プロ野球

2009年10月28日 (水)

ジョージ・マッケンジー阪神へ!

現役メジャーリーガーで、強肩・強打の捕手ジョージ・マッケンジー(前マリナーズ)が日本の阪神タイガースへ移籍することが決まった。メジャーの現役捕手が日本球界へ移籍するのは初めてのこと。この2年はケガやチーム事情から出場機会は減り成績は芳しくなかったものの力は衰えていないという思いから日本球界へ働き場所を求めていた。主力捕手の矢野と4番打者の金本が40歳を超えた阪神がいち早く獲得に動き、捕手と主力打者を一度に手に入れた形となった。
ジョージ・マッケンジーはまだ33歳。近年は捕手の選手寿命も長くなっており身体が万全なら期待通りの働きをするだろう。

*********************************
・・・なんてね。

大リーグ・マリナーズから日本球界への復帰を表明していた城島健司が阪神タイガースへ入団することが決まった。5年ぶりの日本球界復帰となる。
この2年は思うような働きが出来ずに内心忸怩たるものがあったことは想像に難くない。出番が増えそうにないマリナーズにいるよりはたくさん試合に出られる日本に戻るというのは理解できる話だ。

しかし、僕は残念だ。
城島なら間違いなくメジャーでもトップクラスの捕手になれたと思うからだ。打力、キャッチングやスローイング、ブロックの技術においても城島がメジャーの捕手に見劣りすることは何一つない。問題はリードだった。
城島は日本でいう「キャッチャータイプ」ではない性格で、ノムさんがWBCで批判していたように「自分の思うようにやりたい」タイプであり、投手を自分の支配下に置きたがる傾向が強い。それが個人主義で自己主張の強いアメリカの投手には受け入れられなかった。城島のリードの良し悪しではない。言うなればそれは文化的違いである。城島がそれを理解し変えていく、あるいはマリナーズが城島のリードを理解し受け入れるには、あまりにも障害が大きかったのだと思う。城島のリードを理解し、信頼する監督やコーチがいればまた違っていただろう。そこもまた城島の不運ではあった。
投手のレベルが高ければ、城島のリードに応えることも出来たかも知れないし、城島の考えに耳を傾ける余裕もあったかもしれない。日本野球を熟知したヒルマン監督(ロイヤルズ)のような指揮官だったらどうだったかとも思う。

もう一点残念なのは、メジャーリーグが更に上のレベルへステップアップするチャンスを逃したのではないかということだ。
僕は基本的にメジャー至上主義である。メジャーリーグはいつも一番であってほしい。だけど、最近はそうでもなくなりつつある。そこに日本野球、特にバッテリーのコンビネーションは日本から学ぶところが多いのではないかと思う。日本流にやれというのではない。良いところは積極的に取り入れるべきだと思う。僕は城島がそのさきがけとなることを期待していたのである。

今後、日本の捕手が大リーグでレギュラーになれる可能性はあるのだろうか?日本で一流になればなるほどそれは難しいかもしれない。メジャーリーグが日本の野球から学ぼうという明確な目的を持って日本人捕手を獲得しない限りは(それ以前に頑丈な肉体なども考えると城島ほどの捕手はそうそう現れないだろうけど)。
ただ、才能ある若い捕手が日本のプロ野球を経ずしてメジャー入りすれば可能性はあるだろう。ただし、それは「アメリカ的野球」の教育を受けるということにほかならないのだが。

ともあれ、阪神はいい補強をした。
城島を5番に据えれば、新井は気楽に打てるだろうし、金本にかかる負担が減ることでまだまだ金本も活躍できるだろう。城島自身も捕手としてまだまだ矢野から学ぶこともあるはずだし、捕手としてもさらなるレベルアップが望める。

ただ、今回の補強が現場レベル(真弓監督)とのコンセンサスを得た上でのことなのか、星野SDのスタンドプレーではないのか、そして性格的に我の強い城島が屈指の人気を誇るチームで浮いてしまわないか・・・などが気がかりではある。

いずれにせよ来シーズンの阪神は楽しみが多くなった。

| | コメント (6) | トラックバック (0)

2009年10月22日 (木)

ドラフト

ビールのことではない(←一年前にも同じことを書いたような気が・・・爆)。

プロ野球の「新人選手選択会議」のことである。その開催が1週間後に迫っている。
今年は岩手・花巻東の菊池投手が最大の目玉となっているが、ドラフト以前に彼が日本のプロ野球を志望するのかメジャーかで大騒ぎとなっている。これまでも日本のドラフトを経ずにメジャー球団と契約した高校生はいたが、いずれも日本のドラフトにはかからなかった(つまり、日本の球団は評価しなかった)選手ばかりであり、いずれも芽が出ていない。だが、菊池投手は違う。ドラフトの超目玉でありほとんどのチームが欲しがる逸材だ。

将来的にメジャーへ行きたいと考えているのなら、即メジャーへいくべきだというのが僕の考えである。誘ってくれる球団があるならばそのチャンスを逃すテはない。メジャー流のトレーニングや考え方、投球術、そしてボールや硬いマウンドにも慣れるなら早いほうがいい。日本で実績を作ってからメジャーに行った投手のほとんどがこうしたところへの適応に苦しんでいることを考えれば、肉体的にも精神的にも柔軟なうちに海を渡ることのメリットは大きいはずだ。言葉や文化、食事の違いなどに大きな不安があると思うが、それでも菊池君にはメジャーを選んで欲しいと思う。
プロ野球関係者にとっては、またも日本野球界の人材流出だとかで気が気じゃないだろうが、そんなことは関係ない。スポーツ選手が自らの戦う場所を自ら選択するのは至極当然なのだ。

ところでこのドラフト会議であるが、日本では何度も制度をこねくり回しては選手達の人生を弄んできた。ドラフトそのものがドラマであり、その後の選手達の人生に大きな影響を及ぼしてきたのは間違いない。「悲劇」としか形容の出来ないような出来事も、またその逆もあった。それは、日本のドラフトが「くじ引き」だったからである。自分となんら関係のない人間の運が自分の将来を左右するという理不尽な制度。それがTVでも中継され、有力選手の学校や会社では記者会見場までセッティングされ選手の逃げ場をなくしてしまう。

そんなドラフト会議の歴史をどう考えているのか、日本プロ野球機構(NPB)のHPを見ていて驚いた。指名権を確定するための「抽選箱」をモチーフにしたティッシュペーパーをHPで販売しているのだ。しかもご丁寧に12分の1の確率で「交渉権確定」の文字が印刷されたティッシュが入っているという。
・・・なんなんだろう、このセンスは。信じがたい悪趣味である。
選手の運命を左右するドラフトで金儲けをし、茶化すような商品を販売するとは一体どういうつもりなのか。しかも今ドラフトはご丁寧にスポンサーまでついている。
NPBは選手の自由を奪うような制度ばかり考える前に、自らの襟を正してやるべきことが山ほどあると思うのだが。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年10月15日 (木)

クライマックス・シリーズなんて・・・

・・・なくなってしまえと思うのだ。

これから始まろうとしているクライマックス・シリーズ(CS)を楽しみにしている人には水を差すような内容で申し訳ないけれど、僕は最初から大反対だったし今でもその考えは変わらない。

今シーズン、最後にCS進出を決めたスワローズはセ・リーグ3位になったとはいえ勝率5割を切り、首位の巨人とは24ゲームも差がある。そんなチームが日本一になれる可能性があるなんてどう考えてもおかしい。
CSの優勝チームは「リーグ優勝ではない」のだが、リーグ優勝チーム同士が覇権を争うのが日本シリーズのはずなのにこれではリーグ優勝の価値が低下するだけだ。144試合のレギュラーシーズンを戦い抜いて堂々リーグ優勝をしたチームが、下手をすればたった4試合で日本シリーズ出場を逃すかもしれないのだ(今年のセで言えば、巨人は2位中日とのゲーム差ですら12もあり、仮に直接対決で4連敗しても順位は入れ替わらない)。どう理屈をこねても合理的な制度とは言えないだろう。このことはCS導入時に散々話題になったことなのでいまさらな感じではあるが今年のセ・リーグのような状況では、改めて考えさせられるのである。

「お前は巨人ファンだからそんなことを言うのだろう」
・・・という声も聞こえてきそうだが、僕は特定のひいきチームを持たないイチ野球ファンだ。野球ファンであるからこそCSには大きな疑問を持ってしまうのだ。
CSに全く意味がないとは言わない。消化試合が減り、シーズン終盤まで真剣勝負が繰り広げられるのは良いことだとは思う。醜悪なタイトル争いも減った。

しかし、だ。

CSがなければ「リーグ優勝決定後の試合が真剣勝負にならない」ことがそもそも変だ。優勝に関係なくなったチームの試合は観る価値がないのか?そんなはずはない。優勝争いに関係がなくても観る価値のあるゲームはいくらでもあるはずだ。いや、そういう価値のあるゲームをする(価値あるゲームになるよう最大限の努力をする)のがプロスポーツであるはずだ。
「消化試合」なんてのはマスコミが作り出した言葉である。優勝争いにしか興味のないマスコミにとっては記事が書きにくいからそんな言葉で誤魔化してきただけだ。ファンにとっての価値はそれだけではないはずなのに、いつの間にかファンもそして選手達にも「消化試合」などという言葉とそれに付随する変な空気が蔓延してしまったのだ。優勝が決まってしまったからといって残り試合に意味がないなんていうのは金を取ってプレーを見せている限り、プロである限り許されないことであるはずなのに。

ドラフト制度にしろCSにしろ現状を大きく変えようとせず、目先だけの解決策としてあれこれルールをいじくり回してるに過ぎない。そのこと自体が大問題である。
希望球団を表明してドラフトされなければ入団拒否する選手が増えたら逆指名制度やら自由獲得枠やらを導入し、裏金問題が発覚したらまた元のくじ引きに戻してみたり、パ・リーグのプレーオフが営業的に成功したらすぐにセも追随してみたりと長期的な戦略もなければ節操もない。
プロ野球界がやらなければならないのは、このような目先の利益(不利益)に振り回されて制度をいじくり回すことではない。恒久的にプロ野球を頂点とした日本の野球界が発展できるようにすることだ。それをやってこなかったから2004年の球界再編騒動のようなことが起こったわけだし、盛者必衰の理など忘れていたかのような巨人人気にあやかってきたことのツケが回ってきたのだから。

