨年のこと。
仕事中、合間を見てちょこちょことシャーペンで。シャーペンでシャア・・・ぷぷっ(こらこら)。
ちっちゃい紙に描くのは元々好きなので、楽しくなってちょーしに乗ってあれこれ描いては職場のPCモニタに貼って遊んでた(それが許される職場って・・・)。

とりあえず、そのうちからレギュラー6人です。
他のキャラはまたおいおい。
画像調整していないため、汚れなどそのままでお見苦しいかと思います。

また、ブラウザの種類や設定によっては絵の位置とコメントが著しくずれている場合もあると思いますのでご了承くださいませ~。

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アニメ史上初めての画期的ネクラ主人公。

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そんなネクラなPCオタクを慕う女の子。だけどそんなキミをオレは好きだぜっ。

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色々と勘違いしちゃった人。独り言をいうクセあり。

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その妹。ブラコン。変なアニキなのにねー。

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気の短い艦長さん。不器用。なにやってんの!

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WBのお袋さん。まだ18歳なのに〜。不器用な人をほっとけないらしい。

ああ、眠れないからって何やってんだろ。

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2008年10月 6日 (月)

緑の髪の少年

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トリトン。
以前からずっと描いてみようと思ってたのだが、なんかうまくいかないので先延ばしにしてた。
うまく描けないという意識があると、結局どうにも上手くいかないものだ。

トリトンについては色々語ることはあるのだが、今回はこの絵だけで・・・。
あれこれ書こうとしたけれど、絵の方ともども調子が出ない。

・・・トリトンファンの方々すみませんです。

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2008年9月 8日 (月)

タツノコの世界

東京・八王子で開催中の「タツノコプロの世界展」へ行ってきた。

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で、これは以前描いた三船剛に色を着けたもの。八王子には展示されていません(←当たり前や)
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←鉛筆のタッチを省いたらこんな感じデス。

僕ぐらいの世代でタツノコアニメになんら影響を受けないで育った人などいるのだろうか?そう思えるくらい「タツノコ」は特別な存在だった。
「東映動画」や「虫プロ」といった名は小さい頃はほとんど意識することはなかったのに、「タツノコ」だけはいつしか頭の中に刷り込まれていたのだ。それは子供心にも「何か違うぞ」と思える独特の絵がそうさせたのだと僕は思う。東映動画や虫プロ、東京ムービーと言った会社は作品と絵が直結しないのに対し、タツノコだけは会社名とビジュアルイメージが常に一致していた。
それは言うまでもなく、タツノコの創設者である吉田竜夫氏の絵柄が初期の作品のほとんどに反映されていたからであり、後に続く数々の作品も氏の影響を大きく受けていたからであろう。そして元々アニメの専門家でない吉田氏の元に集まったスタッフもまたアニメの専門家ではなかったことが、自由な発想を生みオリジナリティー溢れる作風につながったのだ。

そんなタツノコプロが、その後のアニメ界に多彩な人材を送り出しているのも当然かも知れない。
今や世界的な映画監督として知られる押井守、ガンダムやナウシカの美術監督・中村光毅(実はメカデザナーの草分けでもある)、ガンダムやタイムボカンシリーズメカデザインの大河原邦男、実力派アニメーターであり演出家のなかむらたかし、イデオンなどのキャラデザイン・作画監督の湖川友謙、メルヘンタッチの作風で「みんなのうた」など短編アニメで活躍している南家こうじなどなど・・・。イラストレーターの天野嘉孝もタツノコ出身だ(アニメーターではなくキャラデザイン専門であった)。もちろんまだまだたくさんいるのだが、その個性や実力において傑出したものを持った人物を多く排出している辺りがタツノコらしいという気がしてならない。
今回の展示の中には「マッハGOGOGO」など代表作のキャラ設定書(コピー)もあった。そこで驚いたのは、主人公三船剛の顔があらゆる角度から極めて立体的に描かれていることである。どの角度からでも無理なく描けるよう設定されたリアルな絵はとても40年も前のものとは思えない。そして、この設定画を見ていてさらに気づいたのが前出の湖川友謙氏の絵にとてもよく似ていることである。いや、正しくは湖川友謙氏の絵がこのタツノコの遺伝子を明らかに受け継いでいるということだ。湖川氏独特のアオリの絵や人物を骨格から捉える描き方のベースは、タツノコで学んだものだったのだ。

今回の展覧会、十分に面白かったのだが不満もある。
ひとつはアニメの「原画」がほとんどなかったこと。背景画やキャラ設定、イラストなどは豊富であったが「動く絵」としての原画をもっと見たかった。それと、イラストの作者名がなかったこと。久里一平氏の絵は一目瞭然なのだが、久里氏も含めイラストの作者名(吉田竜夫氏のご令嬢である吉田すずか氏の名はあった)がないのは展覧会としては不備であり、不親切でははなかったかと思った。さらに言えばアニメブーム真っ盛りに作られ、アニメファンに支持された「ゴールドライタン」や「ウラシマン」などの作品や80年代中盤以降の作品にはほとんど触れていなかったことも残念だった。
それでも、吉田竜夫氏の直筆スケッチなどは本当に素晴らしかった。あの華麗な線は今なお輝きを失っていない。それだけでも観に行った価値は十分にあったと思う。
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子供の頃から愛聴したタツノコ作品のレコード盤2枚。

