大好きアニメ

2009年12月30日 (水)

さよなら2009年

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2009年の終わりが近づいた。

この1年はとてつもなく早く過ぎたような気がする。まあ、大体が歳をとってくると一年一年というのが早く感じるものだろうけど、今年は本当に誇張なしにあっという間の1年だった。
年始めにはちょうど30年前の1979年に出会った素晴らしいアニメ作品について、このブログで触れるつもりである、なんてことを書いたのだが、実際はほとんど書くことができなかった。年の初めには1年という時間はものすごく長い気がしているので「いくらでも書けるな」なんてタカをくくってたわけだ。で、実際はこのていたらく。時間がなかった・・・ってことではなく単にサボってただけである。ヒマな時間ほどダラダラしたくなる生来の怠けグセゆえだ。
ま、そんなわけで結局2009年も、無為に人生を浪費したのみであった。

そんなわけで、せめて1年の終わりにその30年前に夢中で観ていたアニメ「マルコ・ポーロの冒険」の主人公マルコを描いてみた。人生を浪費することのなかった人物。僕が東京でダラダラ過ごしてきたのとほぼ同じ年月を命がけで旅した男だ。
そして、この作品についてはまた改めて触れることになるだろう(例によってまたいつのことになるやら、だが・・・)。

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ここを訪れてくださる皆様、今年一年ありがとうございました。
相変わらず宇宙の辺境ブログですが、今年後半からほんの少しですが1日平均のアクセス数が上がってきました。やってることはなんも変わらず、、、でありますがそれでもなんとなくうれしいものであります。
来年は21世紀もすでに10年目に入ります。
世の中が少しでも良い方向に動いてくれることを願っています。

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2009年12月19日 (土)

古代進38歳

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「復活編」の艦長服を着た古代進。沖田艦長のような艦長服ではなく、おなじみの艦内服の上にコートを羽織るようなタイプのものだ。

今回の復活編、古代のキャラデザインも声も僕は問題なく受け入れることが出来た。
湖川さんのキャラ&作画、そして山寺さんの声、良かったと思う。
古代の顔はちゃんと古代だったし、大人になった古代の声として山ちゃんは十分な存在感だった。

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2009年12月12日 (土)

「宇宙戦艦ヤマト 復活編」公開!

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「宇宙戦艦ヤマト 復活編」初日の初回上映に行ってきた。

僕が観た映画館はシネコンだったのでロビーには当然ほかの映画の客も大勢いたのだが、予想通りヤマトの観客はあきらかにそれと分かる匂いをプンプンさせていた(なんでオタクってのは雰囲気でわかるんだろうなぁ・・・かく言う僕も他人から見れば、そうなんだろうか・・・)。中にはその筆頭とも言える存在である評論家の氷川竜介氏の姿もあった。

まず最初にお断りしたいのは、映画評ではないということ。ヤマトファンの僕の「感想」であるということだ。いや、映画についての感想というよりは、今日のこの日をどんな気分で迎え、そして過ごしたかというだけの話だ。映画の内容や出来・不出来についても今回は触れるつもりはない。
だからネタバレも含まないのでご安心を。

で、感想をひと言でいうならば「ヤマトはやはりヤマトだった」に尽きる。
これは間違いなくヤマトの映画だった。最初のTVシリーズから早や35年が過ぎ(映画の設定上は完結編の17年後)世の中がこれだけ大きく変化し、アニメを取り巻く環境もファン気質も何もかもが変わった中で、ヤマトは相変わらずヤマトとして僕らの前に再び(映画としては五たび、か)姿を現したのだ。僕のような“リアルタイムヤマト世代”は、それだけである意味充分だったりするわけだが。

「地球を守る」

ただその一点においてのみ存在理由を持つ宇宙戦艦ヤマト。それは最初の航海から変わることがない。そしてその使命と信念になんら疑問を抱くことのない熱くまっすぐな古代と部下たち。ストレートで熱いセリフはヤマトならではであり、普通なら気恥ずかしいような言い回しもヤマトならすんなりと心に入ってくる。外連味があるようなのにそう感じないのは作り手がヤマトを信じているからなのだろう。作り手の世代というのもあるのかも知れない。人生の目的や信念、そして自信を持ちにくい世の中にあってはアナクロと笑われるかもしれないが、これがヤマトなのだ。逆にこんな時代だからこそ、ブレることのないヤマトの世界観は大きな意味を持つのかも知れない。「地球を守る」という点に於いて今回のヤマト復活編は、最初のTVシリーズにその精神が最も近い作品だったように思う。