そもそもCSの源流は、かつて人気がなかった頃のパ・リーグが1983年に導入した変則プレーオフ(1・2位チームのゲーム差が「5」以内なら5試合制のプレーオフを行い、3勝した方が優勝)にある。しかし、このプレーオフ導入後の3年間はいずれも6ゲーム差以上だったため実質的には実施されないまま廃止となった。その後パ・リーグもセと同じように通常のレギュラーシーズンを行っていたが、2004年からCSの原型となるプレーオフ制度を導入したわけだ。これはシーズン終盤のいわゆる消化試合を少なくすることと3位までのチームが優勝できる可能性を残すことでファンの興味を引きつけようという営業的側面からの導入だった。果たして、目論見は成功し、シーズン終盤も俄然ファンの注目を集める結果となった。
セ・リーグもそれに追随する形で2007年からのプレーオフ制度導入を決め、セ・パともに同じ制度になるよう調整し「クライマックス・シリーズ」という名称になった。セが導入に動いたのは、巨人人気の落ち込みによるリーグ全体の観客動員やTV視聴率の低下があり人気回復を図る必要があったからにほかならない。かつてのパ・リーグは「(巨人)人気(におんぶにだっこ)のセ」に対するために前・後期制を導入してみたりDH制を導入したり、先述した変則プレーオフを考え出したりと涙ぐましい努力をしていたが、パが先に導入した制度にセが追随する時代が来るとは思ってもみなかっただろう。皮肉な話である

CS争いで盛り上がっているうちはいいだろう。しかし、いずれまた違う制度への転換を余儀なくされるか、CSそのものの是非も問われる日が来るだろう。これだけ盛り上がっていても黒字経営の球団の方が圧倒的に少ないという現実が厳然と横たわっているのだ。それはプロ野球が抱える構造的な問題があるからで、それが改善されない限り遅かれ早かれプロ野球そのものの存続が危うい事態になると思う。

| | コメント (7) | トラックバック (0)

2009年9月25日 (金)

名2塁手の早すぎる死

巨人V9を支えた名2塁手の土井正三氏が亡くなった。67歳というあまりにも早い死である。

土井氏は巨人V9スタートの1965年に巨人入団。1年目から1軍に定着し、2年目からは完全にレギュラーとなりV9を支えた名脇役である。
現役時代の土井氏のハイライトは、なんと言っても1969年の阪急との日本シリーズでの本盗が有名だ。第4戦の4回裏、3塁ランナーだった土井は長嶋が三振した際に1塁ランナーとの重盗で本塁突入を図った。阪急の捕手岡村が1塁ランナーを刺すべく2塁へ投げたボールは、スタートを切った土井を見て2塁手山口から素早く捕手・岡村へ転送され、ホーム上はクロスプレーとなった。岡村のブロックに土井はもんどり打って倒れ、タイミングはアウトに見えた。しかし、球審の判定はセーフ。アウトだと思った岡村は審判に猛抗議し暴力を振るったとして退場処分になった。
翌日の新聞各紙を飾ったのは正にこの瞬間、キャッチャー岡村の両足のわずかなすき間から足を差し込み本塁を踏む土井の写真であった。岡村がほんのわずか腰を浮かしたところを見逃さずに、本来ならスライディングするところを左足を大きく伸ばしベースにタッチしたのである。土井の積極かつ冷静なプレーと、その瞬間を見逃さなかった岡田球審の確かな目によって日本シリーズ史を語る上で欠かせない名シーンとなった。

土井氏は、1991年から93年までオリックス・ブルーウェーブ(現バファローズ)で指揮を執ったのだが、92年に入団したイチローを「使わなかった」監督として有名になってしまった。1年目からそこそこの結果を出したイチローは、2年目に早くもレギュラーを獲るかと思われていた。しかしそのイチローをあまり使わなくなり(実際、2年目は結果が出ていなかったのだが)、「あの打ち方ではダメ」というコメントとバッティングフォーム変更の指示をイチローが受け入れなかったことなどがマスコミに取り上げられるなど確執が表面化してしまう。3年連続Aクラスながら土井氏は93年かぎりでオリックスを去る。監督が仰木氏に替わった94年にイチローが大ブレイクしたことで、ことさら「才能を見抜けなかった監督」として扱われるようになってしまった。しかし、実はイチローを1年目から積極的に使っていたのは誰あろうこの土井氏であった。才能は評価していたがあの「打ち方が好きではなかった」だけだったのだろう。さらに94年は、オリックスが優勝してしまった事が必要以上に土井氏の評価を下げてしまっている感は否めない。監督として決して有能だったとは僕も思ってはいないが、それでも在任中にBクラスに落ちたことはなく、94〜95年のパ・リーグ連覇の礎を築いたと言えるのではないか。

僕が土井氏を見た(と言ってもTVで、だが)のは、2年前の巨人主催試合のセレモニーにおいてだった。何を記念してだったか、巨人V9当時の選手たちがグラウンドに登場した時だった。土井氏は痩せこけた姿で車いすに乗って現れた。この年の春に膵臓がんを手術したばかりだったことが中継の中で明かされた。
かつてのファイターの面影が感じられないほどに痩せた身体からは生気というものが感じられず、僕は絶句してしまった。だけど、土井氏を紹介するアナウンスが流れると力を振り絞るようにして立ち上がり拍手に応える姿に僕は思わず涙ぐんだ。わずかながらV9戦士の面影を見た思いだった。

名2塁手の早すぎる死に対し、心から哀悼の意を表するとともにご冥福を祈りたいと思う。

Photo
土井選手のカルビー野球カード。1973年当時のもの。

| | コメント (3) | トラックバック (0)

2009年6月25日 (木)

野球博物館50年

「野球博物館」をご存じだろうか。正式名称は「財団法人 野球体育博物館」。野球の殿堂と博物館、図書館などが一体になった施設で、東京ドームの一角に作られている。「体育」という名称が付いているのは文科省の補助金がもらえるとか、税金が免除されるとか、そういった理由からだったと思う。その野球博物館が今年開館50周年を迎えたというので、久しぶりに足を運んでみた。
入り口階段を降りた正面には、記憶に新しいWBCのトロフィーが展示されていた。前回06年大会のトロフィーと今年の二つが並べられており、二つ並ぶとさすがに迫力がある。順路通りに行くと、次に原12球団のユニフォームと主力選手の道具やサインの展示。ここのレイアウトは基本的に変わらないが、ユニフォームや扱う選手はその都度変わっている。その後プロ野球の歴史、野球の歴史、アマ野球の歴史・・・などの展示がありそれぞれの関連収蔵品が展示されている。古い野球道具やイベントポスターにチケット、ルールブックなど野球好きには楽しい場所であるのは言うまでもない。野球の道具で最も変わったのが、グローブであり、ほとんど変わらないのがボールである。バットも基本的な形状にには変わりがないと言っていいだろう。ボールも見た目はともかく「性能」については長い年月の中で進化してきてはいる。ただ、基本的な作りと形状や素材についてはほかの数多ある球技に比べて一番変化がないはずだ。そこが野球というスポーツの普遍性を表しているのだと展示を見ていて思う。
そして一番広いスペースを取っているのが「野球殿堂」である。今年までの殿堂入り表彰者168名と特別表彰4名のレリーフが壁に掛けられている(レリーフの出来にバラつきがあるのが気にはなるが)。プロ野球に限らず、野球界の発展に寄与した人々が殿堂入りしているのだが、知らない人もかなりいる。陽の当たるスター選手や監督ばかりではなく、こうした人たちを後世に伝えていくという理念は素晴らしい(個人的には殿堂入りにふさわしいと思えない人もいるのだが・・・)。
今年は先にも書いたように野球博物館の開館50年という記念の年である。それに合わせた企画展が順次開催される予定だが、現在は「野球殿堂50年のあゆみ」が開催中(7月20日まで)だ。開館当時の写真や新聞記事、殿堂入り表彰式の写真と殿堂入りした方々ゆかりの品が展示されているので興味のある方は出かけてみるといいだろう。

野球博物館は東京ドームのオープンに合わせて移転・拡張されたのだが、それ以前の1987年までは後楽園球場の脇、地下鉄丸ノ内線の後楽園駅に近いところにあった。僕は大学時代に一度だけ訪れたことがある。シーズンオフの平日とあって、来館者はほとんどいなかった。今でこそ後楽園駅周辺は再開発によって賑やかになっているが、当時(25年前)は後楽園球場の裏口といった感じであった。しかし、その寂れた雰囲気が当時のこの博物館には妙にマッチしていた気がする。館内もあまり明るくなく、だけどもそこここに野球の匂いを感じることができる落ち着いた雰囲気だった。おそらくは本当に野球が好きな人だけが訪れる場所だったのだろうと思う。今は東京ドームの一角に移り入場者は増えたに違いないし、気軽に入れるという意味では良くなった。しかし、訪れる人はまばらであっても個性的な、独立した建造物だったかつての野球博物館を懐かしく思うのは僕だけではないと思う。

Photo_450年記念の復刻チケット。当時の建物の外観が描かれている。


PhotoWbc

入り口(左)とWBCのトロフィーふたつ


Photo_2

名投手・杉浦忠のレリーフ。博物館開館の年、38勝を挙げ日本シリーズ4連投4連勝でMVP。個人的に全盛時の投球を見たい投手の筆頭。

Photo_3松坂のユニフォームとベーブ・ルース来日時のポスター。この時結成された日本チームが後の巨人軍の元になった。それから75年、日本野球は大リーグに肩を並べた・・・のか?


02「鎮魂の碑」。太平洋戦争に散ったプロ野球選手の慰霊碑。東京ドームに背を向けるようにひっそりと建っている。かつては博物館の入り口付近にあった。なぜ、これをもっと人目に付くところに移設しなかったのかが分からない。そういうところが日本のプロ野球のもっともダメなところだ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年4月17日 (金)

3086・・・そして無人の荒野へ

イチローがついに3086安打を打ち、張本の記録を抜いた。当たり前のように実にさらりと打ってしまった。今日打つであろうことはほとんどの人が願望も込めて予想していただろう。そして打った。今、イチローについて書きたいことは概ね前回のブログで書いてしまったので、今回は書くことがない。

これからひとり無人の野を往くイチローがたどり着く場所はどこなのだろう。

| | コメント (4) | トラックバック (0)

3085

イチローが日米通算で3085本目の安打を満塁ホームランで飾った。今さら説明するまでもないが日本出身(“日本人の”ではない)のプロ野球選手として張本勲の記録に並んだ(“日本タイ記録”でもない)。ホームラン、しかも満塁というところで打つあたりさすがはイチロー・・・と全ての日本人が思ったであろう。張本は3000本めの安打をホームランで飾り、その張本の記録にイチローはホームランで並んでみせたということもまた面白い。
昨日はマリナーズに復帰したケン・グリフィーJr.もマリナーズでの通算400号を放ち(アメリカではこちらの方がニュースだろうが)、日米両方の野球が好きな僕にはうれしい日であった。グリフィーに憧れていたイチローにとっても心に残るのではないだろうか。