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2008年9月 1日 (月)

線のニュアンス

今回は、久しぶりに絵の話題を。
ま、ネタがないので自分の絵をネタに記事を一丁でっちあげようということなんだけど。

デジタルで絵を描くようになってどれだけ経つのだろうか。デジ絵と言ってもその手法は様々だが、最近ではペンタブとドローイングソフトの発達で手で描くのと変わらない感覚で描くことができるようになっている。
けれど僕はペンタブを持っていない。
そんな僕が一番慣れ親しんだデジ絵の手法は、ベジェ曲線を利用したパスで描く方法だ。当然、全てマウスで描く。
使用するソフトはドロー系ソフトの代表格「イラストレーター」だ。これはかなり初期のバージョンから使用しており最も扱いになれている。
いまではずいぶんと色々な機能が追加されたが、描き方の手順は基本的に変わらない。

鉛筆で下絵を描く→スキャナーで取り込む→イラストレーターを立ち上げ、下絵を貼る→パスでトレースし、着色する
これだけだ。
昨年描いた絵を例に取ると、以下のようになる。

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これが下絵。

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下絵をパスでトレース。分かりにくいが下絵を半透明にしてトレースしている。

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強弱のある輪郭線は、実際は閉じられたパスを黒く塗っている。

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パスだけでみるとこんな感じ。
輪郭線は、フォトショップで仕上げる際に少し太らせるので意識的に細く描いている。

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着色。輪郭線と同じようにパスを描いて色を着けた。

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パスだけでみるとこんな感じ。

Adobe_illustrator_cs3screensnapz001
輪郭線を隠すとこんな感じ。

イラストレーターで描くのはここまで。
このあと、画像加工ソフトのフォトショップでエフェクトをつけるなどして完成。
009071030

・・・と、まあこんな感じである。
完成したモノだけ見ると、まあこんなもんなのだが
実は少し納得していない部分がある(いや、もちろん全体としての出来も、なんだが)。
それは、「線のニュアンス」だ。

最初のところに貼った下絵は清書したもので、その前に下絵の下絵(ラフ)がある。
↓これがそうなのだが、実はこの下絵の感じを自分では気に入っていた。
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この009は最初のTVアニメ版をモチーフに、原作とアニメの中間のようなキャラを描きたかった。アタマの中のお手本は、以前に紹介したロマンアルバムの描き下ろしイラストだ。この最初のラフはその感じを上手く描けたと思っていたが、スキャン用の下絵として清書した時点で、その線のニュアンスはかなり失われ、トレースした段階ではかなり違ってしまった。

009_2
こうして3枚並べると、違いがお分かりいただけるだろうか(クリックして拡大してみてください)。
最初のラフの目と口の感じが自分では気に入っていたが、完成品ではそのニュアンスが再現できていない。
もちろん制作途中で、色々試行錯誤を繰り返したがどうしても上手くいかずあきらめてしまったのだ。
まあ、それでもこのイラストは悪くない方だとは思う。実はこれ、1年近く前に009の脚本を書かれた辻真先先生にお会いする機会に恵まれ、その時のために描いたものである。辻先生にお見せするという緊張感を持って描いたので、それなりに気合いが入っていたとは思う。

と、まあこれが僕の絵の描き方の一例である。
イラストレーターというソフトを使う場合、その手順に大きな差はないと思われるし、同じソフトを使う以上その機能の範囲内の話でしかない。結局は描く人の絵柄やセンスが機能の使い方の差になり、絵の個性となって現れるだけだ。
僕の場合、色々な機能を覚えるのが面倒なので限定的な機能で描けるような絵しか描いてないのだけど(←ダメじゃん・・・爆)。

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2008年8月 1日 (金)

ルパン三世〜

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↑初期のルパンを意識したものの・・・。

今週、NHKBS2で「とことんルパン三世が放送された。
全部観ることはとても叶わなかったが、ところどころ観たり「アニメ夜話」は全部観られた。
う〜む、やっぱカッコイイ。
僕はファーストシリーズを本放送から見てた、と思う。
小学校1年のときだからかなりアヤシイのだが、新番組予告を見た覚えが鮮明にあるのだ。
一度聞いたら忘れられない山田康雄さんのアノ声だった。そして子供ごころにも洒落た絵だと思ったことも(洒落たという言葉など知らなかったが、オトナの言葉で言えばそういうことだ)。
どこが洒落ていると思ったか。
ルパンがフォーミュラマシンに飛び乗ってヘルメットをかぶったときの「腕の形」だ。

Rupin
←このカット

これがやたらオシャレな感じに見えてハートを鷲づかみにされたのだ。
もちろん、絵の感じといい明らかに何かが違うと思った。

そして子供心をつかんだのが「ルパン」という名。
少年向けの小説シリーズで「アルセーヌ・ルパン」はおなじみだった。
それと関係があると思ったのだ。
それで期待に胸膨らませ見始めたら・・・。
第1話でいきなりあの(こちょこちょマシーンの)不二子ちゃんである。
これはイケナイものを見ていると、後ろめたい気持ちにもなった。
しかし、夢中になった。
それはお色気も含めた「オトナのアニメ」だったからだ。
絵といいストーリーといい、それまで見ていたアニメとは何もかもが違っていた。
少し、というかかなり背伸びをした気分で見ていたのだろう、きっと。