物語が、僕が認めたくない「完結編」の続編だというところに正直わだかまりは残るのだが、そのわだかまりも長い年月を経て随分薄れたと思う。最初のTVシリーズを観たときのようなドキドキ感、「さらば」を観たときのような強い思い入れや切なさもなく、落ち着いて淡々と、だけど決して冷めていたりひねくれてもいない目で僕はスクリーンを観ていた。この感覚をどう表現すればいいのだろう・・・感慨深いというのとも違う、懐かしさでもない、何かこの復活編を今日この場所で観ることになるのがずっとずっと昔から決まっていたようなとても不思議な気分だった。あんなに「新しいヤマトはもう観たくもない・・・」と思っていたのがウソのように。

「さらば」の後、続編が次々と作られていたころ、僕(やファンの多く)は西崎氏が金儲けに走っていたと感じていた。そしてヤマトの新作が作られるたび、ヤマトと僕の心が汚されていくような気がしていた。だけど、物事はそんな単純なものではないと今では分かる。西崎氏を一方的に批難していた気持ちも今はすっかりなくなった。彼ほどヤマトを愛し、ヤマトに全てをかけたきた人物はいない。その情熱には心から敬意を表することができるし、うらやましくもあるくらいだ。
このブログにたびたびコメントを寄せてくださるまりあさんと今日の上映後にお会いすることができ1時間ほどお話をした。まりあさんも僕同様にヤマトに複雑な思いを抱き続けていた方だ。自分はヤマトファンであることを公言しづらかったこと、ヤマトを茶化されたりしたくないためアニメ好きの友人とですらヤマトの話をできなかったことなどヤマトに関しては常に孤独だったといったような話をした。そしてヤマトが僕にとってもまりあさんにとっても同じように特別な存在であることを感じることができた。同じような人たちが日本全国にいるのだろう。こんな話ができたのも復活編あってのことだ。だから、今またこうしてヤマトを復活させてくれた西崎氏には心から感謝している。

ヤマトが観られるというだけでテンションが上がりっぱなしだったのは30年以上も前のことだ。あの頃はヤマトそのものが時代の象徴であり、時代の特別な存在だったが、多様化がここまで進んだ現代に至ってはヤマトも数ある映像コンテンツのひとつでしかない。マスコミでの取り上げられ方からもそれは分かる(寂しいことではあるが)。アニメ映画で万人向けと呼べるのは今やジブリ作品くらいになってしまった。かつて多くの人が熱狂したヤマトも、今回の復活編は僕ら「ヤマト世代」をコアターゲットにした作品であるのは間違いない。
今再び、あの頃の再現を願うのは無理な話だろう。初日の初回に行くことで、ほんの少しそんなことも期待してはみたけれど・・・。
だけどそれでいい。あの夏の輝きはあの夏だけのものなのだから。

わだかまりも複雑な思いも小さくなりはしたが永遠に消えることはないだろう。けれども、僕は今回の復活編を心から歓迎できるようになった。そんな思いもヤマトを好きであるがゆえであり、それも含めてヤマトが好きなんだということを復活編公開までの数ヶ月間に改めて思えるようになったからである。
ヤマトのロケットアンカーは僕の心の奥底に深く突き刺さったまま抜けない。だから、ヤマトの行く先には僕の心もくっついて行かざるを得ない。その先に何があっても、僕はヤマトの航海を追い続けることになるのだ。

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2009年11月 4日 (水)

タツノコの遺伝子

先日NHKのBSハイビジョン特集で「アニメ青春時代 夢に挑んだ男たち」という番組が放送された。日本のTVアニメ黎明期から独自の路線でひときわ大きな輝きを放ったタツノコプロの物語である。

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文字通り「遺伝子」を受け継いだ吉田竜夫氏の長女・吉田すずか版の、現代風にアレンジされたアクビちゃんを参考に描いてみた。

