大好きアニメ

マッハGOGOGO!!

02カッコイイ・・・カッコよすぎる。
今、僕の目の前にあのあこがれのマッハ号がある。本物だ。
これがあれば砂漠だって海の中だって走れるし、
ステアリングの「A」ボタンを押せば象だって飛び越えられる・・・いや、そりゃ無理なのは知ってるけど。
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これはこの夏公開の話題作「スピードレーサー」の公開前イベントとして東京・汐留の日本テレビ前に展示されているマッハ号である。
「スピードレーサー」は言うまでもなく日本が誇るアニメ「マッハGOGOGO」を原作とするハリウッド映画である。アニメはアメリカで「スピードレーサー」と名を変え放送され大人気を博した。タランティーノ監督などハリウッドにも多くのファンがいることはよく知られており映画化の噂もずいぶん前からあったが、ついに今年「マトリックス」のウォシャウスキー兄弟の手による映画が公開される運びとなった。
日本オリジナルのものがハリウッドでリメイクされる場合、オリジナルがそのまま生かされることは少ない。しかし、この「スピードレーサー」はメインキャラや覆面レーサーなどのデザインがほぼアニメのまま採用されているのだ。そして主役メカ「マッハ号」のデザインも写真のようにアニメそのままなのだ(細部に多少の違いがあるのと、バージョンアップした新型も登場するようだが)。
ウォシャウスキー兄弟が日本のアニメファンであることは良く知られている。こうした基本設定に手を加えないことは彼らが原作に最大の敬意を払っていることの現れだと僕は思う(マッハ号が飛ぶ時の「あの音」もそのままだ)。ただし、それも元々のデザインが手を加える必要もないほど洗練されていたからこそである。40年も前のアニメのメカデザインが現代でもそのまま通用することは驚愕に値すると思う。タツノコプロ恐るべしである。

ある世代以上なら誰もが思い浮かべることの出来る、タツノコプロ独特の日本人ぽくないキャラデザインは創始者である吉田竜夫氏の絵柄をベースにしている。アメコミの影響を受けた(吉田氏はスーパーマンの日本版コミックを描いてたこともある)バタ臭いデザインは異彩を放っていた。子供心に「タツノコ」というところの絵は違うぞ、と感じるほどに。服装もおしゃれだった。そうしたキャラデザインや抜群にかっこいいメカ、そして日本が舞台ではなく世界中をめぐるストーリーの相乗効果があってアメリカ始め海外で受入れられ易かったのだろう。

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←足長っ!
こんな日本人家族いないし(笑)。

そもそもタツノコプロの創始者である故吉田竜夫氏はプロダクション設立当初から海外マーケットを視野に入れて作品作りをしていたという。図らずも今、それが成功だったことが証明されたのだ。スピードレーサー公式HPの作品紹介の中にこんな一文がある「Based on the classic series created by anime pioneer Tatsuo Yoshida」・・・吉田氏がご存命であればどんなに喜んだかと思うと胸が熱くなる。

子供の頃に夢中で見ていたマッハGOGOGO。
海を越え、時代を超えてこうしてまた僕たちの前に帰ってきたのだ。
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←子供の頃買ってもらったレコード。唄はオリジナルのボーカル・ショップではなく高橋元太郎@うっかり八兵衛のカバーバージョン

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←十数年前に買ったTシャツ

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恥さらしの時間

前回、ヤマトのロマンアルバムの模写を計算用紙に描きまくったことに触れその恥(表紙)を白日の下に(?)さらしたわけだが、今回はさらに恥の中身をさらそう。長く下手な文章ばかりでは訪れてくれた方々に申し訳ないので、GWの息抜きに笑っていただこうと思う。

1これは最初のページに描いたもの。ところどころ定規を使ってはいるものの線がガタガタ。パースも何もあったもんじゃない。
字の下手さにもあきれる。中1ってもう少し上手くないか?普通は

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初めてキャラが登場する一枚。キャラ設定の顔を模写。実際はもっとりりしい顔なんだがなぁ・・・。
薄い紙なので次ページの絵が透けてます。

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古代守、第1話の名セリフ。

実はコレ、謎の一枚なのである。ヤマトのロマンアルバムには「メインキャラクター名セリフ集」というコーナーがあり、沖田や古代進などの名セリフが掲載されている。これはその中のひとつを模写したもの・・・のハズなのだが僕の手元にあるロマンアルバムを見ると、古代守の名セリフは載っていないことが分かった。これは一体どーゆーこっちゃねん??
古い本ゆえにページが抜け落ちていたのかもと思ったがちゃんと通しNoは合っている。しかも、この本のどこにもこの守のカットは掲載されていないのである。僕の頭の中には二色刷の古代守がはっきり残っているというのに!!
そして絵の下に書いたプロフィールも載っていない。当時の僕が記憶だけでこんな絵を描ける訳もなく、こんなちゃんとしたプロフィール文も書けるハズがない。謎だ、あまりに謎だ。どなたか情報あったら教えてください〜。