・・・いや、しかし本当に小1で、「帰ってきたウルトラマン」に夢中だった僕がルパン三世を見ていたのだろうか・・・。自分の記憶に極めて自信は持てない。
しかし、新番組予告の記憶はあまりに鮮明だ。再放送ではあり得ない。
やっぱり見ていたとしか思えないのだ。

好きな話、シーンは山ほどある。
それらについてはまた別の機会に書こうと思う。
今は熱の冷めないウチにこの記事とイラスト(いつもにも増して粗いのだが)をとにかくアップしたかったのだ。

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2008年7月21日 (月)

スピードレーサーを観た

スピードレーサーを観てきた。
映画の出来の良し悪しや俳優の演技がどうこうなどということは何も書けない。ただただうれしかった。小さい頃夢中で観ていたアニメがこうして実写映画となって目の前の大スクリーンに展開していることが夢のようだった。
だから、まったく冷静な目で映画を評することは出来ない。
僕はとても嬉しかったし、楽しめた。
それで十分だ。
(以下、一部にネタバレ含まれますのでご注意のほど)

嬉しかったのは、ただ映画になったからだけではない。映画のスタッフが原作であるアニメに対し深い愛情と尊敬の念を持っていることが嬉しかったのだ。
今年の5月にマッハ号が展示されていたことについて触れたときにも書いたが、あのマッハ号のデザインはほぼオリジナルのままだったし、ステアリングのボタンを押して飛び出す数々のメカもそのまま。オートジャッキで飛び上がるシーン(象は飛び越えなかったけど)でのあの「きゅんきゅんきゅん・・」という効果音も全くそのままで、これが実写映画だということを忘れてしまいそうだった。レーサーXこと覆面レーサーのマシンも原作アニメのイメージに近いし(覆面レーサーの輪郭があまりにそっくりすぎてたまらない)、クリオや三平(もちろん、名前は違う)は相変わらずマッハ号のトランクに潜り込んでるし、パパはひげをはやして太っていて、おまけに強い(原作では柔道や空手の達人、映画ではレスリングだ)。そういえばパパ役のジョン・グッドマンは「原始家族」の実写版でもパパ役をやっていた。もともとアニメキャラっぽい人なのかも。
このようにメカや主要キャラのイメージは極めてアニメに近く作られている。背景もほとんどがCGでつくりこまれており配色もきわめてアニメ的だったと思う。演出もリアリティなどおかまいなしで「アニメ的な実写映画」と言っていいかもしれない(余談だが、ラリーのシーンで出てくるバラエティー豊かなマシンを観ていて「チキチキマシン猛レース」を思い出して、ほくそ笑んでしまった)。

けれど、何よりも驚いたのが音楽だ。
あの主題歌のメロディーをアレンジしたBGMが随所に効果的に使われていたのだ。子供の頃から頭に刷り込まれた大好きなメロディー。それが聞こえてくるだけでうるうるしてしまった。そしてEDでとどめを刺された。
EDは主題歌をアレンジした歌が流れるのだが、その出だしに日本語の主題歌をそのまま使用していたのだ。
これにはやられた。これこそ原作への最高のリスペクトであり、日本のファンへのプレゼントではなかろうか。
不覚にも僕はこのEDで泣いてしまったのだ。
映画のプログラムによると音楽を担当したマイケル・ジアッチーノは「マッハGOGOGO」のオリジナルスコアをこよなく愛していたそうで、それが作曲家への道を歩むきっかけだったとも書いてある。
なんともうれしい話ではないか。
「マッハGOGOGO」はストーリー、デザイン、音楽全ての面で時代を超えてもなお色褪せることのない作品だったことが証明されたようなものだ。
原作に最大級の愛と敬意を持って映画化してくれたスタッフに心から礼を言いたい気分だ。

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↑剛のガールフレンド、ミッチー。映画での名前はトリクシー。演ずるはクリスティーナ・リッチ。タツノコの女性キャラは男性キャラに輪をかけて難しい・・・。

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2008年7月 7日 (月)

三船 剛

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笹の葉サラサラ・・・東京はあいにくの曇り空です。
そして七夕とは何ら関係のない絵ですみませんです。
さらに、色も付けないで申し訳ありません。
あまり更新が出来そうにないので、落描きでお茶を濁そうと急ぎ描きました。
やはりあのバタ臭い独特の絵は難しいっす。
時間が出来たらせめて着色しようと思います。
そして、先週末公開された映画「スピードレーサー」。早く観て、感想を書きたいのですが・・・公開中に行けるのだろうか?