1963年(昭和38年)に始まった鉄腕アトムに刺激を受けた吉田竜夫が自分もアニメを作ろうと、マンガ工房だったタツノコプロをアニメ制作会社に変貌させた。漫画家で挿し絵画家でもあった吉田だがアニメに関してはまったく素人、そこへ新聞広告によって集まった人々もまた素人ばかりであった。唯一、吉田が声をかけた笹川ひろしだけが手塚治虫の元でアニメ制作を経験していたのみであった。
そんな素人集団ゆえか、既成概念に縛られない自由な作風がタツノコの持ち味となり、そこからは個性溢れるクリエーターが数多く輩出されたのである。
番組で紹介される主な“タツノコ出身者”は、後にガンダムやナウシカの美術を担当し、あの傑作・マッハ号のデザインを生み出した中村光毅、同じくガンダムのメカデザインなどででいまや知らぬ人のいない大河原邦男、大河原はガッチャマンの敵メカなどを始めとするメカデザインやタイムボカンシリーズを担当しており、アニメ界で「メカニック・デザイン」という肩書きを初めて持った。そして劇場版「地球へ・・・」などで知られる実力派アニメーターの須田正己、画家の天野嘉孝。大河原がメカデザイナーなら天野は「キャラデザイン」の専門家だ。アニメーターを経験せずにキャラデザイン専門の役職というのは極めて異例だった。そしていまや世界的映画監督の押井守らである。
そしてこうした人々の才能を信じ、開花させたのが吉田竜夫であった。吉田は多くの人間を育て、僕らに夢を与えてくれた。そしてその「タツノコの遺伝子」は今も脈々と受け継がれている。

番組で紹介されたわけではないが「イデオン」などのキャラデザインで知られ、この年末公開の「宇宙戦艦ヤマト 復活編」では総作画監督を務める湖川友謙もタツノコの遺伝子を受け継ぐ一人だろう。タツノコに所属していた訳ではないが、若いころに数多くのタツノコ作品に参加しており、その作画の随所に吉田竜夫の影響が見てとれる。番組中で紹介された吉田のキャラデザインの絵柄は後の湖川の絵と共通点が多く、絵柄的には今でも最も「タツノコ色」を残す一人だと思う。OVA版ガッチャマンなどを手がけた梅津泰臣もタツノコ出身ではないながらも、その絵はタツノコの遺伝子を受け継いでいると言えるだろう。

初期のタツノコ作品は、そのほとんどが吉田竜夫のキャラデザインによるものだ。それが独特のタツノコカラーと呼ばれる作風につながったのは言うまでもない。僕は子供ながらにタツノコの作風が独特のものであることを感じ取っていた。東映動画や虫プロと同じくらい、あるいはそれ以上に「タツノコ」は特別な存在だったのだ。
そのタツノコプロはかつて、僕が通っていた大学のすぐ近くにあった。
番組中でも、そのタツノコのスタジオがあった場所を笹川が訪ねるシーンがあった。懐かしい駅も映っていた。僕は大学時代にその駅前で何度か笹川氏をみかけたことがあった。声をかけることも出来ず、ただ後ろ姿を見送っただけだったが。
雑木林の中に「←タツノコプロ」と書かれた看板が立っていたことを今も憶えている。なぜ、あんなにも近くにいながら僕は一度もタツノコを訪問しなかったのだろうか。そのことは今でも後悔している。
そのころ、吉田竜夫はすでにこの世にはいなかった。吉田竜夫は1977年に45歳という若さでこの世を去っていたのだ。僕がそのことを知ったのは、このブログで何度か紹介している雑誌「マンガ少年臨時増刊 TVアニメの世界」(1977年刊)に掲載された記事によってであった。ちょうどアニメにのめり込み始めた頃であり、僕にとっての「アニメの入門書」とも言えるこの本で僕は、小さい頃から何度も目にしていた「吉田竜夫」の顔を初めて知ったのだ。しかしそれが「訃報」であるというのは皮肉な感じがしたものだ。