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ずっとアニメが好きだった(その3)

〜ロマンアルバム「宇宙戦艦ヤマト」(後編・長いです)〜

ターゲットを絞りきれていない感がありありと現れたヤマトのロマンアルバムだったが、その後のロマンアルバムのみならずアニメムックには欠かせなくなるものが掲載されていた、それが「設定資料集」である。人は物事の裏というものを知りたがるもの、そうした心理を刺激する記事であった。元々は一般のファンが目にすることはない製作過程の資料でしかないものにスポットを当て、世に出した功績は評価できると思う。だが商業誌においてこうした資料を載せることになったのはそもそもファンの力が大きいのだ。なぜなら当時、ヤマトファンが編集した同人誌や機関誌にはこうした設定資料がすでに掲載されていたからだ(後から知ったことだが)。つまり、ファンの作った物が商業誌に取り入れられたことになる。だからヤマトを支えているファン層とはそういう人たちであるということを編集部は理解していたはずである。しかし前編で書いたように商業誌のメインターゲットにするほどの確信は持てず、結果的に児童向けとコアなファン向けの内容がごっちゃになったような本になってしまったのではないかと思う。
そんなロマンアルバムではあっても、この設定資料でアニメ製作過程の一端を知り、僕の知的好奇心は大いに刺激された。何よりアニメが人の手で作られているという当たり前のことを認識させてくれたことがその後アニメへの興味を広げることにつながったことは間違いない。
 
そして、終盤の4ページ。この本全体の中ではおまけみたいな記事ではある。しかしこの終盤4ページもまた僕にとっては充分に刺激的であった。
全88ページ中の84・85ページ目に「8月6日上映ルポ 宇宙戦艦ヤマトが燃えた日」と題された記事がある。劇場版ヤマトが公開された当日の都内6館のレポートである。そこには徹夜で行列をするファンの姿があった。何時頃来たとかセル画をもらえたなど、ありきたりの内容に続きこんな一文があった。以下に抜粋しよう。

「銀座東急、8月5日深夜、徹夜組の輪の中から、甘い旋律(メロディ)が流れだす。
♪あの娘がふっていた 真っ赤なスカーフ 誰のためだと思っているか
およそ140人。ここへくるまでは、みんな知らない顔ばかりだった。それが、この「ヤマト」を通して、いま、たがいに手をにぎり、胸をよせあっている。熱い血潮をたぎらせながら、スターシャへの想いを語らいあう。「赤い(原文ママ)スカーフ」のハミングが、銀座の月を濡らすのだ。」

これは後にファンの一体感を高めた「イイ話」として伝わった出来事だ。

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←ロマンアルバム85ページに掲載された写真

明らかに当時の自分より歳上の、高校生から大学生と思しき若者たち・・・大行列をなし、ヤマトのセル画を誇らしげに掲げて写真に収まっている。僕にはモノクロ写真の中の彼らがまぶしかった。そして心からうらやましく、ねたましくもあり、そして憧れた。自分もその輪の中にいたかったと心からそう思い悔しかった。アニメファンにはこういう世界があり、自分より何歩も先を行く人たちがいるんだと知った。そしていつか自分もあの輪の中に入りたちと思った。
つづく86・87ページには、「熱狂!!ヤマトファン大集合」という、ヤマトのファン活動を扱った記事も掲載されている。メインの写真にはステージで熱唱するささきいさおさんと同じステージに立つ故宮川泰さんの姿。キャプションには「ささきいさおが投げた“真っ赤なスカーフ”に殺到するファン」とある。ファンイベントでのひとコマだ。記事の中身はヤマトのオフィシャルファンクラブが盛況であり、そのコアな層が中〜大学生であるといった内容だ。併せて、いくつかの同人誌も写真で紹介されていた。同人誌という「形」になったものは僕の目にかなり新鮮に映った。ここにもまた僕の知らない世界があった。絵を描くのが好きで、学級新聞やクラスの文集などの編集もした自分にとってはものすごく興味深かった。
ここで、行動力のある人ならロマンアルバムの編集部に問い合わせるなど、なんなりとアクションを起こすだろうが、小心者の僕はそういうことすらできなかった。けれど何かをしたい衝動は収まらず一人で何かを作ろうとしたらしく、このロマンアルバムの中身を構成し直すかのようなものをコクヨの計算用紙ほぼ一冊分に鉛筆で描きまくったのである。それは単なる絵と文章の模写でしかなく、なにひとつオリジナルな内容のないことに我ながら情けなくなるばかりであるが。ただ、60ページ以上にわたって絵を描きまくったエネルギーだけは若さのなせる技なのか、我ながらちょっと感心する。この後中学時代の僕はヒマさえあれば、ひたすら同じコクヨのノートにアニメや漫画の模写をしまくった。それがいくらかは絵の上達に役立ったことだけは確かだろう。
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←恥の一冊。