試合の趨勢はほぼ決まった中でしかも満塁、いわゆる“おいしい場面”である。インタビューでは「当てるのに必死だった」と言ってたが本当は狙っていたはずだ。ファーストストライクのフルスイングがそれを物語っている。ほぼど真ん中のストレートを真後ろにファウルするなど、イチローの技術ではありえないからだ。僕には相当力んだように見えた。ホームランはツーストライク後の変化球だったのでその時点では頭を切り換えたかも知れないが、心は狙っていたと思う。切り替えた頭と狙う心が生んだ完璧なスイングだった。普段は身体の前の方でボールを捉えるのがイチローだが、ホームランを狙って打つときは体重を前に移し切らずに腰を鋭く回転させて身体の近くでバットにボールを乗せるようにして打つ。今日のスイングはまさしくそんなスイングだった。イチローのホームランの軌道は普段はもっと低いのだが、昨日は低めのボールをアッパーで捉えたので打球がかなり上がった。ホームランが出にくいと言われるセーフコ・フィールドであれが入るということはかなり力の入ったスイングだったはずだ。
WBCの決勝打の後、胃かいようでDL入りという衝撃、そしてこの劇的な復活というのはあまりにもドラマチック過ぎる。出来過ぎだと思えるほどに。しかし、これがイチロー流に言えば「持ってる」ということなのだろう。もし今シーズンも200安打を放てば9年連続で大リーグ新記録だし、そこに到達するならその前には自動的に史上最速のメジャー2000本安打の達成もクリアすることになる。8試合の欠場がシーズン終盤にどう響いてくるのか、あるいはそんなことなど忘れてしまうくらいの活躍をするのか、今シーズンもますますイチローから目が離せなくなってしまった。

もう日本にはイチローが背中を追う選手はいない。イチローがこれから歩む道には偉大なるメジャーのマイルストーンが立っているのみだ。そしていつの日か、イチローの名がそのマイルストーンに刻まれる日が来ることを、僕は夢見る。
その夢はベーブ・ルース来日の頃からの日本野球の夢のひとつでもあるはずだ。
イチローが刻む歴史は、長い長い日本野球の歴史がたどり着いたひとつの金字塔なのだ。
彼が歩いてきた道には多くの野球人の夢が埋まっている・・・。

以下、余談。
昨日イチローは・・・というか全メジャーリーガーが背番号42を付けてプレーしていたことに気がついたと思う。しかもネームも入っていなかったのでよっぽどメジャーに詳しくない人は誰が誰だか分からなかっただろうし、なぜみんな42番を付けているのかも(中継を観ていなかった人は)わからなかっただろう。
今日は黒人初の大リーガーとなったジャッキー・ロビンソン(注釈ばかりで申し訳ないが“現在の大リーグ組織では初の”黒人プレーヤー)がデビューした日で、大リーグでは彼がデビューして50周年を記念となる1997年以来、その功績を讃え「ジャッキー・ロビンソン・デー」として毎年全選手が42番を付けてプレーしているのだ(42番は現在、97年当時から42番をつけていて今も現役である選手を除き、全球団で永久欠番扱いになっている)。敢えてこじつけるならば、白人以外はプレーできなかったメジャー・リーグでこうして日本人がプレー出来るのもロビンソンが重い扉を開いたから、と言えなくもない。そんな記念の日にイチローが、それも日本人ではない(アメリカにおける黒人同様に、日本の近代においては差別を受け続けてきた朝鮮民族である)張本の記録に、遠いアメリカの地で並んだということはなんだかとても感慨深い。
それぞれの国で、それぞれの時代に、全く違うルーツを持つ人々がそれぞれの思いを持って野球というスポーツに取り組み偉大な歴史を刻んできたという事実が僕には感慨深いのだ。そういう意味ではイチローは最も恵まれた時代に生まれ、恵まれた環境の中で野球だけに打ち込むことが出来ているぶん幸せなのかも知れない。僕はそういったことを忘れずに野球を観ていたい、観ていかなければ、と思う。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年3月28日 (土)

世界の野球

第2回WBCで日本が2連覇を決めてから4日、ようやく興奮も収まりつつある。
僕はすぐに記事を書こうとしたが、色々書いてはみたものの焦点がぼやけてしまい全く内容をまとめられずにいた。かと言って今もちゃんとまとめられたとは言い難いが、やはり大会全般的な事から書いておこうと思う(ほかにも書くのかよ)。

関心の低かった第1回大会とは違い北京五輪惨敗後の大会ということもあり開幕前から異様な盛り上がりをみせ、国民的関心事となった今大会だった。そして監督選考と選手選考でのゴタゴタもあり、日本球界が一枚岩だったとは言えない中で、様々な曲折を経た末につかんだ勝利であるだけに興奮と同時になんとも言えない安堵感を持ったのも事実だった。日本中を歓喜の渦に巻き込んだこの勝利はそんなゴタゴタなどどうでも良いことにしてしまった。本当のところはどうでも良いわけではなく、この勝利によって日本球界が少しでも良い方向に向かって行って欲しいと心から切に願う。
幸いにして、少なくとも日本はWBCへの国民的関心も高く、2連覇したことで選手が代表入りすることに誇りを持つことができるようになった。この熱が冷めないうちに球界挙げて「日本代表」というものへの意義付けや、代表監督・選手の選考の決定方法などWBCに臨むにあたっての環境整備に取り組むべきだろう。併せて運営面への積極的な意見介入、国内とアジアを中心にした野球発展への更なる取り組みなど「世界一」の国にふさわしい球界になってほしい。

では、WBCは世界一を決めるにふさわしい大会だったのか。
残念ながら答えはノーだ。
まず、時期の問題。選手が最高のパフォーマンスを発揮するには3月という時期はあまりにも良くない。ケガのリスクを恐れ、多くの大リーガーが辞退したのもムリはない。日本や韓国が傑出した戦いを見せたのはそういったリスクを恐れず、早い段階から準備をし、チームを熟成させてきたからだ。開催母体のMLBが自国のリーグを重視する余りこの時期になってしまっているわけだが、そんなだから大リーガー達も出たがらない。メジャーリーグを中断してでも行うくらいの本気度を見せて欲しい。野球の母国アメリカの選手達がWBCへの参加にあまり積極的でなかったのはやはり寂しい限りだった。「辞退した選手達でチームを編成した方が強かっただろう」なんて皮肉られるようでは・・・。開催時期が夏になってしまうと日本だって韓国だって困るだろう。しかし、今後4年に一度の世界一を決める大会ということで定着させるならば痛みも必要なはずだ、本当に野球の世界的発展を願うならば。

そして誰もが思うように、勝ち上がっていくシステムの問題。せめて2次ラウンドでいっせいにシャッフルするべきだろう。また「1位通過決定戦」も無駄だ。抽選で組み合わせを決めればいいだけのことだ。韓国チームにばかり詳しくなってしまって「ワールド」と言いながら、日本は4チームとしか対戦していないのだ。

ほかにも投手の球数制限や開催地の問題(決勝ラウンドがアメリカばかり)などもあるが、WBCはまだ始まったばかりだ。そもそも、アメリカでなければ、MLBでなければWBCを立ち上げることすらできなかったはずだ。そこはさすがにスゴイと認めざるを得ないし、そのおかげでここまで盛り上がれたのは事実だ。それに、始めから何もかもが全てうまくいくわけでもなし、何よりも世間に認知させていくことこそが最重要だ。そういう意味では全試合を通じ計80万人以上の観客を動員したことには希望が持てる。日本や韓国での高視聴率も無視できないはずだ。反面、アメリカ国内での視聴率は良くなかったらしいが・・・。

日本は今大会で世界に向けて疑いようのない実力を見せたため、次回以降の代表チームの重圧はさらに強いものとなるだろう。もし、アメリカを始め強豪国が本気を見せ始めたとしたら、日本はうかうかしてはいられなくなる。しかし、そういう中で勝ってこそ真の世界一だと言えるのではないだろうか。サッカーのW杯で勝った国は間違いなく「サッカーの世界一」だと、全てのサッカーファンが認めるように、WBCでのチャンピオンが疑いようもない「野球の世界一」と認められるためには全ての参加国・地域の代表が本気でなければならないのだ。そして本気を出したくなるような舞台がすこしでも早く整って欲しいものだ。

僕は今回、日本の試合はほとんど観たが、それでも全てをつぶさに見たわけではないし、ましてや他のグループの試合などはほとんど見ることはできなかった。だから日本で報道される限りにおいての情報しか知らない。ほかの、中継で見ることができなかったチームがどうだったのかはほとんど分からない。
優勝候補に挙げられたドミニカ共和国がオランダに2度も敗れ、1次ラウンドで敗退したのには誰もが驚いたはずだ。では、オランダチームというのはどんな選手がいて、どんな野球をするのだろうか?そしてもし、日本と当たっていたら?・・・誰もがそんな関心を抱いたはずだ。2度目にドミニカを破った後の会見でオランダの監督は感極まって涙を流した。それほど感動的な試合を観たかったと、僕は心底思った。
他にもカナダ相手に善戦したイタリアや、「そんなとこで野球やってんの?」ってすら思う南アフリカなど、普段は目にすることのない国の野球が観たくてたまらなかった。もし日本がオランダやドミニカと当たっていたらどんなゲームになってたいたか考えただけでもワクワクする。オランダチームだって日本や韓国と戦いたかったに違いない。いや、もちろん日本以外のゲームももっともっと観たい。サッカーのW杯だって本当のサッカー好きは母国を応援するだけではなく世界の多彩なサッカーを楽しんでいる。WBCが同じように野球ファンにとって、日本の試合でなくとも楽しめるような、楽しみになるような、そんな大会になって欲しい。
そんな大会でなら、日本が世界一になれなくたって構わない。日本ばかりが勝つようじゃ野球の未来もあったもんじゃない。勝てなくて悔しい思いをして次の大会が待ち遠しくて仕方なくなる。それもまた楽しいと思う。

世界には僕らの知らない野球がまだまだたくさんある。
なんだか、とても素敵じゃないか。

| | コメント (3) | トラックバック (0)

2009年3月23日 (月)

歴史的勝利?