僕は今日、45歳になった。吉田竜夫が亡くなったのと同じ年齢だ。
だけど僕は何も生み出すこともなく、誰かに影響を与えることもなく、ただひたすら人生の時間を浪費してきただけだ。その人生の密度の差に情けない思いを抱きつつ、今日からもまた楽な方、楽な方へと流されて生きて行くんだろうと思う。こんな僕でも少しは誰かの役に立ったり、誰かに影響を与えたり出来てたらいいのに、なんてムシのいいことを考えながら・・・。

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2009年10月25日 (日)

愛・おぼえていますか

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1984年に公開された映画「超時空要塞マクロス」の劇中歌(主題歌)「愛・おぼえていますか」は太古の文明で流行ったありふれたラブソングという設定で、この歌が物語のカギを握っており、ラストはアイドル歌手・ミンメイが歌うこの歌をバックに戦闘シーンが展開される。激しい戦闘にラブソングというミスマッチが歴史的な名シーンを作り出した。
この曲は先頃(10月16日)亡くなった加藤和彦氏が作曲を手がけた作品だ。作詞は夫人(当時)で作詞家の安井かずみ氏。数々のヒット曲を生んだゴールデンコンビの手による名曲だ。単なるタイアップによる主題歌ではなく物語の根幹に関わる重要なアイテムとしてのラブソングを見事に作り上げている。この作品の成功はこの歌なくしてはあり得なかった。

加藤和彦氏は、今さら僕などが言うまでもなく日本の歌謡史において欠かすことの出来ない重要な存在でもあった。「帰ってきたヨッパライ」が流行っていたのは憶えているし、「あの素晴らしい愛をもう一度」は中学の音楽の教科書にも載っていて授業で唄い、憶えた。今でもこの曲や「イムジン河」「悲しくてやりきれない」「青年は荒野をめざす」などはしょっちゅう聞いている。
なにより、僕にとって加藤和彦氏は「カッコイイおじさん」だった。才能に溢れ、背が高くスマートでオシャレ、そしていつも柔和な笑顔を絶やさない。僕が憧れる「おじさんの理想像」だった。だから加藤氏の自殺は少なからずショックだった。才能溢れる人ゆえの苦悩だったのだろうか。

僕たちアニメファンにも素晴らしい曲を残してくれた加藤和彦氏の冥福を心から祈りたいと思う。


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2009年10月 3日 (土)