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2008年6月30日 (月)

劇場版「エースをねらえ!」

先日アニマックスで劇場版「エースをねらえ!」を観た。
7月1日から出﨑統監督の新作「ウルトラヴァイオレット コード044」がアニマックスで放送される。それを記念して同局で出﨑作品を特集しているその一環だ。

劇場公開は1979年。今から29年も前のことだ。
同じ年に「銀河鉄道999」も公開されている。この「エース」も999と同じく夏休みの公開予定だったが、なぜか9月に公開がずれ込んでいる。そのためかいつの間にか公開されていつの間にか終わってたという印象だ。僕も劇場では観ておらず、その後テレビ放映されたときに観たのが最初だ。アニメージュでも何度も取り上げられていて注目の作品だったはずなのだが・・・。
しかし、当時から評価は高かった。
出﨑&杉野コンビにとっては「宝島」と「ジョー2」の間の作品であり初の劇場用作品だ。演出、作画ともまさしく「脂ののりきった」という表現がぴったり来る出来映えで、わずか90分という短い時間を実に見事な構成でまとめてある。
原作ファンの人からみると異論もあろうし、物足りなさもあろうがこの時間にこれだけ濃密なドラマを描ける演出家はそうはいないだろうと思う。無駄なことは一切そぎ落としながら決して薄っぺらではないドラマ、時間の短さとは裏腹にめまぐるしさを感じさせないゆったりした叙情的な演出は神業にすら思える。
藤川桂介氏の脚本、杉野氏の作画、小林七郎の美術なども僕の貧困な言葉ではとうてい表現しきれないほど素晴らしい。
個人的にとても好きなのが、ひろみとマキの会話。
台詞回しがいちいち面白い。あの頃の少女漫画的な、とでも言おうか、そういう言い回ししないよな〜っていうのがかえってイイのだ。これは脚本の藤川氏のセンスよるものだろう。初めて観たときからとても印象に残っていた。ここに再現してもいいのだが、やはりこれは高坂さんと菅谷さんお二人の好演なくして良さは伝わらないと思うので気になる方は是非観てみて欲しい。余談だが「エース」はこの劇場版を含めOVAシリーズなど5作がアニメとして制作されている。その中で唯一キャスティングが変更されていないのがこの愛川マキ役の菅谷政子さんだ。

劇場版「エースをねらえ!」が」公開された1979年は、先に書いた999を初め、ガンダム、カリオストロの城など劇場、TVを問わず名作に恵まれた年だった。その中でもブームを牽引するような位置にはなかったものの、この「エース」もまた紛れもない名作として今に語り継がれる作品であった。


Photo←この劇場版においてそのセリフの多さではおそらくひろみの次ぐらいに多いであろうマキ。彼女はストーリーの根幹には関わらないが、ひろみという主人公の支えであることがセリフの多さからもすごく良く分かる。
この映画を観てマキ大好きになった僕であった。もっと元気な顔の方が良かったかな〜。

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2008年5月 5日 (月)

不遜ながら

キャプテンにお留守番をお願いしていきます。
出先(といっても実家ですが)でもレス出来ればしますので〜。080504

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2008年5月 2日 (金)

マッハGOGOGO!!

02カッコイイ・・・カッコよすぎる。
今、僕の目の前にあのあこがれのマッハ号がある。本物だ。
これがあれば砂漠だって海の中だって走れるし、
ステアリングの「A」ボタンを押せば象だって飛び越えられる・・・いや、そりゃ無理なのは知ってるけど。
Photo

これはこの夏公開の話題作「スピードレーサー」の公開前イベントとして東京・汐留の日本テレビ前に展示されているマッハ号である。
「スピードレーサー」は言うまでもなく日本が誇るアニメ「マッハGOGOGO」を原作とするハリウッド映画である。アニメはアメリカで「スピードレーサー」と名を変え放送され大人気を博した。タランティーノ監督などハリウッドにも多くのファンがいることはよく知られており映画化の噂もずいぶん前からあったが、ついに今年「マトリックス」のウォシャウスキー兄弟の手による映画が公開される運びとなった。
日本オリジナルのものがハリウッドでリメイクされる場合、オリジナルがそのまま生かされることは少ない。しかし、この「スピードレーサー」はメインキャラや覆面レーサーなどのデザインがほぼアニメのまま採用されているのだ。そして主役メカ「マッハ号」のデザインも写真のようにアニメそのままなのだ(細部に多少の違いがあるのと、バージョンアップした新型も登場するようだが)。
ウォシャウスキー兄弟が日本のアニメファンであることは良く知られている。こうした基本設定に手を加えないことは彼らが原作に最大の敬意を払っていることの現れだと僕は思う(マッハ号が飛ぶ時の「あの音」もそのままだ)。ただし、それも元々のデザインが手を加える必要もないほど洗練されていたからこそである。40年も前のアニメのメカデザインが現代でもそのまま通用することは驚愕に値すると思う。タツノコプロ恐るべしである。

ある世代以上なら誰もが思い浮かべることの出来る、タツノコプロ独特の日本人ぽくないキャラデザインは創始者である吉田竜夫氏の絵柄をベースにしている。アメコミの影響を受けた(吉田氏はスーパーマンの日本版コミックを描いてたこともある)バタ臭いデザインは異彩を放っていた。子供心に「タツノコ」というところの絵は違うぞ、と感じるほどに。服装もおしゃれだった。そうしたキャラデザインや抜群にかっこいいメカ、そして日本が舞台ではなく世界中をめぐるストーリーの相乗効果があってアメリカ始め海外で受入れられ易かったのだろう。