WBC準決勝で日本はアメリカに勝った。

エキシビジョンマッチではない試合で、日本のプロ野球が大リーグに勝つというのは日本プロ野球の歴史始まって以来の出来事である。日本のプロ野球の目指すところは大リーグと単独チーム同士で覇権を争うことにあったのだが、形は違えど米本土でアメリカを破ったことの意味は大きい。WBCという大会の意義や米国代表チームが実は「最強」には程遠いメンバーであることなど、手放しで快哉を叫ぶ気になれないのも確かではあるが、やはりこれは歴史的勝利と呼ぶべきものなのだろう。
しかし、僕の中には複雑な感情がある。
「圧勝」といえる勝ち方を日本がしたこと、それは嬉しい。だけども大リーグの選抜チームがこうもあっさり負けたことに対して寂しい気持ちとが、僕の中にはっきりとあるのだ。
日本のプロ野球は常に大リーグを目標にしてきた。野球、いやベースボールの最新トレンドは常に大リーグだった。変化球にしても、ユニフォームの流行にしてもすべてはアメリカ発であった。巨人V9の礎となったのは「ドジャース戦法」であったし、野村監督お得意のID野球の原点は、野村が現役当時に南海に在籍していた元大リーガー、ドン・ブレイザーの緻密な野球から学んだものだ。阪急に在籍した“怪人”スペンサーはそのイメージとは裏腹に相手投手を細かく研究し、データを駆使する知性派だった。パワーで日本野球を席巻したかのように思われがちな外国人選手達がもたらしものの多くは「知的財産」だったのだ。そうした財産を吸収し、日本人らしい勤勉さによって磨き上げ、日本の野球は今日のように発展してきた。
その結実としての勝利だと、僕は思う。それ自体はとても誇らしい。

だからこそ、と余計に思う。
「大リーグがこんなんでいいのか?」・・・・と。

多くの日本人が当たり前のように大リーグで活躍している、今のこの時代しか知らない若い世代には想像もつかないだろう。かつての大リーグとは、とてつもなく大きな山のような存在だったことを。今では笑いのネタにしかされない星飛雄馬の“大リーグ・ボール”に込められた思いを。“サムライ”番場蛮が命がけで開発した魔球の数々も超一流の大リーガーには全く通用しなかったことを・・・。もうそんな時代じゃないことは僕にも分かっている。だけども、何か違う気がする。
イチローが「特別な感情は湧かなかった。そこが特別」と言っていたが、大リーグでも超一流となったイチローにとってはすでに「特別な相手」ではなかったのだろう。「そこが特別」とはそういう平静な感情でいられることについての感想、つまり日本の野球がそれだけ強いモノだという自身なのだと、僕は思った。
だけど、僕はやはり大リーグは「特別なモノ」であってほしいのだ。それが少年時代のノスタルジーによるものであると笑われても構わない。夢や憧れというものは永遠であることを、どこかで望んでいたいものじゃないだろうか。父や兄という存在は、いつまでも乗り越えられないものであってほしいように・・・。

そういう意味で、僕には少し希望がある(非国民と言われるだろうが)。
それは、おそらくは、多くのアメリカ人や大リーグ関係者にとってのWBCは、「しょせんエキシビション・マッチじゃないか」と思っているのではないかということだ。彼らにとって最も重要なのは国内リーグ、つまりメジャー・リーグであり、ファンにとっての楽しみはひいきチームの勝利だ。そしてメジャー・リーグが世界最強のプロ野球リーグであるという自負だ。だから、今回の敗退も屈辱的とは思っていても実はかなり想定内の出来事だったのではないだろうか。明らかに準備不足の上にもっともっと実力のある大リーガーが出ていないことも知っているのだから。だから、僕のような古くからの大リーグファンは思う「アメリカはまだまだこんなもんじゃないはずだ」と。
アメリカ代表がもっと早くから、真剣にこの大会に臨み可能な限り「最強」に近い形のチームであって欲しかった。イチローが「寂しい」と思うようなメンバーではなく「よくこんな連中に勝ったもんだ」と思わせるメンバーであれば、と。
そうであれば、もっと心の底から沸き立つような感情が起こったはずだ。

だから僕は思う。
楽しみはまだまだ残されている。
WBCがメジャリーガーがこぞって出たがるような名誉のある大会になり、日本や韓国、キューバなどと真剣勝負を繰り広げるという楽しみが、まだ残っているのだ。
そこで日本が決勝戦をアメリカ代表と戦い、勝つ日が来たとしたら、その時こそ心の底からとてつもなく大きな喜びがわき上がってくるだろう。
僕はその日を夢に見る。

だけど夢のままでもいいと思っている、心のどこかでは。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2009年3月 8日 (日)

WBC日韓戦(今日はTV観戦)

コールドゲームである。
まったくの予想外だった。野球ってホントに不思議でおもしろい。
韓国は途中で明日以降を考えた投手起用だったこともあるので、コールド勝ちはおまけみたいなものだったが日本チームは一昨日の戦いっぷりからは想像もつかない猛打ぶりだった。
すべてはイチロー、だったのだろう、やはり。
大会前から「イチロー・ジャパン」などと揶揄されてたように、良くも悪くもイチローのチームなんだということが今日のゲームではっきりした。
中国戦での日本チームは、おそらく相手を見ずにイチローを見ていたのではないか。強化試合、練習試合を通じて不振を極めていたイチローが、本番で打ってくれるのかどうか、打って欲しい、そんな想いでチームメイトは見ていたと思う。そして、打てなかった。イチローは自分自身の調子が悪いからといってベンチのムードを悪くするような選手ではないが、おそらくは他の選手が平常心ではいられなかったに違いない。あのイチローが打てない、見た目は平常心を装っていってもその心中を察するに気軽に声をかけられるような選手がいるはずもない。皆、ハラハラしていたと思う。イチロー自身がそれを望まなくても、やはりイチローは周りが「ご機嫌をうかがってしまう」選手になってしまっているのだ。そのことが各選手のバッティングに影響したのが中国戦だったのだろう。
そして、今日だ。
イチローは第1打席でクリーンヒットを放った。日本中が安堵のため息を漏らした中、どこよりも日本チームのベンチが安堵したはずだ。そして日本のベンチは一気に盛り上がった。イチローは2打席目にバントヒット、3打席目も測ったように人のいないところにボールを落とした。後は「ああ、これでもうきっと大丈夫だ」という日本チームの思いがそのまま出たかのような猛打だった。
今日は稲葉を下げて4番に村田を入れ、6番に内川を入れたことは原監督のファインプレーだった。しかし、それ以上に初回に日本チームが最も苦手とし警戒していたキム・グァンヒョンからいとも簡単にヒットを放ち「これはいけるかも」と思わせ、チームに勇気を与えたのはやはりイチローだった。それがつまり、良くも悪くもイチローのチームであるということだ。ただ打つだけではなく、打つシチュエーションがまた見事なのだ。皆が気をもんでいるところで、最強のライバルチームのエース相手にいきなり打つ。そこがイチローらしい。だからこそ影響力も大きい。そういう意味では、この先の試合においてもイチローが日本チーム最大のキーマンであるのは間違いないのだが、一方でイチローが打てないときにチームの活力をどのように上げていくかということも大きな課題になってくるだろう。ずっと「イチロー次第」では連覇はおぼつかない。
そこでポイントになるのが、今日も活躍した中島、青木と対照的に調子が上がってこないメジャーリーガー岩村だ。
今日の試合、イチローの打ったヒットの後に中島がさらにチャンスを広げなければ試合の展開はどうなっていたか分からない。そして中島の後にキムに強い青木がセンター前に運び、あっという間に先取点を奪った。キムの立ち上がりにペースをつかませないうちに中島と青木がたたみかけたことで今日のゲームの流れを作ったことは間違いない。中島は2打席目にはイチローのバントヒットで満塁になった後、押し出しのフォアボールを選ぶ冷静さも見せるなど地に足の付いたところを見せている。青木は先制タイムリーの後はゲッツー崩れではあったが、足の速さを生かして塁に残ったし、犠牲フライも打ち好調だ。
問題はイチローの2打席目以降、前を打つ格好になる9番の岩村だ。岩村がチャンスメーカーの役割を果たせれば、仮にイチローが抑えこまれた場合にも後ろに好調な中島と青木がいることで日本の得点チャンスはグッと広がる。岩村の場合、安定した守備での役割も大きいので簡単には外さないとは思うが、このまま調子が上がらないと片岡がスタメンということも考えられると思う。
とにかく、これで日本は次のステージに進むことが決まった。後は明日8日の試合の勝者と1位通過をかけた試合が残る。もう一度韓国との試合になる可能性が高いが、そうなれば、この試合こそ今日の試合よりもある意味重要になるかもしれない。今日のコールド勝ちがそのまま実力差でないことは誰よりも選手達が良く分かっているはずだ。1位通過を争うということと今日の負けが逆に韓国にも大きなモチベーションをもたらすだろう。大勝のあとは得てして打てなくなるものだが、日本は幸いにして中1日をおいての試合になる。今日の試合は忘れてまた改めて気持ちを盛り上げてもらいたいものだ。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2009年3月 6日 (金)

WBC開幕戦を観戦

第2回ワールド・ベースボール・クラシックの開幕戦である日本vs中国を観戦してきた。場内はほぼ満員で日本の野球熱の高さを改めて認識、イチ野球ファンとしては喜ばしい限りであった。
割とあっさりしたセレモニーの後、始球式には王貞治氏が登場し場内はまさしく割れんばかりの拍手に包まれた。王さんを心から尊敬する僕は、マウンドに立つ王さんの元気な姿をナマで観られ思わず涙ぐんでしまった。個人的には王さんのこの姿を観ただけでも足を運んだ価値があった。ていうか、そこが一番感動的であり肝心のゲームはというと、極めてお寒く盛り上がりに欠けるものだった。
投手陣はおおむね良い内容だったと言えるのだが、クローザーの藤川が9番バッターにヒットを打たれるなどやや不安定で、球速も彼本来のものではなかったことは少々気がかりではある。8回に投げた馬原にしてもそうだが、パワーピッチャータイプで似通った2人が後ろの方を任されるということについて僕はかなり危惧しているのだが・・・。
誰もが考えているように、問題は打線だろう。
一番のイチローが全く当たっていないことも心配だが、それでも安定感を欠く中国投手陣から初回と2回の先制のチャンスをモノにできず終盤にダメも押せなかった。追加点は相手のボークによるもので、4点を取ったとは言え中国と同じ5安打しか打てなかったことはお寒い限りである。逆に考えると日本の投手から5安打を放った中国って案外スゴイのかも知れないが・・・。シャープなスイングを見せていたのは2安打の青木とホームランを打った村田くらいで、みな一様に元気なく見えた。
危ない試合だったから言うわけではないが、宮崎合宿からテンション上げすぎだったのではなかろうか?あのテンションでずっといれば疲れるのも当然だと思う。イケイケでやってるうちはいいが、西武、巨人とのゲームで「あれ?なんか変」と感じていてそれが今までつながっている気がしてならないのだ。
今夜のゲームが次の試合にどういう影響をもたらすのだろう。初戦を勝ったことで緊張がほぐれて良い方向に傾けばイイのだが、選手達自身が自分たちの調子について「ヤバいかも」なんて感じていたとしたら心配だ。選手は自分の力を信じられなくなるのが一番危ないのだから。