動き出した実写版「ヤマト」

やっぱ、本当だった「実写版ヤマト」。
地球側主要キャストが今朝のスポーツ紙にでかでかと出ていたのでご覧になった方も多いと思う。

本当にやるんだ・・・というのはアニメ版「復活編」と同じ思い。
どこかで期待しつつもウソならいいのにという思いだ。

タイトルは「SPACE BATTLESHIP ヤマト」。
なんで中途半端に英語なの??
「宇宙戦艦ヤマト」でいいじゃんよ。日本語だからこそ意味があるのに。

その主要キャストは以下の通り。

古代進(ヤマト戦闘班リーダー)=木村拓哉

森 雪(ヤマト戦闘班ブラックタイガー隊)=黒木メイサ

真田志郎(ヤマト技術班班長)=柳葉敏郎

島大介(ヤマト航海班班長)=緒形直人

斉藤始(ヤマト乗組員、空間騎兵隊隊長)=池内博之

相原(ヤマト乗組員、通信班)=マイコ

古代守(進の兄。駆逐艦ゆきかぜ艦長)=堤真一

佐渡先生(ヤマト艦内の医師)=高島礼子

藤堂平九郎(地球防衛軍司令長官)=橋爪功

徳川彦左衛門(ヤマト機関班班長)=西田敏行

沖田十三(ヤマト艦長)=山崎努

・・・なんてコメントしていいものやら・・・・というのが本音だ。
で、あえてコメントを。

▽古代進=木村拓哉は・・・好きではないのだが年齢を除けば実はそう悪くない気がしているのだ、実は。こういう非現実的な世界には合っているかも。
▽ユキ=ん?ユキがブラックタイガー隊??「生活班長」じゃないの??・・・なんでも実写版では「戦う女性」のイメージを強調するのだそうだ。そういう意味では黒木メイサもありなんだろうけど。ん〜、ヒロインが看護婦(師)で「生活班」なんてのは古いのかも知れないけど、血気盛んで前線に飛び出す古代との対比上あまりよろしくない気がする。
▽真田さん=ギバちゃんかぁ。う〜ん・・・キャラの立ち位置的にはいいか・・・。東北弁の真田さん・・・(爆)
▽島=好きな俳優だけど年齢的にちょっと厳しい。まじめな感じはイイ。
▽斉藤=ん??「さらば」のキャラじゃんか。監督が好きなのかな、斉藤が。やっぱもう少しガタイのいい俳優のが向いてそうだけど。
▽古代守=あ、これはイイかも。
▽佐渡先生=コレが驚き。敢えて女性にするのかぁ。クールな女医になっちゃいそうなんですけど。
▽相原=マイコ?マイコー?(←ちがう)。知らない。女性を入れたかったのね。写真を見た限りではむしろ彼女がユキのイメージに近い
▽防衛軍長官=ああ、悪くないかも。ちょっと迫力に欠ける気もするが。
▽徳川さん=ちょっと軽そう。むしろ西田さんが佐渡先生って感じ。
▽沖田艦長=んんんんんん〜。むしろ悪人顔なんですけど。肉体的な迫力に欠ける感じ。

これ書きながら「じゃあ誰がいいんだろう」と考えてみたけど。意外と俳優の名前が思いつかない。佐渡先生は中村梅雀さんあたり良さそうな気が。沖田艦長は江守徹さんかなぁ。あと20年若ければ絶対に三國連太郎さんなんだけどな(ホントは三船敏郎さんがいれば文句なし)。徳川さんは大滝秀治さんあたりが最高なんだけど・・・。アナライザーは出るのだろうか??だとしたらやっぱCGなんだろうか。せめて声は緒形さんに!ほかにも加藤三郎や、太田、南部、藪らはサブキャラなので出るのかどうか分からないけど出て欲しいな。

ガミラス側は後日発表とのことだが、こちらはより衝撃的なことになりそうな予感がする。デスラーなんて伊武さん自身がやってなんら問題がないように思うんだけど、もう少し若い俳優なら阿部寛なんかは顔が濃いし、怪しい役もこなせるのでいけそうな感じがする。ドメルは藤岡弘、でどうだろう。
そもそも、ガミラス側って日本人にできるのかという疑問はあるけど。
そしてスターシャは・・・出るのか?これこそ日本人じゃどうしようもないだろうし。出ないとストーリーが成り立たないし・・・。スターシャかぁ・・・これが成否のカギかも。
まあ、アニメやマンガを実写にする際はビジュアル的なものを含め全てがイメージ通りだなんてことはまずあり得ない。問題はフィルムの中でそのキャラが成立しているかどうかである。それは完成したものを見てみないと分からないので、しばらくはあれこれ思いをめぐらせながら無い物ねだりをするのもまたいいかもしれない。

アニメと実写は全く別物だと割り切りたいけど、そんなのは絶対ムリだ、「ヤマト」と名が付いているのだから。本当は「復活編」も「実写」も実現などして欲しくなかった。だけどやっぱり「ヤマト」から目を背けるのことなど出来ない。あの熱い想いをもう一度取り戻せるかも知れないという期待をしてしまうのだ。
もう動き出してしまったからには、僕らは待つしかない。それがどんなものになろうとも間違いなく観に行くだろう。

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2009年9月27日 (日)

富山敬さんのこと

前回富山さんの命日の記事を書いたので、特に「何回忌」とかではないのだが
もう少し富山さんのことを書きたくなった。

僕が「TVまんが」ではなく「アニメ」に興味を持ち始めたのは中学生の頃からだ。何度もこのブログで書いているようにきっかけは「宇宙戦艦ヤマト」だった。そのヤマトブームはアニメブームを呼び、アニメキャラの人気はその声を当てている声優さんたちの人気にも火をつけた。アニメブームは声優ブームでもなった。その中で人気、実力、実績などどれをとってもトップにいたのが富山敬氏であった。
1978年当時のTVアニメでは「グランプリの鷹」で主役を、「スタージンガー(サー・ジョーゴ)」「キャンディ・キャンディ(テリー役)」「ヤッターマン(ナレーション)」でレギュラーを務めていたが、なにより前年に公開された「宇宙戦艦ヤマト」と、この年の「さらば宇宙戦艦ヤマト」の古代進役でその人気は頂点に達していた。当然、雑誌に登場するケースも多く各誌でインタビューなどが掲載されている。僕が富山さんの名前をいち早く覚え、「声優」という仕事を知ったのもこうした記事でだった。
と、いうわけで今回は富山さん自身がメディアに登場した時の画像をいくつか紹介しよう。