この終盤4ページは僕に、アニメには観るだけではない楽しみ方があることを教えてくれた。ヤマトのロマンアルバムが僕にとって最も重要だったのは、ある意味この終盤の4ページがあったからこそなのかもしれないとすら思う。
記念すべきロマンアルバム「宇宙戦艦ヤマト」。内容は、中途半端でトホホなものの好調な売れ行きを見せた。ロマンアルバムはその後シリーズ化され今も続いている。そしてその成功は初のメジャーアニメ誌「アニメージュ」の創刊へとつながっていき、その後のアニメブームを牽引してゆくのである。
僕自身が交流を求めて外の世界へ出て行くのはまだ少し先、高校へ進学してからの事だ。このころの僕はアニメにハマっていきつつも、まだまだ野球部の練習と学校生活の方が大事だった。

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ずっとアニメが好きだった(その2)

〜ロマンアルバム「宇宙戦艦ヤマト」(前編)〜

僕がアニメの世界にどっぷりハマるきっかけとなった「ヤマト」。それを後押ししたというか、決定的にしたのがヤマトの本格的なムック本として徳間書店が発行したロマンアルバムである。僕が持っているのは第2刷なので発売後スグに買ったわけではなかったようだ。
本の内容は、松本先生のイラストによるスターシャのピンナップ、カラーグラビア「Memories of Yamato」があり、以下「ヤマト航海日誌」「名セリフ集」「設定資料集」「全放映リスト」「ヤマト製作夜話(裏話みたいなもの)」と続く。終盤4ページに映画公開日のリポート、そしてファンの活動についての記事があり、最終ページには西崎Pのメッセージが掲載されている。
 スターシャのピンナップはサインに「1977」とあるから描き下ろしのようである。よく見る正面からのアレではなく肩越しに微笑みかける色っぽいカットだ。カラーグラビアは本編のスチール写真ではなく、なんとすべて描き下ろし・・・しかしながら絵がかなりトホホなのである。まあ分かりやすく言えば低年齢向けのアニメ絵本、しかも出来の悪い部類の・・・って感じの絵だ。これには参った。すでに絵の良し悪しを見分けるくらいには成長していたのでかなり脱力した。そもそも本編のカラー写真は表紙を除くと掲載されておらず、相当ガッカリした覚えがある。

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←トホホな古代と雪

実はこのロマンアルバムシリーズには当初「テレビランド増刊」という冠がついていた。つまり児童向けのテレビ雑誌の編集部が「アニメのムック本を作れと言われたもののどう作っていいのやら」というとまどいがこのカラーグラビアに現れているように思う。あるいはターゲットをマニアに絞って編集して、もしも売れなかったらヤバいので間違って子供が買っても大丈夫な内容にしたかのどちらかである、きっと。製作スタッフや声優さんのインタビューが全くないことからも、編集部は「そういうところ」に興味を持っているファンがいるということは知っていても、まだ雑誌のターゲットとして想定するには難しかったのだろう。
(後編へ続く)

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ずっとアニメが好きだった(その1)

〜オタク的行動の芽ばえ〜

僕は小さい頃から好きなモノがずっと変わっていない。その時々で多少興味の幅が広がったり狭まったりしてはいるが基本的に変わらない。野球とアニメと漫画。この3本柱である。興味の持ち方や関わり方、原体験という部分でアニメや漫画とリンクする部分が多い特撮がその次くらいに位置する。
このブログではことあるごとに好きなモノと自分との関わりについて触れることになると思うがそれぞれとの関わりについて「想い出語り」を主題にして不定期に書いてみようと思う。何回続けようとかまったく考えず、想い出尽きるまで語ってみたい。