以下、スタンド雑感・私感。

僕はもう何年も日本のプロ野球をナマで観戦していない。それは「応援団」が嫌いだからだ。トランペットに合わせながら、あるいはみんなで声だけで、というケースもあるがのべつ幕なしに選手の応援歌を歌ったりする、あれが耐えられない。それが楽しくて球場に行く人たちや応援団の人たちを中傷する気も否定する気もさらさらない(むしろ、その情熱には頭が下がる)が、僕は嫌いだ。僕はボールがミットを叩く音が好きだ。バットがボールを捉える音が好きだ。そして誰かと一緒に野球を観ながら、あれやこれやと野球談義をするのが好きなのだ。それを妨げる応援がイヤで、球場に足を運ばなくなったのだ。
WBCの強化試合をTVで観ているときは、応援団がいなかったので「ああ、よかった」と思っていた。けれど、本番ともなれば各チームの応援団が手を組んで現れるのではと危惧していたら・・・やっぱり来ていた。
さすがに特定チームの応援ではないのでスタンドのまとまりはイマイチで、普通に座って観ている人も多かったのでまだマシだったが、周りの観客もみんな立ち上がって応援するようならとっとと帰ろうかと思ったくらいだった。
スタンドの応援風景は日本の野球の風物詩だと、肯定的に捉える向きも多いのだがその一方で別のファンの観戦の楽しみを奪っている面もあるということを彼らはおそらく想像したことなどないだろう。どんなつまらないゲームでも応援で盛り上がって帰ればそれはそれで楽しいだろうけれど、つまらないゲームも面白いゲームも均質化させてしまうような応援を僕は好きになれない。
良いプレー、良いゲームがあれば盛り上がる。つまらないゲーム、つまらないプレーはつまらなく観ればいいのだ。
それもまた野球観戦の楽しみである、と少なくとも僕は思う。

| | コメント (2) | トラックバック (1)

2008年11月12日 (水)

追憶の日本シリーズ、そして訣別

今年の日本シリーズは西武の優勝で幕を下ろした。ほんの少しのアヤで勝負の行方は変わっていたであろう、久しぶりに緊迫感がある面白いシリーズだった。

今年のシリーズを見ていて何度となく1983年の日本シリーズを思い出していた。カードは今年と同じ巨人対西武。7試合中、3試合がサヨナラゲームという史上稀に見るシリーズだった。
巨人は1981年に日本一になっており、西武は前年の1982年に中日を破り「西武ライオンズ」としては初めて日本一になっていた。言わば脂ののりきった2チームの対戦である。
巨人の監督は藤田元司。助監督に王貞治、ヘッドコーチに牧野茂といういわゆる「トロイカ体制」だった。主力選手は江川卓、西本聖、原辰徳、中畑清、篠塚利夫、松本匡、レジー・スミスといった面々。駒田、吉村、槇原の「50番トリオ」の台頭もこの年だ。対する西武は監督が広岡達朗。宿願である打倒巨人に燃えていた。ヘッドコーチに森昌彦、主力選手は東尾修、松沼兄弟、田淵幸一、太田卓司、山崎裕之、テリー、金森といった面々だ。親会社が西武となってから5年、後の常勝軍団へと変貌をとげつつあった。後の黄金時代を支える秋山と伊東はプロ3年目で、まだレギュラーではなく工藤は2年目、清原はこの年の夏に甲子園デビューを果たしたばかりだった。

僕は大学1年生、東京へ出てきて半年が過ぎていた。

当時の僕は巨人ファンであり、特に西本投手の大ファンだった。江川と共に巨人の先発を支えていたが、エースと言えば江川だった。だけども僕は江川は入団時のいきさつもあり、どうしても好きになれなかった。僕は生え抜きでドラフト外からはい上がってきた西本の方を応援していた。西本のピッチングは小気味よい真っ向勝負で、しかも大事な試合に強かった。開幕戦でもよく勝っていたし(西本が開幕戦で勝った年、巨人は必ず優勝している)、81年の日本シリーズでもMVPに輝いている。

このシリーズはそれでもチーム最多の16勝を挙げた江川が第1戦に先発した。しかし江川はノックアウトされ巨人は負けた。西本は2戦目に先発し、完封勝利。81年の第5戦に続きシリーズ2試合連続で完封したことになる。江川は第4戦に先発するも、またも打ち込まれ巨人は星を落とす。そして西本は第5戦に先発し、西武を2点に抑えまたも勝ち投手になる。西本は4回、田淵にホームランを打たれるまでシリーズ29回連続無失点という日本記録(現在も破られてはいない)を打ち立てていた。
西本はさらに1日おいた第6戦、3対2とリードした9回に抑えとして登板したが、ここではリードを守りきれなかった。この試合で同点にされた後の延長10回にマウンドに立ったのは江川だったが、金森にサヨナラヒットを許し勝負は第7戦に持ち込まれた。結局、江川はこのシリーズいいところナシであった。
そして第7戦、先発のマウンドに立ったのは前日もリリーフに立った西本だった。
藤田監督は全てを西本に託したのだ。連投の西本は明らかに疲れが見え、身体は重そうだった。しかし持ち前の粘りで6回まで無失点ピッチング。
巨人が2点リードし迎えた7回、ヒット、四球、自らのエラーで招いた満塁のピンチでテリーに走者一掃のタイムリーを打たれ逆転を許してしまう。西本は遂に力尽きてしまったのだ。
実はこの前、7回表の攻撃で西本はヒットを打ちランナーに出て最後まで塁上にいた。3塁まで進むも自らホームを踏むことはなく、それが後のピッチングに微妙な影響を与えたと僕は思う。デーゲームであったとはいえ日も傾いた西武球場の寒さは想像に難くない(西武球場からそう遠くない東村山市に住んでいた僕はアパートの部屋でコタツにくるまって中継を見ていた)。ウィンドブレーカーを着ていても身体は冷えたことだろう。西本が3塁にいるとき、篠塚がレフト線にきわどいファウルを打った。ファウルが宣告された時の西本の落胆した表情は今も忘れられない。結局篠塚は凡退し、西本は冷え切った身体のままマウンドへ向かったのだった・・・。

7回に逆転した西武は、このシリーズ抑え役の東尾が締めて2年連続の日本一となり、広岡監督は「これでようやく全国区になれた」と語った。一方の藤田監督は「西本は褒められても責められることはない」と大車輪の活躍をした右腕をかばった。
この日は重苦しいムードの試合のように陽の差さない曇天模様だった。西本の熱投が報われなかった僕の心もまさしくこの日の天気のようであったはずだ。
けれども、当時僕は日記にこう記している。

「本当に見事な日本シリーズだった。一生心に残るだろう」

巨人が負けたことは悔しかったが、それ以上に素晴らしいゲームを見ることが出来たという満足感があったのは確かだ。それと敗れたとはいえ西本が素晴らしい活躍をしたことも嬉しかったのだと思う。

翌1984年、満を持して王貞治が監督に就任する。
巨人の前途は明るいものに思えた。しかし、わずか5年で王は監督の座を追われる。時を同じくして西本も中日へ移籍した。
そして僕も少年時代から応援してきた球団に別れを告げたのだった。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2008年11月 2日 (日)

ドラフト

ビールではない。
プロ野球新人選手選択会議、いわゆるドラフト会議のことである。今年は4年ぶりに社会人・大学生と高校生を一括した形でのドラフトになった。ドラフト前には複数球団の指名が確実と言われた新日本石油の田澤純一投手が、メジャーへの挑戦を表明し日本の球団に対し自分を指名しないよう要望を出すという異例の事態となったことでも注目された。結局、強行指名もあり得るのではと思われたものの田澤を指名する球団はなく田澤は胸をなで下ろしていた。かつての巨人ならそれでも強行指名していたかもしれないが、いくら“典型的KY球団”とはいえ、さすがにそこまでではなかったようだ。
巨人の清武球団代表は「人の希望は尊重されるべきであり、今年のドラフトには不満が残る」みたいな主旨の発言をしていたようだが、どの口がそんなことを言っているのだろうとあきれ果てた。田澤がメジャーに行きたいと言ったことに対して真っ先に異を唱え、やれメジャーの日本人を全部引き上げさせるだの国交断絶だのと息巻いていたのは誰か。挙げ句、田澤をメジャーに行かせないため、そしてこの先同じようなことを言う選手を出さないためにペナルティーを課そうという動きを率先していたのは誰か。田澤の「希望」を真っ先に潰そうとしたその口が「希望は尊重されるべき」とは・・・開いた口がふさがらない、とはこの事だ。まあ、巨人の本音は「巨人の希望こそが優先されるべき」ということなんだが。それを、いかにも“人権尊重”の立場で発言しているという風に装っているのがまた腹立たしい。

とにもかくにも、これで田澤は心おきなくメジャーへ挑戦できることになった。ただし、成功できるかどうかは未知数であり道は険しいだろう。それでも田澤は楽しみで仕方ないと思う。そして、仮に成功出来なかったとしても彼はなんら後悔することはないはずだ。心ない球界関係者は「ざまあみろ」と思うだろうが、心の赴くままに行動した勇気ある若者は、そんな連中のことは鼻にもかけないに違いない。
願わくば、田澤がメジャーで大活躍し、その後に続こうとする者が出てきて欲しい。そして閉鎖的なこの日本球界をどんどん揺るがして欲しいと思うのだ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年10月26日 (日)

リアル鉄五郎

「鉄五郎」とは水島新司の傑作野球漫画「野球狂の詩」に登場する、50歳を過ぎてもなお現役を続けるプロ野球の投手岩田鉄五郎のことだ。

今日、アメリカ大リーグのワールドシリーズ第3戦に先発登板したフィリーズのジェイミー・モイヤーは今年の誕生日(11月18日)が来れば46歳になる超ベテランの左腕投手で「リアル鉄五郎」に最も近い選手だ。今日の試合が自身初のワールドシリーズ登板であり、もし勝ち投手になっていれば史上最年長のワールドシリーズ勝ち投手になるところだった。リードして降板したもののチームは同点に追いつかれ勝ち星はつかなかったが、絶妙のコントロールとテンポの良い投球で岩村を初めとする若いレイズ打線をほんろうした。
今季は16勝7敗でチームの勝ち頭。投球回数196回1/3は28歳の松坂より34イニングも多い。クレメンスやジョンソンなど速球派の華やかな選手ではないため、日本ではあまり知られていはいないが、38歳で初の20勝、40歳で自己最多の21勝を挙げ、通算でも246勝185敗という名投手である。2005年までマリナーズに在籍していたのでもしかしたら憶えている人もいるかもしれない。

日本で岩田鉄五郎に最も近い投手といえば、現役最年長投手の工藤公康(45歳)だが、この数年は成績が芳しくなく来年の成績しだいでは現役続行が危うい。そういう意味で楽しみなのは43歳にして今年11勝を挙げ、通算200勝も達成した山本昌だろうか。身体が頑丈で、もともと速球派でないだけにまだまだ長く活躍出来そうな予感がある。
ちなみに日本球界の最年長登板記録は元阪急ブレーブスの浜崎真二で48歳10ヶ月。
大リーグはというと「史上最高の投手」と言われたサッチェル・ペイジの「59歳」とされている。ただし、これはあくまでも「公称」。実際はもっと年をとっており60歳を過ぎていたという説もある。というのもペイジは戦前生まれ(1906年とされている)の黒人であり、生年月日が正確かどうか分からなかったのだ。そして彼の全盛期、大リーグは白人だけの世界でありペイジが活躍したのは黒人だけのリーグ「ニグロ・リーグ」だったのだ。そのため大リーグ入りしたのは1948年、42歳の時でありすでに全盛期を過ぎていた。それでも、当時ペイジが契約したインディアンスのエース「火の玉投手」と呼ばれた速球投手のボブ・フェラーは「サッチェルのボールに比べたら私のボールなどスローボールみたいだよ」と言ったそうだ。