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←足長っ!
こんな日本人家族いないし(笑)。

そもそもタツノコプロの創始者である故吉田竜夫氏はプロダクション設立当初から海外マーケットを視野に入れて作品作りをしていたという。図らずも今、それが成功だったことが証明されたのだ。スピードレーサー公式HPの作品紹介の中にこんな一文がある「Based on the classic series created by anime pioneer Tatsuo Yoshida」・・・吉田氏がご存命であればどんなに喜んだかと思うと胸が熱くなる。

子供の頃に夢中で見ていたマッハGOGOGO。
海を越え、時代を超えてこうしてまた僕たちの前に帰ってきたのだ。
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←子供の頃買ってもらったレコード。唄はオリジナルのボーカル・ショップではなく高橋元太郎@うっかり八兵衛のカバーバージョン

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←十数年前に買ったTシャツ

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2008年4月28日 (月)

恥さらしの時間

前回、ヤマトのロマンアルバムの模写を計算用紙に描きまくったことに触れその恥(表紙)を白日の下に(?)さらしたわけだが、今回はさらに恥の中身をさらそう。長く下手な文章ばかりでは訪れてくれた方々に申し訳ないので、GWの息抜きに笑っていただこうと思う。

1これは最初のページに描いたもの。ところどころ定規を使ってはいるものの線がガタガタ。パースも何もあったもんじゃない。
字の下手さにもあきれる。中1ってもう少し上手くないか?普通は

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初めてキャラが登場する一枚。キャラ設定の顔を模写。実際はもっとりりしい顔なんだがなぁ・・・。
薄い紙なので次ページの絵が透けてます。

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古代守、第1話の名セリフ。

実はコレ、謎の一枚なのである。ヤマトのロマンアルバムには「メインキャラクター名セリフ集」というコーナーがあり、沖田や古代進などの名セリフが掲載されている。これはその中のひとつを模写したもの・・・のハズなのだが僕の手元にあるロマンアルバムを見ると、古代守の名セリフは載っていないことが分かった。これは一体どーゆーこっちゃねん??
古い本ゆえにページが抜け落ちていたのかもと思ったがちゃんと通しNoは合っている。しかも、この本のどこにもこの守のカットは掲載されていないのである。僕の頭の中には二色刷の古代守がはっきり残っているというのに!!
そして絵の下に書いたプロフィールも載っていない。当時の僕が記憶だけでこんな絵を描ける訳もなく、こんなちゃんとしたプロフィール文も書けるハズがない。謎だ、あまりに謎だ。どなたか情報あったら教えてください〜。

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2008年4月26日 (土)

ずっとアニメが好きだった(その3)

〜ロマンアルバム「宇宙戦艦ヤマト」(後編・長いです)〜

ターゲットを絞りきれていない感がありありと現れたヤマトのロマンアルバムだったが、その後のロマンアルバムのみならずアニメムックには欠かせなくなるものが掲載されていた、それが「設定資料集」である。人は物事の裏というものを知りたがるもの、そうした心理を刺激する記事であった。元々は一般のファンが目にすることはない製作過程の資料でしかないものにスポットを当て、世に出した功績は評価できると思う。だが商業誌においてこうした資料を載せることになったのはそもそもファンの力が大きいのだ。なぜなら当時、ヤマトファンが編集した同人誌や機関誌にはこうした設定資料がすでに掲載されていたからだ(後から知ったことだが)。つまり、ファンの作った物が商業誌に取り入れられたことになる。だからヤマトを支えているファン層とはそういう人たちであるということを編集部は理解していたはずである。しかし前編で書いたように商業誌のメインターゲットにするほどの確信は持てず、結果的に児童向けとコアなファン向けの内容がごっちゃになったような本になってしまったのではないかと思う。
そんなロマンアルバムではあっても、この設定資料でアニメ製作過程の一端を知り、僕の知的好奇心は大いに刺激された。何よりアニメが人の手で作られているという当たり前のことを認識させてくれたことがその後アニメへの興味を広げることにつながったことは間違いない。
 
そして、終盤の4ページ。この本全体の中ではおまけみたいな記事ではある。しかしこの終盤4ページもまた僕にとっては充分に刺激的であった。
全88ページ中の84・85ページ目に「8月6日上映ルポ 宇宙戦艦ヤマトが燃えた日」と題された記事がある。劇場版ヤマトが公開された当日の都内6館のレポートである。そこには徹夜で行列をするファンの姿があった。何時頃来たとかセル画をもらえたなど、ありきたりの内容に続きこんな一文があった。以下に抜粋しよう。

「銀座東急、8月5日深夜、徹夜組の輪の中から、甘い旋律(メロディ)が流れだす。
♪あの娘がふっていた 真っ赤なスカーフ 誰のためだと思っているか
およそ140人。ここへくるまでは、みんな知らない顔ばかりだった。それが、この「ヤマト」を通して、いま、たがいに手をにぎり、胸をよせあっている。熱い血潮をたぎらせながら、スターシャへの想いを語らいあう。「赤い(原文ママ)スカーフ」のハミングが、銀座の月を濡らすのだ。」