前置きが長くなった。悪い癖である。本題に入ろう・・・今回はアニメについての第1回である。

「オタク」という言葉、個人的には好きではない。が、世間に認知されておりその特性も含め分かりやすい言葉なので敢えて使う。僕が「オタク」的な行動をとるきっかけになった作品、それは「宇宙戦艦ヤマト」である。僕と同世代のオタクたちにはそういう人が多いと思う。

前回、ラジオドラマ「宇宙戦艦ヤマト」について触れた。この番組が放送されたのは1977年の12月。同じ年の8月、TVシリーズの再編集を中心とした映画「宇宙戦艦ヤマト」が公開されブームを巻き起こした。ラジオドラマが企画されたのはすでにこうした実績あってのことである。僕ももちろん劇場へ足を運んだ。このときの私はすでに「ヤマトファン」であり、待ちに待ったこの映画は小学生の頃からヤマトに抱いていた熱い思いを満たしてくれるものであった。

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←映画版「宇宙戦艦ヤマト」のパンフ表紙と裏表紙。裏表紙は実際にはないシチュエーション(「青い地球」に帰還するヤマト)である。

最初のTVシリーズが放映されたのは1974年から75年にかけてのこと。前番組「侍ジャイアンツ」の大ファンだった僕は侍ジャイアンツが終了する頃に流れ始めた新番組の予告に釘付けになった。
「西暦2199年、人類は滅亡の危機にさらされていた・・・」
細かい部分は憶えていないが、おおむねこんなだったろう。そのナレーションと共に現れたヤマトの勇姿!元々軍艦好きでプラモをたくさん作っていたこともあり、戦艦が宇宙を飛ぶ、しかもそれが「大和」だというだけでワクワクした。また、前年に出版された「ノストラダムスの大予言」のブームもあり「人類滅亡」がキーワードになっていることが一層の興味を引いたのだった。
その第1話・・・期待に違わぬ出来であった、もう完全に魅了された。明らかにこれまで観たどのアニメとも違っていた。誰も見たこともなく経験したこともない宇宙空間での戦闘シーンがリアルに感じられ、地球に向かう遊星爆弾は「人類滅亡」を予感させる恐ろしさに満ちていた。僕は夢中になった。
しかし、視聴率が伸びず全26話を持って終了したのはあまりにも有名な話だ。ただ、ヤマトにとって幸いだったのはいわゆる「テコ入れ」を受けなかったことだろう。視聴率が伸びないからと言って子供向けに路線変更などをしなかったことがその後のヤマトの運命を良い方向に導いたと言っても良いと僕は思う。

その後しばらく僕は数少ないヤマト関連の出版物を、これまた少ないお小遣いで買い求め、ヤマトの絵を描きながら心の隙間を埋めていた。この時代は夕方になるとアニメが数多く再放送されており、ヤマトもほどなく再放送が始まる。関西での最初の再放送がいつだったか記憶にはないが、少なくとも僕が小学校を卒業する前だったはずだ。なぜなら、小5か小6の時に初めてラジカセを買ってもらった僕は再放送で全話をカセットテープに録音したからだ。それほどヤマトの再放送を待ちこがれていたのだ。
そして、ここに「オタク」の萌芽があったことに気づく。
ただ「好き」なのと「オタク」の違い。それはデータの収集や分析(大げさだが)をしたり、2次的な生産活動=絵を描いたり、模型を作ったり、サークル活動をしたりしながら繰り返し楽しむかどうか、だと思う。さらにそこにお金をかけることを惜しまないというのも大事な点だ。生まれ持った性格によるところが大きいと思うが、それを発現させるきっかけもまた重要だ。
僕にとってはそれがヤマトであった。
ヤマトを「好き」なだけでは飽きたらず「形になるモノ」を残したいと思った。当時考えることができた最高のモノが音を残すことだったのだ。録音のためTVのイヤフォンジャックからラジカセの入力端子につなぐケーブルも買った。そうすれば家族の話し声も雑音も気にしなくてすむ。僕はそこまでしてヤマトを残そうとしたのだ。充分に「オタク」的な行動であることに笑ってしまう。数年後、家にビデオデッキが来る(「来る」という表現が昭和的・・・)までカセットに録音するというのは基本的かつ重要な行動になった。