淡々と、しかしきっとその心の奥には熱いモノを秘めながら投げていたモイヤー投手。ワールドシリーズとは縁のない環境(マリナーズで地区優勝は2度経験した)で投げ続けてきた彼のピッチングと、年齢よりも老けて見える顔(そういえばどことなく鉄五郎に似ている)を見ていると、なんとなく弱小メッツで孤軍奮闘していた岩田鉄五郎を思い出したのであった。

Photo←こうして改めて描いてみると随分年寄りくさい。今時の50歳ってもっと若々しいよな〜。ていうか30数年前だとしてもちょっと老けすぎかも。まあ孫もいる「おじいちゃん」なんだけど。

| | コメント (3) | トラックバック (0)

2008年10月17日 (金)

おかしな話(プロ野球編)

日本のプロ野球はおかしな話だらけなのだが、今回はいわゆる「田澤問題」である。

社会人NO.1右腕・新日本石油の田澤純一がメジャーリーグに挑戦するので日本プロ野球のドラフト候補からは外して欲しいと要望した件で、日本プロ野球機構(NPB)が有望選手流出に歯止めをかけようと「罰則」を設けることにした。
簡単に言えば、日本のドラフトを経ずして(つまり日本のプロ野球を経ないで)海外でプレーした場合は一定期間を経過しないと日本のプロ野球ではプレーできないという縛りをかけるということらしい(指名されなかった選手に関しては適用されない)。「海外へ行くのは勝手だけど君の戻ってくる場所はないよ」と言っているのだ。その期間については高卒と、大学・社会人で多少の差はあるものの、これはどう考えてもアマ選手への恫喝でしかない。
なんとまあ、狭量な事だろうか。
こんなことしか考えつかないNPBは情けないのを通り越して哀れですらある。

そもそも田澤はそんなに悪いことをしたのか?
単に日本よりアメリカでプレーしたいと願っているだけではないか。日本のドラフトで指名されてしまえば、仮に入団を拒否しようとも少なくとも1年間はアメリカへ行けない。だから指名してくれるなと筋を通したに過ぎないのだ。それに田澤は、アメリカのチームと契約できるという保証もない。日本のドラフト指名を受けないことが確定しない限りメジャーのチームと交渉は出来ないのだから。
筋の通らないことをしているのはむしろNPBの方である。
メジャーが田澤をドラフトで指名したわけでもなければ、どこかのチームが契約を強行したわけでもない。一人の若者が夢を追いかけようとしているだけなのだ。可能であればそれを潰そうとしたが、現行ルールでは止めようがないと分かると全ての責任が田澤にあるかのように「罰則」を設けようとしている。そして後に続くであろう若者の夢を潰そうとしているのだ。

有望な選手が次々と海外へ出て行くことに危機感を感じるのは当然だ。そのことに何らかの手を打とうとするのも分かる。けれども選手の流出は「選手の責任」ではない。アスリートがどこに活躍の場を求めようとそれを邪魔する権利は誰にもない。
野茂がメジャーへ行こうとした時にあわてふためいた挙げ句、止められなかった。そして「野茂に続く選手が現れないように」とあれこれ手だてを考えるものの有効な手段はなく、せいぜい「球団が損をしないためのシステム=ポスティング」を考えついたくらいだ。結局イチローや両松井など次々に人気選手が海を渡った。そして野茂が引退した今年、ついに有望アマ選手がメジャー挑戦を明言した。そしてまたもあわてふためいて「行かせない手段」を考えた。どうしてこうも考え方がマイナスなのだろうか。そして全てが後手なのだろうか。なぜ、もっと魅力ある球界作りをしようとしないのだろうか。野茂以降の13年で何も進歩していないではないか。野茂の勇気ある行動から学んだことはなかったというのだろうか。

結局重い扉を開けるのは選手の勇気だ。
しかし、その勇気と夢を抑えこむことしか考えない日本の球界とはいったいなんなのだろう。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2008年9月29日 (月)

必ずここへ帰ってくると・・・

タイトルに反応した人、あなたは間違いなくヤマトファンです。

昨日、プロ野球広島カープの本拠地広島市民球場が最後の公式戦を終えた。

その試合後にヤマトの主題歌が流れた。

広島がクライマックスシリーズに進出し、そこで勝ち進み日本シリーズに出場しなければ昨日が最後の試合となる。「必ずここへ帰ってくると・・・」は日本シリーズでもう一度この市民球場へ帰ってくるという願いを込めて唄われたのだ。

ヤマトの主題歌の素晴らしさについてはいまさら言うまでもない。けれども、こうした場面で唄われること、唄えるほどに浸透していることに改めて感動してしまった。奇しくも広島のチームカラーは「赤」だ。スタンドでの人たちの手には「真っ赤なスカーフ」ではないが、「ありがとう」と書かれた赤い紙があった(その裏に書かれていたのが「必ずここへ帰ってくる」だった)。

僕は広島のファンではない。広島球場は試合のない日に見学したことがあるだけだ。ボクの中の広島球場は、薄暗い照明と黒い土、荒れた芝、そして王選手がホームランを打ってもまばらな拍手しか起きなかった遠い昔のテレビの中の球場だ。

僕は思う。「必ずここへ帰ってくる」・・・この言葉は日本シリーズで帰って来るという願いだけでなく、広島ファンの心が帰る場所だという意味もあるのだと。

そしてまたひとつの時代が終わりを告げる。

| | コメント (5) | トラックバック (0)

2008年9月23日 (火)

偉大なる王がグラウンドを去る時

ホークスの王監督が今シーズン限りで、ユニフォームを脱ぐ。
さすがに肉体的にきつかったようだ。
今年は野茂、桑田、清原と次々に引退表明があり、ここにとどめをさされたような気分だ。
なによりもこれで、日本のグラウンドから「O」と「N」が2人とも姿を消してしまうことになるのだ。
いつまでもONでもなかろうという思いと、その全く反対の寂しい思いが僕の中で交錯している。
けれどホッとしてもいる。
手術をして以降の王さんの姿は見ていて辛かった。分厚かった胸板は薄くなり、パンパンに張っていたユニフォームのふくらはぎあたりはダブついてしまっていた。
それでもグラウンドに立つことが王さんにとって望みなのであればと思い、応援していた。
そしてついに今日、勇退の発表となった。

僕にとっての王貞治は子どもの頃からずっとずっと、最高かつ最大のヒーローであり憧れの存在だ。
ものごころついた頃、長嶋茂雄はすでに下り坂であり対照的に王選手は円熟味を増していた。
そして2度の三冠王、700号以降の本塁打記録フィーバーを目の当たりに過ごしたきたのだ。

王貞治が現役引退を発表したのは、僕の16歳の誕生日だった。
あの時の心に穴が開いたような状態は今でも忘れられない。
しかし、その後も僕はどんなときでも王貞治を応援し続けてきた。
巨人を追われたあとも、野球の普及に世界を飛び回っていたときも、ホークスの監督となってからもずっとだ。
2年前にWBCで優勝したときは本当にうれしかった。うれしくてうれしくてどうしようもなかった。
その頃病気をしていた僕は、本当に元気づけられ、またファンとしての気持ちもすべて報われたような、そんな気がしたのだ。

そのWBCの時、イチローが「決勝トーナメントでアメリカに行ったら、だれよりも多くサインをねだられるのが王監督でしょう。そのとき、本当に監督の偉大さを知るでしょうね」と言っていた。
僕はこの言葉を裏付ける光景をそのずっと前に目撃したことがある。
何年か前の日米野球を東京ドームで観戦したときのこと。まだイチローは日本にいた。
王監督が日本チームの指揮を執る日のゲーム前、日米のそうそうたるメンバーがグラウンドに集まっていた。
長嶋茂雄氏は確かスーツ姿だったと思う。長嶋氏の周りは報道陣や関係者で一杯だった。
王監督の回りも人だかりで一杯だった。
長嶋氏と違うのはその全てが来日した大リーガーだったことだ。
帽子を取って挨拶する選手、ボールやバットにサインをねだる選手、記念写真をせがむ選手・・・なんという光景だろう。名だたる大リーガーたちが子どものように目を輝かせながら王さんのところにひっきりなしに足を運んでいたのだ。僕は一緒に観戦した友人と「やっぱ王さんてすごいよな、別格だな」と言い合ってため息をもらしたのだった。

王貞治はグラウンドを去る。
プロ野球が、ある意味最も幸せだった時代の象徴がいなくなるのだ。
「KK」という時代が四半世紀、そして「ON」という時代がその倍の半世紀を持って幕を下ろす。
これもまた、不思議な運命だったのかと思う。

Photo←1974年の王選手の野球カード。この年、V10は逃すも王選手は2年連続で三冠王を取った。ボロボロなのは、いつも持ち歩いていたからだ。

| | コメント (9) | トラックバック (0)

2008年8月25日 (月)

繊細で傲慢な日本野球

北京五輪で日本野球は惨敗した。いや「日本のプロ野球」が、と言った方が適切か。
その原因はたくさんありそのどれもが正しいがどれか一つだけが原因ではない、ということは前回書いた。今回はその原因のひとつであろうとされる事について触れよう。
それは、環境への対応である。
投球を組み立てる基本になる「アウトコース低め」をストライクに取ってくれないことで投手がリズムを作れなかったり、同じように判定に一貫性がないことでバッティングに思い切りが出なかったりといった「判定」に関する事。そして、直前のルール変更(タイブレークの導入)や公式球変更に対する過剰な戸惑い。試合時間が不規則であることや蒸し暑い気候に慣れることが出来なかった、などである。条件はどこの国でも同じはずだ。では、なぜ日本だけがそうしたことに対応できなかったのだろうか。

投手の絶妙なコントロール、捕手が主導するバッテリー間の駆け引き、投手交代や代打起用など用兵の妙、バントやエンドランを多用する機動力野球・・・すべては日本人の繊細で勤勉な国民性によって育まれたものであるといっても間違いではないだろう。それは「同じ方向性を持とうとする」国内のリーグで高度に、繊細なほどに洗練され続けた。いや、「されすぎた」のだ。そして、第二の国技と言われるほど国民に浸透している人気。プロを頂点とした日本の野球は国内だけで十分にやっていけるほどのマーケットを獲得している。それは言い換えれば「外へ出てゆく必要性がない」ということだ。
日本の野球は天敵のいないこの島国で世界に類を見ない独特の進化を遂げた。あたかもガラパゴス諸島の動物たちのように。そしていつの間にか自分たちの野球が「強い」という幻想をも抱くようになっていた。外の世界で真剣勝負をする機会がなかったにもかかわらず、だ。いや、そもそもプロ野球は世界で勝つことを目標にしてはいなかった。狭い国内のリーグの隆盛とそのわずかなパイを奪い合うことにのみ汲々としていた。
閉ざされた島国でわが世の春を謳歌し続けた日本野球。その象徴がドーム球場だ。完全空調で空も見えない、風も吹かない、雨も降らない上に夜か昼かすら分からない球場は選手たちから野生を奪った。日本の野球はますます繊細の度を高める一方で、自分たちの「ひ弱さ」に気付かないままでいた。いや、気付かないふりをしていたのだ。