これは後にファンの一体感を高めた「イイ話」として伝わった出来事だ。

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←ロマンアルバム85ページに掲載された写真

明らかに当時の自分より歳上の、高校生から大学生と思しき若者たち・・・大行列をなし、ヤマトのセル画を誇らしげに掲げて写真に収まっている。僕にはモノクロ写真の中の彼らがまぶしかった。そして心からうらやましく、ねたましくもあり、そして憧れた。自分もその輪の中にいたかったと心からそう思い悔しかった。アニメファンにはこういう世界があり、自分より何歩も先を行く人たちがいるんだと知った。そしていつか自分もあの輪の中に入りたちと思った。
つづく86・87ページには、「熱狂!!ヤマトファン大集合」という、ヤマトのファン活動を扱った記事も掲載されている。メインの写真にはステージで熱唱するささきいさおさんと同じステージに立つ故宮川泰さんの姿。キャプションには「ささきいさおが投げた“真っ赤なスカーフ”に殺到するファン」とある。ファンイベントでのひとコマだ。記事の中身はヤマトのオフィシャルファンクラブが盛況であり、そのコアな層が中〜大学生であるといった内容だ。併せて、いくつかの同人誌も写真で紹介されていた。同人誌という「形」になったものは僕の目にかなり新鮮に映った。ここにもまた僕の知らない世界があった。絵を描くのが好きで、学級新聞やクラスの文集などの編集もした自分にとってはものすごく興味深かった。
ここで、行動力のある人ならロマンアルバムの編集部に問い合わせるなど、なんなりとアクションを起こすだろうが、小心者の僕はそういうことすらできなかった。けれど何かをしたい衝動は収まらず一人で何かを作ろうとしたらしく、このロマンアルバムの中身を構成し直すかのようなものをコクヨの計算用紙ほぼ一冊分に鉛筆で描きまくったのである。それは単なる絵と文章の模写でしかなく、なにひとつオリジナルな内容のないことに我ながら情けなくなるばかりであるが。ただ、60ページ以上にわたって絵を描きまくったエネルギーだけは若さのなせる技なのか、我ながらちょっと感心する。この後中学時代の僕はヒマさえあれば、ひたすら同じコクヨのノートにアニメや漫画の模写をしまくった。それがいくらかは絵の上達に役立ったことだけは確かだろう。
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←恥の一冊。

この終盤4ページは僕に、アニメには観るだけではない楽しみ方があることを教えてくれた。ヤマトのロマンアルバムが僕にとって最も重要だったのは、ある意味この終盤の4ページがあったからこそなのかもしれないとすら思う。
記念すべきロマンアルバム「宇宙戦艦ヤマト」。内容は、中途半端でトホホなものの好調な売れ行きを見せた。ロマンアルバムはその後シリーズ化され今も続いている。そしてその成功は初のメジャーアニメ誌「アニメージュ」の創刊へとつながっていき、その後のアニメブームを牽引してゆくのである。
僕自身が交流を求めて外の世界へ出て行くのはまだ少し先、高校へ進学してからの事だ。このころの僕はアニメにハマっていきつつも、まだまだ野球部の練習と学校生活の方が大事だった。

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2008年4月24日 (木)

ずっとアニメが好きだった(その2)

〜ロマンアルバム「宇宙戦艦ヤマト」(前編)〜

僕がアニメの世界にどっぷりハマるきっかけとなった「ヤマト」。それを後押ししたというか、決定的にしたのがヤマトの本格的なムック本として徳間書店が発行したロマンアルバムである。僕が持っているのは第2刷なので発売後スグに買ったわけではなかったようだ。
本の内容は、松本先生のイラストによるスターシャのピンナップ、カラーグラビア「Memories of Yamato」があり、以下「ヤマト航海日誌」「名セリフ集」「設定資料集」「全放映リスト」「ヤマト製作夜話(裏話みたいなもの)」と続く。終盤4ページに映画公開日のリポート、そしてファンの活動についての記事があり、最終ページには西崎Pのメッセージが掲載されている。
 スターシャのピンナップはサインに「1977」とあるから描き下ろしのようである。よく見る正面からのアレではなく肩越しに微笑みかける色っぽいカットだ。カラーグラビアは本編のスチール写真ではなく、なんとすべて描き下ろし・・・しかしながら絵がかなりトホホなのである。まあ分かりやすく言えば低年齢向けのアニメ絵本、しかも出来の悪い部類の・・・って感じの絵だ。これには参った。すでに絵の良し悪しを見分けるくらいには成長していたのでかなり脱力した。そもそも本編のカラー写真は表紙を除くと掲載されておらず、相当ガッカリした覚えがある。