その後ヤマトはあっという間に、まさしくあっという間に社会現象になった。中学生になった僕はヤマトブームの洗礼を浴びた。自分で楽しむだけだったヤマトやアニメの世界が広がってゆくのを感じていた。ヤマトが映画化された背景には多くの(じぶんよりちょっとお兄さんやお姉さんの)ファンがいることを知った。そうした(自分も含めた)ファンの力が世の中を動かすこともあるんだと知った。そして何よりも「作っている人たち」を意識するようになった。それらを知るきっかけが映画公開後に出版された記念すべきロマンアルバム第1号「宇宙戦艦ヤマト」だった。翌年にはアニメ専門誌「アニメージュ」が創刊され、アニメブームは確実に広がりを見せていくのである。
その表紙もまた時代の象徴「ヤマト」であった。
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←ロマンアルバム「宇宙戦艦ヤマト」
設定資料というものの存在を知った1冊。

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ラジオドラマ 「宇宙戦艦ヤマト」

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先日所用があり、実家へ戻った。
実家には昔集めた数々のアニメ関係の雑誌、グッズなどが今も残っている。
その中には(録音用の)カセットテープもたくさんある。

家庭用ビデオがまだまだ高価だった時代、アニメの放送をカセットテープに録音しアニメ誌やムック本を見ながら聞いたものだ。それらカセットには自分では忘れてしまってたものもあったが、それらについてはまた別の機会に譲るとして今回のテーマは「ラジオドラマ 宇宙戦艦ヤマト」である。
「オールナイトニッポン」の特別番組として1977年の年末に生放送された伝説のラジオドラマだ。そのカセットを今回の帰省の際に持ち帰り、およそ30年ぶりに聴いてみた。カセットの交換(片面45分)のタイミングが悪くところどころ途切れていたりするが、おおむね全編入っていて安心した。

本編は古代進の航海日誌という形をとって進められている。「航海日誌」なのでヤマトでの出来事がすべて具体的な日付をもって語られている。これは当然後から加えられたモノなので、TV版に当てはめて観るのも面白そうだ。ストーリーはヤマトの出発前日の夜、古代のモノローグから始まり、テレビの第1話を回想にするなどラジオドラマ用に構成を変えている。映画版ではカットされた相原の心の病のエピソードがあったりデスラーとスターシャのホットラインの会話があったりでなかなかにファン心理を考えた構成になっている。
中でも面白かったのは、古代が艦長代理を命ぜられ有頂天になるところだ。これはTVでもなかったハズだが、古代は島と仲良く談笑する雪を用もないのに「こっちへ来い」と呼びつけるんである。島が「今は俺と話してる」と拒否すると「俺は艦長代理だ。命令だ」などと言って雪を自分の方へ来させようとする。職権乱用も甚だしいのだが18歳らしくてカワイイと言えば言えなくもない。オトナな島くんは「人は肩書きについてゆくんじゃない。その人間を信頼するからついてゆくものだ」なんてことを言って諭すのだが、古代がそんなことを聞き入れるわけもなく案の定ケンカになるのだ。
まあ、こんなエピソードもありつつもなかなかに楽しめるドラマであった。
ただ、駆け足でストーリーを進めざるを得ず、心理描写も含め説明が多くナレーターが大活躍だった。そのナレーターは先だって亡くなられた広川太一郎さんが務められていて、古代守のセリフとナレーションが立て続けなシーンもありさぞかし大変だったことが偲ばれる。
最後に出たがりPのN崎氏がコメントを読むのだが、これがなかなかの美声。コメント内容もいいことを言ってるのだが、その後の彼を知る者には・・・ムニャムニャ。
急きょ松本零士センセイもスタジオに来る(呼ばれたのか、自ら出しゃばったのかそういう下りは残っておらず不明)のですが、最初に読み上げられたスタッフの中に自分の名前がないことに憤慨しどおしで面白かった。「アンタ、文句言いにきたのかよ!?」ってみんな思ったに違いない。N崎Pとの確執はこの頃から??
声優さんへのインタビューなどもところどころあったのだが、それらは一部のみしか入っていなかった。本編以外はどうでもいいと思ってたのかな、当時の自分は。
本編でトチりまくった麻上洋子さんのインタビューがあったはずだが、ほとんど残っていなかったのが残念。

当時中1の私はカセットを買いラジカセにセットし、布団に潜り込んでこの放送を聴いた。
幸いにしてラジカセだけは自分専用のを買ってもらっていたので誰に遠慮することなく聴き、録音もできたのだ。
あのときのワクワク感は今でも憶えている。いや「ドキドキ」の方が近いか。
当時の自分はまだ、ラジオの深夜放送というものを聴く習慣はなく深夜1時(から放送終了の3時)まで起きていることなどまずなかった。
この「ラジオドラマ宇宙戦艦ヤマト」で、私は少しオトナの世界へ足を踏み入れた気がしていたのだ。

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