はっきりした記憶ではないが、僕が「富山敬」をちゃんと認識したのは、このブログでも取り上げたことのある1977年発行の雑誌「マンガ少年臨時増刊 TVアニメの世界」の寄稿「僕は声有」という一文だったと思う。写真は掲載されていない。
Tv
「マンガ少年臨時増刊 TVアニメの世界」

 富山さんの姿を初めて拝見したのは1978年6月28日発売の「OUT」8月号だった。OUTではファンが声優さんにインタビューするという企画があって、富山さんの前には森功至さん、神谷明さん、山田康雄さんなども登場していた。僕はこの企画で顔を知った声優さんも多い。

Out
これがその中の一枚。ダンディーだ・・・。
だけど、思ったより年配だったことに少なからずショックを受けた。それもそのはず富山さんのアニメデビューはあの「鉄人28号」であり、この時すでに40歳前後なのだ。だけど、ショックの一方でそんな人たちが何の違和感もなく少年の声をやってたりするということに声優という仕事の奥深さを感じたのも確かだ。

「アニメージュ」では「声優24時」と言うコーナーで創刊第3号に登場している。
タイトルは「苦労も淡々と語る都会派の美学 富山敬」。アニメブームを一歩引いたところから見ているクールな姿勢が印象的な記事になっている。富山さんに限らず、当時のベテラン声優の多くは同じようなところがあった。今改めて読み返すと、記事の文体がすごくオトナっぽくてカッコイイ。さすがに週刊誌の記者が集まってできたアニメージュ編集部だけのことはある。
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その中の1枚。タバコ好きだった。

Photo_2 これはアニメブームの真っ最中、1979年に発行された「声優の世界」。巻頭には井上真樹夫氏、麻上洋子氏、水島裕氏ら人気声優のカラーグラビアが掲載されている。これはその中の1ページ。うーん、コメントしづらいな。

1988年(だったはず)に、大阪のよみうりテレビで開局30周年を記念して「よみうりテレビ アニメ30年史」という番組が放送された。パーソナリティーは神谷明。よみうりテレビ制作のアニメ番組のOP,ED全てを放送するというアニメファンにはうれしい番組だった。ゲストも多数登場し、富山さんも「宇宙戦艦ヤマト」のコーナーで麻上洋子氏とともに登場。ヤマトのクルー・古代進、森雪、加藤三郎が並ぶ豪華な3ショットが見られた。富山さんはよみうりテレビ制作のアニメでは「タイガーマスク」「侍ジャイアンツ」「宇宙戦艦ヤマト」で主役を務めた。
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豪華3ショット

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富山さん。当時50歳くらい。

富山さんが亡くなったのはこ番組の7年後、1995年のことである。まだ56歳であった。人気アニメ「ちびまる子ちゃん」の友蔵じいさん役もすっかり定着していた中での急逝だった。友蔵役を引き継いだのが「ヤマト」で真田志郎を演じた青野武氏。ヤマトのピンチを何度も救った真田さんが、この時も古代のピンチを救ったんだ、と涙したファンは多かったはずだ。

富山さんはもういない。だけども残された作品は永遠だ。
いつでもどんな時でも僕たちは富山さんに会うことが出来る。
数々のアニメを観ている間だけ、僕は少年に戻れる。
そしてそこに「富山敬」は生きている。

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2009年9月25日 (金)