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←トホホな古代と雪

実はこのロマンアルバムシリーズには当初「テレビランド増刊」という冠がついていた。つまり児童向けのテレビ雑誌の編集部が「アニメのムック本を作れと言われたもののどう作っていいのやら」というとまどいがこのカラーグラビアに現れているように思う。あるいはターゲットをマニアに絞って編集して、もしも売れなかったらヤバいので間違って子供が買っても大丈夫な内容にしたかのどちらかである、きっと。製作スタッフや声優さんのインタビューが全くないことからも、編集部は「そういうところ」に興味を持っているファンがいるということは知っていても、まだ雑誌のターゲットとして想定するには難しかったのだろう。
(後編へ続く)

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2008年4月20日 (日)

ずっとアニメが好きだった(その1)

〜オタク的行動の芽ばえ〜

僕は小さい頃から好きなモノがずっと変わっていない。その時々で多少興味の幅が広がったり狭まったりしてはいるが基本的に変わらない。野球とアニメと漫画。この3本柱である。興味の持ち方や関わり方、原体験という部分でアニメや漫画とリンクする部分が多い特撮がその次くらいに位置する。
このブログではことあるごとに好きなモノと自分との関わりについて触れることになると思うがそれぞれとの関わりについて「想い出語り」を主題にして不定期に書いてみようと思う。何回続けようとかまったく考えず、想い出尽きるまで語ってみたい。

前置きが長くなった。悪い癖である。本題に入ろう・・・今回はアニメについての第1回である。

「オタク」という言葉、個人的には好きではない。が、世間に認知されておりその特性も含め分かりやすい言葉なので敢えて使う。僕が「オタク」的な行動をとるきっかけになった作品、それは「宇宙戦艦ヤマト」である。僕と同世代のオタクたちにはそういう人が多いと思う。

前回、ラジオドラマ「宇宙戦艦ヤマト」について触れた。この番組が放送されたのは1977年の12月。同じ年の8月、TVシリーズの再編集を中心とした映画「宇宙戦艦ヤマト」が公開されブームを巻き起こした。ラジオドラマが企画されたのはすでにこうした実績あってのことである。僕ももちろん劇場へ足を運んだ。このときの私はすでに「ヤマトファン」であり、待ちに待ったこの映画は小学生の頃からヤマトに抱いていた熱い思いを満たしてくれるものであった。

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←映画版「宇宙戦艦ヤマト」のパンフ表紙と裏表紙。裏表紙は実際にはないシチュエーション(「青い地球」に帰還するヤマト)である。

最初のTVシリーズが放映されたのは1974年から75年にかけてのこと。前番組「侍ジャイアンツ」の大ファンだった僕は侍ジャイアンツが終了する頃に流れ始めた新番組の予告に釘付けになった。
「西暦2199年、人類は滅亡の危機にさらされていた・・・」
細かい部分は憶えていないが、おおむねこんなだったろう。そのナレーションと共に現れたヤマトの勇姿!元々軍艦好きでプラモをたくさん作っていたこともあり、戦艦が宇宙を飛ぶ、しかもそれが「大和」だというだけでワクワクした。また、前年に出版された「ノストラダムスの大予言」のブームもあり「人類滅亡」がキーワードになっていることが一層の興味を引いたのだった。
その第1話・・・期待に違わぬ出来であった、もう完全に魅了された。明らかにこれまで観たどのアニメとも違っていた。誰も見たこともなく経験したこともない宇宙空間での戦闘シーンがリアルに感じられ、地球に向かう遊星爆弾は「人類滅亡」を予感させる恐ろしさに満ちていた。僕は夢中になった。
しかし、視聴率が伸びず全26話を持って終了したのはあまりにも有名な話だ。ただ、ヤマトにとって幸いだったのはいわゆる「テコ入れ」を受けなかったことだろう。視聴率が伸びないからと言って子供向けに路線変更などをしなかったことがその後のヤマトの運命を良い方向に導いたと言っても良いと僕は思う。

その後しばらく僕は数少ないヤマト関連の出版物を、これまた少ないお小遣いで買い求め、ヤマトの絵を描きながら心の隙間を埋めていた。この時代は夕方になるとアニメが数多く再放送されており、ヤマトもほどなく再放送が始まる。関西での最初の再放送がいつだったか記憶にはないが、少なくとも僕が小学校を卒業する前だったはずだ。なぜなら、小5か小6の時に初めてラジカセを買ってもらった僕は再放送で全話をカセットテープに録音したからだ。それほどヤマトの再放送を待ちこがれていたのだ。
そして、ここに「オタク」の萌芽があったことに気づく。
ただ「好き」なのと「オタク」の違い。それはデータの収集や分析(大げさだが)をしたり、2次的な生産活動=絵を描いたり、模型を作ったり、サークル活動をしたりしながら繰り返し楽しむかどうか、だと思う。さらにそこにお金をかけることを惜しまないというのも大事な点だ。生まれ持った性格によるところが大きいと思うが、それを発現させるきっかけもまた重要だ。
僕にとってはそれがヤマトであった。
ヤマトを「好き」なだけでは飽きたらず「形になるモノ」を残したいと思った。当時考えることができた最高のモノが音を残すことだったのだ。録音のためTVのイヤフォンジャックからラジカセの入力端子につなぐケーブルも買った。そうすれば家族の話し声も雑音も気にしなくてすむ。僕はそこまでしてヤマトを残そうとしたのだ。充分に「オタク」的な行動であることに笑ってしまう。数年後、家にビデオデッキが来る(「来る」という表現が昭和的・・・)までカセットに録音するというのは基本的かつ重要な行動になった。