表向きは大リーグに追いつき追い越せと言い続けてきた日本のプロ野球は、2年に一度大リーグ選抜に「お越しいただいて」親善野球が行われてきた。その度に「大リーグのボールは大きくて重い、滑って投げづらい」「芯に当てても飛ばない」など、20年以上も前から言っていた。けれど、ボールを変えようとはしなかった。それは「大リーグと真剣に対戦することなどない」と考えていたからだし、国内リーグを守ろうとしたからだ。いつもお願いして大リーグにお越しいただいているのも、決して自分たちからアメリカへ行こうとはしなかったのも実は「日本野球が強い」というメッキがはがれるのを恐れていたからではないだろうか。観光気分で来ている大リーガー相手に互角に近い試合が出来るようになってきたところでそれが真の実力ではないことは、誰でも分かることなのだ。
国際大会では審判の技量やストライクゾーンにバラつきがある。北京五輪でもそのことを問題にしていた。しかし、それは今に始まったことではない。少なくともシドニー五輪の時に分かっていたのはずではないのか。昨年のアジア予選でも同じことを言っていたではないか。それを自分たちの野球の方が「高度」だからと、批判はしても対処法を練らなかったのは明らかな間違いだ。何をいまさら、である。
ボールが良く飛び、滑りにくいというのは日本製品の質が高いということであるし、投手の微妙なコントロールを判定できる日本の審判は優秀だ。ドーム球場をたくさん建てることが出来るのは日本が豊かである証拠だ。しかし、それらをスタンダードだと思ってしまうことで日本の選手はひ弱になったのではないか。そして日本があまりに安全で住みやすい国であるが故に、海外へ行くとストレスを感じてしまう日本人のように、慣れない海外の試合で力を発揮できなくなってしまったのではないか。
国内だけで完結し、発展してきた日本の野球。技術が高く人気もあるが故に視野狭窄に陥っていた。自分たちの野球に誇りを持つのはいい。しかし、そのやり方が正しいと信じるあまりに世界の流れを読めない、あるいは読もうとしないで対処しなかったのでは何の意味もないことだ。

日本野球はあまりに繊細で、そして傲慢すぎたのだ。

五輪での野球はなくなったが、WBCがある。
日本の野球はもう、世界を見ないではいられない。

五輪で惨敗したとはいえ、初代王者である日本は厳しくマークされるだろう。逆に自信をつけた韓国は自信を持って臨んでくるはずだ。野球の祖国アメリカはそのプライドにかけて挑んでくるに違いない。
自信を失った日本はどう戦うというのだろう。リベンジする気持ちだけで果たして戦えるものなのだろうか。
次回WBCで日本はもう一度惨敗するかもしれない。
心の中では、そうなってもいいと思っている。そうすることで球界そのものが初めて大きな危機感を「持つことができる」と思うからだ。

しかし、矛盾するようであるが個人的には誰が何と言おうと日本の野球は強いと思っている。五輪においてはそれが証明できなかったに過ぎないのだと。
では、どうやってその力を証明するのか。
いついかなる状況でも実力が発揮できるような力強さを身につけることだ。問題はそのビジョンを誰が作り導くか、だ。そこを考えないでいて世界では戦えない。
繊細な野球が力強さを加え、もう一度世界を制する日が来ると僕は信じている。

| | コメント (8) | トラックバック (0)

2008年8月23日 (土)

誰がために??

五輪の野球競技で日本代表は完全に負けた。
いいところなく負けた、文字通りの完敗だ。
終わってからならいくらでも書けると言われるだろうが、それでも敢えて書くならこの結果は十分に想像できた。“予想”していたわけではない、充分“考えられる”結果だったということだ。だから落胆はしているが驚いてはいない。

何故日本は負けたのか?

理由はひとつではない。考え得る理由はいくつもある。そしてそれはおそらく全てが間違いではないし、逆にどれか一つだけでも理由にはならないだろう。試合ごとの分析、つまり選手起用を含めた戦略などについてはいくらでも書ける。それこそ終わった後ならいくらでもだ。つまりそれは「たら」「れば」の話でしかなく、そのことをあとから議論してもしょうがない。星野監督の言葉を借りれば「詮無い」ことだ。同じ選手起用や作戦を用いても結果が逆に出れば賞賛されるわけだから。そうは言っても首をかしげざるを得ない面もたくさんあったのは事実ではあるが、僕は敢えてそこの細かい話には言及したくはない。そこらへんは、職場の野球好きと散々話したというのもあるが・・・。

精神論的なものにスポーツの勝ち負けの理由を求めたくはないが、それもまた避けて通れない一面ではあると思う。今回は敢えてその「気持ち」の話を中心に考えてみたい。
キャプテンの宮本は「勝ちたいという思いの強い方が勝った」と準決勝敗退後に言ったが、果たしてそうだろうか。どちらにもその気持ちは強かったはずだ。もし、心からそう思っているのであればそれは負けるべくして負けたということになる。あの宮本と言えど心に隙があったということになるのだが・・・。
韓国は「勝ちたい」と思っていたと思うし、日本はむしろ「勝たなければいけない」という気持ちだったと思うが、その気持ちにどれほどの差があるというのだろう。気持ちの強さを測る機械でもないかぎり誰にそれが分かろうか。

しかし、強いて言うなら「気持ちの持ちよう」の違いだろうと思う。
日本チームの覇気のなさはそこにあったと思う。
「気持ちの持ちよう」とは「戦う理由」と言い変えてもいい。
スポーツは、結局のところ自分のため(それは団体競技でも同じだ)にやるものだと僕は思っている。家族や、恋人、友人など身近でいて目に見えるもののためというのはほとんど「自分のため」と同義であると思うけれども、「学校のため」とか「地元のため」など対象が大きくなるほど重くなり、そして「国のため」のように一見分かりやすいようでいて曖昧なものになるにつれてさらに重さや辛さが増して行くのだと思う。思えば今回の五輪、そういったものに戦う理由を求めていない選手やチームほど栄冠を手にしていたように思える。あるいは、それだけ(国のためなど)が最大かつ唯一のモチベーションであるか、だ。
五輪に出ること、そして勝つことを最大の目的として生活の全てをそれに捧げてきた選手であれば、例え勝てなかったとしてもそういう目的のために生きてきている限り、辛い思いをするのも全ては自分のためであると納得ができるし、負けても清々しくいられるのではないだろうか。

野球の日本代表チームはどうであったか。

彼らはもともと五輪のために野球をやっているのではない。まして地元のためでも国のためでも、もちろんない。自分のために野球をやってお金を稼いでいるプロなのだ。第一義は自分が活躍することであり、チームをペナントレースで勝ちに導くことだ。
そんな彼らが五輪に出る理由はなんなのだろうか?
五輪で勝つことが全てではない中で、何を持ってモチベーションを上げることが出来るのだろう。その点において選手個々人が最後まで自分を納得させられなかったのではないかと僕は思っている。
多くの選手は「プライド」こそが五輪で戦う理由であったと思う。
それは自分自身のものではなく「日本野球を背負う」というプライドだ。
それは負けることからは何も得られない(と思わされている)悲しく重いプライドだ。その重さが選手を縛り付け、最後まで溌剌としたプレーを奪っていたように思えてならないのだ。
おそらくは誰一人として「自分のために」プレーした選手はいなかったと思う。

「申し訳ない」「すみませんでした」
星野監督や宮本主将は謝った。
誰に??
そもそも謝る必要などないのである。
謝るとしたらそれは結果を出せなかった自分自身に対してではないのか。
結果がどうあれ、プレーに恥じるところがなければただ悔しがれば良かった。
それが明日からの力になるはずだ。
しかし、今回の五輪での敗戦は何も得るモノがなかったように思う。
ただただ重苦しいものが残っただけだ。
僕はこんな彼らを見たくはなかった。
彼らをそこまで追い込む必要などなかったはずだ。
また彼らもそこまで自分を追い込む必要もなかったはすだ。

では、敗戦の責任を負うのは彼らだけなのか。
負けた試合の敗因そのものは彼らにあるが、「五輪で勝てなかった理由」はもっと別の所にある。
そこを分析しないで彼らを糾弾するのはまったく筋違いである。
彼らを「後のない五輪」に追い込んだのは誰なのか、それは明白なのだから。
プロ参加が容認されたシドニー五輪から(実際はその前から)、この北京五輪に至る日本野球界のゴタゴタぶりはあまりにもひどかった。そしてどこにも「ファンのために」という視点は存在していなかった。
一見、十分なバックアップのもと組織されたかのような今大会の代表にしても問題は山ほどあった。
しかし、おそらく日本球界の誰一人として今回の敗戦の責任を感じてはいまい。
そしてそれを十分に分析しWBCにつなげようとする人もいないだろう。
このままWBCを迎えても、おそらく日本は勝てない。
「日本代表」というものの位置づけ、そして「WBC」というものの位置づけを明確にし、選手達には「戦う理由」を共通意識として植え付けられるような戦略をたてて臨んでいかない限り、日本は国際大会で苦杯をなめ続けるに違いない。勝つために必要なプロセスを踏まず、選手たちのプライドだけに頼るような野球は無意味なのだから。

| | コメント (6) | トラックバック (0)

2008年7月30日 (水)

イチロー3000本安打

イチローが今日(現地では29日)日米通算3000本安打を達成した。

野球好きの人にとっては今さらな話だが、張本勲に次いで日本のプロ野球選手では二人目の快挙だ(参考までにイチローの次にくるのが2901安打の野村克也である。最近のぼやきのノムさんしか知らない若い人には、彼が偉大な打者であったことも是非知っておいて欲しいものだ)。

張本より、年齢にして約5歳、試合数にして約450試合ほど早い。大リーグの方が1シーズンの試合数が多いため、達成スピードが早くなるものとはいえ、ほぼ毎日試合に出続けてしかも成績を残し続けなければならないことを考えるとやはり半端ではない。インタビューでイチローは「ホームランで決めるつもりだった」と言ってたが、それはかなわなかった。張本が3000本めをホームランで飾ったので、もしイチローもホームランなら3000安打打者が2人ともホームランで達成ということになったのに、惜しかった。

今シーズンはイマイチ調子の上がらないイチローなので今シーズン中に張本の記録(3085安打)を抜くかは微妙だ。だが来シーズン序盤には張本の記録を抜き、シーズン中には大リーグ通算2000本安打にも到達するだろう。となればわずか9シーズンでの2000本安打達成となる。これは大リーグでも類を見ないスピードのはずだ。