「名優」富山敬氏の命日

本日2本目の記事である。

今日、9月25日は14年前に亡くなった「名優」富山敬さんの命日だ。
富山氏と言えば1970年代後半の「声優ブーム」を牽引し、全てのアニメファンから愛されたと言っても過言ではないほどの人気者だった。声優という職業の地位向上に果たした役割も小さくないはずだ。
出演した作品も挙げればきりがない。ヒーローも三枚目もシリアスもコメディーもなんでもこなし、その芝居の幅広さにおいて右に出る者はいなかった。
古くは「タイガーマスク」の伊達直人、「佐武と市」の佐武、「侍ジャイアンツ」の番場蛮、「グレンダイザー」のデューク・フリード、「タイムボカンシリーズ」のナレーター、「銀河鉄道999」のトチロー、「マルコ・ポーロの冒険」のマルコなど・・・。そしてなんといっても「宇宙戦艦ヤマト」の古代進。どれもみな大好きなのだが、僕が一番好きなのは「ガンバの冒険」のガクシャである。作品の素晴らしさ以上にガクシャというキャラが大好きだった。そしてそのキャラクターは富山氏の名演なくしてはあり得なかったはずだ。

僕が初めて憶えた声優の名が「富山敬」である。
それはもちろん、ヤマトにのめり込み、そこからアニメへのめり込んでいったからである(余談だが、ヤマトのエンディングで一番最初に名前が出るのは沖田十三の納谷悟郎氏である。ヤマトの主役は沖田艦長なのだ)。
だから僕にとっての「富山敬」は「声優」の代名詞のような存在だった。

今年、その富山氏の代表作だった「ヤマト」が復活しようとしている。
富山氏のいないヤマトを観るのは初めてになる。
いったいどんな思いが湧いてくるのだろうか・・・。

本当なら大好きなガクシャを描きたいところなのだが、ちょっと時間がないので過去に描いた富山キャラ「番場蛮」で穴埋め。
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2009年9月21日 (月)

ヤマト復活展

東京は丸善書店で【宇宙戦艦ヤマト完全復活展】なるものが開催中ということで出向いてきた。入場無料ということで期待はしていなかったが、そういう意味では期待通り(?)だった。

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丸善が入ってるビルのロビーに、どーん!とこんなのが。足を止めて見ている人が少ないのが寂しい。やっぱ実物大じゃなきゃ(←むりですから!)。

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会場入り口

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会場内。けっこう狭い・・・上の模型はかっこ良かった。かなり古いものらしいが。

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映画版パンフ3種。全部もってるし。下の見開きは「ロードショー責任編集 さらば宇宙戦艦ヤマト」。なのに「新たなる旅立ち」という説明が・・・まん中のは彗星帝国だろがっ!!

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ムックなど。上の段の右側3冊は知らないや・・・。
下の段の奥にも本があるのだが上の棚が邪魔してほとんど見えない。愛のない展示だ・・・。

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8mmフィルム。ビデオが普及していない時代ならではの商品。当時も映写機なかったから買わなかったけど、思いあまって買いそうになった。なぜならフィルムなら絵が見られるから・・・マジで相当悩んだ想い出がある。

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LPレコード2枚と・・・右は下敷きだな。「交響組曲宇宙戦艦ヤマト」は何度聞いたことか・・・。下敷きも全く同じモノをずっと使ってた(まだ持っている)。

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「復活編」原画(コピー)。おっ、この眉なし顔は・・・。左は・・・島?・・・の弟、次郎でした。髪の毛のくりくり感がそっくし。

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最後にキャラ表から折原真帆と古代の娘美雪。もちろん、雪との間にもうけた子供である。ん〜、やっぱタツノコっぽいんですけど

ほかにもセル画や市販されたプラモの完成品などが展示されていたのだが、「レア度」とか「涙度」の高いものはあまりなかったように思う。ていうか愛が足りない、ヤマト愛が。もうちっと展示の仕方に工夫もあったろうになぁ・・・。

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2009年9月 9日 (水)

2009.9.9

・・・と、いうわけで今日は9並び、999の日です。
そうです、また999です。

今日は9がみっつ並ぶ日ということで、劇場版999のブルーレイディスクが発売される。
・・・なんだけど、ブルーレイプレーヤー持ってないし。どうしたもんかな。
そうこうしてるうちにすぐに次世代ディスクとかいうことになっちまうんだろうしなぁ・・・。

ま、それはそれとして記念に(?)メーテル描きました。
線はガタガタで、かなり手抜きです・・・すみません。090909_2

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