その後ヤマトはあっという間に、まさしくあっという間に社会現象になった。中学生になった僕はヤマトブームの洗礼を浴びた。自分で楽しむだけだったヤマトやアニメの世界が広がってゆくのを感じていた。ヤマトが映画化された背景には多くの(じぶんよりちょっとお兄さんやお姉さんの)ファンがいることを知った。そうした(自分も含めた)ファンの力が世の中を動かすこともあるんだと知った。そして何よりも「作っている人たち」を意識するようになった。それらを知るきっかけが映画公開後に出版された記念すべきロマンアルバム第1号「宇宙戦艦ヤマト」だった。翌年にはアニメ専門誌「アニメージュ」が創刊され、アニメブームは確実に広がりを見せていくのである。
その表紙もまた時代の象徴「ヤマト」であった。
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←ロマンアルバム「宇宙戦艦ヤマト」
設定資料というものの存在を知った1冊。

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2008年4月18日 (金)

ラジオドラマ 「宇宙戦艦ヤマト」

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先日所用があり、実家へ戻った。
実家には昔集めた数々のアニメ関係の雑誌、グッズなどが今も残っている。
その中には(録音用の)カセットテープもたくさんある。

家庭用ビデオがまだまだ高価だった時代、アニメの放送をカセットテープに録音しアニメ誌やムック本を見ながら聞いたものだ。それらカセットには自分では忘れてしまってたものもあったが、それらについてはまた別の機会に譲るとして今回のテーマは「ラジオドラマ 宇宙戦艦ヤマト」である。
「オールナイトニッポン」の特別番組として1977年の年末に生放送された伝説のラジオドラマだ。そのカセットを今回の帰省の際に持ち帰り、およそ30年ぶりに聴いてみた。カセットの交換(片面45分)のタイミングが悪くところどころ途切れていたりするが、おおむね全編入っていて安心した。

本編は古代進の航海日誌という形をとって進められている。「航海日誌」なのでヤマトでの出来事がすべて具体的な日付をもって語られている。これは当然後から加えられたモノなので、TV版に当てはめて観るのも面白そうだ。ストーリーはヤマトの出発前日の夜、古代のモノローグから始まり、テレビの第1話を回想にするなどラジオドラマ用に構成を変えている。映画版ではカットされた相原の心の病のエピソードがあったりデスラーとスターシャのホットラインの会話があったりでなかなかにファン心理を考えた構成になっている。
中でも面白かったのは、古代が艦長代理を命ぜられ有頂天になるところだ。これはTVでもなかったハズだが、古代は島と仲良く談笑する雪を用もないのに「こっちへ来い」と呼びつけるんである。島が「今は俺と話してる」と拒否すると「俺は艦長代理だ。命令だ」などと言って雪を自分の方へ来させようとする。職権乱用も甚だしいのだが18歳らしくてカワイイと言えば言えなくもない。オトナな島くんは「人は肩書きについてゆくんじゃない。その人間を信頼するからついてゆくものだ」なんてことを言って諭すのだが、古代がそんなことを聞き入れるわけもなく案の定ケンカになるのだ。
まあ、こんなエピソードもありつつもなかなかに楽しめるドラマであった。
ただ、駆け足でストーリーを進めざるを得ず、心理描写も含め説明が多くナレーターが大活躍だった。そのナレーターは先だって亡くなられた広川太一郎さんが務められていて、古代守のセリフとナレーションが立て続けなシーンもありさぞかし大変だったことが偲ばれる。
最後に出たがりPのN崎氏がコメントを読むのだが、これがなかなかの美声。コメント内容もいいことを言ってるのだが、その後の彼を知る者には・・・ムニャムニャ。
急きょ松本零士センセイもスタジオに来る(呼ばれたのか、自ら出しゃばったのかそういう下りは残っておらず不明)のですが、最初に読み上げられたスタッフの中に自分の名前がないことに憤慨しどおしで面白かった。「アンタ、文句言いにきたのかよ!?」ってみんな思ったに違いない。N崎Pとの確執はこの頃から??
声優さんへのインタビューなどもところどころあったのだが、それらは一部のみしか入っていなかった。本編以外はどうでもいいと思ってたのかな、当時の自分は。
本編でトチりまくった麻上洋子さんのインタビューがあったはずだが、ほとんど残っていなかったのが残念。

当時中1の私はカセットを買いラジカセにセットし、布団に潜り込んでこの放送を聴いた。
幸いにしてラジカセだけは自分専用のを買ってもらっていたので誰に遠慮することなく聴き、録音もできたのだ。
あのときのワクワク感は今でも憶えている。いや「ドキドキ」の方が近いか。
当時の自分はまだ、ラジオの深夜放送というものを聴く習慣はなく深夜1時(から放送終了の3時)まで起きていることなどまずなかった。
この「ラジオドラマ宇宙戦艦ヤマト」で、私は少しオトナの世界へ足を踏み入れた気がしていたのだ。

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