大リーグでは3000本安打すれば殿堂入りは確実だ。しかしイチローの場合日本での実績も考慮される可能性もあるし、通算記録のみならず活躍した中身の濃さといったものも殿堂入りには大きく影響するので、シーズン最多安打記録を更新したこともあり、さらに連続シーズン200本安打新記録を達成したならば(タイだとしても)イチローの殿堂入りは確実だと思う。それ以前に、イチローならば大リーグだけで3000本安打に到達するかも知れない。

ちなみに大リーグで3000本安打を達成した打者は昨年までで27人。うち、殿堂入りの資格(引退後5年)を得ていない何人かと賭博で捕まったピート・ローズを除き全て殿堂入りしている(薬物疑惑で引退に追い込まれた3000安打&500本塁打のパルメイロは殿堂入りは疑問視されている)。

現在のところ大リーグでは3000本以上のヒットを放っている現役打者はいない。現役最高はグリフィーjr.の2645本(現地28日まで)。ボンズが昨年までに2935本を打っているが今シーズンはプレーしておらず、実質的引退状態にある。現役で2500本以上を放っている打者はグリフィーを含め5人いるがいずれも年齢や近年の活躍具合から3000本到達は難しそうだ。2500本以下の打者ではヤンキースのジーター、ロドリゲス(A-ROD)あたりは可能性がありそうだ。

日本人では松井秀喜が順調にキャリアを重ねれば3000本到達の可能性があったが、度重なる怪我でかなり難しくなってきた。日本のプロ野球では立浪が昨年まで2451安打で現役最高。以下、石井琢朗、清原、金本、前田智徳が現役の2000本安打達成者だがいすれも3000本は無理だろう。年齢とこれまでの実績を考えればホークスの大村が現役打者では一番可能性は高い(昨年、今年と怪我をしているのでギリギリだが)。スワローズの青木も期待したいが、大学卒でレギュラー獲得が23歳とやや遅かったのでそこだけがネックではある。

こうして考えると3000本安打というのがいかに大変な記録であるかがよく分かる。そしてそれを軽々と(見えるように)達成したイチローという打者のすごさもまた際立つ。先日引退した野茂とは違い有言実行タイプのイチロー。難しい目標を敢えて口にすることで自分にプレッシャーをかけ、追い込み、それを実現させる。野茂とはまた違った意味で真のプロフェッショナルと言えるだろう。

| | コメント (5) | トラックバック (0)

2008年7月 3日 (木)

復刻ユニフォームを見て考えた

先週末、埼玉西武ライオンズは野武士軍団と呼ばれた西鉄ライオンズ時代のユニフォームを身にまとい戦った。5月の交流戦では福岡ソフトバンクホークスが同じく南海ホークス時代のユニフォームで戦った。
かつてのチームのファンや関係者にとっては感慨ひとしおだったろう。そしてそんなチームがあったことを知らない若いファンにとっては歴史を知るきっかけになったかも知れない。これまで歴史や伝統というものを大事にしてこなかった日本のプロ野球においては、多少はいい傾向だと言えるだろう。あくまでも「多少は」だが。
日本のプロ野球チームは親会社が変われば名前もフランチャイズも平気で変更し、それ以前の歴史は「なかったこと」にするようなところがあった。ライオンズにしろホークスにしろまだニックネームが残っている分ましだと言えるのだが、それでもつい最近まではどちらも球団買収以前の歴史をまるでなかったかのごとく扱っていたのだ。それは、プロ野球チームは「親会社の宣伝媒体」という考えがいまだ根強く残っているからに他ならない。多くの球団が親会社の名前を名乗っていることからもそれは明らかであり、球団を買収した企業は出来る限り前のチームイメージを消そうとするのである。そのため、歴史は分断され伝統は途絶えてしまうのだ。そしていつもファンだけが置き去りにされる。それまで忠誠を誓ってきたチームから「もうウチは別のチームだから応援しなくてもいいよ」と放り出されてきたのである。
ここに、必ず都市名あるいは地域名を付ける大リーグとは大きな違いがある。大リーグは日本よりオーナーの交代や球団買収がむしろ頻繁であるが、フランチャイズの移動やニックネームの変更は日本より圧倒的に少ない(一時期はフランチャイズ移動も頻繁ではあった。近年ではモントリオール・エクスポスがワシントンへ移転し、ナショナルズとなった例がある)。企業名を名乗るチームはもちろん、ない。だからオーナーが変わろうが何しようがファンは同じチームに忠誠を誓い続けることが出来るのだ。

今回、ライオンズやホークスが復刻ユニフォームを着用したのは歴史への敬意などというきれい事以上に、イベント効果やグッズ販売による収益も見込んでのことだというのは分かっている。所詮、イベントはイベントでしかなく復刻ユニフォームも郷愁を誘うだけだろう。こんなことをしたところで、どれほどの人が本当のプロ野球の歴史に興味を持つかは甚だ疑問だ。
そこで、各球団にはさらに一歩踏み込んでもらいたい。
歴史と伝統を重んずる気が本当にあるのならば今からでも遅くはない、永久欠番がないチームは永久欠番の制定とチーム殿堂の設置をするべきだと思う。大リーグの球場へ行けば大抵のところでチームの永久欠番のプレートが掲げてあり、さらにチーム独自の殿堂を設け球団に貢献した名選手達を紹介している。大きな銅像を建ててあるところも少なくない。
そういう場所が球場内にあればきっと子供達も「これは誰?」「どんな選手だったの?」と興味を持ち、親は自分が見てきた名選手達について子供に教えることが出来る。歴史と伝統とはそうやって絶えることなく伝えられてゆくものだと思う。

「ライオンズにはどうして背番号6の選手がいないの?」
「それはず〜っと昔、西鉄ライオンズって言ってた時代に中西太っていうすごい選手がいたんだよ。その人の活躍を讃えるために永久欠番っていってほかの誰もつけられないようにしたんだ」
「ふ〜ん・・・パパはその中西選手が好きだった?」
「ははは。パパだって見たことないよ。だっておじいちゃんがパパくらいの時に見てた選手だからね。パパはおじいちゃんに聞いて知ってるんだよ」
「そうなんだ〜?」
「あ、ほら今出てきた中村選手、あんな感じの体つきなのにで足も速かったんだよ。3割30本30盗塁を達成したこともあるんだ」
「へー、すごいね。おかわりくん(中村選手の愛称)が今日盗塁したら面白いね」

・・・こんな会話があちらこちらで交わされる野球場、素敵だと思うんだけどな。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2008年6月 7日 (土)

追憶の南海ホークス

プロ野球交流戦真っ盛りであるが、今日の(日付が変わったので昨日、だが)タイガースVSホークス戦でホークスは「南海」時代の復刻ユニフォームを身につけて戦った。より正確に言うなら1959年から68年までの10年間使用された「南海ホークス」が最も強かった時期のユニフォームである。この間の南海は4位が一度あるだけで後は1位か2位である。
南海ホークスとは言うまでもなく現福岡ソフトバンクホークスの前身(ダイエーがあったので前々身、と言うべきか)であり、大阪・なんばの繁華街のど真ん中に本拠地を置いていた名門球団である。創設は1938年というから今年で創設70周年を迎えたわけだ。
僕のように40代半ばの人間ですら強かった南海を知らないが、戦後の1リーグ時代は常に巨人と優勝を争い、2リーグ制になってから球団売却の1988年までにリーグ優勝12回、日本一2回という輝かしい歴史を誇った。同じ関西の人気球団の阪神よりずっと強い。
栄光の歴史の中、今も語り草となっているのが1959年の日本一だ。元祖“親分”こと鶴岡一人監督の元、杉浦忠の血染めの4連投4連勝という活躍により宿敵巨人を下した日本一である。シリーズ後の杉浦の言葉「一人になって泣きたい」は名言として今に残る。大学時代の盟友である長嶋茂雄のいる巨人を下した喜びはひとしおだったのだろう。
僕が憶えている南海の一番古い記憶が1973年、野村克也兼任監督が率いた時のリーグ優勝である。投手には江本や山内新一、佐藤道郎、マッシーこと村上雅則らがおり、野手では若き主砲門田や、片平、藤原満、名手桜井などがいた。この時の相手は巨人。V9最後の相手がこの南海だったわけだ。ただしこれすらも本当にリアルタイムで観ていたかについては怪しい。「侍ジャイアンツ」と「あぶさん」によって記憶を補完しただけかも知れない。
ちなみにあぶさんこと景浦安武が南海に入団したのがこの1973年のこと。なぜか漫画の中で日本シリーズのシーンはまったくない。さらにこのときの相手、巨人には“サムライ”番場蛮もいたのである。ノムさんは例の「囁き戦術」で蛮を翻弄するなど死闘を繰り広げるが、史実どおり巨人が勝つ。そして残念なことに蛮とあぶさんの対決はなかった(当たり前だってば)。
阪神のエースだった江夏が江本らとのトレードで移籍してきたのが1976年。先発にこだわっていた江夏を「革命を起こそうやないか」の一言でクローザーに転向させたのは有名な話。
その後1977年の2位を最後にBクラスが定位置になり、1989年からはダイエーに売却され本拠地を福岡に移し、2005年から現在の「ソフトバンク」という地域性も味気もない名前のチームになった(ダイエー時代からだが)。
僕が一番良く憶えている南海は1970年代後半から売却までのころだ。とにかく弱かった。いい選手はいたはずなんだが、なぜか勝てなかったし人気もなかった。南海最後の1988年の主な選手を挙げると、野手ではなんと言ってもまず門田だ(この年31本塁打)。“ドラ”こと山本和範に好打&好手の佐々木誠、地味ながら堅実な湯上谷など。現役大リーガーのバナザードという選手もいたし、ドカベン香川もいた(伸び悩んでいたが)。投手ではニャンコこと藤本(この年15勝)、和宏&孝徳の“両山内”などそんなに悪い戦力ではなかった。ちなみに「南海最後の生き残り」大道(現巨人)はこの年入団であった。

南海最後の年から早や20年、復刻ユニフォームを着るという企画は悪くはないと思うが、今の選手たちはどことなく居心地(着心地?)が悪そうであった。かつて南海と日本シリーズを戦った王監督はどんな想いであのユニフォームを着ていたのだろう。
栄光と苦難に彩られた南海ホークスのユニフォームはデジタル放送のきれいすぎる画面にはなんだかそぐわない感じだった。今はなき大阪スタジアムのスタンドにはきっと、あのユニフォームに憧れた少年が多くいたんだろうけれど。そんなことを考えながら繁華街のど真ん中にあった大阪スタジアムの威容に思いを馳せた夜だった。
Photo
←またまた急いで描いたあぶさん。デッサンが狂ってる〜。

| | コメント (7) | トラックバック (0)